2010年03月10日
地球温暖化?
イサーンの冬の畑
ちょうど昨年の2月の末から3月の初めごろの数日間、私は、タイに移住して以来、実に8年目にして初めての一時帰国をした。
というわけで、昨年の帰国時に日本の初春を甘く見て、「もう3月だから、少し薄着でも大丈夫だろう・・」とタイの冬着(それしかなかったので)のウインドブレーカー(多分、「死語」だろうとは思うのですが・・・)のようなペラペラの上着で降り立った成田空港は、何と寒波のぶり返しでみぞれから雪に変わるところだった・・・。
前置きが長くなったが、最近また日本では寒波が戻ってきていると実家からの電話で聞いたのだが、電話のこちらと向こう側ではその温度差はどれくらいのものか、母が、「明日は朝から雪が降るかも・・」と話すのを聞きながら、私は扇風機を強めに回して電話をしているのだった。
そう、もう3月に入ったタイは全国的に暑くなってきている。
風の少ないバンコクはもとより、ここイサーンでも日中の日射しはもちろんだが、家の中にいて何もしなくても、じわじわと汗が滴ってくる季節になった。
そして子供たちも、いつの間にか期末テストが終わり、一人また一人と夏期休みに入っている。
そんな暑さの中で、ふと真夏の空を見上げて思い出した・・・・。
そうだ!そういえば、今年の冬はあの空に舞うチュラー凧の姿も見た記憶がないが、その朝昼構わず鳴り続ける独特な音色を聞くこともなかった。(『ワーオの音色』 http://mic.namjai.cc/e5246.html 参照)
そうだった、そういえば毎年、正月が終わってもしつこいくらいに聞かれる、お客の「ねえ、もう『粗品の服』は終わっちゃったの?一枚くらい残ってないの?まだ、一枚ももらってないんだよ。」という正月の店の名前入りの長袖シャツの要求もほとんど聞かれなかった。(『年末が近づくと・・』 http://mic.namjai.cc/e18054.html 参照)
そう、今年の冬は例年に無く寒くなかったのだ。
北風が吹かないから凧が揚げられない。
寒くないから、長袖シャツを着たいという感覚が半減する(日よけ目的で着る人もいるが・・)。
そういうわけで、すっかり暑くなってきた今日、不意に、今年の冬が幻のように通り過ぎて行ったことを自覚したのだった。
やはり地球温暖化による異常気象の一端なのだろうか。
最近では、タイでも、「地球温暖化対策」などが叫ばれているが、そういうことを言うのは一部の知識人ばかりで、一般の民衆にはまったく変化がないというのが私の感想である。
第一、教育省からの指示なのか、学校の美術の時間に「地球温暖化」についてのポスターを書くように指導される。
子供たちは、一所懸命頭をひねって、よくある森林伐採や、自然環境の保護などという主題の課題を提出する。
しかし・・・・。
問題は、そういうことを書かせる学校の先生でさえ、その辺で買ったルーク・チン(串刺しの肉団子)や果物の入ったビニール袋、ペットボトルなどを、飲食が終われば、道端でも道路の真ん中でも「ポイッ!」と捨てる。
そういう大人を見て育つ子供たちも、当然大人に見習って同じ事をする。
それが「常識」になるからだ・・・・。
「世界中の人が協力して、地球温暖化を防ごう!~SAVE THE EARTH~」
などと、掲げるのはいいが、所詮、タイ人にとっては夢物語に過ぎないような気がするのは、私だけだろうか?
そういう、外国からの知識を持ち込んでも、何故かその知識だけが、宙にフワフワ浮いてしまっている気がするのは、タイの田舎だからなのだろうか?
今週の更新を予定しています↓
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イサーンで暮らす我が家の子供たちとの生活に重点を置いた、姉妹ブログ 『子供に学ぶタイ語』 http://lawan.namjai.cc/ も併せてお楽しみください。
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2010年02月26日
氾濫する日本語?
