2013年07月18日
今年もビザ更新。
今年4月から5月の長期休暇中に、4年ぶりの帰国を終え、その回顧記事をもうカオパンサーに入ろうとしている、今頃になって書いている。
しかも、まだその記事が日本入国を済ませていない程進んでいないのであるが、ここで毎年恒例の、これから先後何回更新するのかわからない、ビザの期限日が明日18日に迫り、先週の10日にその更新に行って来たので、そのときのことを少し書いておこうかと思った。
さて、昨年は確か『ビザ更新料の理由』と言うタイトルで、以前は500バーツと言う区切りのいい数字だったビザの更新料が、数年前にぐんと値上げされ1,900バーツになったが、その数字が「何故2,000バーツではなく、1,900なのか?」と言う内容で書いた。
それを思い出してみると、昨年までの私と今年の私が少し変わった感じがしたので、こうして書き記したくなったのだ。
昨年までの私は、この1,900バーツのお釣を、あれこれ因縁を付けながら、自分の懐に仕舞おうと画策しているタイ入管職員の不正に拘っていた。
やはり、日本人的な感覚からは、公務員の汚職なんて許せない…と言う気持ちがあったように思う。
帰り道、ついその事を遠回しに愚痴って、主人の怒りを買ったものだった。
「せっかく、処理が終わったんだから、100バーツくらいでグダグダ言うな!俺は、次の受け取りのときには、手土産にサイクロークを買って行こうと思っているのに!」と言うのが、主人のいい分だった。
そうして、今年のビザ更新。
例年の通り、コンケーンの入管事務所に入って行くと、昨年、お釣を待っている私に、話をはぐらかして、どうしてもその100バーツを返そうとしなかったオジさん職員の姿は、今年はなかった。
受付のお姉さんは見た顔である、確かターリーにいたような…。
昨年オジさんが座っていた中央のカウンターには、確か、数年前はコラートの入管にいて、昨年からここに来た、30代後半くらいの職員。
コラートのときは何度も顔を合わせているので、タイ人の顔をほとんど覚えない私でも見覚えがある。
そして、そこに呼ばれるかと思いきや、一番入り口に近いカウンターが先に空いた。
その職員は、初めて見る顔だ…と思う。
タイ人にアフリカ系のハーフを掛け合わせたような顔立ちの職員だった。
今年は、毎年変わる入管の必要書類のいい加減さから、毎年時間を喰って主人の怒りを買うので、今年は昨年貰って来た必要書類一覧を見て、あらかじめ必要書類を完全に準備して行った。
コピーもしっかり2部ずつ撮り、家族の写真は長男がコラートの大学から帰って来る土日に、家族揃って店の前で撮影。
確か3枚と書いてあったが、念のため角度や場所を変えて5枚撮り、それぞれを2部ずつプリントして持参。
それぞれの書類のコピーにもすべて自筆サインを書いておき、なるべく入管での時間が省けるようにした。
ところが…。
完全に用意したはずの書類の中で、「結婚登記簿」と言うのが、私たちの認識では、外務省発行の「家族関係証明書」で代用と言うか、私たちのタイ語での結婚証明はそれしかない…と思っていたのだ。
もともと日本で籍を入れ、それをタイの実家の市役所に籍入れしようとしたところ、田舎の職員がゴネタので、主人はバンコクに飛んで帰り、外務省に行って「日本の戸籍を証明する」家族関係証明書のようなものを作成して帰って来たのだ。
それ以来、外務省の職員のアドバイスか、大事にパウチしたその紙切れを2部、主人と私用に用意して、色々な証明に使って来た。
そのため、主人もそれが結婚証明になると思って疑わなかったのだ。
ところが、今回はこれで引っ掛かった。
そのアフリカハーフ似の職員が、「これは決められた書式とは違うから、これだけではダメだ。日本の証明書はないのか?それを提出するように。」と言う。
そして、主人が明日ですか…?
と少し渋っていると、
「そうだな、ここまで来るのに遠かっただろう。チャイヤプムからガソリン代いくらくらい掛かった?」
主人が、「1,000バーツくらいです。」と言うと、
その職員はニヤッと笑って、「それは大変だな。そうだ、FAXで送ってもいいぞ。ガソリン代1,000バーツ払ったと思えば、来なくてもいいんだから、その方がいいだろう。」
私は、このやり取りを聞いていて、何となく「ああ、賄賂要求してるんだな…。」と思ったが、何だかそれはもうタイ人に取っては当たり前の潤滑油なんだな…と言う気もして来て、その賄賂要求に昨年のように、怒りどころか、何の感情も湧かなかった。
ただ、まあこれで済めばそれでいいのかも…と言う、他人事のような感覚になっている自分がいた。
公務員至上主義のタイで、ここで権力を持つのは、外国人の私たちではなく、入管職員。
つまり、入管職員がクロと言えばクロ。こっちがどう正当性を意見してもシロにはならないのだ。
ここで、そういう無駄な時間を費やしても仕方がない。
主人に言わせれば、もし明日出直せと言われれば、結局そのガソリン代と無駄な時間をダブルで喰う事になる。
確かに、本来払わなくてもいい1,000バーツを払うのは悔しくなくもないが、それに反論して楯突いたところで、無効の反感を買っては、こちらのビザまで危ない。
滞在許可のビザがなければ、堂々とタイにはいられない。別に好きでいる訳ではないが、我が子4人が立派に成長するまでは、何があってもタイに残らなければならない。
どう見ても、ここで余計な波を立ててはこちらの形勢が悪い。
結局、その話の流れでビザの更新手数料を払う際に、主人はさっと3,000バーツをその職員に渡した。
そしてその職員も、さっと数えると「はい、ちょうどですね。」とにこやかに笑って応えた。
それを横目に見ていた私の心の中で、「ちょうどかよ…。」と言う言葉が、独り言のようにこだました。
タイに住んで11年目、ようやくタイに対する理解が深くなると同時に、眼光には諦めの色が増すのを自覚した出来事だった。
しかも、まだその記事が日本入国を済ませていない程進んでいないのであるが、ここで毎年恒例の、これから先後何回更新するのかわからない、ビザの期限日が明日18日に迫り、先週の10日にその更新に行って来たので、そのときのことを少し書いておこうかと思った。
さて、昨年は確か『ビザ更新料の理由』と言うタイトルで、以前は500バーツと言う区切りのいい数字だったビザの更新料が、数年前にぐんと値上げされ1,900バーツになったが、その数字が「何故2,000バーツではなく、1,900なのか?」と言う内容で書いた。
それを思い出してみると、昨年までの私と今年の私が少し変わった感じがしたので、こうして書き記したくなったのだ。
昨年までの私は、この1,900バーツのお釣を、あれこれ因縁を付けながら、自分の懐に仕舞おうと画策しているタイ入管職員の不正に拘っていた。
やはり、日本人的な感覚からは、公務員の汚職なんて許せない…と言う気持ちがあったように思う。
帰り道、ついその事を遠回しに愚痴って、主人の怒りを買ったものだった。
「せっかく、処理が終わったんだから、100バーツくらいでグダグダ言うな!俺は、次の受け取りのときには、手土産にサイクロークを買って行こうと思っているのに!」と言うのが、主人のいい分だった。
そうして、今年のビザ更新。
例年の通り、コンケーンの入管事務所に入って行くと、昨年、お釣を待っている私に、話をはぐらかして、どうしてもその100バーツを返そうとしなかったオジさん職員の姿は、今年はなかった。
受付のお姉さんは見た顔である、確かターリーにいたような…。
昨年オジさんが座っていた中央のカウンターには、確か、数年前はコラートの入管にいて、昨年からここに来た、30代後半くらいの職員。
コラートのときは何度も顔を合わせているので、タイ人の顔をほとんど覚えない私でも見覚えがある。
そして、そこに呼ばれるかと思いきや、一番入り口に近いカウンターが先に空いた。
その職員は、初めて見る顔だ…と思う。
タイ人にアフリカ系のハーフを掛け合わせたような顔立ちの職員だった。
今年は、毎年変わる入管の必要書類のいい加減さから、毎年時間を喰って主人の怒りを買うので、今年は昨年貰って来た必要書類一覧を見て、あらかじめ必要書類を完全に準備して行った。
コピーもしっかり2部ずつ撮り、家族の写真は長男がコラートの大学から帰って来る土日に、家族揃って店の前で撮影。
確か3枚と書いてあったが、念のため角度や場所を変えて5枚撮り、それぞれを2部ずつプリントして持参。
それぞれの書類のコピーにもすべて自筆サインを書いておき、なるべく入管での時間が省けるようにした。
ところが…。
完全に用意したはずの書類の中で、「結婚登記簿」と言うのが、私たちの認識では、外務省発行の「家族関係証明書」で代用と言うか、私たちのタイ語での結婚証明はそれしかない…と思っていたのだ。
もともと日本で籍を入れ、それをタイの実家の市役所に籍入れしようとしたところ、田舎の職員がゴネタので、主人はバンコクに飛んで帰り、外務省に行って「日本の戸籍を証明する」家族関係証明書のようなものを作成して帰って来たのだ。
それ以来、外務省の職員のアドバイスか、大事にパウチしたその紙切れを2部、主人と私用に用意して、色々な証明に使って来た。
そのため、主人もそれが結婚証明になると思って疑わなかったのだ。
ところが、今回はこれで引っ掛かった。
そのアフリカハーフ似の職員が、「これは決められた書式とは違うから、これだけではダメだ。日本の証明書はないのか?それを提出するように。」と言う。
そして、主人が明日ですか…?
と少し渋っていると、
「そうだな、ここまで来るのに遠かっただろう。チャイヤプムからガソリン代いくらくらい掛かった?」
主人が、「1,000バーツくらいです。」と言うと、
その職員はニヤッと笑って、「それは大変だな。そうだ、FAXで送ってもいいぞ。ガソリン代1,000バーツ払ったと思えば、来なくてもいいんだから、その方がいいだろう。」
私は、このやり取りを聞いていて、何となく「ああ、賄賂要求してるんだな…。」と思ったが、何だかそれはもうタイ人に取っては当たり前の潤滑油なんだな…と言う気もして来て、その賄賂要求に昨年のように、怒りどころか、何の感情も湧かなかった。
ただ、まあこれで済めばそれでいいのかも…と言う、他人事のような感覚になっている自分がいた。
公務員至上主義のタイで、ここで権力を持つのは、外国人の私たちではなく、入管職員。
つまり、入管職員がクロと言えばクロ。こっちがどう正当性を意見してもシロにはならないのだ。
ここで、そういう無駄な時間を費やしても仕方がない。
主人に言わせれば、もし明日出直せと言われれば、結局そのガソリン代と無駄な時間をダブルで喰う事になる。
確かに、本来払わなくてもいい1,000バーツを払うのは悔しくなくもないが、それに反論して楯突いたところで、無効の反感を買っては、こちらのビザまで危ない。
滞在許可のビザがなければ、堂々とタイにはいられない。別に好きでいる訳ではないが、我が子4人が立派に成長するまでは、何があってもタイに残らなければならない。
どう見ても、ここで余計な波を立ててはこちらの形勢が悪い。
結局、その話の流れでビザの更新手数料を払う際に、主人はさっと3,000バーツをその職員に渡した。
そしてその職員も、さっと数えると「はい、ちょうどですね。」とにこやかに笑って応えた。
それを横目に見ていた私の心の中で、「ちょうどかよ…。」と言う言葉が、独り言のようにこだました。
タイに住んで11年目、ようやくタイに対する理解が深くなると同時に、眼光には諦めの色が増すのを自覚した出来事だった。
2012年01月02日
続・一期一会~ロット・タイのその後
前回からの続きです。

年も押し迫った12月の下旬にやってきたのは、よくいるタイ人の集団見学の軍団だった。
本当に、タイ人というのは、余程ヒマなのか、根っからの野次馬根性の強さなのか、誰かがどこかに出掛ける・・というと、家族はもちろん、親戚、はたまた近所のオジサン、オバサンや赤ん坊まで芋蔓式に付いて来る。
私や子供たちは、家で自分の時間を楽しむのが何よりも楽しいと思うので、強制的に行かなければならないとき以外は、できれば家にいたいほうだが、彼ら一般のタイ人はどうもそうではないらしい。
というわけで、今回のロット・タイ見学・査定にも、紹介料として分け前を啜りたいチャン(修理工)が引き連れてきたのは、買い主になる予定の男性以外にも、4,5人の近所や親戚の男性たちがいた。
その彼らが散々見た挙句、主人に2000バーツの手付け金(というにはあまりにセコ過ぎるが・・)を払って引き上げて行った。
その夜、散々待たされて、もう諦めていた長女は、2000バーツという手付金に、「どうせ買う気なんてないよ。」
とふてくされていたが、私だって、もし2000バーツ手付けしたら、もったいなくてキャンセルなどしないと思ったが、その翌々日、今度は「ご主人様」である奥さんを連れてやってきた。
結局、私が店を仕切っている間に、主人とその買い主たちとの間で話がどんどん進み、家の前を占拠していた買い主の連れたちも加わって、売買契約書などが作成されてたらしい。
その後、時間の空いた私に主人がコピーを取れと言うので、取ったのだが、その戸籍書類の中で、買い主の家の中の勢力図がはっきりした。
戸籍主には男性がなっているのが普通だが、その買い主の戸籍は奥さんが戸籍主で、その旦那は同居人になっていた。
年齢も奥さんが2つほど上で、やはり奥さんが年下でさえ、頭が上がらないのがタイ人男性の成れの果てなのに、これでは奥さんにお伺いを立てないでこんな高い買い物を勝手に決められるわけがないのが見て取れた。
そして、よくあるのだが、タイ人女性(これはタイ人に限らないかもしれないが・・)の買い物に対する値切り根性の図太さに開いた口が塞がらなかった・・・。
当初38万バーツで設定した売値を37万で売ることにしていたが、この紹介料を啜ろうとするチャン(修理工)の頼みで、買い主には「40万バーツ」と言ってあった。(つまりこのチャンは、客を連れて来てちょっとアドバイスをしただけで、3万バーツを丸々自分のものにし、しかもその何も知らない客から、今回買ったロット・タイの修理を請け負いさらに甘い汁を啜るのである。)
そして、もともと「現状でこの価格」と言ってあったのに、「あれが壊れている・・こっちが悪い・・」などといろいろ粗捜しをし、「現状」と言ってあるのに、結局主人が、前タイヤやいくつかの部品を新品と取り替えてその価格を半額に負けてあげる・・という話になっていた。
ところが、奥さんが来たら、「ハンドルのポンプは新しくしてくれないの?」(一個5千バーツくらいする。)とか、「この追加の部品代は全部おまけにしてくれないの?」(全部で1万バーツ近くする。)
などと図々しいことを言い出した。
私は普段の商売でも、女性客は特に苦手である。
部品や車のことなどよく分からないくせに、「負けろ負けろ」とばかりせっつくからである。
まるで、「相手に負けさせなければ、自分の負けだ。」とでも思っているかのようだ。
私たちは、その辺の石ころを拾って売っているわけではない。
家の前の粘土を固めて部品を作っているのでもない。
こっちには購入した価格があって、それに利益を足して売っている。利益がなければ誰が商売などするものか。
・・・と喉元まで出掛かる言葉をいつも飲み込んでいる。
だから、私はこの商売を始めて以来、むやみに値引き交渉はしないことにしている。
負けるかどうかは、店の側の良心に任せている。
うちの主人のように、客の利益を第一に考えて、こっちが値段を間違えて多く取ったときには、たとえ1バーツでもその分を取り分けて置いて、次に来たときに返す・・・(私は、こっちが損をすることもあるのだからお互い様くらいに思っているのだが・・)などという店主もいれば、この前街中の衣料品屋で子供服を買ったときに、「199バーツ」の9バーツどころか、4バーツも負けたくないらしく、必死で釣銭1バーツの両替に走っていたおばさん店主もいた。
「ああ、この人はどうしても負けたくないんだな・・。」と可笑しくなったものだ。
話は逸れたが、こうしてご主人の奥さんにいろいろ言われ、なんだかんだおまけした結果、主人のロット・タイは40万バーツで売る話に収まった。
しかし、今回持って来たのは、そのうちの30万バーツと付加した部品代。
残りの車両代・10万バーツは来年の正月までに払うという事になっている。
何と気の長い話である・・・・。
長女を始め、我が家の子供たちも私も「はぁ・・?」と言ってしまった。
まあ、それは買い主の良心から長めに言っておいただけで、もしそれ以前にサトウキビを売ってまとまった金額が入れば、先に払うと言うことだった。
それに今回は、主人には珍しく、その残金に利子も計算するらしい。
結局、我が家に入るのは37万バーツとその残金の10万バーツの利子である。
しかし、妙に律儀な主人は、この迷惑ロット・タイの話を持ち込んだ、ルン・ウワンと主人の母に、ロット・タイが売れたからということで、それぞれ1万バーツ渡すらしい。
ルン・ウワンは主人が買ったことで、回収不可能だった賭博の借金をほとんど回収できたのだし、義母も別に何をしたというわけでもない(私にしてみれば余計なやっかい話を持ち込んだ・・と言いたいくらいだ。)のだから、別に上げる必要もないと思うのだが、主人が上げたいならそれはそれで構わないので、何も言わないが・・・。
でも、37万バーツから2万バーツ、元金が31万バーツ、ガソリン代、運搬代、その他諸々の経費それに迷惑代を入れたら、結局何も残らないような気がする。
一期一会・・・本来の意味とは異なるが、本当にもう二度と会いたくないような出会いであった。
裏ブログ?
