2010年08月28日
壁に大穴が・・。
我が家の商売の売り上げは、季節によって非常に変わります。
毎年、カオ・パンサー(安居節)になると、今までの売れ行きがウソのように、急に閑古鳥が鳴き始めるのです。
さて、そんなカオ・パンサーに入ったある日、主人が思いついたように、二階に寝室を作ろう!と言い出しました。
初めは、主人が自分で壁をぶち抜こうと思ったのですが、昨年から病気で寝込んだりしていたのがたたってか、はたまた単に40代に突入しようとしているためか体力が落ちている主人なので、今回は、「いつもの何でも自分でやってしまう」のではなく、職人に頼むことにしました。
職人と言っても、タイの「職人」はほんの少しでも経験があれば(もしくはまったく未経験でもやる気があれば?)、その日から職人になってしまうので、職人の腕を見極めるためには事前に観察することが必要です。
そうでないと、職人と称するド素人の無茶苦茶な仕事に、高いお金を払うことにもなりかねません。
事実、私でさえ、もともと全くのド素人なのに、見よう見まねで覚えて、ハイドリックホースの作製をするので、今ではすっかり店の客から「チャン(=職人)」と呼ばれることもあるくらいです。
多少の経験で職人として仕事が出来る、これがタイのいいところ?かも知れません。客にとっては迷惑な話ですが・・・。
もうすぐ窓の形にぶち抜かれる壁
窓枠をはめ込みます。
でも、最初、アリの穴ほどから始めた壁のぶち抜きですが、なんだかんだ言って、以前バンコクで建築業に従事していたという今回の職人は、当たりだったようで、たった一人で2日のうちに、とりあえず窓の基礎の穴だけは完成しました。
後は、左側の部屋についているような、扉式の窓枠をつけて、窓をはめ込めば完成です。
後日、完成した窓ですが、誤算が一つ・・・。
それはこの雨期のせいで、乾ききっていない窓枠や窓板が雨の度に伸縮を繰り返し、まともに閉まるまでには時間が掛かるそうです。
しかも、この雨期の大雨がその閉まりきらない窓の隙間から振り込んでくるので、二階の床が濡れたり、その水が一階の店内に垂れたり・・・。
確かに、雨期以外は忙しくてこういう時間がないし、雨期は雨期でこういう問題が起こる・・・。
なかなか上手く行かないものです。
タイの住宅は、こうして簡単に増築や改造を繰り返します。
それは、日本のように地震対策とか、生命に関わる重要さがないからかも知れません。
よく日本の「欠陥住宅」などの特集で、床にビー玉を置いて、転がるから水平でない・・とか言って欠陥をあら捜ししたりするのがありますが、こういう土地で生活をしていると、逆に「日本人は、何でそこまでこだわるのだろう?」と不思議な気分になります。
ビー玉が転がるからと言って、生活にどれほどの支障があるのでしょうか?
こういうところに、日本人の職人気質を感じ、日本人として誇りに思うことも事実ですが、最近では、それを「神経質過ぎないか?」と疑問に感じる私もいます。
日本だったら、多分我が家の閉まらない窓枠などは、「乾燥が十分でない! 不良品だ!」とクレームの対象になったでしょう。
でも、私も主人も、「そのうち乾いてちゃんと閉まるようになるさ。」で済んでしまいます。
こういうことに寛大になってしまった私は、「もう日本に帰っては住めないだろうな・・・」と思う今日この頃です。
更新しました!!
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2010年08月11日
雨の境界線
今夜も雨が降っている。
・・・・正確に言うと、先ほどからまた降り始めた・・という方が正しいかも知れない。
主人の兄の家にカミナリが落ちて、姪のパソコンが壊れたという話を聞いてから、カミナリが鳴ったらテレビやパソコンの電源を切ると言うのは、我が家の暗黙の了解だが、今夜は土砂降りだが、雨音だけなので、まだ余裕でキーボードを叩いている。
さて、今年も雨期に入ったので、毎日のように雨が降る。
それに伴う洪水の話は先日、ブログ『子供に学ぶタイ語』(http://lawan.namjai.cc/e34394.html=「น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)」の方で挙げたが、もう一つの雨期のタイの風景に、「雨の境界線」がある。
以前にもブログのどこかで書いたと思うが、この5月から、私は4人いる子供のうちの、下の二人が通う自宅から10キロ離れた小学校へ、朝・昼・夕と3回往復する日々を送っている。
つまり簡単に言えば、毎日60キロの道程を運転をしていることになる。
その道中で、この雨期になると毎日のように遭遇するのが、雨の境界線である。
それは、日によって違うのだが、今日はこうだった。
今日は、夕方の次男を迎えに行く前に、土砂降りが始まった。
家の前の道路が見えないくらいの土砂降りだったが、学校で待っている次男を思うと、今すぐに行かないわけにはいかない・・と意を決して我が家を出た。
そして、家の前の交差点を左折して、約300メートル。
雨が小降りになってきたな・・・と思った途端、その先からは一滴の雨粒も落ちてこない。
バックミラーに映る今来た方向の道路はびしょびしょだが、目の前の道路は乾いている・・・。
つまり、ここが雨の境界線だったのである。
それから、また5キロほど行った先で、雨粒が落ちてきたと思ったら、ザーーーッと大雨になったが、今度は100メートルも行かないうちに、また乾いた道路に変わっていた。
これも、雨の境界線だったのである。
その後は、学校まで晴れていて、学校では、子供たちが放課後の校庭でサッカーを楽しんでいた。
よく、日本の天気予報などで、
「局地的に大雨となるでしょう・・」などと言うことがあるが、タイの土砂降りは「局地的」過ぎる傾向にある。
帰り道、すぐにピックアップの荷台に乗りたがる末っ子のミックが、今日も荷台で気持ち良さそうに風に吹かれていたのだが、
先ほどの雨の境界線が目の前に近づいて来たので、車を停車し、
「ほら、もうこの先は大雨が降ってるから。早く車の中に入って!」
と、土砂降りの一歩手前で、無事非難させた。
まあ、この境界線がはっきりしているので、もし、うっかり土砂降りに突入してしまっても、すぐにバックすれば、それほど濡れずに済むとは思うが・・・。
境界線の先と手前とでは別世界なのである。

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主人の兄の家にカミナリが落ちて、姪のパソコンが壊れたという話を聞いてから、カミナリが鳴ったらテレビやパソコンの電源を切ると言うのは、我が家の暗黙の了解だが、今夜は土砂降りだが、雨音だけなので、まだ余裕でキーボードを叩いている。
さて、今年も雨期に入ったので、毎日のように雨が降る。
それに伴う洪水の話は先日、ブログ『子供に学ぶタイ語』(http://lawan.namjai.cc/e34394.html=「น้ำท่วม(ナム・トゥワム=洪水)」の方で挙げたが、もう一つの雨期のタイの風景に、「雨の境界線」がある。
以前にもブログのどこかで書いたと思うが、この5月から、私は4人いる子供のうちの、下の二人が通う自宅から10キロ離れた小学校へ、朝・昼・夕と3回往復する日々を送っている。
つまり簡単に言えば、毎日60キロの道程を運転をしていることになる。
その道中で、この雨期になると毎日のように遭遇するのが、雨の境界線である。
それは、日によって違うのだが、今日はこうだった。
今日は、夕方の次男を迎えに行く前に、土砂降りが始まった。
家の前の道路が見えないくらいの土砂降りだったが、学校で待っている次男を思うと、今すぐに行かないわけにはいかない・・と意を決して我が家を出た。
そして、家の前の交差点を左折して、約300メートル。
雨が小降りになってきたな・・・と思った途端、その先からは一滴の雨粒も落ちてこない。
バックミラーに映る今来た方向の道路はびしょびしょだが、目の前の道路は乾いている・・・。
つまり、ここが雨の境界線だったのである。
それから、また5キロほど行った先で、雨粒が落ちてきたと思ったら、ザーーーッと大雨になったが、今度は100メートルも行かないうちに、また乾いた道路に変わっていた。
これも、雨の境界線だったのである。
その後は、学校まで晴れていて、学校では、子供たちが放課後の校庭でサッカーを楽しんでいた。
よく、日本の天気予報などで、
「局地的に大雨となるでしょう・・」などと言うことがあるが、タイの土砂降りは「局地的」過ぎる傾向にある。
帰り道、すぐにピックアップの荷台に乗りたがる末っ子のミックが、今日も荷台で気持ち良さそうに風に吹かれていたのだが、
先ほどの雨の境界線が目の前に近づいて来たので、車を停車し、
「ほら、もうこの先は大雨が降ってるから。早く車の中に入って!」
と、土砂降りの一歩手前で、無事非難させた。
まあ、この境界線がはっきりしているので、もし、うっかり土砂降りに突入してしまっても、すぐにバックすれば、それほど濡れずに済むとは思うが・・・。
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2010年08月05日
ロータス・ノーイ(ミニロータス)
最近、よく大人子供を問わず話題に上るのが、この「ロータス・ノーイ」(=イサーン方言、標準語では「ロータス・レック」)。
バンコクやその近郊の都市、またはチェンマイやコラートなどの大地方都市では、珍しくもないが、我が家が暮らす、ここチャイヤプムの田舎にも、この数年間にテスコ・ロータス、ビッグC、Makro(タイ式発音ではメコー)が次々と進出した。
それ以前は、ここチャイヤプムには「The Grade」という、地元密着型の百貨店もどきのスーパーがあるだけだった。
それが、オーナーの自殺だか何かで経営が怪しくなり、閑古鳥が鳴いていたところに、全国展開の大型スーパー「テスコ・ロータス」が買収したという話が持ち上がり、主人が子供時代からあったという田舎の百貨店は、大幅な改装工事というより、もともとの建物を上手く利用した形で、「テスコ・ロータス・チャイヤプム支店」が完成した。
当初、ここチャイヤプムにロータスが出来るなどという話は、住民の間では噂だけであまり本気にする者はいなかった。
しかし、本格的な工事が始まると、地元商店街のデモなども行われたらしいが、難なく完成、約3ヶ月で開店となった。
確かに、地元商店街の打撃は大きいと思われる。
中でも、一番打撃を受けているのは、地元に2軒くらいしかなかったベーカリー、平たく言えば、パン屋兼ケーキ屋だと思う。
他の物は地元の商店街でちょっと買おうか・・という気になるが、こういう大型スーパーのベーカリー部門は、種類も豊富で品数も多く、いつも人だかりが出来るほど混んでいる。
今まで、パンやケーキはその地元ベーカリーでしか買えなかったのだが、こういう大型スーパーの進出で、すっかり売れなくなり、今では数十キロ離れた市場などへ出前で販売しているという。
まさに、生き残りを掛けた戦いである。
ところで、ここチャイヤプムで土日はともかく、平日にそんなに買い物客がいるのかと思っていたが、ここ数年潰れないところをみると、それなりに売れているらしい。
我が家のように、従業員も雇わず、夫婦二人でやっていても毎月の支払いに追われていることを考えると、あんなに従業員がいるのに、よくやっているものだ・・と感心してしまう。
やはり大型チェーン店の強みか。
ところで、大型チェーン店といえば、各国で有名なコンビニ「セブン・イレブン」だが、このテスコ・ロータスでも、新たな事業展開として、コンビニ型の「ミニロータス」を全国展開しているらしい。
残念ながら、我が家が住む市にはまだ出店していないので、正式名称を知らないのだが、通称「ロータス・ノーイ」(小さいロータス)と呼ばれるこのコンビニ・ロータス、我が市を挟んだ隣の二つの市では、すでに数ヶ月前から営業を開始したらしい。
売れ行きは上々なようで、各市に次々とチェーン店が開店中だそうだ。
まあ、いかに近所の大人子供が噂しようとも、この「ロータス・ノーイ」が我が市に出来るのはまだまだ先の話のようであるが・・・。
写真を掲載したかったが、隣の市に住む姪の自慢話で聞いただけで、まだこの目で見ていないので、写真はいつかの機会に譲ることに・・・。
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それ以前は、ここチャイヤプムには「The Grade」という、地元密着型の百貨店もどきのスーパーがあるだけだった。
それが、オーナーの自殺だか何かで経営が怪しくなり、閑古鳥が鳴いていたところに、全国展開の大型スーパー「テスコ・ロータス」が買収したという話が持ち上がり、主人が子供時代からあったという田舎の百貨店は、大幅な改装工事というより、もともとの建物を上手く利用した形で、「テスコ・ロータス・チャイヤプム支店」が完成した。
当初、ここチャイヤプムにロータスが出来るなどという話は、住民の間では噂だけであまり本気にする者はいなかった。
しかし、本格的な工事が始まると、地元商店街のデモなども行われたらしいが、難なく完成、約3ヶ月で開店となった。
確かに、地元商店街の打撃は大きいと思われる。
中でも、一番打撃を受けているのは、地元に2軒くらいしかなかったベーカリー、平たく言えば、パン屋兼ケーキ屋だと思う。
他の物は地元の商店街でちょっと買おうか・・という気になるが、こういう大型スーパーのベーカリー部門は、種類も豊富で品数も多く、いつも人だかりが出来るほど混んでいる。
今まで、パンやケーキはその地元ベーカリーでしか買えなかったのだが、こういう大型スーパーの進出で、すっかり売れなくなり、今では数十キロ離れた市場などへ出前で販売しているという。
まさに、生き残りを掛けた戦いである。
ところで、ここチャイヤプムで土日はともかく、平日にそんなに買い物客がいるのかと思っていたが、ここ数年潰れないところをみると、それなりに売れているらしい。
我が家のように、従業員も雇わず、夫婦二人でやっていても毎月の支払いに追われていることを考えると、あんなに従業員がいるのに、よくやっているものだ・・と感心してしまう。
やはり大型チェーン店の強みか。
ところで、大型チェーン店といえば、各国で有名なコンビニ「セブン・イレブン」だが、このテスコ・ロータスでも、新たな事業展開として、コンビニ型の「ミニロータス」を全国展開しているらしい。
残念ながら、我が家が住む市にはまだ出店していないので、正式名称を知らないのだが、通称「ロータス・ノーイ」(小さいロータス)と呼ばれるこのコンビニ・ロータス、我が市を挟んだ隣の二つの市では、すでに数ヶ月前から営業を開始したらしい。
売れ行きは上々なようで、各市に次々とチェーン店が開店中だそうだ。
まあ、いかに近所の大人子供が噂しようとも、この「ロータス・ノーイ」が我が市に出来るのはまだまだ先の話のようであるが・・・。
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2010年07月25日
ここはイサーン
最近、このブログを通じて知り合った方が、ご好意で新聞を送り続けてくださっている。
こんな、イサーンの田舎に日本人一人きりでは、日本語も恋しかろう・・ということで、全くのご好意に甘えて、毎回送っていただいた新聞や雑誌を読むことが出来るようになった。
私も、来タイ当初は、日本人会にも入ったりしていた。
しかし、会費を払い込むときに主人に行ってもらったりしていたので、何となく気兼ねしてしまい、その中に入っているフリーペーパーなども、貴重な日本語情報誌として楽しみにしていたのだが、内容がとにもかくにもバンコク周辺に限られているので、次第に「私には関係ないし・・・」と半分ヤケになって退会することにした。
そんな、フリーペーパーもいくつか送っていただいて、そのなかに「バンコク・マダム」とかいうのがあった。
一応、私も妙齢?の女性なので、そういう内容には興味があって読んで見た。
それを読み終わった私は、ただ溜め息をついた・・・・。
バンコク・・・とはどこの国なのだろう?という感じだった。
私の知っているタイの「クルンテープ」とは、全くの別物だった。
私の知っているクルンテープは、高層ビルが立ち並びながらも、街中にはタイの普通の市場や屋台の店が軒を並べている、そんな新旧入り混じった、混沌とした都会だった。
でも、この「マダム」の住むバンコクは、タイのクルンテープに間借りしているような、まるで、長崎の「出島」を思わせるような特殊な地域のような気がした。
よく、世界中にある中華街とか、インド人街とはまた違う、バンコクに赴任して来た日本人のために日本の生活を輸入しているような、その現地から完全に浮いている、日本生活の孤島とでも言うべきか。
日本人の快適な「バンコクライフ」(「タイ生活」ではない)のために、日本食品はもちろん、住居のインテリア、日本式の遊具、果てはカラオケまで輸入している。
私は、初め自分だけが取り残されたような気分になった。
同じタイにいて、こんなに違う生活をしている日本人たち・・・・。
何となく自分の生活が惨めに思える・・・そんな気がした。
しかし、読み終わって家の外に一歩出たとき、そんな気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。
家の外には、今の季節の心地よい少し強めの風が吹いていた。
家の横には、放し飼いの鶏と新しく来たガチョウがエサを探してテクテク歩き回っている。
ここに来てから、家の前の道路を挟んだ木々の緑を毎日眺めているせいか、近視が改善されたらしく、運転中に掛けるメガネの度が強く感じるようになった。
のどかでいいな・・・。
そう思わずにはいられない。
次男と「田舎が一番だよね。ずっとここで暮らしたいね。」とよく話すことがある。
いろいろな不便はあるけれど、住んでしまえば、ここも都である。
このまま、ここイサーンで埋没するのも悪くはないかな・・・と改めて思った。

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しかし、会費を払い込むときに主人に行ってもらったりしていたので、何となく気兼ねしてしまい、その中に入っているフリーペーパーなども、貴重な日本語情報誌として楽しみにしていたのだが、内容がとにもかくにもバンコク周辺に限られているので、次第に「私には関係ないし・・・」と半分ヤケになって退会することにした。
そんな、フリーペーパーもいくつか送っていただいて、そのなかに「バンコク・マダム」とかいうのがあった。
一応、私も妙齢?の女性なので、そういう内容には興味があって読んで見た。
それを読み終わった私は、ただ溜め息をついた・・・・。
バンコク・・・とはどこの国なのだろう?という感じだった。
私の知っているタイの「クルンテープ」とは、全くの別物だった。
私の知っているクルンテープは、高層ビルが立ち並びながらも、街中にはタイの普通の市場や屋台の店が軒を並べている、そんな新旧入り混じった、混沌とした都会だった。
でも、この「マダム」の住むバンコクは、タイのクルンテープに間借りしているような、まるで、長崎の「出島」を思わせるような特殊な地域のような気がした。
よく、世界中にある中華街とか、インド人街とはまた違う、バンコクに赴任して来た日本人のために日本の生活を輸入しているような、その現地から完全に浮いている、日本生活の孤島とでも言うべきか。
日本人の快適な「バンコクライフ」(「タイ生活」ではない)のために、日本食品はもちろん、住居のインテリア、日本式の遊具、果てはカラオケまで輸入している。
私は、初め自分だけが取り残されたような気分になった。
同じタイにいて、こんなに違う生活をしている日本人たち・・・・。
何となく自分の生活が惨めに思える・・・そんな気がした。
しかし、読み終わって家の外に一歩出たとき、そんな気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。
家の外には、今の季節の心地よい少し強めの風が吹いていた。
家の横には、放し飼いの鶏と新しく来たガチョウがエサを探してテクテク歩き回っている。
ここに来てから、家の前の道路を挟んだ木々の緑を毎日眺めているせいか、近視が改善されたらしく、運転中に掛けるメガネの度が強く感じるようになった。
のどかでいいな・・・。
そう思わずにはいられない。
次男と「田舎が一番だよね。ずっとここで暮らしたいね。」とよく話すことがある。
いろいろな不便はあるけれど、住んでしまえば、ここも都である。
このまま、ここイサーンで埋没するのも悪くはないかな・・・と改めて思った。
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2010年07月19日
今年のビザ更新
タイに定住を始めて、今年で8年目、今年も毎年の事ながら避けては通れない「ビザ更新」の時期がやってきた。
タイの主人を持つ私のビザは通称「O-ビザ」、正式には「NON-IMMIGRANT VIZA」というカテゴリーになる。
パスポートには、タイ語で「สามีไทย」という申し訳なさそうな小さなスタンプが押されているが、タイ人妻を持つ外国人男性のパスポートには「ภรรยาไทย」と押されているのだろうか、まさか見ず知らずの他人のパスポートを覗くわけにもいかないので、私はまだ目にしたことはないのだが・・・・・。
数年前まで、ここイサーンの田舎、チャイヤプムに住む私のビザも、バンコクのスワンプルーの入管での更新であった。
あまり記憶も定かではないが、その頃は、まだ、ビザの更新などが出来る入管の支部は全国で数箇所もなくて、中央部、南部、北部出張所程度だったような気がする。
当時は、夫婦揃って行かなければならないビザの更新に、バンコクでの渋滞を避けるため夜中の3時から出掛けるのだが、両親が出掛けては他に誰も面倒を見る人がいないため、結局子供たちも学校を休んで全員同行することになり、ビザの更新は毎年恒例の「家族揃ってバンコク小旅行」となっていたものだ。
その後、つい5年前くらいにコラートに住む人からの情報で、コラートに入管の支部が出来て、そこで更新できるということを知った。
半信半疑ながら、インタースクールの中に間借りしていた支部に行ったところ、その噂は本当で、その年はその「間借り入管」で
更新した。
ところが、そこで「90日の居住地届」を二回ほどしたところ、今度はまたネットの情報で、「コラートの入管が移転した」ということを知った。
コラートの親戚に教えてもらって、コラート郊外にある「TOTビル」の一階にまたまた間借りで移転したということで、そこには2年ビザの更新に行き、ちょうど日本に帰国する用事が出来たので、リエントリーの取得に3回と短い間ではあったが、何回も顔を出すことになった。
3回目のリエントリーを取りに行ったとき、入管のお兄さんから、
「さ来月の今年のビザの更新は、ここじゃなくて、ルーイの『ター・リー出張所』になったからね。ここに来ても更新は出来ないよ。」
とあっけなく言われてしまい、その年は何と、北部のルーイ県、しかも中央の『チェン・カーン』ではなく、外れにある『ター・リー出張所』に飛ばされてしまった・・・。
距離的にも、地域的にも、チャイヤプムはコラートが管轄するのが妥当だと思うのだが、何故か北部のルーイ。
一歩譲っても、せいぜいコンケーンだと思うのに、コンケーンを通り越してのルーイ。
入管の所轄を決める上層部は、タイの地図が読めないのだろうか・・・?