オークパンサー後のこの数ヶ月、かなり忙しい状況の我が家である。
オークパンサーの後は他の時期でもある稲刈りや芋の収穫のほかに、何よりもオーイ(サトウキビ)の収穫が始まるので、農作業用の耕運機やトラクターのほかに、その収穫物の運搬用の中型大型トラックの部品もよく売れる。
何しろ、動けばどこか壊れるのがタイの自動車なので、仕事に使おうと思った途端に壊れて、修理・・・・という状況なのである。
そういうわけで、最近は、我が家もお陰さまでだいぶ売り上げが伸びて、忙しくて悲鳴を上げている状況だったりする。
さて、商品が売れれば、その補充に仕入れも増えてくるわけで、このところ、週に3回来る運送会社のトラックが毎回どっさりと商品を運んでくる・・・・。
そうすると、忙しくなるのは私である。
我が家の主人は、『店主様』なので、こういう下っ端の仕事は何故かやろうとしない。
普通、嫁が外国人なのだから、店には出ず、家の奥で家事をしている・・・と思うのが普通だが、何故か、我が家は外国人の嫁が店の在庫チェックから、仕入れの注文、届いた商品のチェックと価格付け、そして接客はもちろん、職人的作業までやらされている。
今日も、お客が「あんたは自国にいたときから、こう言う仕事をやっていたのか?」と聞かれた。
もちろん、接客業も初めてなら、自動車の部品なんて触ったこともなかったのに・・・。
それはさておき・・・。
そういうわけで、今日も山のようにいくつかの会社から届いた私への仕事。
それをチェックしているうちに、こんな商品の箱が目に留まった。

一体何が言いたいのか・・・?

側面にもやはり同じ文字の列が・・・。

中身はブレーキディスク(と日本語では言うらしい・・)。
この日本語(というより平仮名の羅列・・)と、この「カーム・ブレーキ」(ブレーキディスクのタイ語)の間に一体どんな繋がりが・・・?
よくある日本語(というより雑誌の文字を切り抜いたような単語)がプリントしてあるTシャツではないが、日本語の分かる人にはよく分からない・・という難解な日本語もどきの世界・・・・。
Tシャツなどはファッションで日本語がカッコいいと言うことなのかも知れないが、こういう自動車部品などでは、タイの自動車市場の大半を占める日本車の普及率と、日本車人気で、その部品も日本語(もどき)で表示するだけで、日本語がよく分からない一般人には「おお!日本製か!純正部品だ!」などという誤解を与えるのだろうか、とても売りやすいようだ。
日本人の私が見れば、明らかに中国製や韓国製、もしくはタイ国内製の部品にあやしい「中国人の書いた日本語」や「タイ人の書いた日本語」が印刷されているに過ぎないのだが、普通のタイ人には見分けはつかない。
それも、田舎の農作業者などはもちろんのこと、自動車部品のセールスマンでさえ、日本製だと信じていたりするから困ったものだ。
真顔で、「これは日本の純正部品だから、高いんです。」などと説明してくるが、印刷されているのは、簡体字の混じった日本語だったりする。
私が普通のタイ人だったら、「そうなんですか。」などと納得させられてしまいそうだが、こんなイサーンの片隅に住んでいても日本人は日本人。
「偽物じゃん・・・。」と内心思いながら、薄ら笑いを浮かべる。
そういえば、先日届いた荷物にもこんな商品が入っていた。

これは、溶接用の持ち手。その箱には誤解を与えるようなカタカナが・・・。
荷物の箱を開けて、これを最初に見たときは、一瞬目が点に・・・・・。
しばらく日本語を見慣れていない私には、
「タイクソ」としか読めなかった・・・・。
「タイクソ」とは、タイに恨みでも持っている人が、タイの悪口を書いたのか?
・・・・いや、待てよ。この手のカタカナはどこかで見たことがあるような・・・・。
そうだ、日本語を見よう見真似で練習した主人の書くカタカナに似ている。
カタカナの文字のバランスと言うか、角度や長さが微妙に違って別の文字に見える。
文字を一つずつ単体で覚えていき、全部覚えていないから、角度の違いで別の文字になってしまうということに気がつかない。
私たち、外国人がタイ文字を習うのにも共通する。長さの違いや向きの違いなどで別の文字になるのが、全体で覚えていないと、タイ文字初心者はよく間違えてしまったりする。
ところで、この「タイクソ」とはいったい何なのだろう?
その答えが、この箱をあらゆる側面から見直しても分からない。そして、中身を箱から出してようやく分かった・・・・。
中身の「溶接用の持ち手」(タイ語の直訳ですみません。日本語の呼び名が分かりません。)の持ち手部分に刻印されていたのは、
「MADE IN TAIWAN」 の文字。
ああ、なるほど・・・。
「タイクソ」ではなく、「タイワン」だったのか!