イサーンで暮らす我が家の子供たちとの生活に重点を置いた、姉妹ブログ 『子供に学ぶタイ語』 http://lawan.namjai.cc/ も併せてお楽しみください。
より深い、タイ人、イサーンへの理解を願って・・・・ランキングに参加しています。


年も押し迫った12月の下旬にやってきたのは、よくいるタイ人の集団見学の軍団だった。
本当に、タイ人というのは、余程ヒマなのか、根っからの野次馬根性の強さなのか、誰かがどこかに出掛ける・・というと、家族はもちろん、親戚、はたまた近所のオジサン、オバサンや赤ん坊まで芋蔓式に付いて来る。
私や子供たちは、家で自分の時間を楽しむのが何よりも楽しいと思うので、強制的に行かなければならないとき以外は、できれば家にいたいほうだが、彼ら一般のタイ人はどうもそうではないらしい。
というわけで、今回のロット・タイ見学・査定にも、紹介料として分け前を啜りたいチャン(修理工)が引き連れてきたのは、買い主になる予定の男性以外にも、4,5人の近所や親戚の男性たちがいた。
その彼らが散々見た挙句、主人に2000バーツの手付け金(というにはあまりにセコ過ぎるが・・)を払って引き上げて行った。
その夜、散々待たされて、もう諦めていた長女は、2000バーツという手付金に、「どうせ買う気なんてないよ。」
とふてくされていたが、私だって、もし2000バーツ手付けしたら、もったいなくてキャンセルなどしないと思ったが、その翌々日、今度は「ご主人様」である奥さんを連れてやってきた。
結局、私が店を仕切っている間に、主人とその買い主たちとの間で話がどんどん進み、家の前を占拠していた買い主の連れたちも加わって、売買契約書などが作成されてたらしい。
その後、時間の空いた私に主人がコピーを取れと言うので、取ったのだが、その戸籍書類の中で、買い主の家の中の勢力図がはっきりした。
戸籍主には男性がなっているのが普通だが、その買い主の戸籍は奥さんが戸籍主で、その旦那は同居人になっていた。
年齢も奥さんが2つほど上で、やはり奥さんが年下でさえ、頭が上がらないのがタイ人男性の成れの果てなのに、これでは奥さんにお伺いを立てないでこんな高い買い物を勝手に決められるわけがないのが見て取れた。
そして、よくあるのだが、タイ人女性(これはタイ人に限らないかもしれないが・・)の買い物に対する値切り根性の図太さに開いた口が塞がらなかった・・・。
当初38万バーツで設定した売値を37万で売ることにしていたが、この紹介料を啜ろうとするチャン(修理工)の頼みで、買い主には「40万バーツ」と言ってあった。(つまりこのチャンは、客を連れて来てちょっとアドバイスをしただけで、3万バーツを丸々自分のものにし、しかもその何も知らない客から、今回買ったロット・タイの修理を請け負いさらに甘い汁を啜るのである。)
そして、もともと「現状でこの価格」と言ってあったのに、「あれが壊れている・・こっちが悪い・・」などといろいろ粗捜しをし、「現状」と言ってあるのに、結局主人が、前タイヤやいくつかの部品を新品と取り替えてその価格を半額に負けてあげる・・という話になっていた。
ところが、奥さんが来たら、「ハンドルのポンプは新しくしてくれないの?」(一個5千バーツくらいする。)とか、「この追加の部品代は全部おまけにしてくれないの?」(全部で1万バーツ近くする。)
などと図々しいことを言い出した。
私は普段の商売でも、女性客は特に苦手である。
部品や車のことなどよく分からないくせに、「負けろ負けろ」とばかりせっつくからである。
まるで、「相手に負けさせなければ、自分の負けだ。」とでも思っているかのようだ。
私たちは、その辺の石ころを拾って売っているわけではない。
家の前の粘土を固めて部品を作っているのでもない。
こっちには購入した価格があって、それに利益を足して売っている。利益がなければ誰が商売などするものか。
・・・と喉元まで出掛かる言葉をいつも飲み込んでいる。
だから、私はこの商売を始めて以来、むやみに値引き交渉はしないことにしている。
負けるかどうかは、店の側の良心に任せている。
うちの主人のように、客の利益を第一に考えて、こっちが値段を間違えて多く取ったときには、たとえ1バーツでもその分を取り分けて置いて、次に来たときに返す・・・(私は、こっちが損をすることもあるのだからお互い様くらいに思っているのだが・・)などという店主もいれば、この前街中の衣料品屋で子供服を買ったときに、「199バーツ」の9バーツどころか、4バーツも負けたくないらしく、必死で釣銭1バーツの両替に走っていたおばさん店主もいた。
「ああ、この人はどうしても負けたくないんだな・・。」と可笑しくなったものだ。
話は逸れたが、こうしてご主人の奥さんにいろいろ言われ、なんだかんだおまけした結果、主人のロット・タイは40万バーツで売る話に収まった。
しかし、今回持って来たのは、そのうちの30万バーツと付加した部品代。
残りの車両代・10万バーツは来年の正月までに払うという事になっている。
何と気の長い話である・・・・。
長女を始め、我が家の子供たちも私も「はぁ・・?」と言ってしまった。
まあ、それは買い主の良心から長めに言っておいただけで、もしそれ以前にサトウキビを売ってまとまった金額が入れば、先に払うと言うことだった。
それに今回は、主人には珍しく、その残金に利子も計算するらしい。
結局、我が家に入るのは37万バーツとその残金の10万バーツの利子である。
しかし、妙に律儀な主人は、この迷惑ロット・タイの話を持ち込んだ、ルン・ウワンと主人の母に、ロット・タイが売れたからということで、それぞれ1万バーツ渡すらしい。
ルン・ウワンは主人が買ったことで、回収不可能だった賭博の借金をほとんど回収できたのだし、義母も別に何をしたというわけでもない(私にしてみれば余計なやっかい話を持ち込んだ・・と言いたいくらいだ。)のだから、別に上げる必要もないと思うのだが、主人が上げたいならそれはそれで構わないので、何も言わないが・・・。
でも、37万バーツから2万バーツ、元金が31万バーツ、ガソリン代、運搬代、その他諸々の経費それに迷惑代を入れたら、結局何も残らないような気がする。
一期一会・・・本来の意味とは異なるが、本当にもう二度と会いたくないような出会いであった。
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2011年07月10日
フワイの日に見るタイ人の人生観
その日は、多くのタイ人が心待ちにしている、恒例の毎月1日の「フワイ」(宝くじ)の抽選日でした。
我が家は、義母の「フワイ」販売での莫大な借金を背負って日本に出稼ぎに行った主人が、その悪因である、「フワイ」を嫌っているのと、私自身も、賭け事が嫌いで、そういう他力本願の生き方が好きでないので、毎月皆が心待ちにしている、1日と16日も普段と全く変わらない日々を送っているのですが、多くのタイ人にとって、この日は朝からそわそわした変な雰囲気が漂っています。
したがって、この2日は、店の客入りも悪く(皆、仕事どころではない・・・)、暇な日が多いのですが、その日は、何故か開店してすぐに、「バッテリーが上がってしまって困っているので、見に来て欲しい・・」という依頼があり、主人は朝ごはんも食べないまま、市内にある、その依頼客の自宅に出張サービスをすることになりました。
一度目は、様子を見に、そして、バッテリーの交換が必要だということになり、また交換しに出掛けました。
そうして、しばらくして帰ってきた主人が、慌てた顔で、近所の義姉に聞こえるくらいの大声で叫んでいました。
「いや~、まいったまいった。バッテリーの交換してたら、犬におしっこ掛けられたよ~!困った大変だ・・・。」
確かに、主人のズボンの端が少し濡れたように変色していました。
でも、何でそんなに大騒ぎしているのか、私には状況がいまいち理解出来ません。
それならさっさと、シャワーでも浴びて、ズボンを履き替えに行けばいいのに・・・・。
すると、主人がまた、「いや~。大変なことだ。これからお寺に行って来なくちゃ。」
それに応えるように、隣で聞いていたらしい隣人のウワンが、
「そうだね、でも、お寺でルアンポーの聖水を掛けてもらって、お祓いすれば大丈夫だよ。」
二人の会話を怪訝な顔で聞いていた私に、主人が、
「『犬におしっこを掛けられる』っていうのは、タイではとても不吉なことなんだ。だから、お寺に行ってお祓いしてもらうんだ。」
ということだそうで、その後朝ごはんもそこそこに、急いでお寺に出掛けて行きました。
*******************************************
1時間くらいして帰って来た主人に聞くと、やはり、ナムオンという聖水を頭の上に振りかけてもらい、お祓いをしたそうです。
そして、そのお祓いの後に、しばらくぶりだったので、そのお坊様といろいろな話などをして来たらしいのですが、その中で、
「いつも、フワイの当選番号などを夢に見るのだが、その夢に出る数字というのは、数字がそのまま出るのではなく、何かの暗示のように、その数字を連想させるような形で出てくる」のだそうで、
「今回の夢は、男性器と女性器が互いに合体している夢」だったそうで、それを信者たちに話すと、信者たちが自分で連想したり、その暗示を読んだりして、フワイの番号を考えるのだそうです。
今回の場合、ちょっと下ネタのようで書きにくいのですが、徳の高いお坊様が言われたことなので、そのまま書きます。
タイ語の俗語で男性器は、「ハム」と言い、女性器は「ヒー」というので、二つの言葉の頭に来る文字が「ห」であることから、「ห」の付く数字が予想されたわけですが、タイ数字の1から10まででこの字が付くのは、普通に考えると、「ห้า=5」「หก=6」の二つですが、実はもう一つあって、発音は「ヌン」ですが、頭に「ห」が付くのがあって、それが「หนึ่ง=1」となり、3文字の候補が出たわけです。
大抵、こういうフワイの予想桁は2桁で、正規に売っている全桁のロッタリーの並び全てを予想するわけではありません。
庶民の宝くじなのです。
そして、主人はもちろん買わないのですが、その日に出た当たり番号は、「51」だったそうで、さすがというか、これで毎回解読出来たら、「フワイ長者も夢ではない」と思わせる結果でした。
主人が、「惜しい!当たったのに・・・。」と冗談で言っていましたが、我が家は、そのお坊様のことは信じていますが、宝くじに関しては、買う気がないので、当たるはずもありません。
こういう、宝くじの予想を得意とするお坊様は各地にいて、それで有名なお寺もあるそうです。
この宝くじに日々の楽しみを見出しているタイ人を見るにつけ、この国の人は他力本願で生きることを幸せとするのだな・・とつくづく感じます。
自分の努力やその達成感にやりがいや幸せを感じる我々とは、根本的に違う・・ということを、こういう日常のひとコマに、思い知らされます。

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したがって、この2日は、店の客入りも悪く(皆、仕事どころではない・・・)、暇な日が多いのですが、その日は、何故か開店してすぐに、「バッテリーが上がってしまって困っているので、見に来て欲しい・・」という依頼があり、主人は朝ごはんも食べないまま、市内にある、その依頼客の自宅に出張サービスをすることになりました。
一度目は、様子を見に、そして、バッテリーの交換が必要だということになり、また交換しに出掛けました。
そうして、しばらくして帰ってきた主人が、慌てた顔で、近所の義姉に聞こえるくらいの大声で叫んでいました。
「いや~、まいったまいった。バッテリーの交換してたら、犬におしっこ掛けられたよ~!困った大変だ・・・。」
確かに、主人のズボンの端が少し濡れたように変色していました。
でも、何でそんなに大騒ぎしているのか、私には状況がいまいち理解出来ません。
それならさっさと、シャワーでも浴びて、ズボンを履き替えに行けばいいのに・・・・。
すると、主人がまた、「いや~。大変なことだ。これからお寺に行って来なくちゃ。」
それに応えるように、隣で聞いていたらしい隣人のウワンが、
「そうだね、でも、お寺でルアンポーの聖水を掛けてもらって、お祓いすれば大丈夫だよ。」
二人の会話を怪訝な顔で聞いていた私に、主人が、
「『犬におしっこを掛けられる』っていうのは、タイではとても不吉なことなんだ。だから、お寺に行ってお祓いしてもらうんだ。」
ということだそうで、その後朝ごはんもそこそこに、急いでお寺に出掛けて行きました。
*******************************************
1時間くらいして帰って来た主人に聞くと、やはり、ナムオンという聖水を頭の上に振りかけてもらい、お祓いをしたそうです。
そして、そのお祓いの後に、しばらくぶりだったので、そのお坊様といろいろな話などをして来たらしいのですが、その中で、
「いつも、フワイの当選番号などを夢に見るのだが、その夢に出る数字というのは、数字がそのまま出るのではなく、何かの暗示のように、その数字を連想させるような形で出てくる」のだそうで、
「今回の夢は、男性器と女性器が互いに合体している夢」だったそうで、それを信者たちに話すと、信者たちが自分で連想したり、その暗示を読んだりして、フワイの番号を考えるのだそうです。
今回の場合、ちょっと下ネタのようで書きにくいのですが、徳の高いお坊様が言われたことなので、そのまま書きます。
タイ語の俗語で男性器は、「ハム」と言い、女性器は「ヒー」というので、二つの言葉の頭に来る文字が「ห」であることから、「ห」の付く数字が予想されたわけですが、タイ数字の1から10まででこの字が付くのは、普通に考えると、「ห้า=5」「หก=6」の二つですが、実はもう一つあって、発音は「ヌン」ですが、頭に「ห」が付くのがあって、それが「หนึ่ง=1」となり、3文字の候補が出たわけです。
大抵、こういうフワイの予想桁は2桁で、正規に売っている全桁のロッタリーの並び全てを予想するわけではありません。
庶民の宝くじなのです。
そして、主人はもちろん買わないのですが、その日に出た当たり番号は、「51」だったそうで、さすがというか、これで毎回解読出来たら、「フワイ長者も夢ではない」と思わせる結果でした。
主人が、「惜しい!当たったのに・・・。」と冗談で言っていましたが、我が家は、そのお坊様のことは信じていますが、宝くじに関しては、買う気がないので、当たるはずもありません。
こういう、宝くじの予想を得意とするお坊様は各地にいて、それで有名なお寺もあるそうです。
この宝くじに日々の楽しみを見出しているタイ人を見るにつけ、この国の人は他力本願で生きることを幸せとするのだな・・とつくづく感じます。
自分の努力やその達成感にやりがいや幸せを感じる我々とは、根本的に違う・・ということを、こういう日常のひとコマに、思い知らされます。
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2011年01月23日
タイ人と障害者
実は、今日は別の話題で書こうと思っていたのだが、前回のブログのコメントを書いていたら、この話題について書かなければ・・という気がしてきたので、急遽変更した。