そう思わざるを得ないような所轄選定だった。
距離的にはバンコクに行くのとそう変わらないルーイの外れの入管。
これから、毎年ここまで来るのか・・・と目の前が真っ暗になったのだが、入管の係員のメンバーは今までのどこよりもフレンドリーで、厳しいイメージだった入管からするとかなり気が楽になったのだった。
しかし、その『ター・リー』に移転して数ヶ月で、また所轄の変更が決まり、今度はチャイヤプムはコンケーンの所轄となった。
コンケーン・・・・確かにルーイまで飛ばされることを思えば、妥当な決定ではある。
コンケーンとチャイヤプムは隣接しているし、距離的にもコラートへ行くのと変わらない。
でも、私的には、「だったらコラートの方がいいのに・・・。」という思いがあった。
コラートにはトラクター部品の仕入先である店がある。義母の通院で行く機会も多い。
何かと身近に感じるのがコラートなのである。
それに対して、コンケーンは、主人は毎月通院のため行っているが、私には縁も所縁もない街なのであった。
「コンケーンに仕入先でもあればいいのに・・・。」
商売根性の張っている私は、ついそんなことを考えてしまった。
わざわざ店を閉めて夫婦揃って行くのが時間の無駄のように思えてしまう。
私だけ、または主人だけで更新させてくれてもいいのに・・・。
一年中、店を開けて商売していたい私には、かなりの損失感があった。
まあ、それも行ってしまえば、どうにでもなれ・・・で、朝4時起きで5時には家を出て、7時過ぎにはコンケーンの入管に着いた私たちは、警察学校と言う場所柄、何も朝食らしいものが売っていなかったので、菓子類の売店にあったカップラーメンで朝食にして、一番乗りに控えた。
コンケーンの入管はのどかなもので、建物の外に整理番号の札があったものの、それを取っておいても関係なく、8時半ごろに開けられた事務所に入っていった順からの手続きとなった。
私の担当者は、見た目は厳しそうで、子供の相手をするようには見えなかったが、見かけに寄らず気さくで、ミックの相手(というか、ミックも喋り方が対等だったが・・)をしてくれて、寝ぼけ眼のミックに、
係官 「朝ごはんは食べたか?」
ミック 「ん、まだ!」
係官 「じゃ、カオニャオ(蒸したもち米)とムウピン(豚の串焼き)食べるか?」
ミック 「うん!食べる!」
という具合に、朝ごはんまで頂いてしまい、すっかり意気投合。
手続きの方も、書類のコピーが足りなかったのは勝手にコピーを取ってくれて、コラートのように、「はい、ここのコピーとって来て!」と自分で取りに行かされることもなかった。
それから、「家族揃っての写真」も電話で4~5枚と言われたので、前日に一枚取った写真を4枚コピーしてもって行ったのだが、本来はその4~5枚が「それぞれ違う写真」を意味しているらしく、全く同じ写真を持っていった私は、書類不備でダメ出しが出るかと思ったが、この係官はうるさくなくて、「ま、いいか。」と言いながら、同じ写真を4枚台紙に貼ってくれた。
しかも、ここ数年使っている6年前くらいの証明写真にも何も言われずに済んだ。
隣に座っていた、タイ人妻とファラン(西洋人)男性のカップルは、ダンナの所持金の事で、「預金が80万バーツ以上あるという証明を出さないとビザは出ませんよ。それが無理なら、ラーオ(ラオス)側に出国して、ビザの延長をするしかないわね。」
と、親切なアドバイスを受けていた。
基本的にタイで「外国人男性の妻」と言うのは、「玉の輿」のように思われているが、やはり皆が皆そう金持ちとも限らず、遊びでタイに来た外国人で、所持金も遊ぶ金程度の人も多い。
そういう当て外れのファランをタイ人は「ファラン・キーノック」(鳥の糞の西洋人)とか、「ファラン・キーガイ」(鶏の糞の西洋人)などと呼んで馬鹿にしている。
私もよく、「私は『ジープン・キーガイ』だもんね。」と主人に嫌味を言ったりするのだが・・・。
そんなこんなで、今回のビザ更新も無事に終わり、後は来月受け取りに行くだけとなった。
そういえば、今回のビザ更新の前にあった「90日の居住届」の出し忘れて2千バーツの罰金を覚悟していたのだが、コンケーンの入管の係員はとても融通が利いて、何と罰金を半額にしてくれた。
というのも、事務所の中でお偉いさんが出て行った隙を見て、
「千バーツに負けておくから・・。」
と小声で主人に耳打ちしたらしく、領収書無しの罰金を懐に納めたようだ。
主人の話では、このお金は多分、後で事務所のみんなで使うのだろうということだった。
領収書はないが、無事に次回の90日届の更新日も決まったことで、私にとっても問題ない。
その千バーツは、係員たちの労をねぎらうためにおいしいものでも食べるのだろうし、これもいいのでは?・・・と思ってしまう。
日本的に考えたら、これは法律違反なのかも知れないが、タイではどこでもやっていることで、まず問題にする人もいないだろう。
私も、日本から来た当初は、こういう役所などでの「袖の下」行為が納得行かなくて、イライラしたものだが、すっかりタイ人感覚になりつつある今では、これは「役所手続きの潤滑油」なのだと思ったりもする。
この朝コンケーンに行く途中で、取締りをしていた警察にも、窓を開けて「免許書見せて。」と言われる側から、
「(警察に)ピー、これで頼みますよ。」
と、財布の中から、20バーツがなかったので100バーツを出して、渡した途端に、警察の声が変わって、
「え~。もう行っちゃうのかい? だったら、どうぞ。」
主人曰く、「急いでいるのに、あらぬことに難癖付けられて時間を潰すより、この方が時間の無駄がなくていい。」そうである。
タイで生きていくにはタイのやり方に慣れたほうが住みやすいということかも知れない・・・。
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タイの主人を持つ私のビザは通称「O-ビザ」、正式には「NON-IMMIGRANT VIZA」というカテゴリーになる。
パスポートには、タイ語で「สามีไทย」という申し訳なさそうな小さなスタンプが押されているが、タイ人妻を持つ外国人男性のパスポートには「ภรรยาไทย」と押されているのだろうか、まさか見ず知らずの他人のパスポートを覗くわけにもいかないので、私はまだ目にしたことはないのだが・・・・・。
数年前まで、ここイサーンの田舎、チャイヤプムに住む私のビザも、バンコクのスワンプルーの入管での更新であった。
あまり記憶も定かではないが、その頃は、まだ、ビザの更新などが出来る入管の支部は全国で数箇所もなくて、中央部、南部、北部出張所程度だったような気がする。
当時は、夫婦揃って行かなければならないビザの更新に、バンコクでの渋滞を避けるため夜中の3時から出掛けるのだが、両親が出掛けては他に誰も面倒を見る人がいないため、結局子供たちも学校を休んで全員同行することになり、ビザの更新は毎年恒例の「家族揃ってバンコク小旅行」となっていたものだ。
その後、つい5年前くらいにコラートに住む人からの情報で、コラートに入管の支部が出来て、そこで更新できるということを知った。
半信半疑ながら、インタースクールの中に間借りしていた支部に行ったところ、その噂は本当で、その年はその「間借り入管」で
更新した。
ところが、そこで「90日の居住地届」を二回ほどしたところ、今度はまたネットの情報で、「コラートの入管が移転した」ということを知った。
コラートの親戚に教えてもらって、コラート郊外にある「TOTビル」の一階にまたまた間借りで移転したということで、そこには2年ビザの更新に行き、ちょうど日本に帰国する用事が出来たので、リエントリーの取得に3回と短い間ではあったが、何回も顔を出すことになった。
3回目のリエントリーを取りに行ったとき、入管のお兄さんから、
「さ来月の今年のビザの更新は、ここじゃなくて、ルーイの『ター・リー出張所』になったからね。ここに来ても更新は出来ないよ。」
とあっけなく言われてしまい、その年は何と、北部のルーイ県、しかも中央の『チェン・カーン』ではなく、外れにある『ター・リー出張所』に飛ばされてしまった・・・。
距離的にも、地域的にも、チャイヤプムはコラートが管轄するのが妥当だと思うのだが、何故か北部のルーイ。
一歩譲っても、せいぜいコンケーンだと思うのに、コンケーンを通り越してのルーイ。
入管の所轄を決める上層部は、タイの地図が読めないのだろうか・・・?
そう思わざるを得ないような所轄選定だった。
距離的にはバンコクに行くのとそう変わらないルーイの外れの入管。
これから、毎年ここまで来るのか・・・と目の前が真っ暗になったのだが、入管の係員のメンバーは今までのどこよりもフレンドリーで、厳しいイメージだった入管からするとかなり気が楽になったのだった。
しかし、その『ター・リー』に移転して数ヶ月で、また所轄の変更が決まり、今度はチャイヤプムはコンケーンの所轄となった。
コンケーン・・・・確かにルーイまで飛ばされることを思えば、妥当な決定ではある。
コンケーンとチャイヤプムは隣接しているし、距離的にもコラートへ行くのと変わらない。
でも、私的には、「だったらコラートの方がいいのに・・・。」という思いがあった。
コラートにはトラクター部品の仕入先である店がある。義母の通院で行く機会も多い。
何かと身近に感じるのがコラートなのである。
それに対して、コンケーンは、主人は毎月通院のため行っているが、私には縁も所縁もない街なのであった。
「コンケーンに仕入先でもあればいいのに・・・。」
商売根性の張っている私は、ついそんなことを考えてしまった。
わざわざ店を閉めて夫婦揃って行くのが時間の無駄のように思えてしまう。
私だけ、または主人だけで更新させてくれてもいいのに・・・。
一年中、店を開けて商売していたい私には、かなりの損失感があった。
まあ、それも行ってしまえば、どうにでもなれ・・・で、朝4時起きで5時には家を出て、7時過ぎにはコンケーンの入管に着いた私たちは、警察学校と言う場所柄、何も朝食らしいものが売っていなかったので、菓子類の売店にあったカップラーメンで朝食にして、一番乗りに控えた。
コンケーンの入管はのどかなもので、建物の外に整理番号の札があったものの、それを取っておいても関係なく、8時半ごろに開けられた事務所に入っていった順からの手続きとなった。
私の担当者は、見た目は厳しそうで、子供の相手をするようには見えなかったが、見かけに寄らず気さくで、ミックの相手(というか、ミックも喋り方が対等だったが・・)をしてくれて、寝ぼけ眼のミックに、
係官 「朝ごはんは食べたか?」
ミック 「ん、まだ!」
係官 「じゃ、カオニャオ(蒸したもち米)とムウピン(豚の串焼き)食べるか?」
ミック 「うん!食べる!」
という具合に、朝ごはんまで頂いてしまい、すっかり意気投合。
手続きの方も、書類のコピーが足りなかったのは勝手にコピーを取ってくれて、コラートのように、「はい、ここのコピーとって来て!」と自分で取りに行かされることもなかった。
それから、「家族揃っての写真」も電話で4~5枚と言われたので、前日に一枚取った写真を4枚コピーしてもって行ったのだが、本来はその4~5枚が「それぞれ違う写真」を意味しているらしく、全く同じ写真を持っていった私は、書類不備でダメ出しが出るかと思ったが、この係官はうるさくなくて、「ま、いいか。」と言いながら、同じ写真を4枚台紙に貼ってくれた。
しかも、ここ数年使っている6年前くらいの証明写真にも何も言われずに済んだ。
隣に座っていた、タイ人妻とファラン(西洋人)男性のカップルは、ダンナの所持金の事で、「預金が80万バーツ以上あるという証明を出さないとビザは出ませんよ。それが無理なら、ラーオ(ラオス)側に出国して、ビザの延長をするしかないわね。」
と、親切なアドバイスを受けていた。
基本的にタイで「外国人男性の妻」と言うのは、「玉の輿」のように思われているが、やはり皆が皆そう金持ちとも限らず、遊びでタイに来た外国人で、所持金も遊ぶ金程度の人も多い。
そういう当て外れのファランをタイ人は「ファラン・キーノック」(鳥の糞の西洋人)とか、「ファラン・キーガイ」(鶏の糞の西洋人)などと呼んで馬鹿にしている。
私もよく、「私は『ジープン・キーガイ』だもんね。」と主人に嫌味を言ったりするのだが・・・。
そんなこんなで、今回のビザ更新も無事に終わり、後は来月受け取りに行くだけとなった。
そういえば、今回のビザ更新の前にあった「90日の居住届」の出し忘れて2千バーツの罰金を覚悟していたのだが、コンケーンの入管の係員はとても融通が利いて、何と罰金を半額にしてくれた。
というのも、事務所の中でお偉いさんが出て行った隙を見て、
「千バーツに負けておくから・・。」
と小声で主人に耳打ちしたらしく、領収書無しの罰金を懐に納めたようだ。
主人の話では、このお金は多分、後で事務所のみんなで使うのだろうということだった。
領収書はないが、無事に次回の90日届の更新日も決まったことで、私にとっても問題ない。
その千バーツは、係員たちの労をねぎらうためにおいしいものでも食べるのだろうし、これもいいのでは?・・・と思ってしまう。
日本的に考えたら、これは法律違反なのかも知れないが、タイではどこでもやっていることで、まず問題にする人もいないだろう。
私も、日本から来た当初は、こういう役所などでの「袖の下」行為が納得行かなくて、イライラしたものだが、すっかりタイ人感覚になりつつある今では、これは「役所手続きの潤滑油」なのだと思ったりもする。
この朝コンケーンに行く途中で、取締りをしていた警察にも、窓を開けて「免許書見せて。」と言われる側から、
「(警察に)ピー、これで頼みますよ。」
と、財布の中から、20バーツがなかったので100バーツを出して、渡した途端に、警察の声が変わって、
「え~。もう行っちゃうのかい? だったら、どうぞ。」
主人曰く、「急いでいるのに、あらぬことに難癖付けられて時間を潰すより、この方が時間の無駄がなくていい。」そうである。
タイで生きていくにはタイのやり方に慣れたほうが住みやすいということかも知れない・・・。
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2010年07月09日
蝶と格闘する日々
今年、末っ子のミックが幼稚園に入園してから、子供の送迎は完全に私の仕事となった。
去年までは、上の二人が県中心部にある中高等校(タイでは中学を「マタヨム・トン」略して「モー・トン」と呼び、高校を「マタヨム・プラーイ」略して「モー・プラーイ」と呼ぶが、基本的に一つの学校になっている。)に通い始め、地元の小学校に残ったのは次男だけだったため、主に主人がオートバイで送り迎えしていた。
しかし、今年、末っ子のミックが小学校に付属した幼稚園に通い始めてからは、面倒な幼稚園の部屋までの送り迎えが嫌らしい主人は、すっかりその役目を私に譲った。
もともと、家の前方5メートル以上は出歩かず、滅多に家を出ない私には、朝夕の送り迎えの片道10キロのドライブは、単調な生活に少しばかりの新鮮さをもたらした・・・。
だいぶ前にも書いたことがあるが、田舎の道はいろいろな「もの」が飛び出して来る。
犬猫、鶏はもちろんのこと、ヘビ、カエル、カニ、イタチ、九官鳥、シマリス、私の愛しのキンガー(カメレオン)まで、生活の通り道、餌場と化している「道路」を我が庭のごとく飛び出して来る。
大体、田舎道なので、信号もなく、平均時速にして90キロくらいで走行するのだが、その間、常に神経を前方に集中していなければならないので(当たり前?)、かなり疲れる。
まず、見えたらブレーキを踏んで速度を落として気をつけるのは、犬、猫。
これらは、車のバンパーが凹むので、極力気をつけるようにしている。もちろん、轢いたら可哀想だとか、後味が悪い・・という理由もある。
しかし、時には、車を見ると吠えて飛び掛ってくるたちの悪い犬もいて、主人はいつも、
「もし、バンパーに補強材がついていれば、ハンドル切ってぶつけてやるのに!」と悪態をついている。
鶏は何故か、道路を渡り終えるところだったとしても、車が来るとわざわざ回れ右をして、車の前に飛び込むようにして突っ込んでくる。
これは、どの鶏も皆同じなので、鶏の習性と言ったところらしい。
いつも、速度を落とすものの、車体の下に消えていった鶏が無事だったかを確認するまで、ドキドキものである。
まあ、運悪く、轢いてしまっていたら、「サッペーサッター」を唱えて、今晩のおかずにでもしようかと、毎回思うのだが、そう簡単に轢かれるものでもないらしく、私の心臓に悪いだけのことがほとんどである。
基本的に何も轢きたくないのは当たり前なのだが、そうも言っていられないのが、空中からいきなり飛来する虫たちである。
目があまりよくないので、夜中に運転はしないので夜光虫の群れとは縁がないのだが、このところ、季節なのか、黄色い蝶が群れを成して飛び交っている。
遠目で見る分には、情緒があっていいが、私の送迎中の車のフロントガラスに飛び込み自殺をしてくれるのは、迷惑である。
「あ、蝶・・・!」
ブチャ!・・・・・・・。
フロントガラスは汚れるし、ただでさえ短い命をさらに短くしてしまったようで、後味が悪い。
今度生まれるときは、もっと長生きしてね・・とも思ったが、蝶として生まれるのも悪くないのかも知れないと思ったりもした。
よく、タイでは、苦しまずに眠るように死んだ人は、「前世でのブン(徳)が多かった人」だと言われる。
病気で長い間苦しんだりする人は、「前世でのブンが少なかった人」なのだそうだ。
とすると、あの一瞬で逝った蝶は、「ブンが多かった」のだろうか?・・・そんなことを考えながら運転していた。
できれば、轢きたくない動物たち。
でも、下手に急ブレーキを掛けたり、ハンドルを切ってこちらが事故になったのでは、元も子もない。
そう言い訳をしながら、今日も何匹もの犠牲を出しながら送迎をしている。

繁殖期の蝶たち

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去年までは、上の二人が県中心部にある中高等校(タイでは中学を「マタヨム・トン」略して「モー・トン」と呼び、高校を「マタヨム・プラーイ」略して「モー・プラーイ」と呼ぶが、基本的に一つの学校になっている。)に通い始め、地元の小学校に残ったのは次男だけだったため、主に主人がオートバイで送り迎えしていた。
しかし、今年、末っ子のミックが小学校に付属した幼稚園に通い始めてからは、面倒な幼稚園の部屋までの送り迎えが嫌らしい主人は、すっかりその役目を私に譲った。