何故か、日本語(もどき)を使って「台湾製」ということをアピールしていたのだった。
わざわざ台湾をアピールしている商品。だがこれでも、普通のタイ人は日本製だと誤解するのだろう。
今に始まったことではないが、巷に氾濫する日本語に可笑しさをこらえきれない今日この頃である。
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何しろ、動けばどこか壊れるのがタイの自動車なので、仕事に使おうと思った途端に壊れて、修理・・・・という状況なのである。
そういうわけで、最近は、我が家もお陰さまでだいぶ売り上げが伸びて、忙しくて悲鳴を上げている状況だったりする。
さて、商品が売れれば、その補充に仕入れも増えてくるわけで、このところ、週に3回来る運送会社のトラックが毎回どっさりと商品を運んでくる・・・・。
そうすると、忙しくなるのは私である。
我が家の主人は、『店主様』なので、こういう下っ端の仕事は何故かやろうとしない。
普通、嫁が外国人なのだから、店には出ず、家の奥で家事をしている・・・と思うのが普通だが、何故か、我が家は外国人の嫁が店の在庫チェックから、仕入れの注文、届いた商品のチェックと価格付け、そして接客はもちろん、職人的作業までやらされている。
今日も、お客が「あんたは自国にいたときから、こう言う仕事をやっていたのか?」と聞かれた。
もちろん、接客業も初めてなら、自動車の部品なんて触ったこともなかったのに・・・。
それはさておき・・・。
そういうわけで、今日も山のようにいくつかの会社から届いた私への仕事。
それをチェックしているうちに、こんな商品の箱が目に留まった。
一体何が言いたいのか・・・?
側面にもやはり同じ文字の列が・・・。
中身はブレーキディスク(と日本語では言うらしい・・)。
この日本語(というより平仮名の羅列・・)と、この「カーム・ブレーキ」(ブレーキディスクのタイ語)の間に一体どんな繋がりが・・・?
よくある日本語(というより雑誌の文字を切り抜いたような単語)がプリントしてあるTシャツではないが、日本語の分かる人にはよく分からない・・という難解な日本語もどきの世界・・・・。
Tシャツなどはファッションで日本語がカッコいいと言うことなのかも知れないが、こういう自動車部品などでは、タイの自動車市場の大半を占める日本車の普及率と、日本車人気で、その部品も日本語(もどき)で表示するだけで、日本語がよく分からない一般人には「おお!日本製か!純正部品だ!」などという誤解を与えるのだろうか、とても売りやすいようだ。
日本人の私が見れば、明らかに中国製や韓国製、もしくはタイ国内製の部品にあやしい「中国人の書いた日本語」や「タイ人の書いた日本語」が印刷されているに過ぎないのだが、普通のタイ人には見分けはつかない。
それも、田舎の農作業者などはもちろんのこと、自動車部品のセールスマンでさえ、日本製だと信じていたりするから困ったものだ。
真顔で、「これは日本の純正部品だから、高いんです。」などと説明してくるが、印刷されているのは、簡体字の混じった日本語だったりする。
私が普通のタイ人だったら、「そうなんですか。」などと納得させられてしまいそうだが、こんなイサーンの片隅に住んでいても日本人は日本人。
「偽物じゃん・・・。」と内心思いながら、薄ら笑いを浮かべる。
そういえば、先日届いた荷物にもこんな商品が入っていた。
これは、溶接用の持ち手。その箱には誤解を与えるようなカタカナが・・・。
荷物の箱を開けて、これを最初に見たときは、一瞬目が点に・・・・・。
しばらく日本語を見慣れていない私には、
「タイクソ」としか読めなかった・・・・。
「タイクソ」とは、タイに恨みでも持っている人が、タイの悪口を書いたのか?
・・・・いや、待てよ。この手のカタカナはどこかで見たことがあるような・・・・。
そうだ、日本語を見よう見真似で練習した主人の書くカタカナに似ている。
カタカナの文字のバランスと言うか、角度や長さが微妙に違って別の文字に見える。
文字を一つずつ単体で覚えていき、全部覚えていないから、角度の違いで別の文字になってしまうということに気がつかない。
私たち、外国人がタイ文字を習うのにも共通する。長さの違いや向きの違いなどで別の文字になるのが、全体で覚えていないと、タイ文字初心者はよく間違えてしまったりする。
ところで、この「タイクソ」とはいったい何なのだろう?