私が、タイで障害者を見掛けたのは、結婚して主人のタイの実家を初めて訪問するために来タイした頃のことだった。
実は、その何年も前からタイには留学、旅行を含め何度か来ていたのだが、まだタイの文化や風景に気を取られて、そういう部分には目が行っていなかったのだろう。
それは、主人が観光がてら友人を紹介するために連れて行ってくれた、バンコクのどこかの歩道橋の下だった。
バスや車、それ以外の雑音に混じって、アコーディオンの伴奏に合わせた、演歌のような歌が聞こえた。
よくいる路上の芸人かと思って近寄ってみたところ、歌っているのは素人丸出し・・と言うよりごく普通の小太りしたおじさんなどだった。
ところがその人たちは決まって真っ黒なサングラスを掛けていた・・。
そして、気が付いたのは、彼らが盲目であるということだった。
タイのバンコクなどでは日常の風景だが、普通の物乞いに混じって、手足がない人が路上に座ったり寝転んだりして、物乞いをしていることがある。
初めてこれを見た人は少し驚くに違いない・・と思うが、もっと度肝を抜かれたのは、毎年ある県の中心部の大きなお祭りで、歩くのも不自由なくらいの人ごみに紛れて、その人ごみの足元を這いずり回って、ここぞ!とばかりに物乞いをする両足のない人たちだ。
我が家の子供たちも毎年、幼稚園くらいの年からこういう人を見ているので、「可哀想・・」と親にお金をねだってその人たちに寄付したりするが、その人たちを忌み嫌ったり、差別の目で見る様子はない。
それから、タイには身体障害だけではなく、精神障害者というのも多い。
特に、田舎の方に来ると、同じ村の中での結婚が多く、何世代という時を経て、次第に血縁が濃くなっていくためか、普通の妊娠出産で、先天性の精神異常とか、発達異常の子供が生まれることが多くある。
私は医療に詳しくないのでよく知らないが、そういう人たちは決まった顔つきをしているのですぐに分かる。
その程度は、顔つきが少し違うだけとか、言語障害があるとか、発達障害で年齢に対して身体が小さい(俗に言う「ケッ」=小人)が知能は普通など軽いものから、自分で歩行が出来ないとか、排泄も出来ないくらい重いものまである。
そういう知能障害の男性が近所にいた。
名前は「エー」と言い、30歳前後なのだが中学生くらいに見え、よく市内を一日中ブラブラ歩き回っていた。
うちの前に来ると「刑事ごっこ」をして、ミックも喜んで遊んでいたりした。
子供の行く小学校にも、小頭症の子供がいて、小学5年生だが、小学1年生くらいに見える。
ミックのクラスにも、一日中、先生の机の下に寝転んでいる、「ピー・タイ・トッ」(机の下のお化け)と呼ばれている子供がいる。
先生は、「デック・ピセット」(特別な子供)だから・・といい、その子のしたいようにさせて、構わず授業を続けている。
つまり、タイ人にとって障害者とは、こういう存在なのである。
タイ人の思考回路の基本には仏教があり、その教えには、因果応報、つまり前世での業が現世の姿になる、現世での徳が来世での幸せになる・・という考えがあり、こういう何かの障害を持って生まれてきたのはその人の業・運命であり、仕方がない。
ありのままの姿を容認する。
それがタイ人の障害者に対する意識の基本なのではないかと思う。
私も、よくお客にお釣りを渡すときに相手の指がなかったり、片腕がなくて、荷物が持ちにくそうで心配する・・などということがある。
初めはビックリしたが、今では慣れた・・というか、それがその人なのだ・・という感覚になっている。
何かの爆破事故にでも遭ったのか、全身ケロイド状態だったり、片腕がなかったり・・多分、日本では障害者扱いで、家族が世間を気にして家の中に閉じ込めておいたり、専門施設へ入れてしまったりするだろうと思われる人も、普通に生活しているのがタイの社会である。
タイに来た当初に、橋の下の障害者の物乞いを見たときには、「タイは行政がしっかりしていないから、障害を持つ人も自活しなければならない。日本なら、こういう人たちには、自治体が援助してくれるものだ。」と、日本の行政の完備を自慢に感じ、タイの社会の遅れをせせら笑ったりしたものだった。
しかし、今はまったく反対の感じを抱いている自分がいる。
タイの社会は確かに、役所職員などの私腹が肥えすぎていて、国民の税金が正当に使われていないことは事実だが、日本のように、障害を持つ人々の可能性を試す前から蓋をしてしまっているようなことはない。
まあ、タイの社会の未熟さをかばう言い訳のようにも聞こえるかも知れないが、この未熟さのお陰と、タイ仏教の浸透した人々の思考回路のお陰で、いろいろな可能性を試す、活力的な障害者が多いのは事実である。
私が日本で見た(外では滅多に見かけないが・・)障害者たちは、まるで家族が隠すようにして生活していた。
もちろん、障害者用の施設などでは、彼らの生活を充実させるべく様々なイベントやプログラムが組まれているかも知れないが、日本のそれはあくまで「世間様」から隔離された世界での事のような印象がある。
タイの障害者は違う。
ごく自然に社会の中に共存している。
物乞いを職業とするのも、自分の特性を活かした職業選択という考えである。
タイの芸能界には、その障害者としての風貌を武器に活躍するお笑い芸人も多い。
毎回同じようなメンバーで映画を製作するお笑い芸人のグループの中には、障害を持つ芸人が多数いるが、その芸風もその特性を笑いのネタにしながら、国民的な人気を誇っている。
そして、それを見る視聴者にも、彼らに対し、「ピカーン」(=障害者)という感覚はない。
その「障害」が「特質」となって、すでに彼らの「障害」ではなくなっているからである。
そういう意味で、タイ人の障害者への差別意識は薄いと思う。
日本は、表面上は、行政が保護したり、家族が養ったり・・ということで、一見、障害者を大切にしている社会のように見えるが、
それが逆に、社会全体で特別扱いすることで徹底的に差別しているという状況になっているのある。
障害者を障害者として特別扱いすることが、一般社会の中から障害者を閉め出しているように思う。
どちらが、いいのかという問題についてはそれぞれの考え方次第なので、何とも言えないのだが・・・・。

タイ人の理解は仏教が基本
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私が、タイで障害者を見掛けたのは、結婚して主人のタイの実家を初めて訪問するために来タイした頃のことだった。
実は、その何年も前からタイには留学、旅行を含め何度か来ていたのだが、まだタイの文化や風景に気を取られて、そういう部分には目が行っていなかったのだろう。
それは、主人が観光がてら友人を紹介するために連れて行ってくれた、バンコクのどこかの歩道橋の下だった。
バスや車、それ以外の雑音に混じって、アコーディオンの伴奏に合わせた、演歌のような歌が聞こえた。
よくいる路上の芸人かと思って近寄ってみたところ、歌っているのは素人丸出し・・と言うよりごく普通の小太りしたおじさんなどだった。
ところがその人たちは決まって真っ黒なサングラスを掛けていた・・。
そして、気が付いたのは、彼らが盲目であるということだった。
タイのバンコクなどでは日常の風景だが、普通の物乞いに混じって、手足がない人が路上に座ったり寝転んだりして、物乞いをしていることがある。
初めてこれを見た人は少し驚くに違いない・・と思うが、もっと度肝を抜かれたのは、毎年ある県の中心部の大きなお祭りで、歩くのも不自由なくらいの人ごみに紛れて、その人ごみの足元を這いずり回って、ここぞ!とばかりに物乞いをする両足のない人たちだ。
我が家の子供たちも毎年、幼稚園くらいの年からこういう人を見ているので、「可哀想・・」と親にお金をねだってその人たちに寄付したりするが、その人たちを忌み嫌ったり、差別の目で見る様子はない。
それから、タイには身体障害だけではなく、精神障害者というのも多い。
特に、田舎の方に来ると、同じ村の中での結婚が多く、何世代という時を経て、次第に血縁が濃くなっていくためか、普通の妊娠出産で、先天性の精神異常とか、発達異常の子供が生まれることが多くある。
私は医療に詳しくないのでよく知らないが、そういう人たちは決まった顔つきをしているのですぐに分かる。
その程度は、顔つきが少し違うだけとか、言語障害があるとか、発達障害で年齢に対して身体が小さい(俗に言う「ケッ」=小人)が知能は普通など軽いものから、自分で歩行が出来ないとか、排泄も出来ないくらい重いものまである。
そういう知能障害の男性が近所にいた。
名前は「エー」と言い、30歳前後なのだが中学生くらいに見え、よく市内を一日中ブラブラ歩き回っていた。
うちの前に来ると「刑事ごっこ」をして、ミックも喜んで遊んでいたりした。
子供の行く小学校にも、小頭症の子供がいて、小学5年生だが、小学1年生くらいに見える。
ミックのクラスにも、一日中、先生の机の下に寝転んでいる、「ピー・タイ・トッ」(机の下のお化け)と呼ばれている子供がいる。
先生は、「デック・ピセット」(特別な子供)だから・・といい、その子のしたいようにさせて、構わず授業を続けている。
つまり、タイ人にとって障害者とは、こういう存在なのである。
タイ人の思考回路の基本には仏教があり、その教えには、因果応報、つまり前世での業が現世の姿になる、現世での徳が来世での幸せになる・・という考えがあり、こういう何かの障害を持って生まれてきたのはその人の業・運命であり、仕方がない。
ありのままの姿を容認する。
それがタイ人の障害者に対する意識の基本なのではないかと思う。
私も、よくお客にお釣りを渡すときに相手の指がなかったり、片腕がなくて、荷物が持ちにくそうで心配する・・などということがある。
初めはビックリしたが、今では慣れた・・というか、それがその人なのだ・・という感覚になっている。
何かの爆破事故にでも遭ったのか、全身ケロイド状態だったり、片腕がなかったり・・多分、日本では障害者扱いで、家族が世間を気にして家の中に閉じ込めておいたり、専門施設へ入れてしまったりするだろうと思われる人も、普通に生活しているのがタイの社会である。
タイに来た当初に、橋の下の障害者の物乞いを見たときには、「タイは行政がしっかりしていないから、障害を持つ人も自活しなければならない。日本なら、こういう人たちには、自治体が援助してくれるものだ。」と、日本の行政の完備を自慢に感じ、タイの社会の遅れをせせら笑ったりしたものだった。
しかし、今はまったく反対の感じを抱いている自分がいる。
タイの社会は確かに、役所職員などの私腹が肥えすぎていて、国民の税金が正当に使われていないことは事実だが、日本のように、障害を持つ人々の可能性を試す前から蓋をしてしまっているようなことはない。
まあ、タイの社会の未熟さをかばう言い訳のようにも聞こえるかも知れないが、この未熟さのお陰と、タイ仏教の浸透した人々の思考回路のお陰で、いろいろな可能性を試す、活力的な障害者が多いのは事実である。
私が日本で見た(外では滅多に見かけないが・・)障害者たちは、まるで家族が隠すようにして生活していた。
もちろん、障害者用の施設などでは、彼らの生活を充実させるべく様々なイベントやプログラムが組まれているかも知れないが、日本のそれはあくまで「世間様」から隔離された世界での事のような印象がある。
タイの障害者は違う。
ごく自然に社会の中に共存している。
物乞いを職業とするのも、自分の特性を活かした職業選択という考えである。
タイの芸能界には、その障害者としての風貌を武器に活躍するお笑い芸人も多い。
毎回同じようなメンバーで映画を製作するお笑い芸人のグループの中には、障害を持つ芸人が多数いるが、その芸風もその特性を笑いのネタにしながら、国民的な人気を誇っている。
そして、それを見る視聴者にも、彼らに対し、「ピカーン」(=障害者)という感覚はない。
その「障害」が「特質」となって、すでに彼らの「障害」ではなくなっているからである。
そういう意味で、タイ人の障害者への差別意識は薄いと思う。
日本は、表面上は、行政が保護したり、家族が養ったり・・ということで、一見、障害者を大切にしている社会のように見えるが、
それが逆に、社会全体で特別扱いすることで徹底的に差別しているという状況になっているのある。
障害者を障害者として特別扱いすることが、一般社会の中から障害者を閉め出しているように思う。
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2010年08月28日
壁に大穴が・・。
我が家の商売の売り上げは、季節によって非常に変わります。
毎年、カオ・パンサー(安居節)になると、今までの売れ行きがウソのように、急に閑古鳥が鳴き始めるのです。
さて、そんなカオ・パンサーに入ったある日、主人が思いついたように、二階に寝室を作ろう!と言い出しました。
初めは、主人が自分で壁をぶち抜こうと思ったのですが、昨年から病気で寝込んだりしていたのがたたってか、はたまた単に40代に突入しようとしているためか体力が落ちている主人なので、今回は、「いつもの何でも自分でやってしまう」のではなく、職人に頼むことにしました。
職人と言っても、タイの「職人」はほんの少しでも経験があれば(もしくはまったく未経験でもやる気があれば?)、その日から職人になってしまうので、職人の腕を見極めるためには事前に観察することが必要です。
そうでないと、職人と称するド素人の無茶苦茶な仕事に、高いお金を払うことにもなりかねません。
事実、私でさえ、もともと全くのド素人なのに、見よう見まねで覚えて、ハイドリックホースの作製をするので、今ではすっかり店の客から「チャン(=職人)」と呼ばれることもあるくらいです。
多少の経験で職人として仕事が出来る、これがタイのいいところ?かも知れません。客にとっては迷惑な話ですが・・・。
もうすぐ窓の形にぶち抜かれる壁
窓枠をはめ込みます。
でも、最初、アリの穴ほどから始めた壁のぶち抜きですが、なんだかんだ言って、以前バンコクで建築業に従事していたという今回の職人は、当たりだったようで、たった一人で2日のうちに、とりあえず窓の基礎の穴だけは完成しました。
後は、左側の部屋についているような、扉式の窓枠をつけて、窓をはめ込めば完成です。
後日、完成した窓ですが、誤算が一つ・・・。
それはこの雨期のせいで、乾ききっていない窓枠や窓板が雨の度に伸縮を繰り返し、まともに閉まるまでには時間が掛かるそうです。
しかも、この雨期の大雨がその閉まりきらない窓の隙間から振り込んでくるので、二階の床が濡れたり、その水が一階の店内に垂れたり・・・。
確かに、雨期以外は忙しくてこういう時間がないし、雨期は雨期でこういう問題が起こる・・・。
なかなか上手く行かないものです。
タイの住宅は、こうして簡単に増築や改造を繰り返します。
それは、日本のように地震対策とか、生命に関わる重要さがないからかも知れません。
よく日本の「欠陥住宅」などの特集で、床にビー玉を置いて、転がるから水平でない・・とか言って欠陥をあら捜ししたりするのがありますが、こういう土地で生活をしていると、逆に「日本人は、何でそこまでこだわるのだろう?」と不思議な気分になります。
ビー玉が転がるからと言って、生活にどれほどの支障があるのでしょうか?