もともと、家の前方5メートル以上は出歩かず、滅多に家を出ない私には、朝夕の送り迎えの片道10キロのドライブは、単調な生活に少しばかりの新鮮さをもたらした・・・。
だいぶ前にも書いたことがあるが、田舎の道はいろいろな「もの」が飛び出して来る。
犬猫、鶏はもちろんのこと、ヘビ、カエル、カニ、イタチ、九官鳥、シマリス、私の愛しのキンガー(カメレオン)まで、生活の通り道、餌場と化している「道路」を我が庭のごとく飛び出して来る。
大体、田舎道なので、信号もなく、平均時速にして90キロくらいで走行するのだが、その間、常に神経を前方に集中していなければならないので(当たり前?)、かなり疲れる。
まず、見えたらブレーキを踏んで速度を落として気をつけるのは、犬、猫。
これらは、車のバンパーが凹むので、極力気をつけるようにしている。もちろん、轢いたら可哀想だとか、後味が悪い・・という理由もある。
しかし、時には、車を見ると吠えて飛び掛ってくるたちの悪い犬もいて、主人はいつも、
「もし、バンパーに補強材がついていれば、ハンドル切ってぶつけてやるのに!」と悪態をついている。
鶏は何故か、道路を渡り終えるところだったとしても、車が来るとわざわざ回れ右をして、車の前に飛び込むようにして突っ込んでくる。
これは、どの鶏も皆同じなので、鶏の習性と言ったところらしい。
いつも、速度を落とすものの、車体の下に消えていった鶏が無事だったかを確認するまで、ドキドキものである。
まあ、運悪く、轢いてしまっていたら、「サッペーサッター」を唱えて、今晩のおかずにでもしようかと、毎回思うのだが、そう簡単に轢かれるものでもないらしく、私の心臓に悪いだけのことがほとんどである。
基本的に何も轢きたくないのは当たり前なのだが、そうも言っていられないのが、空中からいきなり飛来する虫たちである。
目があまりよくないので、夜中に運転はしないので夜光虫の群れとは縁がないのだが、このところ、季節なのか、黄色い蝶が群れを成して飛び交っている。
遠目で見る分には、情緒があっていいが、私の送迎中の車のフロントガラスに飛び込み自殺をしてくれるのは、迷惑である。
「あ、蝶・・・!」
ブチャ!・・・・・・・。
フロントガラスは汚れるし、ただでさえ短い命をさらに短くしてしまったようで、後味が悪い。
今度生まれるときは、もっと長生きしてね・・とも思ったが、蝶として生まれるのも悪くないのかも知れないと思ったりもした。
よく、タイでは、苦しまずに眠るように死んだ人は、「前世でのブン(徳)が多かった人」だと言われる。
病気で長い間苦しんだりする人は、「前世でのブンが少なかった人」なのだそうだ。
とすると、あの一瞬で逝った蝶は、「ブンが多かった」のだろうか?・・・そんなことを考えながら運転していた。
できれば、轢きたくない動物たち。
でも、下手に急ブレーキを掛けたり、ハンドルを切ってこちらが事故になったのでは、元も子もない。
そう言い訳をしながら、今日も何匹もの犠牲を出しながら送迎をしている。
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2010年06月26日
混迷する日本語とタイ語
昨日、一週間以上ぶりで、日本の実家の母に電話をしてみた。
いつも挨拶代わりに、こちらの様子を聞き、昨年から「血小板減少性紫斑症」という病気だと思われる(症状からネットで調べて推測しただけだが・・)主人の体調を心配する母に、主人の病気は投薬を続けているから心配ない・・という話をした。
そのついでに、主人の通院の話から、昨日月例で行って来た、義母を連れてコラートの病院に行った話になり、何故義母がその病院に行き始めたか・・という話になった。
母にも話したのだが、義母はその病院に、膝の関節の痛みでも通っており、昨日はその整形外科の方の通院だったが、もともと義母がそのコラートの軍人基地病院に通い始めたのは、3年前に突然家の中で倒れたからであった。
その病名は先ほどネットで調べたのだが、「動脈硬化による脳血栓(の手前)」とでも言うのだろうか。
要は、脳内血管が圧迫(圧縮?)されて、血液が流れにくくなるというものだが、これを母に説明しているときに、
「実はね、3年前くらいなんだけど、お義母さんが家で倒れて病院に運ばれて検査したら・・・・」
頭の中でタイ語でしか出てこない症状を、順序を入れ替え日本語に訳しながら説明していく・・・。
「(ナイ・サモーン・・・)脳の中の(セン・ルアット)血管が、(ビープ)圧迫されてウッタンしちゃったんだって、それから退院後も月一くらいで通院してるの。」
ウッタン・・・「鬱たん」の「たん」どういう漢字だっけ・・・?
やっぱり、全然日本語書かないし、忘れるよな・・・・・。
と思いながら、電話の向こうの母の声がいまひとつピンと来ないような気がした。
私は、しばらく考え込んだ・・・・。
「????・・・・」
私は私の中のタイ語を訳しながらの会話の中では、「ウッタン」は日本語だと思って疑わなかったのだが、どうも「鬱たん」と書いて、「詰まる」という意味になるのか?という疑問が生じてきた。
「อุดตัน」
そうだ!ウッタンは日本語じゃないような気が・・・、タイ語じゃないか?
気を取り直して、よく考えてみると、確かにそれは日本語ではないことに気がついた。
道理で母の声があまり反応しないはずである。
普段家の中では、客とはタイ語オンリー、家族とはタイ語か、日本語とタイ語チャンポンで話が通じる。
そういう生活の中で、日本語100%で話す機会がないため、この8年間ですっかり日本語が不自由な日本人となってしまったようだ。
昨年、日本に一時帰国したときも、近所のいちご農家でいちごを買おうとして、
「アオ・・・」(・・・ください)と、つい口をついて出てしまったので、子供たちに大笑いされた。
もちろん、子供たちも自分たちは日本語を話さないのに・・・である。
だから、用事で在タイの日本の公館や会社などに電話する事があると、必要以上に緊張してしまう。
つい、訳の分からないことを言ってしまいそうだからである。
自分では、老化の一歩だと言い訳しているが、単に使わないものは忘れる・・というだけかも知れない。
先日、いつものように、部品代の支払い用のチェック(小切手)にサインをしたときに、その集金のセールスマンに、
「いや~、やっぱり、日本語を書くのは慣れてますね~。指の動きが違う!」
とタイ人の口の上手さから、うわべだけのお世辞を言われたが、私は内心、
「見て上手いか下手かが分かるのか? でも、このサインでよくチェックが通るよな。滅多に日本語なんて書かないから、もうパスポートや通帳の丁寧なサインとは全くの別物になっているのに・・・。」
正直言って、パスポートのサインは丁寧に書いたし、そのサインを真似て書く、銀行の口座開設時のサインもまあまあ楷書で書けている。
しかし、最近のチェックにしか書かないサインは、どう見ても、面倒くさそうな字で、漢字を書こうとする段階から、すでに手の平の筋肉が疲れているようだ。
パスポートのサインをアルファベットで書く人もいるが、私は19歳で初めてパスポートを作ったときから、「日本人は日本語で。サインは漢字に決まっている!」という妙なこだわりがあり、漢字のサインをつづけてきた。
これが今は、書くのさえ面倒になっていて、漢字にしたのをちょっと後悔したりしている。
もっと簡単に、名前だけ(出来るのか?)とかにすればよかった・・・・。
だんだん日本人としての自覚まで薄れていきそうで、怖い気がする今日この頃である・・・・。

この偽日本語のように、だいぶ怪しくなっている私の日本語能力・・・。
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そのついでに、主人の通院の話から、昨日月例で行って来た、義母を連れてコラートの病院に行った話になり、何故義母がその病院に行き始めたか・・という話になった。
母にも話したのだが、義母はその病院に、膝の関節の痛みでも通っており、昨日はその整形外科の方の通院だったが、もともと義母がそのコラートの軍人基地病院に通い始めたのは、3年前に突然家の中で倒れたからであった。
その病名は先ほどネットで調べたのだが、「動脈硬化による脳血栓(の手前)」とでも言うのだろうか。
要は、脳内血管が圧迫(圧縮?)されて、血液が流れにくくなるというものだが、これを母に説明しているときに、
「実はね、3年前くらいなんだけど、お義母さんが家で倒れて病院に運ばれて検査したら・・・・」
頭の中でタイ語でしか出てこない症状を、順序を入れ替え日本語に訳しながら説明していく・・・。
「(ナイ・サモーン・・・)脳の中の(セン・ルアット)血管が、(ビープ)圧迫されてウッタンしちゃったんだって、それから退院後も月一くらいで通院してるの。」
ウッタン・・・「鬱たん」の「たん」どういう漢字だっけ・・・?
やっぱり、全然日本語書かないし、忘れるよな・・・・・。
と思いながら、電話の向こうの母の声がいまひとつピンと来ないような気がした。
私は、しばらく考え込んだ・・・・。
「????・・・・」
私は私の中のタイ語を訳しながらの会話の中では、「ウッタン」は日本語だと思って疑わなかったのだが、どうも「鬱たん」と書いて、「詰まる」という意味になるのか?という疑問が生じてきた。
「อุดตัน」
そうだ!ウッタンは日本語じゃないような気が・・・、タイ語じゃないか?
気を取り直して、よく考えてみると、確かにそれは日本語ではないことに気がついた。
道理で母の声があまり反応しないはずである。
普段家の中では、客とはタイ語オンリー、家族とはタイ語か、日本語とタイ語チャンポンで話が通じる。
そういう生活の中で、日本語100%で話す機会がないため、この8年間ですっかり日本語が不自由な日本人となってしまったようだ。
昨年、日本に一時帰国したときも、近所のいちご農家でいちごを買おうとして、
「アオ・・・」(・・・ください)と、つい口をついて出てしまったので、子供たちに大笑いされた。
もちろん、子供たちも自分たちは日本語を話さないのに・・・である。
だから、用事で在タイの日本の公館や会社などに電話する事があると、必要以上に緊張してしまう。
つい、訳の分からないことを言ってしまいそうだからである。
自分では、老化の一歩だと言い訳しているが、単に使わないものは忘れる・・というだけかも知れない。
先日、いつものように、部品代の支払い用のチェック(小切手)にサインをしたときに、その集金のセールスマンに、
「いや~、やっぱり、日本語を書くのは慣れてますね~。指の動きが違う!」
とタイ人の口の上手さから、うわべだけのお世辞を言われたが、私は内心、
「見て上手いか下手かが分かるのか? でも、このサインでよくチェックが通るよな。滅多に日本語なんて書かないから、もうパスポートや通帳の丁寧なサインとは全くの別物になっているのに・・・。」
正直言って、パスポートのサインは丁寧に書いたし、そのサインを真似て書く、銀行の口座開設時のサインもまあまあ楷書で書けている。
しかし、最近のチェックにしか書かないサインは、どう見ても、面倒くさそうな字で、漢字を書こうとする段階から、すでに手の平の筋肉が疲れているようだ。
パスポートのサインをアルファベットで書く人もいるが、私は19歳で初めてパスポートを作ったときから、「日本人は日本語で。サインは漢字に決まっている!」という妙なこだわりがあり、漢字のサインをつづけてきた。
これが今は、書くのさえ面倒になっていて、漢字にしたのをちょっと後悔したりしている。
もっと簡単に、名前だけ(出来るのか?)とかにすればよかった・・・・。
だんだん日本人としての自覚まで薄れていきそうで、怖い気がする今日この頃である・・・・。
この偽日本語のように、だいぶ怪しくなっている私の日本語能力・・・。
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2010年06月14日
幼稚園に見た「タイ社会の縮図」~その3
さて、ミックの幼稚園入園から、半月が流れた・・・。
その間、約二週間はミックの付き添いで、半日入園を繰り返していた私。
そのわずかな期間でのタイの幼稚園生活の実態を見て、これはまさに、「子供社会は大人社会の縮図」だということを、実感したのだった。
様々な子供たちのやり取りや喧嘩から、タイでよくある痴話喧嘩・・・単なる意見の相違からの夫婦喧嘩から、片方または双方の浮気がばれての刃物を振り回す喧嘩まで、これが下地になっているのだな・・と思ったのである。
単なる普通の村の若者同士の勢力争い(まるでヤクザか暴走族?)から、単なる口喧嘩からすぐに殺傷事件までに発展してしまう気の荒さ・・など、子供たちを見ていたら、「このまま大きくなったら、ああいう大人(その辺の村人)になるのだろうな・・。」と妙に感心してしまった。
そして、毎日、毎日の出来事で忘れられないのが、「ミックのお菓子」を狙うコバンザメのような子供たちのことである。
それは、別にミックに限った話ではないのだが、この辺の幼稚園には、決まった時間におやつが出てくるということはない。
まず、朝ごはんは家で食べるか、もし家の経済状況が悪い家庭は、この学校では朝ごはんもタダで食べさせてくれるというシステムがある。
だが、幼稚園くらいの子供たちは、一度にたくさんの食事を取って、昼まで待つというほど胃が出来上がっていないので、9時を過ぎる頃には、小腹が空いてくる。
そうすると、あらかじめ登園前に、保護者が買って持たせておいたスナック菓子や飴などを、カバンから取り出し、個人個人勝手にむさぼり始める。
それが、一斉に・・というわけではないので、誰かが開けて食べていると、他の子供が寄ってくる。
ミックも同じ経験をした。
ミックがお菓子を取り出した途端、今まで教室の反対側にいたある子供が、さっとミックの横に擦り寄ってきている・・・!
そして、ミックが開けて食べ始めた途端、サッとミックのスナック菓子の袋に手を突っ込んで鷲掴みにして、頬張っていた。
その素早さは、まさに「一瞬の技」だった。

好き勝手にお菓子を食べ始める子供たち
そして、今度は昼休みの給食時間。
配られた給食を食べ終わっても、お腹一杯にならない子供は、その横に売っている学校の売店からお菓子を買う。
ミックもそれを楽しみにしていて、食べ終わるや否や、「お菓子買いに行く!」と、10バーツを握り締めて、目的の味付け海苔のお菓子を買って来た。
すると、ここにも・・さっき、ミックのお菓子を鷲掴みにした、例の同じクラスの子供が、「ニヤ~っ」と言う笑みを浮かべながら、お菓子を手にしたミックの横にいた。
しかも、上級生(小学1年生)の子供も、私に、
「ねえ、この子(ミックの事)、オレにお菓子くれるかな?」と同意を求めてくる。

ピカピカの小学一年生なのに、何故かオヤジが入っている子供(左)
よく言えば、「シェア」(分かち合い)なのかもしれないが、私には、お菓子に群がるコバンザメを連想させた。
そして、この姿はさらに大人のタイ人が、ものすごい嗅覚と言うか、情報力で、お金のあるところにサーッと群がる習性を連想させた。
日本から、出稼ぎの村人が数年ぶりに帰って来たと聞けば、みんな日本からの現金を期待して、返す当てのない借金の申し入れに押しかける。
昔の同級生だという保険屋は、久々の再開を装って、帰国祝いと言いながら、自分の売っている保険の勧誘に余念がない。
帰国しなくても同じである。
誰かが、日本人と結婚したなどと聞けば、「我先に」と銀行やサラ金で借りられない人たち(要するに返済能力のない人たち)が、チャンス!とばかりに寄って来る。
「เนื้อหอม」(ヌア・ホーム=人気がある)とはよく言うが、まさに外貨を稼いだタイ人は「เนื้อหอม」なのである。
ところで、この子供はもう4歳にして、このしたたかなタイ人の習性を身につけているようで、売店のおばさんから、
「こら~!また他の子のお菓子を取って!お兄ちゃん(従兄弟が上級生にいるらしい)からお金もらって来な!」
と怒られていたが、翌日もまた、自分では一切お金を持たず、友達のお菓子を鷲掴みにしていた。
「あるところから取れ!」
これは、タイで生きていく上で覚悟しなければならない常識かも知れない。
さて、肝心のミックの様子はと言うと・・・。
三週目から 何故か「一人で(幼稚園に)いられるようになるぞ!」と宣言し、その次の日から、離れ際には多少名残惜しそうなそぶりを見せるが、何とか私と離れて、先生についていられるようになった。
という訳で、約2週間にわたった、私のタイ幼稚園体験は幕を閉じた。
その間、幼稚園の先生のタイらしい御伽噺や、仏教徒の仕込み方など、面白い話があったが、それはまた、後日の機会に書こうと思う。
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その間、約二週間はミックの付き添いで、半日入園を繰り返していた私。
そのわずかな期間でのタイの幼稚園生活の実態を見て、これはまさに、「子供社会は大人社会の縮図」だということを、実感したのだった。
様々な子供たちのやり取りや喧嘩から、タイでよくある痴話喧嘩・・・単なる意見の相違からの夫婦喧嘩から、片方または双方の浮気がばれての刃物を振り回す喧嘩まで、これが下地になっているのだな・・と思ったのである。
単なる普通の村の若者同士の勢力争い(まるでヤクザか暴走族?)から、単なる口喧嘩からすぐに殺傷事件までに発展してしまう気の荒さ・・など、子供たちを見ていたら、「このまま大きくなったら、ああいう大人(その辺の村人)になるのだろうな・・。」と妙に感心してしまった。
そして、毎日、毎日の出来事で忘れられないのが、「ミックのお菓子」を狙うコバンザメのような子供たちのことである。
それは、別にミックに限った話ではないのだが、この辺の幼稚園には、決まった時間におやつが出てくるということはない。
まず、朝ごはんは家で食べるか、もし家の経済状況が悪い家庭は、この学校では朝ごはんもタダで食べさせてくれるというシステムがある。
だが、幼稚園くらいの子供たちは、一度にたくさんの食事を取って、昼まで待つというほど胃が出来上がっていないので、9時を過ぎる頃には、小腹が空いてくる。
そうすると、あらかじめ登園前に、保護者が買って持たせておいたスナック菓子や飴などを、カバンから取り出し、個人個人勝手にむさぼり始める。
それが、一斉に・・というわけではないので、誰かが開けて食べていると、他の子供が寄ってくる。
ミックも同じ経験をした。
ミックがお菓子を取り出した途端、今まで教室の反対側にいたある子供が、さっとミックの横に擦り寄ってきている・・・!