その答えが、この箱をあらゆる側面から見直しても分からない。そして、中身を箱から出してようやく分かった・・・・。
中身の「溶接用の持ち手」(タイ語の直訳ですみません。日本語の呼び名が分かりません。)の持ち手部分に刻印されていたのは、
「MADE IN TAIWAN」 の文字。
ああ、なるほど・・・。
「タイクソ」ではなく、「タイワン」だったのか!
何故か、日本語(もどき)を使って「台湾製」ということをアピールしていたのだった。
わざわざ台湾をアピールしている商品。だがこれでも、普通のタイ人は日本製だと誤解するのだろう。
今に始まったことではないが、巷に氾濫する日本語に可笑しさをこらえきれない今日この頃である。
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2010年02月16日
ヌウ・ナー(田んぼのネズミ)
最近、身近な小動物の死が立て続けにあって、少し傷心気味な私ですが・・・・。
前回書いた、『カテーが逝った朝』の翌日のことでした・・・・。
最近、週末になると毎週のように、我が家から45キロほど離れた義母の家に行き、夕食を一緒に食べるということが続いています。
主人は兄弟の末っ子なので、特に義母を大切にしているところがあります。
ここで、お嫁さんが気の強いタイ人女性だったら、「いつもあんたの実家ばかり行って!うちの実家の親も大切にしてよ!」
などという、些細ないさかいが起きそうなものですが、私は「不満を一つ言えば百どころか万くらい返ってくる」主人に、その手の「親や親戚の付き合い」について不満をこぼすとどういう事態がまっているか、十分承知しているので、全ての不満や愚痴は心にグッと押し込んで、能面のような笑顔?で従って行くのです。
と、そんな風に主人の機嫌を損ねないようにしながら、実家に帰るときは機嫌のよい主人の話に適当に相槌を打ちながら、隣町まで延々と続く30キロの田舎道を、我が家のピックアップ・FORD RANGERに乗って走っていました。
すると・・・・。
その田舎道はほとんどの道程で、両側が芋畑か、田んぼになっているのですが、途中の村を何箇所か通り抜けた辺りで、道路の右側から何か、小さい子猫くらいの大きさの小動物が車の前に飛び出してきました。
我が家は店を閉めてから出てきているので、もうその時刻はすっかり闇に包まれていて、しかも、交通量が少ない、走っているのは、畑仕事を終えて家路に着くトラクターや耕運機くらいのもの。
しかも、そこは人っ子一人いない、街灯もないヘッドライト以外は真っ暗闇な田んぼの真ん中の道だったので、主人も80キロ程度のスピードで走っていたのですが、道路脇の暗闇の田んぼの中から、いきなり出てきたこの物体を「ネズミだ!」と断言した瞬間、私もその動物がうまくタイヤの隙間から逃げられることを願ったのですが・・・・。
「グチャ!」とも「ドンッ!」とも言えぬ、表現し難い鈍い音が、車体の下から微かに聞こえ、その飛び出した物体は、我が家の車の左の前輪に轢かれてしまったのが分かりました・・・・。
主人は轢く前からその鋭い目で「ネズミだ!」と断言したので、「轢いちゃった・・・・。」と言いながら、「でも、大きかったな。」と言ったと思ったら、すぐに停車して、バックしながら事故現場に戻りました。
かなり戻ってもなかなか見つからないので、「ぶつかっただけで、生き延びたのかな?・・・」と諦めようとした瞬間、「いた!」と叫びながら車を飛び出したのは主人です。
やはり、その子猫ほどの小動物の正体は「ヌウ・ナー(田んぼのねずみ)」でした。
主人はさっそく車から降りると、その遺体を車の荷台に放り込み、すぐに車内に戻ってきました。
やっぱり「ヌウ・ナーだった。結構、デカいよ。」と言いつつ、急いで義母の家に向かいました。
数時間後に帰ってきた、私たちは荷物と一緒に、ヌウ・ナーの死体も降ろし、もう夜も遅いので、とりあえずビニール袋に入れて、家の冷凍庫に入れました。

死後数時間後のヌウ・ナーの死体

フラッシュを焚いたら、リアルになってしましました・・・。
モザイクとかが出来ないので・・・すみません。
私は、主人の目を盗んで証拠写真を撮って、さっさと冷凍庫にしまいました。