こういうところに、日本人の職人気質を感じ、日本人として誇りに思うことも事実ですが、最近では、それを「神経質過ぎないか?」と疑問に感じる私もいます。
日本だったら、多分我が家の閉まらない窓枠などは、「乾燥が十分でない! 不良品だ!」とクレームの対象になったでしょう。
でも、私も主人も、「そのうち乾いてちゃんと閉まるようになるさ。」で済んでしまいます。
こういうことに寛大になってしまった私は、「もう日本に帰っては住めないだろうな・・・」と思う今日この頃です。
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2010年07月19日
今年のビザ更新
タイに定住を始めて、今年で8年目、今年も毎年の事ながら避けては通れない「ビザ更新」の時期がやってきた。
タイの主人を持つ私のビザは通称「O-ビザ」、正式には「NON-IMMIGRANT VIZA」というカテゴリーになる。
パスポートには、タイ語で「สามีไทย」という申し訳なさそうな小さなスタンプが押されているが、タイ人妻を持つ外国人男性のパスポートには「ภรรยาไทย」と押されているのだろうか、まさか見ず知らずの他人のパスポートを覗くわけにもいかないので、私はまだ目にしたことはないのだが・・・・・。
数年前まで、ここイサーンの田舎、チャイヤプムに住む私のビザも、バンコクのスワンプルーの入管での更新であった。
あまり記憶も定かではないが、その頃は、まだ、ビザの更新などが出来る入管の支部は全国で数箇所もなくて、中央部、南部、北部出張所程度だったような気がする。
当時は、夫婦揃って行かなければならないビザの更新に、バンコクでの渋滞を避けるため夜中の3時から出掛けるのだが、両親が出掛けては他に誰も面倒を見る人がいないため、結局子供たちも学校を休んで全員同行することになり、ビザの更新は毎年恒例の「家族揃ってバンコク小旅行」となっていたものだ。
その後、つい5年前くらいにコラートに住む人からの情報で、コラートに入管の支部が出来て、そこで更新できるということを知った。
半信半疑ながら、インタースクールの中に間借りしていた支部に行ったところ、その噂は本当で、その年はその「間借り入管」で
更新した。
ところが、そこで「90日の居住地届」を二回ほどしたところ、今度はまたネットの情報で、「コラートの入管が移転した」ということを知った。
コラートの親戚に教えてもらって、コラート郊外にある「TOTビル」の一階にまたまた間借りで移転したということで、そこには2年ビザの更新に行き、ちょうど日本に帰国する用事が出来たので、リエントリーの取得に3回と短い間ではあったが、何回も顔を出すことになった。
3回目のリエントリーを取りに行ったとき、入管のお兄さんから、
「さ来月の今年のビザの更新は、ここじゃなくて、ルーイの『ター・リー出張所』になったからね。ここに来ても更新は出来ないよ。」
とあっけなく言われてしまい、その年は何と、北部のルーイ県、しかも中央の『チェン・カーン』ではなく、外れにある『ター・リー出張所』に飛ばされてしまった・・・。
距離的にも、地域的にも、チャイヤプムはコラートが管轄するのが妥当だと思うのだが、何故か北部のルーイ。
一歩譲っても、せいぜいコンケーンだと思うのに、コンケーンを通り越してのルーイ。
入管の所轄を決める上層部は、タイの地図が読めないのだろうか・・・?
そう思わざるを得ないような所轄選定だった。
距離的にはバンコクに行くのとそう変わらないルーイの外れの入管。
これから、毎年ここまで来るのか・・・と目の前が真っ暗になったのだが、入管の係員のメンバーは今までのどこよりもフレンドリーで、厳しいイメージだった入管からするとかなり気が楽になったのだった。
しかし、その『ター・リー』に移転して数ヶ月で、また所轄の変更が決まり、今度はチャイヤプムはコンケーンの所轄となった。
コンケーン・・・・確かにルーイまで飛ばされることを思えば、妥当な決定ではある。
コンケーンとチャイヤプムは隣接しているし、距離的にもコラートへ行くのと変わらない。
でも、私的には、「だったらコラートの方がいいのに・・・。」という思いがあった。
コラートにはトラクター部品の仕入先である店がある。義母の通院で行く機会も多い。
何かと身近に感じるのがコラートなのである。
それに対して、コンケーンは、主人は毎月通院のため行っているが、私には縁も所縁もない街なのであった。
「コンケーンに仕入先でもあればいいのに・・・。」
商売根性の張っている私は、ついそんなことを考えてしまった。
わざわざ店を閉めて夫婦揃って行くのが時間の無駄のように思えてしまう。
私だけ、または主人だけで更新させてくれてもいいのに・・・。
一年中、店を開けて商売していたい私には、かなりの損失感があった。
まあ、それも行ってしまえば、どうにでもなれ・・・で、朝4時起きで5時には家を出て、7時過ぎにはコンケーンの入管に着いた私たちは、警察学校と言う場所柄、何も朝食らしいものが売っていなかったので、菓子類の売店にあったカップラーメンで朝食にして、一番乗りに控えた。
コンケーンの入管はのどかなもので、建物の外に整理番号の札があったものの、それを取っておいても関係なく、8時半ごろに開けられた事務所に入っていった順からの手続きとなった。
私の担当者は、見た目は厳しそうで、子供の相手をするようには見えなかったが、見かけに寄らず気さくで、ミックの相手(というか、ミックも喋り方が対等だったが・・)をしてくれて、寝ぼけ眼のミックに、
係官 「朝ごはんは食べたか?」
ミック 「ん、まだ!」
係官 「じゃ、カオニャオ(蒸したもち米)とムウピン(豚の串焼き)食べるか?」
ミック 「うん!食べる!」
という具合に、朝ごはんまで頂いてしまい、すっかり意気投合。
手続きの方も、書類のコピーが足りなかったのは勝手にコピーを取ってくれて、コラートのように、「はい、ここのコピーとって来て!」と自分で取りに行かされることもなかった。
それから、「家族揃っての写真」も電話で4~5枚と言われたので、前日に一枚取った写真を4枚コピーしてもって行ったのだが、本来はその4~5枚が「それぞれ違う写真」を意味しているらしく、全く同じ写真を持っていった私は、書類不備でダメ出しが出るかと思ったが、この係官はうるさくなくて、「ま、いいか。」と言いながら、同じ写真を4枚台紙に貼ってくれた。
しかも、ここ数年使っている6年前くらいの証明写真にも何も言われずに済んだ。
隣に座っていた、タイ人妻とファラン(西洋人)男性のカップルは、ダンナの所持金の事で、「預金が80万バーツ以上あるという証明を出さないとビザは出ませんよ。それが無理なら、ラーオ(ラオス)側に出国して、ビザの延長をするしかないわね。」
と、親切なアドバイスを受けていた。
基本的にタイで「外国人男性の妻」と言うのは、「玉の輿」のように思われているが、やはり皆が皆そう金持ちとも限らず、遊びでタイに来た外国人で、所持金も遊ぶ金程度の人も多い。
そういう当て外れのファランをタイ人は「ファラン・キーノック」(鳥の糞の西洋人)とか、「ファラン・キーガイ」(鶏の糞の西洋人)などと呼んで馬鹿にしている。
私もよく、「私は『ジープン・キーガイ』だもんね。」と主人に嫌味を言ったりするのだが・・・。
そんなこんなで、今回のビザ更新も無事に終わり、後は来月受け取りに行くだけとなった。
そういえば、今回のビザ更新の前にあった「90日の居住届」の出し忘れて2千バーツの罰金を覚悟していたのだが、コンケーンの入管の係員はとても融通が利いて、何と罰金を半額にしてくれた。
というのも、事務所の中でお偉いさんが出て行った隙を見て、
「千バーツに負けておくから・・。」
と小声で主人に耳打ちしたらしく、領収書無しの罰金を懐に納めたようだ。
主人の話では、このお金は多分、後で事務所のみんなで使うのだろうということだった。
領収書はないが、無事に次回の90日届の更新日も決まったことで、私にとっても問題ない。
その千バーツは、係員たちの労をねぎらうためにおいしいものでも食べるのだろうし、これもいいのでは?・・・と思ってしまう。
日本的に考えたら、これは法律違反なのかも知れないが、タイではどこでもやっていることで、まず問題にする人もいないだろう。
私も、日本から来た当初は、こういう役所などでの「袖の下」行為が納得行かなくて、イライラしたものだが、すっかりタイ人感覚になりつつある今では、これは「役所手続きの潤滑油」なのだと思ったりもする。
この朝コンケーンに行く途中で、取締りをしていた警察にも、窓を開けて「免許書見せて。」と言われる側から、
「(警察に)ピー、これで頼みますよ。」
と、財布の中から、20バーツがなかったので100バーツを出して、渡した途端に、警察の声が変わって、
「え~。もう行っちゃうのかい? だったら、どうぞ。」
主人曰く、「急いでいるのに、あらぬことに難癖付けられて時間を潰すより、この方が時間の無駄がなくていい。」そうである。
タイで生きていくにはタイのやり方に慣れたほうが住みやすいということかも知れない・・・。
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パスポートには、タイ語で「สามีไทย」という申し訳なさそうな小さなスタンプが押されているが、タイ人妻を持つ外国人男性のパスポートには「ภรรยาไทย」と押されているのだろうか、まさか見ず知らずの他人のパスポートを覗くわけにもいかないので、私はまだ目にしたことはないのだが・・・・・。
数年前まで、ここイサーンの田舎、チャイヤプムに住む私のビザも、バンコクのスワンプルーの入管での更新であった。
あまり記憶も定かではないが、その頃は、まだ、ビザの更新などが出来る入管の支部は全国で数箇所もなくて、中央部、南部、北部出張所程度だったような気がする。
当時は、夫婦揃って行かなければならないビザの更新に、バンコクでの渋滞を避けるため夜中の3時から出掛けるのだが、両親が出掛けては他に誰も面倒を見る人がいないため、結局子供たちも学校を休んで全員同行することになり、ビザの更新は毎年恒例の「家族揃ってバンコク小旅行」となっていたものだ。
その後、つい5年前くらいにコラートに住む人からの情報で、コラートに入管の支部が出来て、そこで更新できるということを知った。
半信半疑ながら、インタースクールの中に間借りしていた支部に行ったところ、その噂は本当で、その年はその「間借り入管」で
更新した。
ところが、そこで「90日の居住地届」を二回ほどしたところ、今度はまたネットの情報で、「コラートの入管が移転した」ということを知った。
コラートの親戚に教えてもらって、コラート郊外にある「TOTビル」の一階にまたまた間借りで移転したということで、そこには2年ビザの更新に行き、ちょうど日本に帰国する用事が出来たので、リエントリーの取得に3回と短い間ではあったが、何回も顔を出すことになった。
3回目のリエントリーを取りに行ったとき、入管のお兄さんから、
「さ来月の今年のビザの更新は、ここじゃなくて、ルーイの『ター・リー出張所』になったからね。ここに来ても更新は出来ないよ。」
とあっけなく言われてしまい、その年は何と、北部のルーイ県、しかも中央の『チェン・カーン』ではなく、外れにある『ター・リー出張所』に飛ばされてしまった・・・。
距離的にも、地域的にも、チャイヤプムはコラートが管轄するのが妥当だと思うのだが、何故か北部のルーイ。
一歩譲っても、せいぜいコンケーンだと思うのに、コンケーンを通り越してのルーイ。
入管の所轄を決める上層部は、タイの地図が読めないのだろうか・・・?