そして、ミックが開けて食べ始めた途端、サッとミックのスナック菓子の袋に手を突っ込んで鷲掴みにして、頬張っていた。
その素早さは、まさに「一瞬の技」だった。
好き勝手にお菓子を食べ始める子供たち
そして、今度は昼休みの給食時間。
配られた給食を食べ終わっても、お腹一杯にならない子供は、その横に売っている学校の売店からお菓子を買う。
ミックもそれを楽しみにしていて、食べ終わるや否や、「お菓子買いに行く!」と、10バーツを握り締めて、目的の味付け海苔のお菓子を買って来た。
すると、ここにも・・さっき、ミックのお菓子を鷲掴みにした、例の同じクラスの子供が、「ニヤ~っ」と言う笑みを浮かべながら、お菓子を手にしたミックの横にいた。
しかも、上級生(小学1年生)の子供も、私に、
「ねえ、この子(ミックの事)、オレにお菓子くれるかな?」と同意を求めてくる。
ピカピカの小学一年生なのに、何故かオヤジが入っている子供(左)
よく言えば、「シェア」(分かち合い)なのかもしれないが、私には、お菓子に群がるコバンザメを連想させた。
そして、この姿はさらに大人のタイ人が、ものすごい嗅覚と言うか、情報力で、お金のあるところにサーッと群がる習性を連想させた。
日本から、出稼ぎの村人が数年ぶりに帰って来たと聞けば、みんな日本からの現金を期待して、返す当てのない借金の申し入れに押しかける。
昔の同級生だという保険屋は、久々の再開を装って、帰国祝いと言いながら、自分の売っている保険の勧誘に余念がない。
帰国しなくても同じである。
誰かが、日本人と結婚したなどと聞けば、「我先に」と銀行やサラ金で借りられない人たち(要するに返済能力のない人たち)が、チャンス!とばかりに寄って来る。
「เนื้อหอม」(ヌア・ホーム=人気がある)とはよく言うが、まさに外貨を稼いだタイ人は「เนื้อหอม」なのである。
ところで、この子供はもう4歳にして、このしたたかなタイ人の習性を身につけているようで、売店のおばさんから、
「こら~!また他の子のお菓子を取って!お兄ちゃん(従兄弟が上級生にいるらしい)からお金もらって来な!」
と怒られていたが、翌日もまた、自分では一切お金を持たず、友達のお菓子を鷲掴みにしていた。
「あるところから取れ!」
これは、タイで生きていく上で覚悟しなければならない常識かも知れない。
さて、肝心のミックの様子はと言うと・・・。
三週目から 何故か「一人で(幼稚園に)いられるようになるぞ!」と宣言し、その次の日から、離れ際には多少名残惜しそうなそぶりを見せるが、何とか私と離れて、先生についていられるようになった。
という訳で、約2週間にわたった、私のタイ幼稚園体験は幕を閉じた。
その間、幼稚園の先生のタイらしい御伽噺や、仏教徒の仕込み方など、面白い話があったが、それはまた、後日の機会に書こうと思う。
裏ブログ?
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2010年05月31日
幼稚園に見た「タイ社会の縮図」~その2
前回からの続き・・・
こうして、この年になって、タイでの幼稚園生活が始まった。
今まで、家族はもちろん、周囲も大人、我が家に来る客ももちろん大人ばかりで、同じ年の子供と遊ぶ機会がなかったミックは、初日、二日目・・・と経っても、私の側から離れることなく、スナック菓子を片手に慎重に幼稚園の同級生を観察していた。
私は、上の三人の子供を日本の保育園に入れていたことがあるのだが、そこでは、朝ごはんを食べさせてから登園するのは当然、おやつも10時と3時に保育園の栄養士さんが一所懸命考えられたメニューの手作りおやつが出され、私にとって、「日本の保育園は素晴らしいところ、『どこでもドアー』があったら、上の三人が通った『ベルガーデン保育園』に通わせたい!」と心から思うほど、楽しく、幸せな思い出の場所である。
そういう経験から、タイに移住してみて、もう、上の3人が少しばかりの幼稚園生活を送った時点で、タイの保育園、幼稚園には、「終わったな・・・。」と諦めていたのだが、この村立学校付属の幼稚園には、少し期待をしていた。
しかし、やはり予算の都合か、「小学生に一人の先生は、大丈夫」だが、まだ分別がいまひとつの「幼稚園児集団に、一人の先生」では、先生はいつトイレに入るのだろうとか、余計な心配までしてしまった。
実際、トイレは教室の中にあるのだが、いくらなんでも学校の先生が、私が上の3人が小さかったころの子育て中にしてきたように、トイレのドアを開けっ放しで用を足すわけには行かない。
当然、先生がトイレ中は、クラスの中はまた子供たちの竜巻状態になる・・・・。
子供たちの中には、生まれつきヤクザの血が流れているような子供が2~3人いて、4歳児ながら、肩で風を切りながら歩き、ちょっとぶつかるたびに「おうおう!」と言いがかりをつけている。
目が常に見開いていて、口はへの字の容貌に、母の心配から、ミックには「近づかないようにしなよ。」と耳打ちして置いた。
その後、先生がトイレから出てくると、またDVDの『カーン・クルワイ』を流し始めた・・・。
しかも、今日も最初から流すので、タイ映画のつまらない予告版まで、この数日見たのと同じである。
私はもう、開いた口が塞がらなかった。
何故、ここまでこの先生は『カーン・クルワイ』にこだわるのか・・・。
いつか、機会を狙って聞いてみたいものだと思った。
さて、お決まりのDVDの上映が始まると、今度は先生が課題のプリント(塗り絵と簡単な思考問題)を配り始めた。
先生の指示で、子供たちが列に並んで行く。先にもらった子はどんどん自分の好きなところに寝そべって、塗り絵を始めて行く。
そう、この幼稚園には先生の以外、机や椅子と言うものはない。
だから自分の指定席もない。
確か、長男が半年ほど入園したランシットの私立幼稚園には、机や椅子があった記憶があるが、これも都市部と地方の格差か、そういう備品を購入する余裕はないし、普段、机や椅子に座らない子供たちも、この方が慣れているらしい。
よく、日本の小学校入学時などに、学習机やランドセルを買うのはお決まりの行事だが、タイの入学時には、何万もするたいそうなカバンを買う必要もなく、子供たちはその辺の雑貨屋で売っている百バーツもしないヘンなキャラクターが描かれたお子様リュックで十分なのである。
そして、家に帰れば、床やに寝転んだり、階段の段差を利用して宿題をする。
基本的に小さいうちは子供に余計なお金を掛けないのが、タイ式である。
話は逸れたが、この課題の配布時に並んだ列で、私はまた怖ろしい現場を目撃した。
相変わらず、私の横でゴロゴロしながらスナック菓子をパクついているミックからふと目を逸らして、子供たちの列に目を向けると、例のヤクザ小僧の一人が自分の前にいる子供の脇に手を挟み、二人で身体を揺らしながら、さらにその前にいる子供にぶつかったりして遊んでいるようだった。
ふと、そのぶつかられている子供が脇をさすっているように見えた。
・・・・「ん?」何だか様子がおかしい。
「あっ!!!」・・・その友達の脇に挟んで捕まっているように見えたヤクザ小僧の右手には、まだ削ったばかりの鉛筆が・・・。
その前にいた子供に向けて刺して遊んでる!?
「こら~~!!やめろ~~!!」
と言ったが、騒然としたクラスの中では聞こえないので、私はミックを置いて、ぱっと立ち上がって、その列のそのヤクザ小僧の手から、鉛筆を取り上げて、「こんなことするんじゃない!」と言って睨んだ。
幸い、その刺されていた子も大したことはなかったらしく、その後は普通に遊んでいたが、そのヤクザ小僧も「何?」という程度で、自分のやっていたことは遊びの一部だったという感じだった。
しかも、これだけのことがあったのに、列の頭でプリントを配っている先生は、気付いていなかった・・・。
そして、プリントの配布が終わると、先生は
「はい!みんなここに丸を書いて、果物は塗り絵をしましょう!」
と言いながら、何事もなかったかのように(実際、先生にとっては何事もなかったのだが・・・)、また、本日二度目の『カーン・クルワイ』のDVD上映を始めた・・・・しかも、また最初から・・・・。
そうしている間に、今度は塗り絵が終わった例のお姉さん格の3人組が先日のように、二人で一人を羽交い絞めにし、今度は往復ビンタではなく、お腹を拳でパンチし始めた・・。
「こら~!!!そんなことするんじゃな~~い!」
またもや、先生は机に向かって宿題の添削の最中で見ていない・・・。
この3人、何を考えているのか・・。明日は、ムワイ・タイ(タイの国技のキックボクシング)のように、蹴りが入るかもしれないな・・・と思った。
そんなこんなで、私は、ますます、ミックを置いて帰る気にはなれず、昼寝をしたがらないミックと一緒にお昼で帰宅することにした。
このような状況で、この二週間の幼稚園生活が過ぎた。
明日は、月曜日、幼稚園生活も三週目に入る。
いつになったら、ミックを安心して置いていけるのか、いつになったら、ミックがこの過酷な幼稚園生活に立ち向かう気構えが出来るのか・・・・。
その日まで、私の幼稚園生活は続きそうである。
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タイの学校によくある白蓮の花
こうして、この年になって、タイでの幼稚園生活が始まった。
今まで、家族はもちろん、周囲も大人、我が家に来る客ももちろん大人ばかりで、同じ年の子供と遊ぶ機会がなかったミックは、初日、二日目・・・と経っても、私の側から離れることなく、スナック菓子を片手に慎重に幼稚園の同級生を観察していた。
私は、上の三人の子供を日本の保育園に入れていたことがあるのだが、そこでは、朝ごはんを食べさせてから登園するのは当然、おやつも10時と3時に保育園の栄養士さんが一所懸命考えられたメニューの手作りおやつが出され、私にとって、「日本の保育園は素晴らしいところ、『どこでもドアー』があったら、上の三人が通った『ベルガーデン保育園』に通わせたい!」と心から思うほど、楽しく、幸せな思い出の場所である。
そういう経験から、タイに移住してみて、もう、上の3人が少しばかりの幼稚園生活を送った時点で、タイの保育園、幼稚園には、「終わったな・・・。」と諦めていたのだが、この村立学校付属の幼稚園には、少し期待をしていた。
しかし、やはり予算の都合か、「小学生に一人の先生は、大丈夫」だが、まだ分別がいまひとつの「幼稚園児集団に、一人の先生」では、先生はいつトイレに入るのだろうとか、余計な心配までしてしまった。
実際、トイレは教室の中にあるのだが、いくらなんでも学校の先生が、私が上の3人が小さかったころの子育て中にしてきたように、トイレのドアを開けっ放しで用を足すわけには行かない。
当然、先生がトイレ中は、クラスの中はまた子供たちの竜巻状態になる・・・・。
子供たちの中には、生まれつきヤクザの血が流れているような子供が2~3人いて、4歳児ながら、肩で風を切りながら歩き、ちょっとぶつかるたびに「おうおう!」と言いがかりをつけている。
目が常に見開いていて、口はへの字の容貌に、母の心配から、ミックには「近づかないようにしなよ。」と耳打ちして置いた。
その後、先生がトイレから出てくると、またDVDの『カーン・クルワイ』を流し始めた・・・。
しかも、今日も最初から流すので、タイ映画のつまらない予告版まで、この数日見たのと同じである。
私はもう、開いた口が塞がらなかった。
何故、ここまでこの先生は『カーン・クルワイ』にこだわるのか・・・。
いつか、機会を狙って聞いてみたいものだと思った。
さて、お決まりのDVDの上映が始まると、今度は先生が課題のプリント(塗り絵と簡単な思考問題)を配り始めた。
先生の指示で、子供たちが列に並んで行く。先にもらった子はどんどん自分の好きなところに寝そべって、塗り絵を始めて行く。
そう、この幼稚園には先生の以外、机や椅子と言うものはない。
だから自分の指定席もない。
確か、長男が半年ほど入園したランシットの私立幼稚園には、机や椅子があった記憶があるが、これも都市部と地方の格差か、そういう備品を購入する余裕はないし、普段、机や椅子に座らない子供たちも、この方が慣れているらしい。
よく、日本の小学校入学時などに、学習机やランドセルを買うのはお決まりの行事だが、タイの入学時には、何万もするたいそうなカバンを買う必要もなく、子供たちはその辺の雑貨屋で売っている百バーツもしないヘンなキャラクターが描かれたお子様リュックで十分なのである。
そして、家に帰れば、床やに寝転んだり、階段の段差を利用して宿題をする。
基本的に小さいうちは子供に余計なお金を掛けないのが、タイ式である。
話は逸れたが、この課題の配布時に並んだ列で、私はまた怖ろしい現場を目撃した。
相変わらず、私の横でゴロゴロしながらスナック菓子をパクついているミックからふと目を逸らして、子供たちの列に目を向けると、例のヤクザ小僧の一人が自分の前にいる子供の脇に手を挟み、二人で身体を揺らしながら、さらにその前にいる子供にぶつかったりして遊んでいるようだった。
ふと、そのぶつかられている子供が脇をさすっているように見えた。
・・・・「ん?」何だか様子がおかしい。
「あっ!!!」・・・その友達の脇に挟んで捕まっているように見えたヤクザ小僧の右手には、まだ削ったばかりの鉛筆が・・・。
その前にいた子供に向けて刺して遊んでる!?
「こら~~!!やめろ~~!!」
と言ったが、騒然としたクラスの中では聞こえないので、私はミックを置いて、ぱっと立ち上がって、その列のそのヤクザ小僧の手から、鉛筆を取り上げて、「こんなことするんじゃない!」と言って睨んだ。
幸い、その刺されていた子も大したことはなかったらしく、その後は普通に遊んでいたが、そのヤクザ小僧も「何?」という程度で、自分のやっていたことは遊びの一部だったという感じだった。
しかも、これだけのことがあったのに、列の頭でプリントを配っている先生は、気付いていなかった・・・。
そして、プリントの配布が終わると、先生は
「はい!みんなここに丸を書いて、果物は塗り絵をしましょう!」
と言いながら、何事もなかったかのように(実際、先生にとっては何事もなかったのだが・・・)、また、本日二度目の『カーン・クルワイ』のDVD上映を始めた・・・・しかも、また最初から・・・・。
そうしている間に、今度は塗り絵が終わった例のお姉さん格の3人組が先日のように、二人で一人を羽交い絞めにし、今度は往復ビンタではなく、お腹を拳でパンチし始めた・・。
「こら~!!!そんなことするんじゃな~~い!」
またもや、先生は机に向かって宿題の添削の最中で見ていない・・・。
この3人、何を考えているのか・・。明日は、ムワイ・タイ(タイの国技のキックボクシング)のように、蹴りが入るかもしれないな・・・と思った。
そんなこんなで、私は、ますます、ミックを置いて帰る気にはなれず、昼寝をしたがらないミックと一緒にお昼で帰宅することにした。
このような状況で、この二週間の幼稚園生活が過ぎた。
明日は、月曜日、幼稚園生活も三週目に入る。
いつになったら、ミックを安心して置いていけるのか、いつになったら、ミックがこの過酷な幼稚園生活に立ち向かう気構えが出来るのか・・・・。
その日まで、私の幼稚園生活は続きそうである。
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タイの学校によくある白蓮の花
2010年05月28日
幼稚園に見た「タイ社会の縮図」
今年の新学期が始まってから、いつになく忙しくなったので、ブログの更新もままならない日々が続いている・・・。
本来なら、普通の家庭では、新学期が始まれば、子供たちが学校に行くようになり、時間に余裕が出来るという物である。
我が家も昨年までは、その通りであった。
ところが、今年は様子が違う。
何故かと言うと、タイ産の末っ子、ミックが4歳になり、今まで行っても続かなかった保育所は諦めて、今年から地元の小学校付属の幼稚園に通うことになったからである。
それでも、今まで保育所を嫌がっていたミックは、すぐ上の兄が通っているものの、学校と言う団体生活にはまだ慣れないため、送っていった母から離れようとせず、もし、騙してこっそり帰ってしまっても、「後追いをして、道路に飛び出したり、村で迷子になったり、子供さらいに連れ去られたり、はたまた、学校の敷地内の池にでも落ちたりしたら取り返しがつかない・・・」という私の妄想(タイなら十分あり得る)から、入園した5月17日以来、毎日幼稚園で保護者参観状態が続いている。
そういう状況で、私がこの歳にして、タイの幼稚園生活を体験することになった?のである。
さて、我が子供たちの通っているのは、我が家から十キロほど離れた、小さな村の一学年20人前後で一学年一クラスずつしかない、小規模な幼稚園+小学校である。
実は、我が家の市内にも小学校はあるのだが、そこは割と市内・外の村々から、多くの子供が通っており、先生も面倒見があまりよくないので、わざわざ十キロも離れた村立小学校に通っている。
しかし、この子供の面倒見が比較的良いと評判の学校でも、幼稚園の担任はクラスに一人。
朝の朝礼が済んで、子供たちが教室に入ると、先生は、まず部屋にある一台のテレビとDVDデッキのスイッチを入れ、タイの映画界が誇る?超大作スペクタクルアニメ、愛と冒険の物語(ここまで書くと嫌味か?)「カーン・クルワイ」のDVDを流し始める。
私は、それがたまたまその日に選んだ作品なのだと思っていたら、来る日も来る日もまずは、「カーン・クルワイ」の洗礼を受けなくてはならないことに気がついた。
その間に、先生は宿題の添削や、教室の雑務を済ませる。
まるで、家事を効率的に済ませたいお母さんが、子供にとりあえず、テレビの番組などを見せて、その間に片付けているような感じである。
そして、一通り先生の雑務が終わって、さて、肝心のお勉強の時間になる頃には、毎日観せられて、セリフまで覚えてしまったDVDに飽きた子供たちが、部屋中を竜巻のように走り回って大騒ぎになっている。
その子供一人ひとりが織り成す騒動は、まるで「タイ社会の縮図」そのものである。
まず、女の子が3人で遊んでいたと思ったら、急に口論になり、一人が口論相手の女の子を羽交い絞めにし、三人のうちのもう一人がその羽交い絞めにされた女の子の頬に往復ビンタをお見舞いし始めた・・・・。
私は、慌てて、「こら~!止めろ!」と仲裁に入ったが、先生は他の子が大騒ぎしているので、気がついていなかった。
その女の子たちは、とりあえず、止めたが「ふんっ!何さ!」という顔で、去っていった。
私はこれを見て、4年前に長男が中学校に入学したときに、生徒管理室でちょうど遭遇した、女子中学生同士が男子生徒を取り合って、殴り合いになって怒られていた現場を思い出した。
この女子中学生たちの状況を聞いたときは、「こんなところにタイドラマの悪影響が・・・」と思ったものだが、今回、その根源は、幼稚園時代に遡るのかも知れないと思った。
そのうち、希硫酸をぶっ掛ける幼稚園児も現れそうで先が思い遣られる・・・。(それはないか?)