その前に店の入り口の秤で計ったら、なんと500グラムありました。田んぼのネズミにしても大きい方です。
この瞬間から、このヌウ・ナーは事故の被害動物ではなく、収穫物となりました。
これは、よくあることですが、日本なら市の清掃局が片付けてくれる小動物の死体ですが、タイでは、それぞれ個人的に片付けます。でも、食べない人は、それが道路上に転がっていて、何度も何度も轢き返されたりしても、またそれが腐って異臭を放っても、ひたすら無視します。(『風化する犬たち』http://mic.namjai.cc/e3436.html参照)
逆にネズミや牛カエル、ヤマネコのように食べられる物なら、早い者勝ちで収穫していきます。
犬も食べる人なら拾っていく人がいるかも知れません。
幸い、我が家は家族揃ってこのヌウ・ナーが大好物なので、「サッペーサッター・・・」と祈りを唱えてから、これを収穫物としていただくことにしました。

調理法は、もちろん毛を焼いてから、腹部を開いて漬け汁に一晩漬け込み、丸焼きにします。
今回は予想外の収穫物で、一匹しか手に入らなかったので、子供たちに譲りました。
ほんの一週間足らずの間に連続して体験した小動物の死ですが、それぞれに全く違った感覚がありました。
いろいろなことを考えさせられた一週間でした。
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最近、週末になると毎週のように、我が家から45キロほど離れた義母の家に行き、夕食を一緒に食べるということが続いています。
主人は兄弟の末っ子なので、特に義母を大切にしているところがあります。
ここで、お嫁さんが気の強いタイ人女性だったら、「いつもあんたの実家ばかり行って!うちの実家の親も大切にしてよ!」
などという、些細ないさかいが起きそうなものですが、私は「不満を一つ言えば百どころか万くらい返ってくる」主人に、その手の「親や親戚の付き合い」について不満をこぼすとどういう事態がまっているか、十分承知しているので、全ての不満や愚痴は心にグッと押し込んで、能面のような笑顔?で従って行くのです。
と、そんな風に主人の機嫌を損ねないようにしながら、実家に帰るときは機嫌のよい主人の話に適当に相槌を打ちながら、隣町まで延々と続く30キロの田舎道を、我が家のピックアップ・FORD RANGERに乗って走っていました。
すると・・・・。
その田舎道はほとんどの道程で、両側が芋畑か、田んぼになっているのですが、途中の村を何箇所か通り抜けた辺りで、道路の右側から何か、小さい子猫くらいの大きさの小動物が車の前に飛び出してきました。
我が家は店を閉めてから出てきているので、もうその時刻はすっかり闇に包まれていて、しかも、交通量が少ない、走っているのは、畑仕事を終えて家路に着くトラクターや耕運機くらいのもの。
しかも、そこは人っ子一人いない、街灯もないヘッドライト以外は真っ暗闇な田んぼの真ん中の道だったので、主人も80キロ程度のスピードで走っていたのですが、道路脇の暗闇の田んぼの中から、いきなり出てきたこの物体を「ネズミだ!」と断言した瞬間、私もその動物がうまくタイヤの隙間から逃げられることを願ったのですが・・・・。
「グチャ!」とも「ドンッ!」とも言えぬ、表現し難い鈍い音が、車体の下から微かに聞こえ、その飛び出した物体は、我が家の車の左の前輪に轢かれてしまったのが分かりました・・・・。
主人は轢く前からその鋭い目で「ネズミだ!」と断言したので、「轢いちゃった・・・・。」と言いながら、「でも、大きかったな。」と言ったと思ったら、すぐに停車して、バックしながら事故現場に戻りました。
かなり戻ってもなかなか見つからないので、「ぶつかっただけで、生き延びたのかな?・・・」と諦めようとした瞬間、「いた!」と叫びながら車を飛び出したのは主人です。
やはり、その子猫ほどの小動物の正体は「ヌウ・ナー(田んぼのねずみ)」でした。
主人はさっそく車から降りると、その遺体を車の荷台に放り込み、すぐに車内に戻ってきました。
やっぱり「ヌウ・ナーだった。結構、デカいよ。」と言いつつ、急いで義母の家に向かいました。