そう思わざるを得ないような所轄選定だった。
距離的にはバンコクに行くのとそう変わらないルーイの外れの入管。
これから、毎年ここまで来るのか・・・と目の前が真っ暗になったのだが、入管の係員のメンバーは今までのどこよりもフレンドリーで、厳しいイメージだった入管からするとかなり気が楽になったのだった。
しかし、その『ター・リー』に移転して数ヶ月で、また所轄の変更が決まり、今度はチャイヤプムはコンケーンの所轄となった。
コンケーン・・・・確かにルーイまで飛ばされることを思えば、妥当な決定ではある。
コンケーンとチャイヤプムは隣接しているし、距離的にもコラートへ行くのと変わらない。
でも、私的には、「だったらコラートの方がいいのに・・・。」という思いがあった。
コラートにはトラクター部品の仕入先である店がある。義母の通院で行く機会も多い。
何かと身近に感じるのがコラートなのである。
それに対して、コンケーンは、主人は毎月通院のため行っているが、私には縁も所縁もない街なのであった。
「コンケーンに仕入先でもあればいいのに・・・。」
商売根性の張っている私は、ついそんなことを考えてしまった。
わざわざ店を閉めて夫婦揃って行くのが時間の無駄のように思えてしまう。
私だけ、または主人だけで更新させてくれてもいいのに・・・。
一年中、店を開けて商売していたい私には、かなりの損失感があった。
まあ、それも行ってしまえば、どうにでもなれ・・・で、朝4時起きで5時には家を出て、7時過ぎにはコンケーンの入管に着いた私たちは、警察学校と言う場所柄、何も朝食らしいものが売っていなかったので、菓子類の売店にあったカップラーメンで朝食にして、一番乗りに控えた。
コンケーンの入管はのどかなもので、建物の外に整理番号の札があったものの、それを取っておいても関係なく、8時半ごろに開けられた事務所に入っていった順からの手続きとなった。
私の担当者は、見た目は厳しそうで、子供の相手をするようには見えなかったが、見かけに寄らず気さくで、ミックの相手(というか、ミックも喋り方が対等だったが・・)をしてくれて、寝ぼけ眼のミックに、
係官 「朝ごはんは食べたか?」
ミック 「ん、まだ!」
係官 「じゃ、カオニャオ(蒸したもち米)とムウピン(豚の串焼き)食べるか?」
ミック 「うん!食べる!」
という具合に、朝ごはんまで頂いてしまい、すっかり意気投合。
手続きの方も、書類のコピーが足りなかったのは勝手にコピーを取ってくれて、コラートのように、「はい、ここのコピーとって来て!」と自分で取りに行かされることもなかった。
それから、「家族揃っての写真」も電話で4~5枚と言われたので、前日に一枚取った写真を4枚コピーしてもって行ったのだが、本来はその4~5枚が「それぞれ違う写真」を意味しているらしく、全く同じ写真を持っていった私は、書類不備でダメ出しが出るかと思ったが、この係官はうるさくなくて、「ま、いいか。」と言いながら、同じ写真を4枚台紙に貼ってくれた。
しかも、ここ数年使っている6年前くらいの証明写真にも何も言われずに済んだ。
隣に座っていた、タイ人妻とファラン(西洋人)男性のカップルは、ダンナの所持金の事で、「預金が80万バーツ以上あるという証明を出さないとビザは出ませんよ。それが無理なら、ラーオ(ラオス)側に出国して、ビザの延長をするしかないわね。」
と、親切なアドバイスを受けていた。
基本的にタイで「外国人男性の妻」と言うのは、「玉の輿」のように思われているが、やはり皆が皆そう金持ちとも限らず、遊びでタイに来た外国人で、所持金も遊ぶ金程度の人も多い。
そういう当て外れのファランをタイ人は「ファラン・キーノック」(鳥の糞の西洋人)とか、「ファラン・キーガイ」(鶏の糞の西洋人)などと呼んで馬鹿にしている。
私もよく、「私は『ジープン・キーガイ』だもんね。」と主人に嫌味を言ったりするのだが・・・。
そんなこんなで、今回のビザ更新も無事に終わり、後は来月受け取りに行くだけとなった。
そういえば、今回のビザ更新の前にあった「90日の居住届」の出し忘れて2千バーツの罰金を覚悟していたのだが、コンケーンの入管の係員はとても融通が利いて、何と罰金を半額にしてくれた。
というのも、事務所の中でお偉いさんが出て行った隙を見て、
「千バーツに負けておくから・・。」
と小声で主人に耳打ちしたらしく、領収書無しの罰金を懐に納めたようだ。
主人の話では、このお金は多分、後で事務所のみんなで使うのだろうということだった。
領収書はないが、無事に次回の90日届の更新日も決まったことで、私にとっても問題ない。
その千バーツは、係員たちの労をねぎらうためにおいしいものでも食べるのだろうし、これもいいのでは?・・・と思ってしまう。
日本的に考えたら、これは法律違反なのかも知れないが、タイではどこでもやっていることで、まず問題にする人もいないだろう。
私も、日本から来た当初は、こういう役所などでの「袖の下」行為が納得行かなくて、イライラしたものだが、すっかりタイ人感覚になりつつある今では、これは「役所手続きの潤滑油」なのだと思ったりもする。
この朝コンケーンに行く途中で、取締りをしていた警察にも、窓を開けて「免許書見せて。」と言われる側から、
「(警察に)ピー、これで頼みますよ。」
と、財布の中から、20バーツがなかったので100バーツを出して、渡した途端に、警察の声が変わって、
「え~。もう行っちゃうのかい? だったら、どうぞ。」
主人曰く、「急いでいるのに、あらぬことに難癖付けられて時間を潰すより、この方が時間の無駄がなくていい。」そうである。
タイで生きていくにはタイのやり方に慣れたほうが住みやすいということかも知れない・・・。
裏ブログ?
イサーンで暮らす我が家の子供たちとの生活に重点を置いた、姉妹ブログ 『子供に学ぶタイ語』 http://lawan.namjai.cc/ も併せてお楽しみください。
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2009年11月14日
タイの警官と副業
昨日、急用ができてチャイヤプムまで荷物を取りに行った帰りのことである。
チャイヤプムの街中から5キロほど郊外に向かったところで、お決まりの検問をやっていた。
地元警察のお小遣い稼ぎである。
最近のチェックポイントは、シートベルトの着用(最近は助手席にも厳しくなった)、免許の所持(していない人もかなりいる・・)、フロントガラスに貼ってある保険の期限(任意保険ではなく、最低限の強制保険だがこれもよく切れている人がいる・・)、それに最近新しく項目に加わったのが、車の登録証。これはコピーでもいいので、我が家はコピーを車に入れている。
実は最近、この登録証の不備で主人が罰金を払ったばかりなのである。
出かける前に主人が、
「急ぎだから、トラクターのタイヤを積んで、オイル屋に寄ったら、まっすぐ帰って来い。どこにも寄らなくていいからな。それから、あそこの警察の検問には気をつけろよ。」
と、釘を刺していたので、心構えは出来ていたが、主人の予想通りやっていた。
近づくと、真っ黒のサングラスにマスクという、警察の制服でなければ、犯罪者とでも思われそうな人相のわからない警官が、
「はい、止まって~・・・。左に寄せてね・・・。」
と指示を出し、それに従って左に寄せて停車。
「あれ? このフロントガラスは、どうしたんですか?他の車の後をついていて、小石か何か飛んできてぶつかったの?」
「それとも、誰かに石を投げられたとか?」
と、運転席の前のヒビが入ったフロントガラスを指差した。
私は、それがあんたとどんな関係があるんじゃ・・と思ったが、タイ警察はどんな因縁をつけてくるか分からないので、曖昧な作り笑顔で、
「ええ・・・、どうしたんでしょうね・・。多分小石が飛んできたんじゃないかな・・。ハハハ・・・。」
と答えたが、実際のところ、「主人が例の私のブログへのコメントを、私の留守中に勝手に読んで、しかも中途半端なうろ覚えの平仮名、カタカナ、漢字を勝手に読み間違えて、勝手に誰かと密会しているとか誤解して、酔った勢いで自分の目の前のフロントガラスに鉄拳を喰らわした・・・」なんて言えるわけもない。
そうしているうちに、渡した免許も戻ってきた。
外国人だということでいろいろ質問してくる人もいるが、この人は特にそういう質問をすることもなく、荷台に積んである大きなトラクターの後輪タイヤを見て、
「トラクターの事業をしてるんですか?」とだけ聞いてきた。
もしかしたら、よくいる副業でトラクターを運転している警察官だったのかも知れない。
我が家の客にもかなりいるのだが、日頃は警察官なのに、勤務の合間に畑でトラクターの仕事をしている人。
勤務中に、警察の制服のまま、拳銃をぶら下げてトラクターの部品を買いに来たりする。
それに多いのが、この警官&トラクターのオーナーという組み合わせに加えて、タイでは全国規模の「AIA 保険」のセールスマンという二足のわらじならぬ、三足のわらじを履く警察官である。
公務員の副業が認められない日本では考えられない話だが、タイの公務員の薄給から考えると仕方のないことかも知れない。
チャイヤプムの街中から5キロほど郊外に向かったところで、お決まりの検問をやっていた。
地元警察のお小遣い稼ぎである。
最近のチェックポイントは、シートベルトの着用(最近は助手席にも厳しくなった)、免許の所持(していない人もかなりいる・・)、フロントガラスに貼ってある保険の期限(任意保険ではなく、最低限の強制保険だがこれもよく切れている人がいる・・)、それに最近新しく項目に加わったのが、車の登録証。これはコピーでもいいので、我が家はコピーを車に入れている。
実は最近、この登録証の不備で主人が罰金を払ったばかりなのである。
出かける前に主人が、
「急ぎだから、トラクターのタイヤを積んで、オイル屋に寄ったら、まっすぐ帰って来い。どこにも寄らなくていいからな。それから、あそこの警察の検問には気をつけろよ。」
と、釘を刺していたので、心構えは出来ていたが、主人の予想通りやっていた。
近づくと、真っ黒のサングラスにマスクという、警察の制服でなければ、犯罪者とでも思われそうな人相のわからない警官が、
「はい、止まって~・・・。左に寄せてね・・・。」
と指示を出し、それに従って左に寄せて停車。
「あれ? このフロントガラスは、どうしたんですか?他の車の後をついていて、小石か何か飛んできてぶつかったの?」
「それとも、誰かに石を投げられたとか?」
と、運転席の前のヒビが入ったフロントガラスを指差した。
私は、それがあんたとどんな関係があるんじゃ・・と思ったが、タイ警察はどんな因縁をつけてくるか分からないので、曖昧な作り笑顔で、
「ええ・・・、どうしたんでしょうね・・。多分小石が飛んできたんじゃないかな・・。ハハハ・・・。」
と答えたが、実際のところ、「主人が例の私のブログへのコメントを、私の留守中に勝手に読んで、しかも中途半端なうろ覚えの平仮名、カタカナ、漢字を勝手に読み間違えて、勝手に誰かと密会しているとか誤解して、酔った勢いで自分の目の前のフロントガラスに鉄拳を喰らわした・・・」なんて言えるわけもない。
そうしているうちに、渡した免許も戻ってきた。
外国人だということでいろいろ質問してくる人もいるが、この人は特にそういう質問をすることもなく、荷台に積んである大きなトラクターの後輪タイヤを見て、
「トラクターの事業をしてるんですか?」とだけ聞いてきた。
もしかしたら、よくいる副業でトラクターを運転している警察官だったのかも知れない。
我が家の客にもかなりいるのだが、日頃は警察官なのに、勤務の合間に畑でトラクターの仕事をしている人。
勤務中に、警察の制服のまま、拳銃をぶら下げてトラクターの部品を買いに来たりする。
それに多いのが、この警官&トラクターのオーナーという組み合わせに加えて、タイでは全国規模の「AIA 保険」のセールスマンという二足のわらじならぬ、三足のわらじを履く警察官である。
公務員の副業が認められない日本では考えられない話だが、タイの公務員の薄給から考えると仕方のないことかも知れない。
2009年08月02日
タイ人の借金感覚
来世を信じるタイの夕陽
いつも、私のブログを読んでくださっている方の中には、タイ人との付き合い加減に困っているという話もよく聞く。
以前のコメントだから、前々から書こうと思っていたテーマが、タイ「人の借金感覚」についてである。
このタイ人の借金感覚は、タイ国内在住はもちろん、日本国内にいても、タイ人とある程度親しい付き合いをしている以上、避けては通れない問題である。
とかく、日本人やファラン(西洋人)と言うだけで「カネヅル」扱いなのであり、大金を持たない日本人やファランは、いわゆる
「ジープン・キーカイ」や「ファラン・キーカイ」などと呼ばれ、蔑まれるのだからタイ人の外国人に対する見方は本当に勝手なものである。
彼らにとって、タイに来る外国人は「金持ち」でなければ存在価値がないのである。
そういう思い込みが強いので、一般的なタイ人は外国人と見るとすぐに、商売なら定価の3倍以上の「ボッタクリ」が常識。
ちょっとでも親しくなると途端に「親が入院したから金を貸して欲しい」とか「子供が進学するので金が必要になった」とか・・・様々な理由をつけて借金の申し込みに来る。
そして、気を許して貸してしまってから、日本的な感覚で「借りは返すもの」などと思い込んでいると、急に目の前から消えて、全く音信不通になってしまったり、またはしょっちゅう顔を合わせるのに一向に借金の返済をしないタイ人に、「タイ人は理解できない!!!!」と発狂することになる。
ここで、タイ人の借金感覚を理解するには、まず、彼らが「敬虔な仏教徒」であるということを知らなければならない。
仏教の教えを建前に、タイ人は平気で借金を踏み倒すのである。
それは、ある日のことだった。
もう、我が家が店を始めてから5~6年経ったころ、信用販売=要は「ツケ」の伝票を整理していると、開店直後にツケで商品を持って行ったまま、消えてしまった客が何人もいた。
さらには、今も顔を合わせているのに、前のツケを払おうともしない客もいた。
あまりに多いので、何だか無性に腹が立ってきて、
「だから、うちはいつまで経っても銀行の投資ローンが残ってるんだ。だから、タイに来てから何年も経つのに、日本に帰国もできないんだ!」と心の中でブツブツ言いたくなった。