しかし、私の長女は、小学3年の頃、同級生にコップに睡眠薬(風邪薬)を混入されたという経験がある。
このことは、別に表立って事件にはしなかったが(でも小さい学校なので周知の事実だが・・)、このときも「タイドラマの影響だ」と思ったものである。
・・・・次回につづく
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本来なら、普通の家庭では、新学期が始まれば、子供たちが学校に行くようになり、時間に余裕が出来るという物である。
我が家も昨年までは、その通りであった。
ところが、今年は様子が違う。
何故かと言うと、タイ産の末っ子、ミックが4歳になり、今まで行っても続かなかった保育所は諦めて、今年から地元の小学校付属の幼稚園に通うことになったからである。
それでも、今まで保育所を嫌がっていたミックは、すぐ上の兄が通っているものの、学校と言う団体生活にはまだ慣れないため、送っていった母から離れようとせず、もし、騙してこっそり帰ってしまっても、「後追いをして、道路に飛び出したり、村で迷子になったり、子供さらいに連れ去られたり、はたまた、学校の敷地内の池にでも落ちたりしたら取り返しがつかない・・・」という私の妄想(タイなら十分あり得る)から、入園した5月17日以来、毎日幼稚園で保護者参観状態が続いている。
そういう状況で、私がこの歳にして、タイの幼稚園生活を体験することになった?のである。
さて、我が子供たちの通っているのは、我が家から十キロほど離れた、小さな村の一学年20人前後で一学年一クラスずつしかない、小規模な幼稚園+小学校である。
実は、我が家の市内にも小学校はあるのだが、そこは割と市内・外の村々から、多くの子供が通っており、先生も面倒見があまりよくないので、わざわざ十キロも離れた村立小学校に通っている。
しかし、この子供の面倒見が比較的良いと評判の学校でも、幼稚園の担任はクラスに一人。
朝の朝礼が済んで、子供たちが教室に入ると、先生は、まず部屋にある一台のテレビとDVDデッキのスイッチを入れ、タイの映画界が誇る?超大作スペクタクルアニメ、愛と冒険の物語(ここまで書くと嫌味か?)「カーン・クルワイ」のDVDを流し始める。
私は、それがたまたまその日に選んだ作品なのだと思っていたら、来る日も来る日もまずは、「カーン・クルワイ」の洗礼を受けなくてはならないことに気がついた。
その間に、先生は宿題の添削や、教室の雑務を済ませる。
まるで、家事を効率的に済ませたいお母さんが、子供にとりあえず、テレビの番組などを見せて、その間に片付けているような感じである。
そして、一通り先生の雑務が終わって、さて、肝心のお勉強の時間になる頃には、毎日観せられて、セリフまで覚えてしまったDVDに飽きた子供たちが、部屋中を竜巻のように走り回って大騒ぎになっている。
その子供一人ひとりが織り成す騒動は、まるで「タイ社会の縮図」そのものである。
まず、女の子が3人で遊んでいたと思ったら、急に口論になり、一人が口論相手の女の子を羽交い絞めにし、三人のうちのもう一人がその羽交い絞めにされた女の子の頬に往復ビンタをお見舞いし始めた・・・・。
私は、慌てて、「こら~!止めろ!」と仲裁に入ったが、先生は他の子が大騒ぎしているので、気がついていなかった。
その女の子たちは、とりあえず、止めたが「ふんっ!何さ!」という顔で、去っていった。
私はこれを見て、4年前に長男が中学校に入学したときに、生徒管理室でちょうど遭遇した、女子中学生同士が男子生徒を取り合って、殴り合いになって怒られていた現場を思い出した。
この女子中学生たちの状況を聞いたときは、「こんなところにタイドラマの悪影響が・・・」と思ったものだが、今回、その根源は、幼稚園時代に遡るのかも知れないと思った。
そのうち、希硫酸をぶっ掛ける幼稚園児も現れそうで先が思い遣られる・・・。(それはないか?)
しかし、私の長女は、小学3年の頃、同級生にコップに睡眠薬(風邪薬)を混入されたという経験がある。
このことは、別に表立って事件にはしなかったが(でも小さい学校なので周知の事実だが・・)、このときも「タイドラマの影響だ」と思ったものである。
・・・・次回につづく
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2010年05月10日
ストレスも溜まる・・・。
「ジェー!! ヌウ、チャーイ・レーオ・ナチャ!!」
「ジェー(店の女主人に対する呼び名)、私、払いましたよ!」
昨日、チャン(修理工)である夫が聞きに来た未払い金の件で、その奥さんが早朝から、猛烈な勢いで店に乗り込んできた。
実は、昨日までで5件ほど、金額にして5千バーツ以上になるツケを払うために、その総額を確認しに来た修理屋が来た。
その金額を言ったときから、こうなるような気がしていた。
私の手元に未払い伝票として記録されている項目と、その修理屋が未払いとして記憶している金額が合わなかったからである。
この修理屋とのトラブルはこれが初めてではなかった。
前回のときも、我が家の記憶では払っていない、しかし、相手は払ったと言い張る項目があり、そのときは、伝票にしっかり記録せず、ツケのノートにメモ書き程度だったので、いつもどおりの主人の、
「いいよ。もう仕方ない・・・。今度からしっかり伝票につけよう。」という諦めの良さで、こちらが折れた。
向こうは「自分たちは払った」と言い張り、我々は「はっきりしないが、仕方がない」という感じで終わったのだが、それから数ヶ月過ぎた今回、また同じことになった。
ただ、今回は、こちらも伝票をつけているし、向こうが払ったと言い張る、4月7~9日までの3日間には、その日の売り上げで不明な金額もなかったし、私自身も何だかこの修理屋のツケの金額が溜まってきたので、またこんなことになるのではないかと、ときどき主人に、「まだ、この金額払ってないよね?」と確認もしていた。
そう思っていた矢先での、この出来事だった。
この修理屋の奥さんは、他の修理屋の奥さんと違って、旦那の使いで普段の修理の部品を買いに来たりすることはまったくないが、支払いの段階になると、ずいずい!と乗り出してくる。
年下のしっかり女房で、まさに財布の紐をしっかり握っているタイプらしい。
そして、その旦那である修理屋の様子を見ていると、普段と違って、奥さんが乗り込んで来た店内には入って来ないで、店の前の車の辺りでウロウロしている。
ときどき、奥さんに、「ねえ、あんた! この代金は、あの日に払ったわよね!」
と、大声で呼ばれて、「ああ・・」と小声で返事をしている。
私はその様子を見ていて、何だか、奥さんの尻に敷かれて、自分の小遣いも自由に使えないような状況の修理屋の旦那が、奥さんに渡された部品代を使い込んだのではないか?というような気がしてきた。
もし、この「自分は絶対払った!」と言い張る、自信に満ちた奥さんが、ウソをついていなければ・・・であるが。
この奥さんが自信満々で、「絶対払った! 私の記憶に間違いはない」と言い切るのと同じに、今回は私も、「いや、今回のツケは、まだ全然払ってもらってない。私自身、やきもきしていたんだから。」という確信がある。
しかし、この奥さんは、盛んに、「どれが払ってないって?いや、このオイル代は払いましたよ! あの日、夕方に修理が終わって。・・・云々・・・・」
ところが、耳の側でまくし立てる、奥さんの言い訳を聞いていた私は、自分の身体が手足の先からしびれたような感覚になっているのが分かった。
最初、聞いていて頭に血が上るというか、こめかみの辺りが熱くなる様な気がしていたが、次第に手足の感覚が麻痺してきた。
それでも、奥さんは構わず、自分の主張をまくし立て続ける・・・。
結局、このオイル代は払ったと言い張り、他の部品代だけ払って引き上げた。
最初から最後まで、商品を持っていって、支払いをした本人のはずの修理屋は店内に入って来ず、その弁護士でもあるかのような多弁な奥さんが一部始終を取り仕切ったのだった。
その奥さんと修理屋が引き上げても、私の身体の痺れはまだ治らなかった。
長時間正座をした後のように、フラフラした足取りでしか歩けなかった。
こういうのを、何と言うのだろうか。
よく、高血圧や心臓病の患者などが、何かのストレスで血圧が上がったり、心臓麻痺を起こしたりするが、私の血圧は普段低い方で、下が60、上が100前後の間である。なので、「血圧が上がる」ということはありえないと思っていたのだが、この修理屋の奥さんの発言に血圧が上がってこういう症状が出たのだろうか?
タイで生活の為にこういう客商売をして、そのストレスで死ぬのは嫌だな・・・と、ふと思ってボーっとした。
主人は、この考え込んでいるような私の様子を見て(実は麻痺が取れなくてボーっとしていたのだが)、
「お前は、またすぐに考え込むな・・。考えたって仕方がない。今度またこんなことにならないように、どんなに店が忙しくても、3枚綴りの伝票にしっかり記録して、その支払いのときに渡す伝票にも、「支払い済み」のスタンプと、日付受領のサインまでしっかり書いて、その伝票が証拠になるようにしよう。」
という、実に前向きな方針を立てて、話を終わりにしたのだが、そうは言われても、やはり納得できない部分もある。
もう、2,600バーツという永久に未払いになった金額を惜しむのではないが、何かすっきりしない・・・。
そのせいで、身体が麻痺したのではやりきれない・・。
まあ、身体の痺れは何とか治まったが、心のストレスが治まらないのか、今夜、眠れずにこうして、ブログに書くことになった。
これでも、以前よりはだいぶタイ化してきて、細かいことにはこだわらない。いつまでもクヨクヨ考え込まない・・という風になったのだが。
それでも、考えてしまうときは私のとっておきの台湾ドラマ(決してタイドラマではない・・・タイドラマでは余計にストレスが溜まる。)DVDを観て、しばしの現実逃避。
まあ、それでもすぐに現実のタイ生活に引き戻されるのではあるが・・・・。
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「ジェー(店の女主人に対する呼び名)、私、払いましたよ!」
昨日、チャン(修理工)である夫が聞きに来た未払い金の件で、その奥さんが早朝から、猛烈な勢いで店に乗り込んできた。
実は、昨日までで5件ほど、金額にして5千バーツ以上になるツケを払うために、その総額を確認しに来た修理屋が来た。
その金額を言ったときから、こうなるような気がしていた。
私の手元に未払い伝票として記録されている項目と、その修理屋が未払いとして記憶している金額が合わなかったからである。
この修理屋とのトラブルはこれが初めてではなかった。
前回のときも、我が家の記憶では払っていない、しかし、相手は払ったと言い張る項目があり、そのときは、伝票にしっかり記録せず、ツケのノートにメモ書き程度だったので、いつもどおりの主人の、
「いいよ。もう仕方ない・・・。今度からしっかり伝票につけよう。」という諦めの良さで、こちらが折れた。
向こうは「自分たちは払った」と言い張り、我々は「はっきりしないが、仕方がない」という感じで終わったのだが、それから数ヶ月過ぎた今回、また同じことになった。
ただ、今回は、こちらも伝票をつけているし、向こうが払ったと言い張る、4月7~9日までの3日間には、その日の売り上げで不明な金額もなかったし、私自身も何だかこの修理屋のツケの金額が溜まってきたので、またこんなことになるのではないかと、ときどき主人に、「まだ、この金額払ってないよね?」と確認もしていた。
そう思っていた矢先での、この出来事だった。
この修理屋の奥さんは、他の修理屋の奥さんと違って、旦那の使いで普段の修理の部品を買いに来たりすることはまったくないが、支払いの段階になると、ずいずい!と乗り出してくる。
年下のしっかり女房で、まさに財布の紐をしっかり握っているタイプらしい。
そして、その旦那である修理屋の様子を見ていると、普段と違って、奥さんが乗り込んで来た店内には入って来ないで、店の前の車の辺りでウロウロしている。
ときどき、奥さんに、「ねえ、あんた! この代金は、あの日に払ったわよね!」
と、大声で呼ばれて、「ああ・・」と小声で返事をしている。
私はその様子を見ていて、何だか、奥さんの尻に敷かれて、自分の小遣いも自由に使えないような状況の修理屋の旦那が、奥さんに渡された部品代を使い込んだのではないか?というような気がしてきた。
もし、この「自分は絶対払った!」と言い張る、自信に満ちた奥さんが、ウソをついていなければ・・・であるが。
この奥さんが自信満々で、「絶対払った! 私の記憶に間違いはない」と言い切るのと同じに、今回は私も、「いや、今回のツケは、まだ全然払ってもらってない。私自身、やきもきしていたんだから。」という確信がある。
しかし、この奥さんは、盛んに、「どれが払ってないって?いや、このオイル代は払いましたよ! あの日、夕方に修理が終わって。・・・云々・・・・」
ところが、耳の側でまくし立てる、奥さんの言い訳を聞いていた私は、自分の身体が手足の先からしびれたような感覚になっているのが分かった。
最初、聞いていて頭に血が上るというか、こめかみの辺りが熱くなる様な気がしていたが、次第に手足の感覚が麻痺してきた。
それでも、奥さんは構わず、自分の主張をまくし立て続ける・・・。
結局、このオイル代は払ったと言い張り、他の部品代だけ払って引き上げた。
最初から最後まで、商品を持っていって、支払いをした本人のはずの修理屋は店内に入って来ず、その弁護士でもあるかのような多弁な奥さんが一部始終を取り仕切ったのだった。
その奥さんと修理屋が引き上げても、私の身体の痺れはまだ治らなかった。
長時間正座をした後のように、フラフラした足取りでしか歩けなかった。
こういうのを、何と言うのだろうか。
よく、高血圧や心臓病の患者などが、何かのストレスで血圧が上がったり、心臓麻痺を起こしたりするが、私の血圧は普段低い方で、下が60、上が100前後の間である。なので、「血圧が上がる」ということはありえないと思っていたのだが、この修理屋の奥さんの発言に血圧が上がってこういう症状が出たのだろうか?
タイで生活の為にこういう客商売をして、そのストレスで死ぬのは嫌だな・・・と、ふと思ってボーっとした。
主人は、この考え込んでいるような私の様子を見て(実は麻痺が取れなくてボーっとしていたのだが)、
「お前は、またすぐに考え込むな・・。考えたって仕方がない。今度またこんなことにならないように、どんなに店が忙しくても、3枚綴りの伝票にしっかり記録して、その支払いのときに渡す伝票にも、「支払い済み」のスタンプと、日付受領のサインまでしっかり書いて、その伝票が証拠になるようにしよう。」
という、実に前向きな方針を立てて、話を終わりにしたのだが、そうは言われても、やはり納得できない部分もある。
もう、2,600バーツという永久に未払いになった金額を惜しむのではないが、何かすっきりしない・・・。
そのせいで、身体が麻痺したのではやりきれない・・。
まあ、身体の痺れは何とか治まったが、心のストレスが治まらないのか、今夜、眠れずにこうして、ブログに書くことになった。
これでも、以前よりはだいぶタイ化してきて、細かいことにはこだわらない。いつまでもクヨクヨ考え込まない・・という風になったのだが。
それでも、考えてしまうときは私のとっておきの台湾ドラマ(決してタイドラマではない・・・タイドラマでは余計にストレスが溜まる。)DVDを観て、しばしの現実逃避。
まあ、それでもすぐに現実のタイ生活に引き戻されるのではあるが・・・・。
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2010年05月02日
自動二輪・出張免許試験
今日は、16歳になった長男が、自動二輪の免許の試験に行ってきました。
ちょうど一昨日、主人が市役所の主任をやっている友人のところに用事があって行った際に、「5月1日に市役所のコーク・サアート出張所で、『出張免許試験』が行われる」という情報をもらって来たのです。
もともと、昨年満15歳になって、国民IDカードを作った長男は、このカードの所持と同時に自動二輪の免許の受験資格も出来たのですが、普段は平日は学校に行くので、受験する機会がなかったのです。
でも、家の前の大きな交差点で、警察が取り締まりを頻繁にやっているので、顔見知りのため捕まることはないのですが、警察への礼儀として、免許所持やヘルメットの着用はするべきだという主人の考えから、この長期休暇中に長男も自動二輪の免許の取得を予定していたので、願ってもいない機会でした。
もともとは、今年の6月の誕生日までに書き換えに行かなければならない私と一緒に、4月の終わりか、5月の初めにはチャイヤプムの陸運局に行く予定だったのですが、この機会に試験を受けてしまったので、私は一人で今月中くらいには行かなければならなくなりました。
この試験に必要なのは、国民IDカード、戸籍謄本のコピー、それから医師の健康診断書です。
前日に、主人が長男に
「おい、町のクリニックに行って健康診断書を買って来い。」
と言ったので、長男は言いつけ通りに、市立病院の院長先生が、朝、昼休み、夕方に自営している、町のバスターミナルにあるクリニックに行って、20バーツで健康診断書を買って来ました。
こんなことはタイの常識以前の問題ですが、本当に何でも金で買えてしまうのが「タイランド」の魅力?でしょうか。
さて、本日、朝早くから・・と言っても8時近くになって、10キロ先の会場である出張所まで、オートバイで出かけた主人と長男ですが、やはり田舎の朝は早いので、一番乗りの人は、6時くらいから待っていたそうです。
ちなみに、長男は87番だったそうです。
受付は「一会場に付き、100人まで」と決まっていたそうなのですが、そこは融通の利く田舎の慣れ合い社会、来ていた118人みんな受験できたということでした。
試験は筆記(選択肢)試験と実技試験。
長男はまともに自分の能力で受けたそうですが、何故か、受験者の女性には、頼まなくても試験管の係員が勝手に「これはこれ、つぎはこれ・・・」と答えを教えてくれていたそうです。
また、知り合いの自動車修理工の若者(男性)もいたのですが、この人は「???」という顔で、明らかに出来ない様子だったらしく、そういう時間が掛かりそうな人にも、係員が寄ってきて、勝手に試験の答えを回答して行くそうです。
まともに試験を受けた長男はかなり遅れて出てきたのでした。
その話を聞いた私は、「出来ないフリをすればよかったのに・・・。」と言ってしまいました。
こういう筆記試験なので、不合格者はいるはずもなく、スムーズに次の実技試験に進みますが、みんなこうして地元で試験を受けに来るのに、自分のオートバイで来るくらいですから、運転には問題があるはずもなく、こちらも当然全員合格。