数時間後に帰ってきた、私たちは荷物と一緒に、ヌウ・ナーの死体も降ろし、もう夜も遅いので、とりあえずビニール袋に入れて、家の冷凍庫に入れました。
死後数時間後のヌウ・ナーの死体
フラッシュを焚いたら、リアルになってしましました・・・。
モザイクとかが出来ないので・・・すみません。
私は、主人の目を盗んで証拠写真を撮って、さっさと冷凍庫にしまいました。
その前に店の入り口の秤で計ったら、なんと500グラムありました。田んぼのネズミにしても大きい方です。
この瞬間から、このヌウ・ナーは事故の被害動物ではなく、収穫物となりました。
これは、よくあることですが、日本なら市の清掃局が片付けてくれる小動物の死体ですが、タイでは、それぞれ個人的に片付けます。でも、食べない人は、それが道路上に転がっていて、何度も何度も轢き返されたりしても、またそれが腐って異臭を放っても、ひたすら無視します。(『風化する犬たち』http://mic.namjai.cc/e3436.html参照)
逆にネズミや牛カエル、ヤマネコのように食べられる物なら、早い者勝ちで収穫していきます。
犬も食べる人なら拾っていく人がいるかも知れません。
幸い、我が家は家族揃ってこのヌウ・ナーが大好物なので、「サッペーサッター・・・」と祈りを唱えてから、これを収穫物としていただくことにしました。
調理法は、もちろん毛を焼いてから、腹部を開いて漬け汁に一晩漬け込み、丸焼きにします。
今回は予想外の収穫物で、一匹しか手に入らなかったので、子供たちに譲りました。
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2010年02月12日
カテーの逝った朝
昨日の朝のことです。
朝食の支度を済ませ、6時半の開店にあわせて、店を開けようと外に出た私は、靴箱の前に入れておいた飼育カゴの中で、カテーが息絶えているのを見つけました。
以前、このブログの記事でも紹介したことのある(『カテー(縞リス)』(http://mic.namjai.cc/e12589.html)参照。)まだ子供のカテーで、たった数ヶ月の命でした。
飼い始めてしばらくは、本当にやんちゃというか元気一杯で、かごの中を毎日、グルグル飛び回っていたものでした。
タコップの実が大好きで、長~い舌を突っ込んではその甘い果汁を吸っている姿は本当に愛らしかったものです。
それが、昨年末辺りから、少しずつ体毛が抜けるようになり、カテーの生態に詳しくもない私たちは、「冬が近づいてきたから、毛が生え代わるのだろう」とか、元気に飛び回る時間より、静かに寝ている時間が多くなったことにも、「カテーも他の動物のように冬眠するのだろう」などと、勝手な憶測で大して気にも留めていませんでした。
それが、顔の上部の毛がかなり抜けて来たころから、「おかしいかも?もしかして『キー・ルアン』じゃないか?」ということを言い始めた人がいて、「そうなのかな?でも、犬なんかはキー・ルアンでも、そのまま生きているから・・」と楽観していました。
『キー・ルアン』とは、細菌の感染によって起こる皮膚病の一種だそうです。
タイにはよくこの手の皮膚病に掛かった野良犬・飼い犬が多くいるので、それほど重い病気と言う認識がなかったのです。
それが、盛んに手足をかきむしるようになり、前足も変形していきました。
何とかしなくては、と思い、チャイヤプムの街中の動物クリニックに連れて行ったのが先月の末ごろ・・・・。
でも、普段、犬や猫といった比較的大きなペットを相手にしているクリニックの先生も、この野生に近い、小さなカテーにはお手上げでした。
『キー・ルアン』だという所見は一致したのですが、犬や猫にする注射はこの小さなカテーには無理。
飲み薬も、捕まえたら噛み付くだろうということで無理・・・・。
でも、粘りにねばって、どうにか、スポイト状の道具でカテーの手足に薬を塗って、手足を舐めるというカテーの習性を利用して、なんとか飲ませる薬を出してもらいました。
それから、まだ2週間も経っていない昨日の朝、まだ子供のカテーは、一匹で天国に昇りました。