そしてちょうど通りがかった、隣に住むしっかり者の義姉にそのことを話すと、
「それはね・・こういうことなんだよ。あんたは、前世とか現世、来世のことが分かる? つまり現世で私たちに借金をして返さないと言う人たちは、前世において、私たちがその人に借りがあるってことなの。」
ときっぱり言い切られてしまった。
つまり、「仕方ないから諦めろ。また来世で自分が借金をするかも知れないのだから・・。」ということなのである。
これは、タイ仏教の教えから来ているらしい。本来の意味とは逸れているかも知れないが、タイ人はこういう風に都合のいい様に解釈するのである。
まさに、現世の不幸はさっさと諦めて、来世へ希望を託すためにせっせと「タムブン」をするタイ人の人生観そのものである。
その件以来、私は客のツケや親戚・知人の借金のグチはタイ人の前ではしないようにしている。
日本人の感覚でタイ人に対しても、お話にならないので、タイ人風に悟ったフリをしているのである。
これが理解できたら、完全にタイ人化できるかも知れない・・・・とも思う今日この頃である。
2009年07月16日
無事、帰宅しました。~後編~
前編よりつづく・・・
モーチットで、イサーンの玄関口・モーチットに乗車予定のバスの出発時間より30分以上も前に無事到着し、余裕でお楽しみの「カフェー・ソット」をすすりながら、(わが町には「カフェー・ソット」の店はないのです。)今回も買ってきたヤマザキの「イギリスサンド」(だったような?)をかじりかじり、束の間の自分だけの時間を楽しんだ私は、これからの長旅に備えてモーチットの有料トイレで用も済ませ、乗車のために一階のターミナルに下りて行きました。
ちなみに、チケット売り場は3階、乗車ターミナルは1階にあるというややこしい構造になっています。
階段を下りていくと、いかにもイサーン人という人々が、それぞれ並んで停車しているバスの付近にある待合椅子に座って待っています。
私が、自分の乗車予定のバスを見つけて行き先を確かめていると、乗務員らしいおじさんが
「このバスに乗るんかい? もう乗車しちまうか?」
と、まだバンコクなのに、すっかり訛ったイサーン語で話しかけてきました。
私がイサーン人に見えるのか、このバスに乗るのはイサーン人しかいないと思っているのか・・・。
たしかにバスの入り口はまだ閉まっていて、おじさんは外に座って休んでいたようですが、もう出発時刻5分前だったので、私は、「はい、乗ります。」と答えて、開けてもらいました。
チケットを見ると、その乗務員のおじさんは、
「まあ、どうせ人が少ないんだから、どこでも座っていいっぺよ。」と相変わらず、イサーン語丸出しです。
そう言われたので、本来なら真ん中あたりの席なのですが、運転席の真後ろに陣取ってしまいました。
荷物を横の空席(といっても全席空席でしたが・・)に置いて、これで一安心です。
あとは乗っていれば家の前に着くのですから・・・。
ところが、そうしているうちにふと、不安がよぎりました。
もう、発車時間になるのに、私以外誰も乗客が乗ってこない。
外で待っている人たちは、別の方向に行くバスに乗るようだし・・・。
そうしているうちに運転手の男性が乗り込んで来ました。
もし、このまま、誰も来なかったら、私と運転手と乗務員のおじさんだけ・・・。
別に何もないとは思うけど、ここはタイです。何が起こるかわかりません。
・・・・とまた訳のわからない妄想を繰り広げていたところに、私よりだいぶ若い二十歳そこそこの女の子が乗車して来ました。
そして、その後から、若い男性と中年男性が一人ずつ。
最後にまた中年男性が乗り込んできて、合計5人の乗客を乗せて出発です。
私は、一人239バーツの運賃で乗客5人ではガソリン代さえ赤字だろうによく運行しているなあ・・・と半ば感心して乗っていました。
最初は5人だった乗客ですが、途中のラムナラーイまで来たときに、若い男女のカップルが乗ってきたので7人になりましたが、やはり赤字は変わらないでしょう。
ラムナラーイのターミナルを出てしばらくした交差点で、私の記憶ではまだまっすぐ行くはずのところを左折しました。
「あれっ?」と思ったのも束の間、バスは今度は右折というかUターンしたかと思うと、またすぐ左折。
つまり、もともと直進するはずの道路に戻ったのです。
タイの交通法では、左折は信号も一時停止も無しというところがよくありますが、バンコク市内の道路は狭いし、警察が多いので無理でしょうが、田舎に行くと、自分の進行方向の直進の信号が赤だった場合、赤信号で停まっているのが面倒くさいタイ人は、左折OKの法則を悪用して、「左折→Uターン→左折」して赤信号を停まらずに直進するという裏技を使います。
ただ、これはバイクや乗用車なら分かるのですが、正直、「この大型バスでやるか~?」と思ってしまいました。
でも、トレーラーとかでもやっているのをよく見かけますが・・・。
でも、本当のところ、このタイ人の「キーキャット」(面倒くさがり)な習性のせいで、かなりの割合で事故が起きています。
Uターンしようとしたバイクが直進してきた大型に轢かれたとか、吹っ飛んだとか・・・。
それに自分の乗っているバスでこういうことをされると生きた気がしません。
次からは、別の手段で上京しようかと思ってしまいました。
まあ、次の上京がいつになるか分かりませんが・・・。パスポートもあと十年は更新無しですから。
話を戻して、ラムナラーイを出た辺りから、空は真っ暗。満天の星だけが輝いています。
星を眺めながら、ぼんやりしていたのも束の間、山道に入った途端に、私と同列に座っていた若い女の子が立ち上がり、乗務員に停車場所を告げ、降車してしまいました。
そのときです。またもや、不安がよぎったのは・・・。
たった7人の乗客のうち誰が最後まで残るのでしょう。
以前乗ったときも、我が家のある町のターミナルでほとんどが降りてしまって、私はその先1キロくらいのところで降りるのですが、終点のチャイヤプムまで乗る人はあまりいないようでした。
そして、今回はたったの7人。
予想通り、しばらくすると、途中のラムナラーイから乗り込んだカップルが、
「バーンナーの学校前で停めてください。」と乗務員に告げ、すぐに降りて行ってしまいました。
一気に2人減り、残るは若い男性1人、中年男性2人と私です。
別に被害妄想が強いわけではありませんが、普段から、レイプ事件や誘拐事件、殺人事件をよく耳にするし、主人からも
「クルンテープは怖いところだ。お前は世間知らずだから・・・」と事あるごとに言われている私は、もう、不安で妄想が停まりません。
そうしているうちに、今度は若い男性が下車、しばらくして中年男性の一人も下車。
気がつくと、私の後方にいる中年男性と私だけになっていましたが、この中年男性は我が家に来るお客だったかな?と思うくらい親しみの湧く顔立ちだったので、この人に対する恐れはありませんでしたが、この人が私の後に降りてくれればなぁ・・・と願っていました。
ところが、我が家まであと1時間弱というところに来て、その人は降りてしまったのです。
なんと、嫌な予感が当たり、私が最後の乗客になってしまいました。
私は、ますます電気もなく暗くなる山道を走りながら、もしバスが急に停車したら・・・。大した物は持ってないけど、強盗されたら・・・。でも、バスの運転手や乗務員と言う定職についているんだから、その定職を捨ててまでキケンな事はしないだろう。
乗務員のおじさんはいかにも善人らしい顔つきだし大丈夫だろう・・・・。でも、人は見かけによらないって言うし・・・。
あああ、大丈夫かな?やっぱり、主人の言うことを聞いて、夜中3時に出発して、朝方に用事を済ませ、昼のバスで帰ればよかった・・・・。
と、私の限りない妄想は、わが町の灯りが見えてくるまで続きました。
「あっ!うちの町に戻ってきた・・・・助かった。」
そのときの安堵はもう、言葉では言い表せません。
別に、運転手や乗務員が何をしようと企んでいたわけでもなく、多分、彼らは普通に業務を遂行していただけのことなのですが、私のとどまる事を知らない被害妄想は、勝手に自分を窮地に追い込んでいました。
しかも、運転手と乗務員のおじさんは、他に乗客がいないので親切にも我が家に行く前に通るはずの、町のターミナルに寄らずに、その町の灯りが見える大通りから直行で我が家の前に停めてくれました。
しかも、降りるときには「最後のお客さんだね」と笑顔で見送ってくれて・・・・。
私は、周囲の情報に振り回されすぎて、自分が勝手に妄想していたことを申し訳なく思いましたが、そんなことを説明する必要もないので、とりあえず、満面の笑顔で「ありがとうございました!」と答えて、無事降車し、家の扉を開けました。
タイの危険な部分も多いですが、そればかりではないこともよく知っておかないと・・・と思いました。
でも、気をつけるに越したことはないのも事実ですが・・・。
モーチットで、イサーンの玄関口・モーチットに乗車予定のバスの出発時間より30分以上も前に無事到着し、余裕でお楽しみの「カフェー・ソット」をすすりながら、(わが町には「カフェー・ソット」の店はないのです。)今回も買ってきたヤマザキの「イギリスサンド」(だったような?)をかじりかじり、束の間の自分だけの時間を楽しんだ私は、これからの長旅に備えてモーチットの有料トイレで用も済ませ、乗車のために一階のターミナルに下りて行きました。
ちなみに、チケット売り場は3階、乗車ターミナルは1階にあるというややこしい構造になっています。
階段を下りていくと、いかにもイサーン人という人々が、それぞれ並んで停車しているバスの付近にある待合椅子に座って待っています。
私が、自分の乗車予定のバスを見つけて行き先を確かめていると、乗務員らしいおじさんが
「このバスに乗るんかい? もう乗車しちまうか?」
と、まだバンコクなのに、すっかり訛ったイサーン語で話しかけてきました。
私がイサーン人に見えるのか、このバスに乗るのはイサーン人しかいないと思っているのか・・・。
たしかにバスの入り口はまだ閉まっていて、おじさんは外に座って休んでいたようですが、もう出発時刻5分前だったので、私は、「はい、乗ります。」と答えて、開けてもらいました。
チケットを見ると、その乗務員のおじさんは、
「まあ、どうせ人が少ないんだから、どこでも座っていいっぺよ。」と相変わらず、イサーン語丸出しです。
そう言われたので、本来なら真ん中あたりの席なのですが、運転席の真後ろに陣取ってしまいました。
荷物を横の空席(といっても全席空席でしたが・・)に置いて、これで一安心です。
あとは乗っていれば家の前に着くのですから・・・。
ところが、そうしているうちにふと、不安がよぎりました。
もう、発車時間になるのに、私以外誰も乗客が乗ってこない。
外で待っている人たちは、別の方向に行くバスに乗るようだし・・・。
そうしているうちに運転手の男性が乗り込んで来ました。
もし、このまま、誰も来なかったら、私と運転手と乗務員のおじさんだけ・・・。
別に何もないとは思うけど、ここはタイです。何が起こるかわかりません。
・・・・とまた訳のわからない妄想を繰り広げていたところに、私よりだいぶ若い二十歳そこそこの女の子が乗車して来ました。
そして、その後から、若い男性と中年男性が一人ずつ。
最後にまた中年男性が乗り込んできて、合計5人の乗客を乗せて出発です。
私は、一人239バーツの運賃で乗客5人ではガソリン代さえ赤字だろうによく運行しているなあ・・・と半ば感心して乗っていました。
最初は5人だった乗客ですが、途中のラムナラーイまで来たときに、若い男女のカップルが乗ってきたので7人になりましたが、やはり赤字は変わらないでしょう。
ラムナラーイのターミナルを出てしばらくした交差点で、私の記憶ではまだまっすぐ行くはずのところを左折しました。
「あれっ?」と思ったのも束の間、バスは今度は右折というかUターンしたかと思うと、またすぐ左折。
つまり、もともと直進するはずの道路に戻ったのです。
タイの交通法では、左折は信号も一時停止も無しというところがよくありますが、バンコク市内の道路は狭いし、警察が多いので無理でしょうが、田舎に行くと、自分の進行方向の直進の信号が赤だった場合、赤信号で停まっているのが面倒くさいタイ人は、左折OKの法則を悪用して、「左折→Uターン→左折」して赤信号を停まらずに直進するという裏技を使います。
ただ、これはバイクや乗用車なら分かるのですが、正直、「この大型バスでやるか~?」と思ってしまいました。
でも、トレーラーとかでもやっているのをよく見かけますが・・・。
でも、本当のところ、このタイ人の「キーキャット」(面倒くさがり)な習性のせいで、かなりの割合で事故が起きています。
Uターンしようとしたバイクが直進してきた大型に轢かれたとか、吹っ飛んだとか・・・。
それに自分の乗っているバスでこういうことをされると生きた気がしません。
次からは、別の手段で上京しようかと思ってしまいました。
まあ、次の上京がいつになるか分かりませんが・・・。パスポートもあと十年は更新無しですから。
話を戻して、ラムナラーイを出た辺りから、空は真っ暗。満天の星だけが輝いています。
星を眺めながら、ぼんやりしていたのも束の間、山道に入った途端に、私と同列に座っていた若い女の子が立ち上がり、乗務員に停車場所を告げ、降車してしまいました。
そのときです。またもや、不安がよぎったのは・・・。
たった7人の乗客のうち誰が最後まで残るのでしょう。
以前乗ったときも、我が家のある町のターミナルでほとんどが降りてしまって、私はその先1キロくらいのところで降りるのですが、終点のチャイヤプムまで乗る人はあまりいないようでした。
そして、今回はたったの7人。
予想通り、しばらくすると、途中のラムナラーイから乗り込んだカップルが、
「バーンナーの学校前で停めてください。」と乗務員に告げ、すぐに降りて行ってしまいました。
一気に2人減り、残るは若い男性1人、中年男性2人と私です。
別に被害妄想が強いわけではありませんが、普段から、レイプ事件や誘拐事件、殺人事件をよく耳にするし、主人からも
「クルンテープは怖いところだ。お前は世間知らずだから・・・」と事あるごとに言われている私は、もう、不安で妄想が停まりません。
そうしているうちに、今度は若い男性が下車、しばらくして中年男性の一人も下車。