こうした免許を交付するのが目的のような出張試験が、いったい交通安全の役に立つのかは疑問ですが、まあ、携帯すれば「免許不携帯で200バーツの罰金」を払わずに済むのですから、この機会に是非受けておいた方がいいのでしょう。
ところが、我が家の隣に住む義姉はこうした機会にも、「面倒くさいから~」という理由で免許を取得する気がありません。
しかも、近所では警察と友達なので、免許はいらないと思っているし、自分の勢力範囲外のチャイヤプムの街中やコラートまで行くときは、私に「運転して!」と運転手を命じる、大変迷惑な義姉です。
「バカは死ななきゃ治らない」などと言いますが、図々しい人も死ぬまで図々しいのでしょう。
こういう人の事をタイ語では「ナー・ダーン」と言いますが、イサーンでは「ナー・ムン」と言います。
話が逸れましたが、こういうわけで、無事長男も免許を所持することが出来ました。
明日から、堂々と交差点で信号待ちが出来ると、喜んでいる長男です。
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ちょうど一昨日、主人が市役所の主任をやっている友人のところに用事があって行った際に、「5月1日に市役所のコーク・サアート出張所で、『出張免許試験』が行われる」という情報をもらって来たのです。
もともと、昨年満15歳になって、国民IDカードを作った長男は、このカードの所持と同時に自動二輪の免許の受験資格も出来たのですが、普段は平日は学校に行くので、受験する機会がなかったのです。
でも、家の前の大きな交差点で、警察が取り締まりを頻繁にやっているので、顔見知りのため捕まることはないのですが、警察への礼儀として、免許所持やヘルメットの着用はするべきだという主人の考えから、この長期休暇中に長男も自動二輪の免許の取得を予定していたので、願ってもいない機会でした。
もともとは、今年の6月の誕生日までに書き換えに行かなければならない私と一緒に、4月の終わりか、5月の初めにはチャイヤプムの陸運局に行く予定だったのですが、この機会に試験を受けてしまったので、私は一人で今月中くらいには行かなければならなくなりました。
この試験に必要なのは、国民IDカード、戸籍謄本のコピー、それから医師の健康診断書です。
前日に、主人が長男に
「おい、町のクリニックに行って健康診断書を買って来い。」
と言ったので、長男は言いつけ通りに、市立病院の院長先生が、朝、昼休み、夕方に自営している、町のバスターミナルにあるクリニックに行って、20バーツで健康診断書を買って来ました。
こんなことはタイの常識以前の問題ですが、本当に何でも金で買えてしまうのが「タイランド」の魅力?でしょうか。
さて、本日、朝早くから・・と言っても8時近くになって、10キロ先の会場である出張所まで、オートバイで出かけた主人と長男ですが、やはり田舎の朝は早いので、一番乗りの人は、6時くらいから待っていたそうです。
ちなみに、長男は87番だったそうです。
受付は「一会場に付き、100人まで」と決まっていたそうなのですが、そこは融通の利く田舎の慣れ合い社会、来ていた118人みんな受験できたということでした。
試験は筆記(選択肢)試験と実技試験。
長男はまともに自分の能力で受けたそうですが、何故か、受験者の女性には、頼まなくても試験管の係員が勝手に「これはこれ、つぎはこれ・・・」と答えを教えてくれていたそうです。
また、知り合いの自動車修理工の若者(男性)もいたのですが、この人は「???」という顔で、明らかに出来ない様子だったらしく、そういう時間が掛かりそうな人にも、係員が寄ってきて、勝手に試験の答えを回答して行くそうです。
まともに試験を受けた長男はかなり遅れて出てきたのでした。
その話を聞いた私は、「出来ないフリをすればよかったのに・・・。」と言ってしまいました。
こういう筆記試験なので、不合格者はいるはずもなく、スムーズに次の実技試験に進みますが、みんなこうして地元で試験を受けに来るのに、自分のオートバイで来るくらいですから、運転には問題があるはずもなく、こちらも当然全員合格。
こうした免許を交付するのが目的のような出張試験が、いったい交通安全の役に立つのかは疑問ですが、まあ、携帯すれば「免許不携帯で200バーツの罰金」を払わずに済むのですから、この機会に是非受けておいた方がいいのでしょう。
ところが、我が家の隣に住む義姉はこうした機会にも、「面倒くさいから~」という理由で免許を取得する気がありません。
しかも、近所では警察と友達なので、免許はいらないと思っているし、自分の勢力範囲外のチャイヤプムの街中やコラートまで行くときは、私に「運転して!」と運転手を命じる、大変迷惑な義姉です。
「バカは死ななきゃ治らない」などと言いますが、図々しい人も死ぬまで図々しいのでしょう。
こういう人の事をタイ語では「ナー・ダーン」と言いますが、イサーンでは「ナー・ムン」と言います。
話が逸れましたが、こういうわけで、無事長男も免許を所持することが出来ました。
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2010年04月22日
ヤー・バーに対する庶民の感覚
義母の家に行く途中の塩田
昨日、久々に義母の通院と部品の仕入れのために、コラートに行ったときの話である。
今回は、コラートにカノム・チンの製造機を買いに行くという、義母の知り合いのファイおばさんを乗せて行ったので、私は運転に集中しながら、二人の世間話を聞いていたのだった。
すると、同じ村でよく顔を合わせているはずなのに、二人は村人の世間話・噂話が弾み、村人の片っ端から話のネタになっていた。
話す前には必ず、「これはあの人(噂の本人)には内緒だよ。知れると向こうが気にするといけないから・・」と前置きをして話し出すのだが、その内容は必ず、回りまわって本人に伝わるのは承知のうえである。
それなのに、こういう前置きをするのは、「自分は意図的に噂話や悪口を言っているのではない」という言い訳に過ぎないのだが、こういう前置きをしておくことで、責任逃れが出来るという暗黙の了解である。
話の内容は、大体、本人に面と向かっては言えないようなもので、「誰それが、金を借りて行ったのに、返済どころか、利息も持って来やしない。そうしたら、つい最近になって、『小さい魚を捕まえたから・・』と持ってきたけど、そんな雑魚持ってくるくらいなら、さっさと金を返して欲しい・・・・。」などという話である。
話す方はこの話が当の本人に伝わることを、意図して話すのである。
ところで、今回、私が少し感動した話がある。
それは、以前、義母の家の裏に間借りしていて、親戚同様の付き合いのあった一家の、主人より何歳か年下の息子がいるのだが、彼がヤー・バー(タイで有名な覚せい剤の一種)をやっていて、最近頻繁に服用している・・・という話を、義母のところに来たときに、義母に話したらしい。
私は「普通、そういうことは大きな声で言っていいのか?」と思ったのだが、この田舎では、村中が知り合いで、どこの誰が何をした・・という話は一晩で村中に知れ渡るので、そういうことも隠し事にならないらしい。
義母の話では、彼は、毎日2~5錠ほどのヤー・バーを服用しているそうで、1錠が500バーツで取引されているという。
私は、「何でヤー・バーを飲むの?中毒だから?」と聞くと、
義母は「いや、飲むと活力が湧くらしい。」ということ。
私は「まあ、そりゃ『覚せい剤』って言うくらいだからな・・。」とピントのずれた答えに何となく納得。
彼は、父親の修理工場を継いで自動車やオートバイの修理をしているのだが、私も十年くらい前には、一緒に酒を飲んだりしたこともある。
若くして、彼女との間に子供も出来て、今その子も10歳くらいになっているだろう。
今は、再婚しているらしいが、最近は顔を合わすこともないので、今、どういう風貌になっているのかも知らない。
それにしても、エイズに関してもそうだが、タイの庶民の感覚と、我々が持つ感覚はだいぶ差があるような気がする。
タイの庶民は、隣人がヤー・バーをやっていても、エイズになったとかいう話を聞いても、ごく日常的に捉えるようなところがある。
個人の自由。自分は自分、人は人か・・・。
このヤー・バー中毒の彼に、義母が言った言葉は、
「お前も、ヤー・バーなんかやってないで、もう少し、家族のことを考えたらどうだ。ヤー・バーは一粒で500バーツもするんだろう。二粒で1000バーツ。そのお金を貯めておいて、月に一回でも両親にデカイ海老の一つでも食わせてやったらどうだ。うちの息子の〇〇(主人の名前)なんか、毎週のように嫁や孫たちを連れて私のところへ来て、おかずを買って持って来て一緒に食事したり、レストランに連れて行って食事をご馳走したりしてくれる。ヤー・バーなんかに掛けるお金をそういう風に使って、育ててくれた両親を大事にしようとは思わないのか?」である。
まあヤー・バー中毒になっている彼は、義母の言葉くらいではそうそう更正出来るとは思えないが、この義母の言葉を聞いた私は、思わぬ義母の心の内を聞いて、感動して、運転しながら目が潤んでしまった。
実は、前にこのブログでも愚痴を書いたような気がするが、この毎週のような義母との夕食を、「毎週、毎週、面倒くさいな・・・せめて月に2回くらいだったら・・・」と思ってしまうこともあった。
これは子供たちも一緒で、朝から晩まで働いたら、早く自分の部屋で好きな時間を過ごしたい・・・と思っているのは私だけではなかった。
でも、この義母の言葉を聞いて、義母が主人の行動を心から喜んでいて、自慢に思っているということを改めて感じ、これからは私も義母との食事を大切にしたいと思えた。
そして、この話を聞いてもっとも喜ぶはずの主人に帰宅後、さっそくその話を伝えた。
照れ屋の主人なので、怒ったような無関心な顔をして黙って聞いていたが、多分内心は嬉しかったと思う。
そうして、これが、義母の意図したところだったかも?という気にもなった。
義母は面と向かって言えない感謝の気持ちを、私に伝えさせたのかも知れなかった。
タイ人のこの噂話の伝達の構造に慣れるまで、ずいぶん長い年月が過ぎたものだと改めて感じた。
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2010年04月06日
タイの学校の内情
さて、前回に続き、長男の高校進学の書類審査に行ってきた話です。
長男・長女が毎日乗って通学している、廃車処理場から持ってきたようなバスに乗って、学校にたどり着いた私たちは、さっそく書類審査の用紙をもらい、5~6ページもある必要事項の記入欄に、長男がせっせと記入していきました。
思えば、3年前、この学校を受験したときには、まだ自分でこういう用紙に記入も出来なかった長男が、だいぶ成長したものだと感慨に耽りながら、横で見ていました。
あの頃と違って、今は私は隣にいて、保護者の書名欄にだけサインすればいいようになりました。
ですがただ一箇所だけ、長男が聞いてきた箇所がありました。
それは、保護者の「年収はいくらか」を記入するという欄。
これは、この学校に限った話ではなく、長女の通う別の中学でも聞いてきます。
つまりは、生徒の保護者がどれくらいの経済力があるか、ひいては、どれくらい学校に貢献できる可能性があるかを調査しているのです。
まず、長男が中学の入学試験の合格発表の日でした。
合格者の父兄を集めて、校長が祝辞を述べるとともに、まったくの初日から、ある用紙を配り、
「皆さん、この用紙に、ご父兄の皆さんの寄付金の予定額を記入してください。金額はご自身の都合に任せます。ですが、本日記入していただいた金額は、入学式の日にご用意下さい。ただし、この用紙に書かれた金額は『ジャオポー・パヤレー』に宣誓したとみなされますので、約束の金額を破られますと、あなたに何が起こるかもわかりませんよ・・・。」
と、半分脅しのような挨拶をしたのです。
この中に出てきた『ジャオポー・パヤレー』というのは、ここチャイヤプム県の始祖と言い伝えられるいわば「チャイヤプムの父」であり、県の中心部にその銅像が建っていて、そこに願掛けに来る人で毎日賑わっているそうです。
まあ、その寄付金の話は置いておいて、とにかく、タイの社会と裏金が表裏一体なように、タイの学校も、試験に合格しない子供が入学する手段がたくさん用意されています。
しかし、それはどれも「社会に認められた入学方法」なので、やることは日本や外国の「裏口入学」と同じですが、タイでは「裏口入学」のように、後ろめたい言い方はしません。
入学方法は多種多様で、推薦入学、運動や芸術の特待入学、などはもちろん、正規の筆記試験、それのどれでも入れない子供のために、あらかじめ、くじ引きの「抽選合格」、それから、最初から学校側から金額が提示される「寄付金入学」がなどがあります。
本来なら、この「抽選入学」や「寄付金入学」のためにとってある枠を取り止めて、正規の筆記試験の合格者枠を増やせば、学校の学力水準が少しは上がると思うのですが、学校側は資金確保のために、あくまでこの大金が入る「金づる」生徒の枠を無くそうとはしません。
抽選の生徒も「合格」が決まった時点で、一般入試の合格者よりはだいぶ多目の寄付金額を提示されるそうです。
もし、払わなければ、抽選なのでその資格が次の「寄付金を払える人」に流れてしまうのです。
そして、抽選にも外れて、「寄付金入学」を勧められる人は、長男の年の相場で2万5千バーツから4万バーツだったという話です。
そして、その「寄付金入学者」枠は、学年全体の10%に当たる、50人くらいだそうですから、一度の入学試験で、百万バーツ以上の金額が「正統な経路」で、学校に入ってくるのですから、やはり学校側は「寄付金入学者」が、如何に学校の質を下げても、その大事な収入源を絶ち切るつもりなどあるわけがないのです。
まあ、こういう裏金に限った話ではなく、うちのように、一般入試で入った場合でも、入学式、保護者会など、学校に出向くたびに、この「保護者の年収はいくらですか?」という質問票を必ず毎回記入させられます。
私は、外国人配偶者なので世間的には「無職」という身分になっているので、いつもどう書いたものか・・・と毎回悩んでいたのですが、今回、帰宅してから、主人に聞いてみたら、真剣に答える気がない主人は、
「チャック・レーオ・・(知るかよ)」と答えたのですが、そう書くわけには行かないので、しつこく聞いたら、次に出てきた答えが、
「マイ・ネー・ノーン(不定、決まっていない)」・・・・・うん!これはいいかも。
確かに自営業なので、収入はサラリーマンのように定額じゃない、この答えは私が日本で答えるときもこんな風に言えそうです。
今度の保護者会からは、これで行こう!
たまには、気の利いたことを言うものだ・・・と少し主人を見直した晩でした。
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思えば、3年前、この学校を受験したときには、まだ自分でこういう用紙に記入も出来なかった長男が、だいぶ成長したものだと感慨に耽りながら、横で見ていました。
あの頃と違って、今は私は隣にいて、保護者の書名欄にだけサインすればいいようになりました。
ですがただ一箇所だけ、長男が聞いてきた箇所がありました。
それは、保護者の「年収はいくらか」を記入するという欄。
これは、この学校に限った話ではなく、長女の通う別の中学でも聞いてきます。
つまりは、生徒の保護者がどれくらいの経済力があるか、ひいては、どれくらい学校に貢献できる可能性があるかを調査しているのです。
まず、長男が中学の入学試験の合格発表の日でした。
合格者の父兄を集めて、校長が祝辞を述べるとともに、まったくの初日から、ある用紙を配り、
「皆さん、この用紙に、ご父兄の皆さんの寄付金の予定額を記入してください。金額はご自身の都合に任せます。ですが、本日記入していただいた金額は、入学式の日にご用意下さい。ただし、この用紙に書かれた金額は『ジャオポー・パヤレー』に宣誓したとみなされますので、約束の金額を破られますと、あなたに何が起こるかもわかりませんよ・・・。」
と、半分脅しのような挨拶をしたのです。
この中に出てきた『ジャオポー・パヤレー』というのは、ここチャイヤプム県の始祖と言い伝えられるいわば「チャイヤプムの父」であり、県の中心部にその銅像が建っていて、そこに願掛けに来る人で毎日賑わっているそうです。
まあ、その寄付金の話は置いておいて、とにかく、タイの社会と裏金が表裏一体なように、タイの学校も、試験に合格しない子供が入学する手段がたくさん用意されています。
しかし、それはどれも「社会に認められた入学方法」なので、やることは日本や外国の「裏口入学」と同じですが、タイでは「裏口入学」のように、後ろめたい言い方はしません。
入学方法は多種多様で、推薦入学、運動や芸術の特待入学、などはもちろん、正規の筆記試験、それのどれでも入れない子供のために、あらかじめ、くじ引きの「抽選合格」、それから、最初から学校側から金額が提示される「寄付金入学」がなどがあります。
本来なら、この「抽選入学」や「寄付金入学」のためにとってある枠を取り止めて、正規の筆記試験の合格者枠を増やせば、学校の学力水準が少しは上がると思うのですが、学校側は資金確保のために、あくまでこの大金が入る「金づる」生徒の枠を無くそうとはしません。
抽選の生徒も「合格」が決まった時点で、一般入試の合格者よりはだいぶ多目の寄付金額を提示されるそうです。
もし、払わなければ、抽選なのでその資格が次の「寄付金を払える人」に流れてしまうのです。
そして、抽選にも外れて、「寄付金入学」を勧められる人は、長男の年の相場で2万5千バーツから4万バーツだったという話です。
そして、その「寄付金入学者」枠は、学年全体の10%に当たる、50人くらいだそうですから、一度の入学試験で、百万バーツ以上の金額が「正統な経路」で、学校に入ってくるのですから、やはり学校側は「寄付金入学者」が、如何に学校の質を下げても、その大事な収入源を絶ち切るつもりなどあるわけがないのです。
まあ、こういう裏金に限った話ではなく、うちのように、一般入試で入った場合でも、入学式、保護者会など、学校に出向くたびに、この「保護者の年収はいくらですか?」という質問票を必ず毎回記入させられます。
私は、外国人配偶者なので世間的には「無職」という身分になっているので、いつもどう書いたものか・・・と毎回悩んでいたのですが、今回、帰宅してから、主人に聞いてみたら、真剣に答える気がない主人は、
「チャック・レーオ・・(知るかよ)」と答えたのですが、そう書くわけには行かないので、しつこく聞いたら、次に出てきた答えが、
「マイ・ネー・ノーン(不定、決まっていない)」・・・・・うん!これはいいかも。
確かに自営業なので、収入はサラリーマンのように定額じゃない、この答えは私が日本で答えるときもこんな風に言えそうです。
今度の保護者会からは、これで行こう!