私はカテーが大好きだったタコップの木の根元に、手の平よりも小さな穴を掘り、そのなかにそっとカテーの身体を寝かせ、大好きだったタコップの実をいつものように、両手一杯に拾ってきて一緒に埋めました。
カテーが大好きだったタコップの木になる真っ赤な実
もともと、主人が借りに行った田んぼの水の吸い上げポンプの中にいた、赤ちゃんカテー。
親カテーが逃げてしまったのと、我が家の子供たちが喜ぶだろうと主人が持ち帰って来たのに、結局、私が一番可愛がっていて、 『お母さんの愛娘』 (メスだったので・・)とまで呼ばれていた我が家のカテー。
昨日から、心の中にぽっかり穴が空いてしまったような私です。
でも、タイでは普通、「死」に対して、「現世の苦しみから解放されて楽になる」という考え方から、「サバーイ・レーオ」(楽になった)と言い、死を越えて新しい来世に旅立ったことを祝福します。
我が家のカテーは、まさに病気に苦しんでいたので、本当に「楽になってよかった」のかも知れません。
それにしても、最近は身近な動物の死が続いたので、少し沈みがちになってしまっている今日この頃です。
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2010年02月07日
チャボの親子
我が家に新しく来た仲間のチャボの親子
先日、チャボの親子が我が家に来ました。
母チャボの後を追い回すヒヨコたちの姿は、愛らしくて、私は久しぶりに癒されていました・・・。
母子でチョコチョコ歩く姿に癒されました。
ところが、昨日のことです。
朝早くから出かけようとした、主人が、車から戻って来て、
「トリ!トリは?」
と騒ぎ始めました。
車のドア近くにはたくさんの羽が落ちていて、それが母チャボの物だということは私でも分かりました。
ご丁寧に犯犬の足跡も残っていました。
落ちている羽を追って行くと・・・・。
義姉の家の庭先にヒヨコの死骸が・・・・。
またさらに進むと、その先の家の庭先にも。
もう赤アリが貪りはじめた変わり果てた姿となった、ヒヨコたちを回収し、チャボの親子がここに来てからの数日間、よく遊んでいた、庭先のマヨムの木の根元に埋葬しました。
実は、この犯犬は見当がついています。
それは、数年前、我が家の愛犬を2匹毒殺した、近所のじいさんの孫の飼い犬です。
数年前、自分の飼っているニワトリを近所の犬が追いかけるからという理由で、近所で飼われていた犬を次から次へと、肉団子に毒を混ぜて毒殺したという、近所では周知の事実として、「犬の毒殺者」と呼ばれるじいさんです。
二匹の愛犬の死に様があまりに可哀想だったため、我が家はそれ以来、犬は飼わないことになっています。
と、今回、我が家がニワトリやチャボを飼ったら、向こうが犬を飼っていて、あちらにやられてしまいました。
何かの因縁なのか・・・・。
ここタイでは、あまり表立って恨みを買うとすぐ命に関わるので、過去の犬の毒殺事件のときも、今回のチャボの親子虐殺事件も、表立っては抗議など出来ません。
話せば分かるという社会ではないのです。
話し合いで解決する・・・などと甘いことを考えていると、いつ後ろから刺されたり、撃たれたりするか分かりません。
何よりも、表面上は穏やかに・・・・。
私は、過去の事件で犬が殺されてから、今までそのじいさんの顔を見ると、そのことを忘れたことなど一日もありませんが、表面上は何事もなかったかのように、穏やかな近所関係を続けています。
家の前に 「カム・ターム・サノーン」(因果応報)
と書いた、張り紙を貼ってやろうか・・とか、毒殺された愛犬の写真をじいさんの家の前に貼ってやろうか・・などと考えたりしましたが、どれも、私の妄想の域で留めています。
今回も、可愛いチャボの親子を殺された恨みを心に秘めながら、より良い近所関係を続けて行かなければなりません。
あ~・・・・またストレスが溜まる・・・ということで、今回はブログに書いてみました。
皆さんも、タイでの人間関係には十分気をつけましょう。
明日の朝のニュースや夕刊の三面記事のネタにならないためにも・・・。
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2010年01月25日
怒りの鉄拳!