気がつくと、私の後方にいる中年男性と私だけになっていましたが、この中年男性は我が家に来るお客だったかな?と思うくらい親しみの湧く顔立ちだったので、この人に対する恐れはありませんでしたが、この人が私の後に降りてくれればなぁ・・・と願っていました。
ところが、我が家まであと1時間弱というところに来て、その人は降りてしまったのです。
なんと、嫌な予感が当たり、私が最後の乗客になってしまいました。
私は、ますます電気もなく暗くなる山道を走りながら、もしバスが急に停車したら・・・。大した物は持ってないけど、強盗されたら・・・。でも、バスの運転手や乗務員と言う定職についているんだから、その定職を捨ててまでキケンな事はしないだろう。
乗務員のおじさんはいかにも善人らしい顔つきだし大丈夫だろう・・・・。でも、人は見かけによらないって言うし・・・。
あああ、大丈夫かな?やっぱり、主人の言うことを聞いて、夜中3時に出発して、朝方に用事を済ませ、昼のバスで帰ればよかった・・・・。
と、私の限りない妄想は、わが町の灯りが見えてくるまで続きました。
「あっ!うちの町に戻ってきた・・・・助かった。」
そのときの安堵はもう、言葉では言い表せません。
別に、運転手や乗務員が何をしようと企んでいたわけでもなく、多分、彼らは普通に業務を遂行していただけのことなのですが、私のとどまる事を知らない被害妄想は、勝手に自分を窮地に追い込んでいました。
しかも、運転手と乗務員のおじさんは、他に乗客がいないので親切にも我が家に行く前に通るはずの、町のターミナルに寄らずに、その町の灯りが見える大通りから直行で我が家の前に停めてくれました。
しかも、降りるときには「最後のお客さんだね」と笑顔で見送ってくれて・・・・。
私は、周囲の情報に振り回されすぎて、自分が勝手に妄想していたことを申し訳なく思いましたが、そんなことを説明する必要もないので、とりあえず、満面の笑顔で「ありがとうございました!」と答えて、無事降車し、家の扉を開けました。
タイの危険な部分も多いですが、そればかりではないこともよく知っておかないと・・・と思いました。
でも、気をつけるに越したことはないのも事実ですが・・・。
2009年07月09日
再び、上京。
前回のコメントで、パスポートの受け取りのため、7月1日に上京する予定だったのですが、家人の急な入院が入って、予定は延期・・・。
でも、それも無事、退院となったので、明日7月10になりましたが、急いで上京することになりました。
それも、そのはず、今月はビザの更新の月で、今月の18日までに入管に行かないと、長年延長してきたビザが切れてしまうのです。
主人は、「不法滞在の外国人でもいいじゃん。」なんて冗談をいいますが、タイは違法なことには何かとお金が掛かるので、(お金で始末できる?)この不況の中、これ以上無駄な出費がかさむのは困ります。
そういうわけで、明日、市内のバスターミナルを朝8時15分発(あくまで予定・・・)のバスに乗って、午後2時過ぎにはモーチットに到着。
そのまま、バス、地下鉄を乗り継ぎ、3時頃には日本大使館へ。
そして、すぐに受け取りを済ませて、またもと来た道順でモーチットへとんぼ帰り。
夕方、17時発のチャイヤプム行きバスに乗り遅れないように、とにかく時間との戦いになる予定の、再上京です。
以前のコメントで、ピヤポンさんに驚かれましたが、今回は以前よりもさらにバンコク滞在時間は短くなる予定です。
そして、前回で勘を掴んだので、食料を手に入れる場所や、バスの乗り換えなどにもたつく時間もだいぶ短縮されると思います。
まさに、時間との戦いになる今回の上京です。
これだけの用なので、大使館で郵送とかしていただけるとすごくありがたいのですが、日本国の法律ではそういうことは出来ないようで、「受け取りは本人がする」と念を押されています。
ちなみに、タイのパスポートは郵送も可。写真も、申請時にその場でデジカメで「カシャ!」と撮影する、かなりお手軽なパスポート申請ですから、羨ましい限りです。
まあ、そのせいで、年齢を誤魔化したり、人が入れ替わったりという偽造パスポートも作りやすいのかも知れませんが・・。
日本国の安全対策は十分理解できますが、私のように、バンコクから遥か彼方の田舎に住む者にとっては、例外的に郵送措置などしていただけたら・・・などと思ってしまいます。
それでは、行ってきま~す。
でも、それも無事、退院となったので、明日7月10になりましたが、急いで上京することになりました。
それも、そのはず、今月はビザの更新の月で、今月の18日までに入管に行かないと、長年延長してきたビザが切れてしまうのです。
主人は、「不法滞在の外国人でもいいじゃん。」なんて冗談をいいますが、タイは違法なことには何かとお金が掛かるので、(お金で始末できる?)この不況の中、これ以上無駄な出費がかさむのは困ります。
そういうわけで、明日、市内のバスターミナルを朝8時15分発(あくまで予定・・・)のバスに乗って、午後2時過ぎにはモーチットに到着。
そのまま、バス、地下鉄を乗り継ぎ、3時頃には日本大使館へ。
そして、すぐに受け取りを済ませて、またもと来た道順でモーチットへとんぼ帰り。
夕方、17時発のチャイヤプム行きバスに乗り遅れないように、とにかく時間との戦いになる予定の、再上京です。
以前のコメントで、ピヤポンさんに驚かれましたが、今回は以前よりもさらにバンコク滞在時間は短くなる予定です。
そして、前回で勘を掴んだので、食料を手に入れる場所や、バスの乗り換えなどにもたつく時間もだいぶ短縮されると思います。
まさに、時間との戦いになる今回の上京です。
これだけの用なので、大使館で郵送とかしていただけるとすごくありがたいのですが、日本国の法律ではそういうことは出来ないようで、「受け取りは本人がする」と念を押されています。
ちなみに、タイのパスポートは郵送も可。写真も、申請時にその場でデジカメで「カシャ!」と撮影する、かなりお手軽なパスポート申請ですから、羨ましい限りです。
まあ、そのせいで、年齢を誤魔化したり、人が入れ替わったりという偽造パスポートも作りやすいのかも知れませんが・・。
日本国の安全対策は十分理解できますが、私のように、バンコクから遥か彼方の田舎に住む者にとっては、例外的に郵送措置などしていただけたら・・・などと思ってしまいます。
それでは、行ってきま~す。
2009年02月17日
通行料?
我が家は田舎ながらも割りと大通りの交差点に面しているため、斜向かいに交番がある。
そして、我が家の前を通る過積載と思われるトラックは、何故かどの車もこの交番の近くに車を停める。
最初、私はその交番のならびにある食堂に寄るために道路脇に駐車しているのかと思っていた。
が、よく見ていたら、降りてきたのは運転者一人で、しかも食堂ではなく、その交番にまっすぐに入って行った。
それでも、鈍い私は事情が分からず、きっと道でも訊ねに行ったのだろうと、長いこと思い込んでいた。
ところが最近になって、ふとそのことを主人に尋ねたら、
「バ~カ・・・。あれは、通行料を払いに行ってるんだよ。」
「はっ? 通行料って、高速道路でもあるまいし・・。」とまだボケる私。
「あれは、警察に荷物の内容や、過積載で止められて、余計な時間とお金を払う前に、自分から安全のために、前払いするんだよ。」
「でも、ここ過ぎたら意味ないじゃん。」
「いや、通るところ全部の交番でいちいち停まって払って行くんだ。」
・・・・・。
通るところ全部って言ったら、県中心部からこの我が家の前の通りの約30キロの距離だけでも、3箇所は交番がある。
普通、10キロメートルから20キロメートルに、一箇所は交番がある。
しかも、みんなバンコクからとかチェンマイまでとか、長距離で走っているのがほとんどだから、最低20バーツずつ払っていたとしても、とんでもない金額になる・・・と思う。
恐るべしタイの警察の資金力。
タイのトラックの過積載も常識はずれだが、このタイ警察の資金の荒稼ぎも、大したものである。
通行する車両は一台ではないから、一体どれくらいの金額が毎日、通行料としてタイ警官の懐に入っているのだろう。
昔見た、時代劇の悪代官と庄屋の
「お代官様・・・」
「お主もワルじゃの・・・クックック。」
というセリフがふと頭をよぎった出来事だった。

過積載のトラック・・・まだまだ甘い。

奥に見えるのが問題の交番です。
そして、我が家の前を通る過積載と思われるトラックは、何故かどの車もこの交番の近くに車を停める。
最初、私はその交番のならびにある食堂に寄るために道路脇に駐車しているのかと思っていた。
が、よく見ていたら、降りてきたのは運転者一人で、しかも食堂ではなく、その交番にまっすぐに入って行った。
それでも、鈍い私は事情が分からず、きっと道でも訊ねに行ったのだろうと、長いこと思い込んでいた。
ところが最近になって、ふとそのことを主人に尋ねたら、
「バ~カ・・・。あれは、通行料を払いに行ってるんだよ。」
「はっ? 通行料って、高速道路でもあるまいし・・。」とまだボケる私。
「あれは、警察に荷物の内容や、過積載で止められて、余計な時間とお金を払う前に、自分から安全のために、前払いするんだよ。」
「でも、ここ過ぎたら意味ないじゃん。」
「いや、通るところ全部の交番でいちいち停まって払って行くんだ。」
・・・・・。
通るところ全部って言ったら、県中心部からこの我が家の前の通りの約30キロの距離だけでも、3箇所は交番がある。
普通、10キロメートルから20キロメートルに、一箇所は交番がある。
しかも、みんなバンコクからとかチェンマイまでとか、長距離で走っているのがほとんどだから、最低20バーツずつ払っていたとしても、とんでもない金額になる・・・と思う。
恐るべしタイの警察の資金力。
タイのトラックの過積載も常識はずれだが、このタイ警察の資金の荒稼ぎも、大したものである。
通行する車両は一台ではないから、一体どれくらいの金額が毎日、通行料としてタイ警官の懐に入っているのだろう。
昔見た、時代劇の悪代官と庄屋の
「お代官様・・・」
「お主もワルじゃの・・・クックック。」
というセリフがふと頭をよぎった出来事だった。
過積載のトラック・・・まだまだ甘い。
奥に見えるのが問題の交番です。
2008年11月28日
腱鞘炎~その後。
先日から「右手スト」を開始した私だが、普通に生活していると、利き手なので、ついつい痛いのを忘れて重いものを持ってしまう。
そして、持ち上げてから「うっ・・!!」と痛みに気付いても後の祭り・・。
と言うことになるので、自分が忘れないように包帯を巻くことにした。
そうしたら、今度は来る客が口々に、「腕どうしたの? 何かにぶつけたの?」と聞いてくる。
いい加減、答えるのも、嫌になりとうとう包帯を取ってしまった私だった。
そうしていたところ、昨日、たまたま義姉の店にオイル交換に来た、コンケーンから来たというマッサージ師に会った。
彼はこの近くの「ワット・カオターゴ」という有名な寺の主である僧侶様が、地域の開発活動でダムを作っているのだが、その現場に行かれた際に、足場が悪く足をひねって捻挫してしまったということで、その僧侶様のためにマッサージをしにわざわざコンケーンから呼ばれたのだという。これもタムブンの一つである。
そのマッサージ師にちょっとひじを見てもらったところ、筋が重なってしまっているという診断で、これなら施術時の痛みさえ我慢できれば、すぐに治ってしかも、絶対繰り返すことはない!と言い切るので、その日の夕方に、足のつけ根が痛いという近所の人と一緒に、そのマッサージ師がいるというお寺に向かった。
しかし、その日は僧侶様をマッサージする日なので、他の人間にはしないということで、あえなく帰還。
明日来なさいと言われ、その翌日に出直すことになった。
そして、翌日、朝9時からマッサージを始めるとの情報から、朝8時過ぎに家を出て順番を待つことになった。
そして、お寺について見ると、肝心のマッサージ師は、バンコクから観光バスを借り切って、彼のマッサージを受けに乗り込んできたという団体様の泊まっているというチャイヤプムの街中のホテルに「出張」してしまった後で、またも空振りとなった。
そして、今度こそ!と、「夕方ならお寺に戻っている」という情報を頼りに、昨日の夕方、またもやご近所さんと出かけて行った。
確かにお寺に着いてみると、例のマッサージ師の彼が60過ぎと思われる男性と女性を相手にマッサージをしていた。
私たちは座って順番を待つことにした。一緒に行ったミックは、ほとんど毎朝伯母さんとタムブン・タックバーツ(托鉢)に来ている、通いなれたお寺であり、ミックは顔が広く、暗闇ながらも出会うお寺の人、お坊さんみんな知り合いなので、あいさつをしながら、お寺の供物の残りの肉まんなどを貰って食べていた。
ミックは「お寺に来ればお菓子が待っている、食いっぱぐれることはない・・」ということを物心ついたときから知っているので、お寺が大好きである。
話は逸れたが、そうして待つこと30分くらい、いよいよ私たちの番になった。
ところが、何故かそのマッサージ師は「今日は僧侶様にマッサージをしたからここまでにしたい。明日は一度コンケーンに戻って、薬を持ってくるので、明後日に出直して欲しい・・」と言い残し、さっさと車に乗り込んでしまった・・・・。
「・・・」私は、何なんだろう・・・? と言葉もなかったが、一緒に行ったご近所さんは、さずがタイ人。
こういう、約束にならない約束でも、まったく怒る気配もない。それどころか「仕方ないか・・」といいながら笑ってさえいる。
「約束は守るもの」と教え込まれてきた私たちとは感覚が違う。
「約束は出来ないもの」というのがタイ風な考えか? また、
「約束は破るもの」という人もいるが、ほとんどの場合、破ろうと思って破っているのではないのも事実である。
タイ人的には「約束を破る気はさらさらないが、約束よりも自分の都合が最優先なので、結局約束はその後で・・・」となるのである。
だから、時間の約束はもちろん、借金返済の約束なども自分の都合でいいように伸ばされ、そのうちこの世では払えないから、来世で・・などと言う風になってしまうのである。
そして、持ち上げてから「うっ・・!!」と痛みに気付いても後の祭り・・。
と言うことになるので、自分が忘れないように包帯を巻くことにした。
そうしたら、今度は来る客が口々に、「腕どうしたの? 何かにぶつけたの?」と聞いてくる。