たまには、気の利いたことを言うものだ・・・と少し主人を見直した晩でした。
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2010年04月05日
いよいよ4月に入りました。
ここのところ、記事の更新どころか、パソコンを開く時間もありません。
以前、『子供に学ぶタイ語』の「コーハイ・ルワイルワイ」(http://lawan.namjai.cc/e23864.html 参照)の記事に書いたように、この2月・3月と何故か、例年になく店が忙しいのに加え、子供たちが長期休みに入り、長女が夜遅くまで私のパソコンに食いつくようにして、ネットにハマっており、なかなか、ログインする時間もないのです・・・。
でもブログ仲間のNAPPYさんも書かれているように、このところ、うわんさんやカウマンガイさんの更新のペースも開いてきているようで、この3月・4月は年度末年度初めも関係するのか分かりませんが、皆さんお忙しいという情報が入ってきたので、少し安心してしまった私です。
とはいえ、そういう状況に胡坐をかいているのも、せっかくブログを覗いてくださる皆さんに申し訳ないので、今日は、日記のつもりで、今日の出来事を綴ってみます。
さて、今日は、日曜日だったのですが、今年「ม.4(モー・シィー=高校1年に当たる)」となる長男の「มอบตัว(モープトゥア=進学のための書類審査)」のために、長男が通っている、学校に行ってきました。
普通、タイの学校は、幼稚園と小学校、中学校と高校と言う風に付属になっているのが一般的です。
なので、長男は中学受験をして、今の学校に入りましたが、完全にエスカレーターと言うわけではないので、今日の書類審査に出向かなければなりません。
学校の方で勝手に書類を回してくれればいいのですが、そういうわけには行かないそうです。ここがタイの融通が利かないところでしょう。
この「書類審査に行く」ということは重要で、その昔、主人の親友だったTくんは、この長男と同じ県中心部の中学で3年間勉強したそうですが、この「มอบตัว(モープトゥア)」に行くのを忘れたために、その後の高校1年に進学できず、結局、主人が通っていた地元の高校に入りなおす羽目になったということです。
そういう逸話?を聞いていたので、私は「絶対、忘れないようにしないと」と思っていたのですが、あろうことか、この日の2日前になって、親戚の義兄が、我が家の唯一の自家用車のピックアップを借りに来て、コラートまで用事で出かけたのですが、今朝になっても戻って来ない・・・・。
タイ人の予定は未定は今回に限ったことではないので、もう仕方ない!という気持ちから、主人に
「いいよ、バスで行くから。」と宣言。
普段、子供たちが乗って通学している路線バスに乗って行くことにしました。
普段、マイカー専門の私にとって、この路線バスは、十年前くらいに、主人が一人で日本に残り、私は小さい子供を3人抱えパトゥムタニーに仮住まいをし、ランシットのフューチャーパークに買い物に行くために、毎週のように乗った・・・その頃のバスを思い出させました。
あの頃幼稚園児だった長男も、もう高校生・・・。
そんな思い出に浸りながら、いつ、ギアの歯車が外れてもおかしくないような異音を響かせるバスに乗って行きました。
後半に続きます・・・・・。
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でもブログ仲間のNAPPYさんも書かれているように、このところ、うわんさんやカウマンガイさんの更新のペースも開いてきているようで、この3月・4月は年度末年度初めも関係するのか分かりませんが、皆さんお忙しいという情報が入ってきたので、少し安心してしまった私です。
とはいえ、そういう状況に胡坐をかいているのも、せっかくブログを覗いてくださる皆さんに申し訳ないので、今日は、日記のつもりで、今日の出来事を綴ってみます。
さて、今日は、日曜日だったのですが、今年「ม.4(モー・シィー=高校1年に当たる)」となる長男の「มอบตัว(モープトゥア=進学のための書類審査)」のために、長男が通っている、学校に行ってきました。
普通、タイの学校は、幼稚園と小学校、中学校と高校と言う風に付属になっているのが一般的です。
なので、長男は中学受験をして、今の学校に入りましたが、完全にエスカレーターと言うわけではないので、今日の書類審査に出向かなければなりません。
学校の方で勝手に書類を回してくれればいいのですが、そういうわけには行かないそうです。ここがタイの融通が利かないところでしょう。
この「書類審査に行く」ということは重要で、その昔、主人の親友だったTくんは、この長男と同じ県中心部の中学で3年間勉強したそうですが、この「มอบตัว(モープトゥア)」に行くのを忘れたために、その後の高校1年に進学できず、結局、主人が通っていた地元の高校に入りなおす羽目になったということです。
そういう逸話?を聞いていたので、私は「絶対、忘れないようにしないと」と思っていたのですが、あろうことか、この日の2日前になって、親戚の義兄が、我が家の唯一の自家用車のピックアップを借りに来て、コラートまで用事で出かけたのですが、今朝になっても戻って来ない・・・・。
タイ人の予定は未定は今回に限ったことではないので、もう仕方ない!という気持ちから、主人に
「いいよ、バスで行くから。」と宣言。
普段、子供たちが乗って通学している路線バスに乗って行くことにしました。
普段、マイカー専門の私にとって、この路線バスは、十年前くらいに、主人が一人で日本に残り、私は小さい子供を3人抱えパトゥムタニーに仮住まいをし、ランシットのフューチャーパークに買い物に行くために、毎週のように乗った・・・その頃のバスを思い出させました。
あの頃幼稚園児だった長男も、もう高校生・・・。
そんな思い出に浸りながら、いつ、ギアの歯車が外れてもおかしくないような異音を響かせるバスに乗って行きました。
後半に続きます・・・・・。
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2010年03月19日
またまた・・・親戚集合。
今日は、甥である、主人の長兄の長男がブワット(出家)するということで、我が家に久々に親戚が集合した。
本来なら、自分たちが住んでいるコラートでブワットするのが普通なのだが、我が家の近くにある、『アジャーン・チュー』という有名な僧侶が居られる 『ワット・カオターゴッ』という寺で出家することになったので、親戚が集合し、我が家の台所を使って、甥の出家式の支度が行われたのだった。
今回は、息子の出家ということで、長兄の嫁であるピー・デーンが指揮を執った・・・と言っても、私より一つだけ年上の彼女は、年齢は若いのに、長兄の嫁にふさわしく、何でも卒なくこなすので、大抵の親戚集合行事には、義母に次いで、陣頭指揮を執るのが彼女のいつもの仕事である。
小学一年生の頃から、母親の代わりに料理をしていたという彼女は、何でも手際がよく、ラープ、煮魚、蒸し魚、タイ風汁物など、次々と仕上げて行く。
そして、他の者は彼女の料理の補助に回るのだが、私は末っ子である主人の嫁、つまり末嫁であり、しかも主人より年上なのにも係わらず嫁の中で一番年下で、さらにタイ人ではないので、タイ料理に対する知識も舌もタイの子供レベル以下ということで、タイの年功序列に従って、私が嫁の中の一番下っ端の小間使いとなるのはいつものことである。
私の仕事と言えば、大型のタライにいっぱいのネギやパクチー、バジル、ミントなどの、明日のご馳走に使う野菜を洗って、根っこを一本一本切り取るという、かなり根の要る下ごしらえ。
そして、バケツいっぱいの付け合せのキュウリやナスの皮むきなど・・・。
それから、次々と出る皿洗い。
まるで、継母や姉たちにこき使われるシンデレラにでもなった気分である・・・。
タイの田舎で、何かの行事があると、こうして親戚が集まって、協力しながら料理を作っていく。
それは、結婚式(最近はホテルなどで行うことも多いが・・)、出家式、葬式、そしてよくあるのが、厄除けや縁起を担ぐ、「タムブン・バーン」(家に僧侶を招いて、食事を献上し、お経を上げて貰う)などで、普段離れている親戚や近くでもそうそう顔を合わせない親戚同士が近況を確認しあう良い機会でもあるが、私にはあまり嬉しい機会ではない。
それは、こういう場では、女性陣は料理を作って働くが、男性陣は酒とご馳走で盛り上がる絶好の機会になってしまうからである・・・。
実は、今日も事件は起きた。
朝から、お寺に行き、甥の出家式を無事終えて我が家に戻ってきた長兄・次兄と義姉の旦那などが、お寺へ持っていった残りのご馳走を肴に昼過ぎからご機嫌で飲んでいたのだが、夜7時過ぎになって、ベロベロに酔った次兄の悪い癖が出た。
いつもの事なのだが、主人の兄弟はシラフの時は割と無口なのだが、酔いが回ると人が変わる。
要するに性質の悪い酔っ払いになるのである。
次兄は酔いが回ると「家に帰るぞ!」と言い出し、以前は車が出せないので、コラートからチャイヤプムの県境まで夜中に徒歩で帰って来たという経歴がある。
それに、こういう泥酔状態で車を運転し、警察に捕まったこともある。
なのに!・・・酒を止められない。
そして、また今日も・・・。
自分の足元もおぼつかないのに、運転して自宅に帰るとゴネ始めた。
最初は、ただの酔っ払いの一人芝居だったのだが、その次兄を心配した兄弟たちが制止したので、ますます火がついた。
次兄は、車に乗り込んで自分の奥さんに「早く乗れ!帰るぞ!」と叫びながら、クラクションを鳴らし続けている。
誰がどう見ても、正気の沙汰ではない。
私は、久しぶりの日本の実家との電話中だったのだが、あまりに家の前で大騒ぎが始まったので、慌てて切って、家の中にいて騒ぎに気付かなかった義母たちを呼びに行った。
表に出てみると、喧嘩になり始めていて、その当事者は次兄と、病気になって以来禁酒しているシラフの主人だった。
酔っ払い相手に何を言っても意味がないので、私は内心「放っておけば・・」と思ったのだが、兄弟思いの主人は放って置けないらしく、話が通じるはずもない酔っ払い相手に、大声を張り上げて真剣に怒っている。
あ~あ、また始まった・・・・。
この手の近所も何も気にしない身内の痴話喧嘩は日常茶飯事である。
でも、今回は男同士だから、このまま「畜生!」「酔っ払いの犬野郎!」などという口喧嘩がエスカレートしても、せいぜい拳で撲りあうくらいのことで済むだろうから、少しは安心である。
これが、夫婦喧嘩で浮気が原因などとなると、力の弱い女性の方がすぐに刃渡り数十センチの包丁とか持ち出すから大騒ぎになる。
以前は、浮気が原因で頬を切りつけられた主人の幼馴染も見たし、新宿で店をやっていた頃には、近所の『カオ・ゲーン』という店のタイ人従業員が、同じく出稼ぎで水商売勤務をしていたタイ人の彼女に出刃包丁で切りつけられたという現場にも居合わせたことがある。
幸いにも、まだ、浮気の種の「一物」を切断されたという事件の現場には居合わせたことはないが・・・。
まあ、こんな事件があっても、翌日には何事もなかったような日常が流れるのがタイの社会である。
そして、また次の機会に「親戚集合」となるのである。
ちなみに、兄弟同士の大戦争が勃発しそうになった今夜の主役の次兄は、隣の義姉夫婦が、無理やり車に押し込めて家まで送り届けたらしい。
もう、50歳近いいい大人なのだから、自分で自粛するといいのだが、それが出来ていれば苦労はないのだろう。
毎回、この「親戚集合」に、この次兄が参加するときは行きたくないと思うのだが、やはり主人に言い出せないでいる、立場の弱い嫁である。
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本来なら、自分たちが住んでいるコラートでブワットするのが普通なのだが、我が家の近くにある、『アジャーン・チュー』という有名な僧侶が居られる 『ワット・カオターゴッ』という寺で出家することになったので、親戚が集合し、我が家の台所を使って、甥の出家式の支度が行われたのだった。
今回は、息子の出家ということで、長兄の嫁であるピー・デーンが指揮を執った・・・と言っても、私より一つだけ年上の彼女は、年齢は若いのに、長兄の嫁にふさわしく、何でも卒なくこなすので、大抵の親戚集合行事には、義母に次いで、陣頭指揮を執るのが彼女のいつもの仕事である。
小学一年生の頃から、母親の代わりに料理をしていたという彼女は、何でも手際がよく、ラープ、煮魚、蒸し魚、タイ風汁物など、次々と仕上げて行く。
そして、他の者は彼女の料理の補助に回るのだが、私は末っ子である主人の嫁、つまり末嫁であり、しかも主人より年上なのにも係わらず嫁の中で一番年下で、さらにタイ人ではないので、タイ料理に対する知識も舌もタイの子供レベル以下ということで、タイの年功序列に従って、私が嫁の中の一番下っ端の小間使いとなるのはいつものことである。
私の仕事と言えば、大型のタライにいっぱいのネギやパクチー、バジル、ミントなどの、明日のご馳走に使う野菜を洗って、根っこを一本一本切り取るという、かなり根の要る下ごしらえ。
そして、バケツいっぱいの付け合せのキュウリやナスの皮むきなど・・・。
それから、次々と出る皿洗い。
まるで、継母や姉たちにこき使われるシンデレラにでもなった気分である・・・。
タイの田舎で、何かの行事があると、こうして親戚が集まって、協力しながら料理を作っていく。
それは、結婚式(最近はホテルなどで行うことも多いが・・)、出家式、葬式、そしてよくあるのが、厄除けや縁起を担ぐ、「タムブン・バーン」(家に僧侶を招いて、食事を献上し、お経を上げて貰う)などで、普段離れている親戚や近くでもそうそう顔を合わせない親戚同士が近況を確認しあう良い機会でもあるが、私にはあまり嬉しい機会ではない。
それは、こういう場では、女性陣は料理を作って働くが、男性陣は酒とご馳走で盛り上がる絶好の機会になってしまうからである・・・。
実は、今日も事件は起きた。
朝から、お寺に行き、甥の出家式を無事終えて我が家に戻ってきた長兄・次兄と義姉の旦那などが、お寺へ持っていった残りのご馳走を肴に昼過ぎからご機嫌で飲んでいたのだが、夜7時過ぎになって、ベロベロに酔った次兄の悪い癖が出た。
いつもの事なのだが、主人の兄弟はシラフの時は割と無口なのだが、酔いが回ると人が変わる。
要するに性質の悪い酔っ払いになるのである。
次兄は酔いが回ると「家に帰るぞ!」と言い出し、以前は車が出せないので、コラートからチャイヤプムの県境まで夜中に徒歩で帰って来たという経歴がある。
それに、こういう泥酔状態で車を運転し、警察に捕まったこともある。
なのに!・・・酒を止められない。
そして、また今日も・・・。
自分の足元もおぼつかないのに、運転して自宅に帰るとゴネ始めた。
最初は、ただの酔っ払いの一人芝居だったのだが、その次兄を心配した兄弟たちが制止したので、ますます火がついた。
次兄は、車に乗り込んで自分の奥さんに「早く乗れ!帰るぞ!」と叫びながら、クラクションを鳴らし続けている。
誰がどう見ても、正気の沙汰ではない。
私は、久しぶりの日本の実家との電話中だったのだが、あまりに家の前で大騒ぎが始まったので、慌てて切って、家の中にいて騒ぎに気付かなかった義母たちを呼びに行った。
表に出てみると、喧嘩になり始めていて、その当事者は次兄と、病気になって以来禁酒しているシラフの主人だった。
酔っ払い相手に何を言っても意味がないので、私は内心「放っておけば・・」と思ったのだが、兄弟思いの主人は放って置けないらしく、話が通じるはずもない酔っ払い相手に、大声を張り上げて真剣に怒っている。
あ~あ、また始まった・・・・。
この手の近所も何も気にしない身内の痴話喧嘩は日常茶飯事である。
でも、今回は男同士だから、このまま「畜生!」「酔っ払いの犬野郎!」などという口喧嘩がエスカレートしても、せいぜい拳で撲りあうくらいのことで済むだろうから、少しは安心である。
これが、夫婦喧嘩で浮気が原因などとなると、力の弱い女性の方がすぐに刃渡り数十センチの包丁とか持ち出すから大騒ぎになる。
以前は、浮気が原因で頬を切りつけられた主人の幼馴染も見たし、新宿で店をやっていた頃には、近所の『カオ・ゲーン』という店のタイ人従業員が、同じく出稼ぎで水商売勤務をしていたタイ人の彼女に出刃包丁で切りつけられたという現場にも居合わせたことがある。
幸いにも、まだ、浮気の種の「一物」を切断されたという事件の現場には居合わせたことはないが・・・。
まあ、こんな事件があっても、翌日には何事もなかったような日常が流れるのがタイの社会である。
そして、また次の機会に「親戚集合」となるのである。
ちなみに、兄弟同士の大戦争が勃発しそうになった今夜の主役の次兄は、隣の義姉夫婦が、無理やり車に押し込めて家まで送り届けたらしい。
もう、50歳近いいい大人なのだから、自分で自粛するといいのだが、それが出来ていれば苦労はないのだろう。
毎回、この「親戚集合」に、この次兄が参加するときは行きたくないと思うのだが、やはり主人に言い出せないでいる、立場の弱い嫁である。
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2010年03月10日
地球温暖化?
イサーンの冬の畑
ちょうど昨年の2月の末から3月の初めごろの数日間、私は、タイに移住して以来、実に8年目にして初めての一時帰国をした。
というわけで、昨年の帰国時に日本の初春を甘く見て、「もう3月だから、少し薄着でも大丈夫だろう・・」とタイの冬着(それしかなかったので)のウインドブレーカー(多分、「死語」だろうとは思うのですが・・・)のようなペラペラの上着で降り立った成田空港は、何と寒波のぶり返しでみぞれから雪に変わるところだった・・・。
前置きが長くなったが、最近また日本では寒波が戻ってきていると実家からの電話で聞いたのだが、電話のこちらと向こう側ではその温度差はどれくらいのものか、母が、「明日は朝から雪が降るかも・・」と話すのを聞きながら、私は扇風機を強めに回して電話をしているのだった。
そう、もう3月に入ったタイは全国的に暑くなってきている。
風の少ないバンコクはもとより、ここイサーンでも日中の日射しはもちろんだが、家の中にいて何もしなくても、じわじわと汗が滴ってくる季節になった。
そして子供たちも、いつの間にか期末テストが終わり、一人また一人と夏期休みに入っている。
そんな暑さの中で、ふと真夏の空を見上げて思い出した・・・・。
そうだ!そういえば、今年の冬はあの空に舞うチュラー凧の姿も見た記憶がないが、その朝昼構わず鳴り続ける独特な音色を聞くこともなかった。(『ワーオの音色』 http://mic.namjai.cc/e5246.html 参照)
そうだった、そういえば毎年、正月が終わってもしつこいくらいに聞かれる、お客の「ねえ、もう『粗品の服』は終わっちゃったの?一枚くらい残ってないの?まだ、一枚ももらってないんだよ。」という正月の店の名前入りの長袖シャツの要求もほとんど聞かれなかった。(『年末が近づくと・・』 http://mic.namjai.cc/e18054.html 参照)
そう、今年の冬は例年に無く寒くなかったのだ。
北風が吹かないから凧が揚げられない。
寒くないから、長袖シャツを着たいという感覚が半減する(日よけ目的で着る人もいるが・・)。
そういうわけで、すっかり暑くなってきた今日、不意に、今年の冬が幻のように通り過ぎて行ったことを自覚したのだった。
やはり地球温暖化による異常気象の一端なのだろうか。
最近では、タイでも、「地球温暖化対策」などが叫ばれているが、そういうことを言うのは一部の知識人ばかりで、一般の民衆にはまったく変化がないというのが私の感想である。
第一、教育省からの指示なのか、学校の美術の時間に「地球温暖化」についてのポスターを書くように指導される。
子供たちは、一所懸命頭をひねって、よくある森林伐採や、自然環境の保護などという主題の課題を提出する。
しかし・・・・。
問題は、そういうことを書かせる学校の先生でさえ、その辺で買ったルーク・チン(串刺しの肉団子)や果物の入ったビニール袋、ペットボトルなどを、飲食が終われば、道端でも道路の真ん中でも「ポイッ!」と捨てる。
そういう大人を見て育つ子供たちも、当然大人に見習って同じ事をする。
それが「常識」になるからだ・・・・。
「世界中の人が協力して、地球温暖化を防ごう!~SAVE THE EARTH~」
などと、掲げるのはいいが、所詮、タイ人にとっては夢物語に過ぎないような気がするのは、私だけだろうか?
そういう、外国からの知識を持ち込んでも、何故かその知識だけが、宙にフワフワ浮いてしまっている気がするのは、タイの田舎だからなのだろうか?
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2010年02月26日
氾濫する日本語?
オークパンサー後のこの数ヶ月、かなり忙しい状況の我が家である。
オークパンサーの後は他の時期でもある稲刈りや芋の収穫のほかに、何よりもオーイ(サトウキビ)の収穫が始まるので、農作業用の耕運機やトラクターのほかに、その収穫物の運搬用の中型大型トラックの部品もよく売れる。
何しろ、動けばどこか壊れるのがタイの自動車なので、仕事に使おうと思った途端に壊れて、修理・・・・という状況なのである。
そういうわけで、最近は、我が家もお陰さまでだいぶ売り上げが伸びて、忙しくて悲鳴を上げている状況だったりする。
さて、商品が売れれば、その補充に仕入れも増えてくるわけで、このところ、週に3回来る運送会社のトラックが毎回どっさりと商品を運んでくる・・・・。
そうすると、忙しくなるのは私である。
我が家の主人は、『店主様』なので、こういう下っ端の仕事は何故かやろうとしない。
普通、嫁が外国人なのだから、店には出ず、家の奥で家事をしている・・・と思うのが普通だが、何故か、我が家は外国人の嫁が店の在庫チェックから、仕入れの注文、届いた商品のチェックと価格付け、そして接客はもちろん、職人的作業までやらされている。
今日も、お客が「あんたは自国にいたときから、こう言う仕事をやっていたのか?」と聞かれた。
もちろん、接客業も初めてなら、自動車の部品なんて触ったこともなかったのに・・・。
それはさておき・・・。
そういうわけで、今日も山のようにいくつかの会社から届いた私への仕事。
それをチェックしているうちに、こんな商品の箱が目に留まった。

一体何が言いたいのか・・・?

側面にもやはり同じ文字の列が・・・。

中身はブレーキディスク(と日本語では言うらしい・・)。
この日本語(というより平仮名の羅列・・)と、この「カーム・ブレーキ」(ブレーキディスクのタイ語)の間に一体どんな繋がりが・・・?
よくある日本語(というより雑誌の文字を切り抜いたような単語)がプリントしてあるTシャツではないが、日本語の分かる人にはよく分からない・・という難解な日本語もどきの世界・・・・。
Tシャツなどはファッションで日本語がカッコいいと言うことなのかも知れないが、こういう自動車部品などでは、タイの自動車市場の大半を占める日本車の普及率と、日本車人気で、その部品も日本語(もどき)で表示するだけで、日本語がよく分からない一般人には「おお!日本製か!純正部品だ!」などという誤解を与えるのだろうか、とても売りやすいようだ。
日本人の私が見れば、明らかに中国製や韓国製、もしくはタイ国内製の部品にあやしい「中国人の書いた日本語」や「タイ人の書いた日本語」が印刷されているに過ぎないのだが、普通のタイ人には見分けはつかない。
それも、田舎の農作業者などはもちろんのこと、自動車部品のセールスマンでさえ、日本製だと信じていたりするから困ったものだ。
真顔で、「これは日本の純正部品だから、高いんです。」などと説明してくるが、印刷されているのは、簡体字の混じった日本語だったりする。
私が普通のタイ人だったら、「そうなんですか。」などと納得させられてしまいそうだが、こんなイサーンの片隅に住んでいても日本人は日本人。
「偽物じゃん・・・。」と内心思いながら、薄ら笑いを浮かべる。
そういえば、先日届いた荷物にもこんな商品が入っていた。

これは、溶接用の持ち手。その箱には誤解を与えるようなカタカナが・・・。
荷物の箱を開けて、これを最初に見たときは、一瞬目が点に・・・・・。
しばらく日本語を見慣れていない私には、
「タイクソ」としか読めなかった・・・・。
「タイクソ」とは、タイに恨みでも持っている人が、タイの悪口を書いたのか?