いい加減、答えるのも、嫌になりとうとう包帯を取ってしまった私だった。
そうしていたところ、昨日、たまたま義姉の店にオイル交換に来た、コンケーンから来たというマッサージ師に会った。
彼はこの近くの「ワット・カオターゴ」という有名な寺の主である僧侶様が、地域の開発活動でダムを作っているのだが、その現場に行かれた際に、足場が悪く足をひねって捻挫してしまったということで、その僧侶様のためにマッサージをしにわざわざコンケーンから呼ばれたのだという。これもタムブンの一つである。
そのマッサージ師にちょっとひじを見てもらったところ、筋が重なってしまっているという診断で、これなら施術時の痛みさえ我慢できれば、すぐに治ってしかも、絶対繰り返すことはない!と言い切るので、その日の夕方に、足のつけ根が痛いという近所の人と一緒に、そのマッサージ師がいるというお寺に向かった。
しかし、その日は僧侶様をマッサージする日なので、他の人間にはしないということで、あえなく帰還。
明日来なさいと言われ、その翌日に出直すことになった。
そして、翌日、朝9時からマッサージを始めるとの情報から、朝8時過ぎに家を出て順番を待つことになった。
そして、お寺について見ると、肝心のマッサージ師は、バンコクから観光バスを借り切って、彼のマッサージを受けに乗り込んできたという団体様の泊まっているというチャイヤプムの街中のホテルに「出張」してしまった後で、またも空振りとなった。
そして、今度こそ!と、「夕方ならお寺に戻っている」という情報を頼りに、昨日の夕方、またもやご近所さんと出かけて行った。
確かにお寺に着いてみると、例のマッサージ師の彼が60過ぎと思われる男性と女性を相手にマッサージをしていた。
私たちは座って順番を待つことにした。一緒に行ったミックは、ほとんど毎朝伯母さんとタムブン・タックバーツ(托鉢)に来ている、通いなれたお寺であり、ミックは顔が広く、暗闇ながらも出会うお寺の人、お坊さんみんな知り合いなので、あいさつをしながら、お寺の供物の残りの肉まんなどを貰って食べていた。
ミックは「お寺に来ればお菓子が待っている、食いっぱぐれることはない・・」ということを物心ついたときから知っているので、お寺が大好きである。
話は逸れたが、そうして待つこと30分くらい、いよいよ私たちの番になった。
ところが、何故かそのマッサージ師は「今日は僧侶様にマッサージをしたからここまでにしたい。明日は一度コンケーンに戻って、薬を持ってくるので、明後日に出直して欲しい・・」と言い残し、さっさと車に乗り込んでしまった・・・・。
「・・・」私は、何なんだろう・・・? と言葉もなかったが、一緒に行ったご近所さんは、さずがタイ人。
こういう、約束にならない約束でも、まったく怒る気配もない。それどころか「仕方ないか・・」といいながら笑ってさえいる。
「約束は守るもの」と教え込まれてきた私たちとは感覚が違う。
「約束は出来ないもの」というのがタイ風な考えか? また、
「約束は破るもの」という人もいるが、ほとんどの場合、破ろうと思って破っているのではないのも事実である。
タイ人的には「約束を破る気はさらさらないが、約束よりも自分の都合が最優先なので、結局約束はその後で・・・」となるのである。
だから、時間の約束はもちろん、借金返済の約束なども自分の都合でいいように伸ばされ、そのうちこの世では払えないから、来世で・・などと言う風になってしまうのである。
2008年11月23日
腱鞘炎~現代医療の成果
昨日も書いたとおり、怪しい民間療法のおじいさんに治療してもらったが一向に回復しないので、長年の腰痛に悩まされていた義母のアドバイスどおり、チャイヤプムの県庁所在地の街にある、「ソムバット・クリニック」に通院することにした。
それ以前からも、あまりによくならないひじのことを、ネットで検索したら、「腱鞘炎」の症状であるという自信が出たので、ある程度の知識も仕入れてから、このクリニックに向かった。
今更ながら、本当にネットは私の世界を変えてくれた。
ミックが産まれる頃までは、ネットというものの意味もわからないような生活をしていた。
子供が病気になっても、日本から持ってきた20年以上前の、骨董品的な『新しい家庭の医学辞典』という名前だけで古さが窺える分厚い「医学辞典」だけが頼りだった。
今から考えると、日本の情報は全く入らないという、信じられないような生活だった。
今は、最新の情報を簡単に手に入れることが出来る。パソコン様様である・・・。
話は戻って、このソムバット・クリニックというのは、昼間は他の医師同様、県立病院で仕事をしていて、朝、昼、夕方の1~2時間で副収入を得るために、アルバイト経営をしているのである。
私は店があるので、夕方店を早めに閉めてから出かけたので、診察が始まったのは午後7時近かったが、もうすぐ閉める予定なのか、ソムバット医師はクリニックのカウンターに腰掛けて、ボ~ッとしているところだった。
靴を脱いだ途端に、名前も聞かず、どこの馬の骨かもわからない患者なのに、
「はい・・、一番の部屋に入ってください」
と言われ、「普通、患者のカルテとか用意するだろう・・・」と怪しみながら、今回2度目の診療を待った。
実は、前回の診察が初めてだったのだが、このときもまるで通りすがりの人間を診るように、名前も聞かなければ、連絡先も聞かなかった。
これでは、患者の情報が記録されない、まさに行き当たりばったりの診察である。
私しか患者がいないし、カルテも用意しないので、医師はすぐにやってきて、
「はい、どうしましたか?」とお決まりの事を聞くので、
「ひじが痛むんですが・・・」と言うと、
「ひじを曲げてみてください。これは痛いですか?・・・じゃ、これは・・? う~ん、ホウキとかで掃くと痛いでしょ?」
と、まさに的を得た質問をするので、「これはいけるな・・」と久々にタイ人医師に希望を持った。
しばらく、曲げる伸ばすの診察をして様子を見た医師は、
「では、注射を打っておきましょう。7日間以内に、間違いなく治ります。でも、今まで通り重いものを持ったりしたら、また3~4ヶ月で再発しますよ。」と前回の診察では釘をさされた。
今回の診察では、「こうして注射を打っても、何度も繰り返して2~3年経っても完治しないときは手術をするしかないですよ。」
と前回以上の重い釘をさされてしまった・・・。
どうなる私のひじ・・・。
このまま、重いものを持っても、どの道行き着くのは「手術」。
手術をしたら、重いものは持てなくなる。
やはり、どんなにヒマでも、タイ人風に、店員を雇って遊ばせとくしかないのだろうか?
2008年11月22日
腱鞘炎~信じる者は救われる・・・療法~
このところ、また私の右ひじの痛みが再発している。
前回、医者に行って注射を打ってから約3ヶ月、医者の言った通り、職種を変えない限りまた3~4ヶ月で再発すると宣言していた。
私は、タイに来てからこの6年間、旦那と二人で自動車部品の店をやっている。
自動車部品と言うのは、ほとんどが鉄やゴム製で出来ているので、手のひらサイズの小物と言えども、数㎏あるのが当たり前である。ダンベルが店の中にゴロゴロしてるようなものである。
中には、30~50㎏という、一人で持つにはちょっと無理があるものも多い。
そして、車と言えばオイル。樽型容器に入ったエンジンオイルやグリースは20㎏くらいある。
それらを毎日運ぶうちに、さすがの丈夫だけがとりえの私の身体にもガタが来た・・・・。
ここに来てからと言うもの、日常で日本語をほとんど使わなくなった私は、「腱鞘炎」という簡単な病名まで忘れていたので、「ひじが痛い」「ホウキが持てない」と具体的な症状ばかりを訴えていた。
あまりに痛そうな様子を見かねた旦那が、ある日、私を連れて義母の隣村に住む、あるおじいさんのところを訪れた。
もうかれこれ10年以上前の話だが、旦那が仕事中に車の荷台から飛び降り損ねて、足首を捻挫したことがあった。
そのときに旦那の足首を治療してくれたのがこのおじいさんだった。
当時、おじいさんは田舎によくある、高床式の民家の二階で治療をしており、その軒下には、串刺しにされたヘビの干物が何匹も並んでいて、かなり怪しい雰囲気をかもし出していた。
問題の治療法だが、まず、銀製の手桶に9本の花、線香、ろうそくセットと、お礼の気持ちのお金を入れて(一回100バーツ程度)、おじいさんに渡す。
そうすると、おじいさんはその手桶を額の前に掲げて、何やら呪文を唱えながら、患者の名前をつぶやく。
一通り、呪文が終わると、今度は奥から何かの術を施した特別なココナツオイルが入った小瓶を持って来て、少し手に取り、患部にさするように塗っていく。
旦那の場合は、捻挫とわかっているのでそのままマッサージに入ったが、私のように特に自覚症状がない場合は、このオイルマッサージをしながら、患部の筋や神経の様子を探って行くらしい。
私のひじはおじいさん曰く、「筋をひねってしまっている」という診断だった。
旦那のときは、途中から、おじいさんの全身を使って足を引っ張ったりという大掛かりな整骨のような技に変わり、最後には「バキッ!」という、すごい音がしたかと思うと、急に動きが穏やかになり、最後はオイルを塗って終了した。
旦那の足首は、奇跡的なくらいに、次の日にはもうすっかり腫れが引いていた。
このおじいさんの技に感動した旦那は、すっかりこのおじいさんの崇拝者となり、事あるごとに、
「ソーコー村に素晴らしい技を持つおじいさんがいるが、もう高齢なので、自分の技を伝授する後継者を探しているが、今の若者はその気がないらしい。まったくもったいない話だ・・・」と話していて、私は「じゃあ、自分で弟子入りすれば?」と内心思っているが、家庭の平和を守るため、口にはしない。
そういうわけで、私もそこへ連れて行かれて、一度目の施術で「痛いだけじゃん・・・私の忍耐力を試してるのか?」と思いながらも、社交辞令で「少し楽になったみたい・・・。」と言っておいたら、「なら、もう一度繰り返してやらなきゃダメだ。」と旦那に言われてしまい、再施術。
だが、よく「信じる者は救われる」と言うが、こんな信仰心の欠けらもない私だから治らないのか、二度目も痛いだけだった・・・・。
すると、どうしてもこのおじいさんの素晴らしい技で私のひじも治療しなくては・・・という旦那の妙な使命感で、三度目の正直とでも言わんばかりに、またも連行されようとしていたところに、運よくも、義母の鶴の一声電話が掛かってきて、私のような症状は街の整形外科に行った方が良いということになり、街の整形外科に行ってみるということになったのだった。
前回、医者に行って注射を打ってから約3ヶ月、医者の言った通り、職種を変えない限りまた3~4ヶ月で再発すると宣言していた。
私は、タイに来てからこの6年間、旦那と二人で自動車部品の店をやっている。
自動車部品と言うのは、ほとんどが鉄やゴム製で出来ているので、手のひらサイズの小物と言えども、数㎏あるのが当たり前である。ダンベルが店の中にゴロゴロしてるようなものである。
中には、30~50㎏という、一人で持つにはちょっと無理があるものも多い。
そして、車と言えばオイル。樽型容器に入ったエンジンオイルやグリースは20㎏くらいある。
それらを毎日運ぶうちに、さすがの丈夫だけがとりえの私の身体にもガタが来た・・・・。
ここに来てからと言うもの、日常で日本語をほとんど使わなくなった私は、「腱鞘炎」という簡単な病名まで忘れていたので、「ひじが痛い」「ホウキが持てない」と具体的な症状ばかりを訴えていた。
あまりに痛そうな様子を見かねた旦那が、ある日、私を連れて義母の隣村に住む、あるおじいさんのところを訪れた。
もうかれこれ10年以上前の話だが、旦那が仕事中に車の荷台から飛び降り損ねて、足首を捻挫したことがあった。
そのときに旦那の足首を治療してくれたのがこのおじいさんだった。
当時、おじいさんは田舎によくある、高床式の民家の二階で治療をしており、その軒下には、串刺しにされたヘビの干物が何匹も並んでいて、かなり怪しい雰囲気をかもし出していた。
問題の治療法だが、まず、銀製の手桶に9本の花、線香、ろうそくセットと、お礼の気持ちのお金を入れて(一回100バーツ程度)、おじいさんに渡す。
そうすると、おじいさんはその手桶を額の前に掲げて、何やら呪文を唱えながら、患者の名前をつぶやく。
一通り、呪文が終わると、今度は奥から何かの術を施した特別なココナツオイルが入った小瓶を持って来て、少し手に取り、患部にさするように塗っていく。
旦那の場合は、捻挫とわかっているのでそのままマッサージに入ったが、私のように特に自覚症状がない場合は、このオイルマッサージをしながら、患部の筋や神経の様子を探って行くらしい。
私のひじはおじいさん曰く、「筋をひねってしまっている」という診断だった。
旦那のときは、途中から、おじいさんの全身を使って足を引っ張ったりという大掛かりな整骨のような技に変わり、最後には「バキッ!」という、すごい音がしたかと思うと、急に動きが穏やかになり、最後はオイルを塗って終了した。
旦那の足首は、奇跡的なくらいに、次の日にはもうすっかり腫れが引いていた。
このおじいさんの技に感動した旦那は、すっかりこのおじいさんの崇拝者となり、事あるごとに、
「ソーコー村に素晴らしい技を持つおじいさんがいるが、もう高齢なので、自分の技を伝授する後継者を探しているが、今の若者はその気がないらしい。まったくもったいない話だ・・・」と話していて、私は「じゃあ、自分で弟子入りすれば?」と内心思っているが、家庭の平和を守るため、口にはしない。
そういうわけで、私もそこへ連れて行かれて、一度目の施術で「痛いだけじゃん・・・私の忍耐力を試してるのか?」と思いながらも、社交辞令で「少し楽になったみたい・・・。」と言っておいたら、「なら、もう一度繰り返してやらなきゃダメだ。」と旦那に言われてしまい、再施術。
だが、よく「信じる者は救われる」と言うが、こんな信仰心の欠けらもない私だから治らないのか、二度目も痛いだけだった・・・・。
すると、どうしてもこのおじいさんの素晴らしい技で私のひじも治療しなくては・・・という旦那の妙な使命感で、三度目の正直とでも言わんばかりに、またも連行されようとしていたところに、運よくも、義母の鶴の一声電話が掛かってきて、私のような症状は街の整形外科に行った方が良いということになり、街の整形外科に行ってみるということになったのだった。