・・・・いや、待てよ。この手のカタカナはどこかで見たことがあるような・・・・。
そうだ、日本語を見よう見真似で練習した主人の書くカタカナに似ている。
カタカナの文字のバランスと言うか、角度や長さが微妙に違って別の文字に見える。
文字を一つずつ単体で覚えていき、全部覚えていないから、角度の違いで別の文字になってしまうということに気がつかない。
私たち、外国人がタイ文字を習うのにも共通する。長さの違いや向きの違いなどで別の文字になるのが、全体で覚えていないと、タイ文字初心者はよく間違えてしまったりする。
ところで、この「タイクソ」とはいったい何なのだろう?
その答えが、この箱をあらゆる側面から見直しても分からない。そして、中身を箱から出してようやく分かった・・・・。
中身の「溶接用の持ち手」(タイ語の直訳ですみません。日本語の呼び名が分かりません。)の持ち手部分に刻印されていたのは、
「MADE IN TAIWAN」 の文字。
ああ、なるほど・・・。
「タイクソ」ではなく、「タイワン」だったのか!
何故か、日本語(もどき)を使って「台湾製」ということをアピールしていたのだった。
わざわざ台湾をアピールしている商品。だがこれでも、普通のタイ人は日本製だと誤解するのだろう。
今に始まったことではないが、巷に氾濫する日本語に可笑しさをこらえきれない今日この頃である。
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何しろ、動けばどこか壊れるのがタイの自動車なので、仕事に使おうと思った途端に壊れて、修理・・・・という状況なのである。
そういうわけで、最近は、我が家もお陰さまでだいぶ売り上げが伸びて、忙しくて悲鳴を上げている状況だったりする。
さて、商品が売れれば、その補充に仕入れも増えてくるわけで、このところ、週に3回来る運送会社のトラックが毎回どっさりと商品を運んでくる・・・・。
そうすると、忙しくなるのは私である。
我が家の主人は、『店主様』なので、こういう下っ端の仕事は何故かやろうとしない。
普通、嫁が外国人なのだから、店には出ず、家の奥で家事をしている・・・と思うのが普通だが、何故か、我が家は外国人の嫁が店の在庫チェックから、仕入れの注文、届いた商品のチェックと価格付け、そして接客はもちろん、職人的作業までやらされている。
今日も、お客が「あんたは自国にいたときから、こう言う仕事をやっていたのか?」と聞かれた。
もちろん、接客業も初めてなら、自動車の部品なんて触ったこともなかったのに・・・。
それはさておき・・・。
そういうわけで、今日も山のようにいくつかの会社から届いた私への仕事。
それをチェックしているうちに、こんな商品の箱が目に留まった。
一体何が言いたいのか・・・?
側面にもやはり同じ文字の列が・・・。
中身はブレーキディスク(と日本語では言うらしい・・)。
この日本語(というより平仮名の羅列・・)と、この「カーム・ブレーキ」(ブレーキディスクのタイ語)の間に一体どんな繋がりが・・・?
よくある日本語(というより雑誌の文字を切り抜いたような単語)がプリントしてあるTシャツではないが、日本語の分かる人にはよく分からない・・という難解な日本語もどきの世界・・・・。
Tシャツなどはファッションで日本語がカッコいいと言うことなのかも知れないが、こういう自動車部品などでは、タイの自動車市場の大半を占める日本車の普及率と、日本車人気で、その部品も日本語(もどき)で表示するだけで、日本語がよく分からない一般人には「おお!日本製か!純正部品だ!」などという誤解を与えるのだろうか、とても売りやすいようだ。
日本人の私が見れば、明らかに中国製や韓国製、もしくはタイ国内製の部品にあやしい「中国人の書いた日本語」や「タイ人の書いた日本語」が印刷されているに過ぎないのだが、普通のタイ人には見分けはつかない。
それも、田舎の農作業者などはもちろんのこと、自動車部品のセールスマンでさえ、日本製だと信じていたりするから困ったものだ。
真顔で、「これは日本の純正部品だから、高いんです。」などと説明してくるが、印刷されているのは、簡体字の混じった日本語だったりする。
私が普通のタイ人だったら、「そうなんですか。」などと納得させられてしまいそうだが、こんなイサーンの片隅に住んでいても日本人は日本人。
「偽物じゃん・・・。」と内心思いながら、薄ら笑いを浮かべる。
そういえば、先日届いた荷物にもこんな商品が入っていた。
これは、溶接用の持ち手。その箱には誤解を与えるようなカタカナが・・・。
荷物の箱を開けて、これを最初に見たときは、一瞬目が点に・・・・・。
しばらく日本語を見慣れていない私には、
「タイクソ」としか読めなかった・・・・。
「タイクソ」とは、タイに恨みでも持っている人が、タイの悪口を書いたのか?
・・・・いや、待てよ。この手のカタカナはどこかで見たことがあるような・・・・。
そうだ、日本語を見よう見真似で練習した主人の書くカタカナに似ている。
カタカナの文字のバランスと言うか、角度や長さが微妙に違って別の文字に見える。
文字を一つずつ単体で覚えていき、全部覚えていないから、角度の違いで別の文字になってしまうということに気がつかない。
私たち、外国人がタイ文字を習うのにも共通する。長さの違いや向きの違いなどで別の文字になるのが、全体で覚えていないと、タイ文字初心者はよく間違えてしまったりする。
ところで、この「タイクソ」とはいったい何なのだろう?
その答えが、この箱をあらゆる側面から見直しても分からない。そして、中身を箱から出してようやく分かった・・・・。
中身の「溶接用の持ち手」(タイ語の直訳ですみません。日本語の呼び名が分かりません。)の持ち手部分に刻印されていたのは、
「MADE IN TAIWAN」 の文字。
ああ、なるほど・・・。
「タイクソ」ではなく、「タイワン」だったのか!
何故か、日本語(もどき)を使って「台湾製」ということをアピールしていたのだった。
わざわざ台湾をアピールしている商品。だがこれでも、普通のタイ人は日本製だと誤解するのだろう。
今に始まったことではないが、巷に氾濫する日本語に可笑しさをこらえきれない今日この頃である。
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2010年02月16日
ヌウ・ナー(田んぼのネズミ)
最近、身近な小動物の死が立て続けにあって、少し傷心気味な私ですが・・・・。
前回書いた、『カテーが逝った朝』の翌日のことでした・・・・。
最近、週末になると毎週のように、我が家から45キロほど離れた義母の家に行き、夕食を一緒に食べるということが続いています。
主人は兄弟の末っ子なので、特に義母を大切にしているところがあります。
ここで、お嫁さんが気の強いタイ人女性だったら、「いつもあんたの実家ばかり行って!うちの実家の親も大切にしてよ!」
などという、些細ないさかいが起きそうなものですが、私は「不満を一つ言えば百どころか万くらい返ってくる」主人に、その手の「親や親戚の付き合い」について不満をこぼすとどういう事態がまっているか、十分承知しているので、全ての不満や愚痴は心にグッと押し込んで、能面のような笑顔?で従って行くのです。
と、そんな風に主人の機嫌を損ねないようにしながら、実家に帰るときは機嫌のよい主人の話に適当に相槌を打ちながら、隣町まで延々と続く30キロの田舎道を、我が家のピックアップ・FORD RANGERに乗って走っていました。
すると・・・・。
その田舎道はほとんどの道程で、両側が芋畑か、田んぼになっているのですが、途中の村を何箇所か通り抜けた辺りで、道路の右側から何か、小さい子猫くらいの大きさの小動物が車の前に飛び出してきました。
我が家は店を閉めてから出てきているので、もうその時刻はすっかり闇に包まれていて、しかも、交通量が少ない、走っているのは、畑仕事を終えて家路に着くトラクターや耕運機くらいのもの。
しかも、そこは人っ子一人いない、街灯もないヘッドライト以外は真っ暗闇な田んぼの真ん中の道だったので、主人も80キロ程度のスピードで走っていたのですが、道路脇の暗闇の田んぼの中から、いきなり出てきたこの物体を「ネズミだ!」と断言した瞬間、私もその動物がうまくタイヤの隙間から逃げられることを願ったのですが・・・・。
「グチャ!」とも「ドンッ!」とも言えぬ、表現し難い鈍い音が、車体の下から微かに聞こえ、その飛び出した物体は、我が家の車の左の前輪に轢かれてしまったのが分かりました・・・・。
主人は轢く前からその鋭い目で「ネズミだ!」と断言したので、「轢いちゃった・・・・。」と言いながら、「でも、大きかったな。」と言ったと思ったら、すぐに停車して、バックしながら事故現場に戻りました。
かなり戻ってもなかなか見つからないので、「ぶつかっただけで、生き延びたのかな?・・・」と諦めようとした瞬間、「いた!」と叫びながら車を飛び出したのは主人です。
やはり、その子猫ほどの小動物の正体は「ヌウ・ナー(田んぼのねずみ)」でした。
主人はさっそく車から降りると、その遺体を車の荷台に放り込み、すぐに車内に戻ってきました。
やっぱり「ヌウ・ナーだった。結構、デカいよ。」と言いつつ、急いで義母の家に向かいました。
数時間後に帰ってきた、私たちは荷物と一緒に、ヌウ・ナーの死体も降ろし、もう夜も遅いので、とりあえずビニール袋に入れて、家の冷凍庫に入れました。

死後数時間後のヌウ・ナーの死体

フラッシュを焚いたら、リアルになってしましました・・・。
モザイクとかが出来ないので・・・すみません。
私は、主人の目を盗んで証拠写真を撮って、さっさと冷凍庫にしまいました。
その前に店の入り口の秤で計ったら、なんと500グラムありました。田んぼのネズミにしても大きい方です。
この瞬間から、このヌウ・ナーは事故の被害動物ではなく、収穫物となりました。
これは、よくあることですが、日本なら市の清掃局が片付けてくれる小動物の死体ですが、タイでは、それぞれ個人的に片付けます。でも、食べない人は、それが道路上に転がっていて、何度も何度も轢き返されたりしても、またそれが腐って異臭を放っても、ひたすら無視します。(『風化する犬たち』http://mic.namjai.cc/e3436.html参照)
逆にネズミや牛カエル、ヤマネコのように食べられる物なら、早い者勝ちで収穫していきます。
犬も食べる人なら拾っていく人がいるかも知れません。
幸い、我が家は家族揃ってこのヌウ・ナーが大好物なので、「サッペーサッター・・・」と祈りを唱えてから、これを収穫物としていただくことにしました。

調理法は、もちろん毛を焼いてから、腹部を開いて漬け汁に一晩漬け込み、丸焼きにします。
今回は予想外の収穫物で、一匹しか手に入らなかったので、子供たちに譲りました。
ほんの一週間足らずの間に連続して体験した小動物の死ですが、それぞれに全く違った感覚がありました。
いろいろなことを考えさせられた一週間でした。
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前回書いた、『カテーが逝った朝』の翌日のことでした・・・・。
最近、週末になると毎週のように、我が家から45キロほど離れた義母の家に行き、夕食を一緒に食べるということが続いています。
主人は兄弟の末っ子なので、特に義母を大切にしているところがあります。
ここで、お嫁さんが気の強いタイ人女性だったら、「いつもあんたの実家ばかり行って!うちの実家の親も大切にしてよ!」
などという、些細ないさかいが起きそうなものですが、私は「不満を一つ言えば百どころか万くらい返ってくる」主人に、その手の「親や親戚の付き合い」について不満をこぼすとどういう事態がまっているか、十分承知しているので、全ての不満や愚痴は心にグッと押し込んで、能面のような笑顔?で従って行くのです。
と、そんな風に主人の機嫌を損ねないようにしながら、実家に帰るときは機嫌のよい主人の話に適当に相槌を打ちながら、隣町まで延々と続く30キロの田舎道を、我が家のピックアップ・FORD RANGERに乗って走っていました。
すると・・・・。
その田舎道はほとんどの道程で、両側が芋畑か、田んぼになっているのですが、途中の村を何箇所か通り抜けた辺りで、道路の右側から何か、小さい子猫くらいの大きさの小動物が車の前に飛び出してきました。
我が家は店を閉めてから出てきているので、もうその時刻はすっかり闇に包まれていて、しかも、交通量が少ない、走っているのは、畑仕事を終えて家路に着くトラクターや耕運機くらいのもの。
しかも、そこは人っ子一人いない、街灯もないヘッドライト以外は真っ暗闇な田んぼの真ん中の道だったので、主人も80キロ程度のスピードで走っていたのですが、道路脇の暗闇の田んぼの中から、いきなり出てきたこの物体を「ネズミだ!」と断言した瞬間、私もその動物がうまくタイヤの隙間から逃げられることを願ったのですが・・・・。
「グチャ!」とも「ドンッ!」とも言えぬ、表現し難い鈍い音が、車体の下から微かに聞こえ、その飛び出した物体は、我が家の車の左の前輪に轢かれてしまったのが分かりました・・・・。
主人は轢く前からその鋭い目で「ネズミだ!」と断言したので、「轢いちゃった・・・・。」と言いながら、「でも、大きかったな。」と言ったと思ったら、すぐに停車して、バックしながら事故現場に戻りました。
かなり戻ってもなかなか見つからないので、「ぶつかっただけで、生き延びたのかな?・・・」と諦めようとした瞬間、「いた!」と叫びながら車を飛び出したのは主人です。
やはり、その子猫ほどの小動物の正体は「ヌウ・ナー(田んぼのねずみ)」でした。
主人はさっそく車から降りると、その遺体を車の荷台に放り込み、すぐに車内に戻ってきました。
やっぱり「ヌウ・ナーだった。結構、デカいよ。」と言いつつ、急いで義母の家に向かいました。
数時間後に帰ってきた、私たちは荷物と一緒に、ヌウ・ナーの死体も降ろし、もう夜も遅いので、とりあえずビニール袋に入れて、家の冷凍庫に入れました。
死後数時間後のヌウ・ナーの死体
フラッシュを焚いたら、リアルになってしましました・・・。
モザイクとかが出来ないので・・・すみません。
私は、主人の目を盗んで証拠写真を撮って、さっさと冷凍庫にしまいました。
その前に店の入り口の秤で計ったら、なんと500グラムありました。田んぼのネズミにしても大きい方です。
この瞬間から、このヌウ・ナーは事故の被害動物ではなく、収穫物となりました。
これは、よくあることですが、日本なら市の清掃局が片付けてくれる小動物の死体ですが、タイでは、それぞれ個人的に片付けます。でも、食べない人は、それが道路上に転がっていて、何度も何度も轢き返されたりしても、またそれが腐って異臭を放っても、ひたすら無視します。(『風化する犬たち』http://mic.namjai.cc/e3436.html参照)
逆にネズミや牛カエル、ヤマネコのように食べられる物なら、早い者勝ちで収穫していきます。
犬も食べる人なら拾っていく人がいるかも知れません。
幸い、我が家は家族揃ってこのヌウ・ナーが大好物なので、「サッペーサッター・・・」と祈りを唱えてから、これを収穫物としていただくことにしました。
調理法は、もちろん毛を焼いてから、腹部を開いて漬け汁に一晩漬け込み、丸焼きにします。
今回は予想外の収穫物で、一匹しか手に入らなかったので、子供たちに譲りました。
ほんの一週間足らずの間に連続して体験した小動物の死ですが、それぞれに全く違った感覚がありました。
いろいろなことを考えさせられた一週間でした。
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2010年02月12日
カテーの逝った朝
昨日の朝のことです。
朝食の支度を済ませ、6時半の開店にあわせて、店を開けようと外に出た私は、靴箱の前に入れておいた飼育カゴの中で、カテーが息絶えているのを見つけました。
以前、このブログの記事でも紹介したことのある(『カテー(縞リス)』(http://mic.namjai.cc/e12589.html)参照。)まだ子供のカテーで、たった数ヶ月の命でした。
飼い始めてしばらくは、本当にやんちゃというか元気一杯で、かごの中を毎日、グルグル飛び回っていたものでした。
タコップの実が大好きで、長~い舌を突っ込んではその甘い果汁を吸っている姿は本当に愛らしかったものです。
それが、昨年末辺りから、少しずつ体毛が抜けるようになり、カテーの生態に詳しくもない私たちは、「冬が近づいてきたから、毛が生え代わるのだろう」とか、元気に飛び回る時間より、静かに寝ている時間が多くなったことにも、「カテーも他の動物のように冬眠するのだろう」などと、勝手な憶測で大して気にも留めていませんでした。
それが、顔の上部の毛がかなり抜けて来たころから、「おかしいかも?もしかして『キー・ルアン』じゃないか?」ということを言い始めた人がいて、「そうなのかな?でも、犬なんかはキー・ルアンでも、そのまま生きているから・・」と楽観していました。
『キー・ルアン』とは、細菌の感染によって起こる皮膚病の一種だそうです。
タイにはよくこの手の皮膚病に掛かった野良犬・飼い犬が多くいるので、それほど重い病気と言う認識がなかったのです。
それが、盛んに手足をかきむしるようになり、前足も変形していきました。
何とかしなくては、と思い、チャイヤプムの街中の動物クリニックに連れて行ったのが先月の末ごろ・・・・。
でも、普段、犬や猫といった比較的大きなペットを相手にしているクリニックの先生も、この野生に近い、小さなカテーにはお手上げでした。
『キー・ルアン』だという所見は一致したのですが、犬や猫にする注射はこの小さなカテーには無理。
飲み薬も、捕まえたら噛み付くだろうということで無理・・・・。
でも、粘りにねばって、どうにか、スポイト状の道具でカテーの手足に薬を塗って、手足を舐めるというカテーの習性を利用して、なんとか飲ませる薬を出してもらいました。
それから、まだ2週間も経っていない昨日の朝、まだ子供のカテーは、一匹で天国に昇りました。
私はカテーが大好きだったタコップの木の根元に、手の平よりも小さな穴を掘り、そのなかにそっとカテーの身体を寝かせ、大好きだったタコップの実をいつものように、両手一杯に拾ってきて一緒に埋めました。
カテーが大好きだったタコップの木になる真っ赤な実
もともと、主人が借りに行った田んぼの水の吸い上げポンプの中にいた、赤ちゃんカテー。
親カテーが逃げてしまったのと、我が家の子供たちが喜ぶだろうと主人が持ち帰って来たのに、結局、私が一番可愛がっていて、 『お母さんの愛娘』 (メスだったので・・)とまで呼ばれていた我が家のカテー。
昨日から、心の中にぽっかり穴が空いてしまったような私です。
でも、タイでは普通、「死」に対して、「現世の苦しみから解放されて楽になる」という考え方から、「サバーイ・レーオ」(楽になった)と言い、死を越えて新しい来世に旅立ったことを祝福します。
我が家のカテーは、まさに病気に苦しんでいたので、本当に「楽になってよかった」のかも知れません。
それにしても、最近は身近な動物の死が続いたので、少し沈みがちになってしまっている今日この頃です。
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