このところ、タイ田舎生活の様々な理不尽にも慣れ、客の横柄な態度や暴言、無茶苦茶な値段交渉にも、「仏の(作り)笑顔」で接することの出来るようになった私だった。
ところで、今日の昼下がり・・・と言うにはもう遅い、夕方が近づいてきた時刻に、車のヘッドライトを買いに来た客がいた。
普段、こんな時間では、前々から壊れていた人でもなければ、電気関係の部品はあまり買いに来ないのだが、その私より年上らしい男性は切羽詰ったような態度で、
「修理屋さんはいませんか? ヘッドライトが片方切れてしまって・・・・。」(テールランプやヘッドライトの不備は警察の良いカモになる。)
「さきほど、そこのダイナモの店(電気修理屋)で、付け替えようと思ったら、部品のライトがないと言われて、こっちに来るように言われたんですが・・・。」
それはそうだ。
そこのダイナモの店は、主にうちに部品を取りに来ているのだから、うちで買ってそこで付けるのが当然なのだ。
そして、ライトの種類を説明して値段も言って、客はライトを選んだのだが、私に、「付けてくれ」という。
それは、やれば出来るかも知れないけど、これはあっちの店の仕事である。うちで全部やってしまっては、修理屋の仕事がなくなる。
というわけで、当然、その店に戻るように勧めたところ、「だめです。修理屋もスタッフももう、酔っ払っているから・・・。」と言う。
確かに、その店は昼間から・・というより、朝から酒臭いことも多く、夕方には大宴会も稀ではないらしかった。
でも、まだ、午後3時か4時・・・・。
ヘッドライトを付け替えてやるくらいの仕事はしろよ!と思いながら、私も困ってしまった。
別に、その人がうちで買わずにもう少し先の他の店に行くというのなら、それはそれで別に構わなかった。
しかし、途方にくれたその人は、車両ナンバーからこの辺の人ではないらしく、私がもう少し先に別の店があると言っても、聞いていないようで、「仕方がない・・・・。今夜はここに寝て、明日の朝早くに出発しよう・・。途中で捕まるのも怖いから・・・。」と、我が家の店先に車を停めて寝る・・と私に同意を求めるように聞くのである。
私は、中にいた主人に付け替えられる聞いたが、「無理だ」と一言で却下。
仕方がないので、客のところに戻ると、何とも言えない寂しそうな表情で、車に乗り込み、ゆっくりゆっくり寝る場所を探して元来た修理屋の方にバックし始めた。
私は、その人が可哀想なのと、自分たちが付けて上げられないのもあって、その仕事もせずに、昼間から宴会をしている修理屋のオヤジ(私より年下だが・・)に、無性に腹が立ってきて、主人に、
「ねえ、私がこれ(交換するライト)を持っていって、『付けてくれ!』って言ったら、あの店のオヤジ付けてくれるかな?」
と、フツフツ煮えくり始めた腹の中を押さえて、まるで、ズンズン!とでも音がするように、早足で、ドカドカと百メートルも離れていない、その店に歩いて行った。
そして、内心では、「これで、まだ酔ってふざけたことを言ったら、『怒りの鉄拳』ではないが、「怒りのバケツの水」でもぶっ掛けてやろう!」などと思いつつ、店の前で飲んでいるオヤジたちの前に乗り込んだ。
ところが、オヤジは怒りが頂点に達した私のただならぬ形相を察したのか、
「おや!どうしたんですか?」とニコニコしながら聞いてきたので、私が、バックしてちょうど店の前に来ていた車を目の端で見て、いつにない大きな声で、
「これ!付けてもらえませんか?」と聞くと、
「ああ、おやすいご用だ!」と言いながら、自分の店のスタッフに取り付けるように指示を出した。
いつも店にいる私がわざわざ出向いたので、ビックリしていた様子だったが、すぐに、
「ああ、代金は精算して行ってください。」
と、自分が客から集金すれば入る、パーセントを要らないとでも言うような遠慮を見せた。
そこで、客から代金をもらって、客に対して、丁寧に「ありがとうございました。」を言うと、また早足で自分の家に帰った。
実のところ、仕事中に酒など飲んで酔っ払っている修理屋は他にもいるのだが、この修理屋にここまで腹が立ったのは、もう、何年も払っていない我が家の部品代のツケを全く払おうとしないのに、昼間からこんな酒盛りをしているのだということ。
そして、奥さんと二人の子供がいるのだが、下はまだ小さいし、上の子は小6なのに、おばあちゃんの手伝いをして、放課後や土日は市場で野菜を売っている。
その上、奥さんは昼間はこの修理屋を手伝って部品を買いに行ったり、家の家事もあるのに、やはり「プラー・トゥ」(という鰯の仲間の魚)を売るために、昼間の空いた時間は市場にある旦那の実家で、魚の仕込みをしており、我が家に部品を買いに来たりすると、魚の生臭いにおいがプンプンして、いつも大変だな~と同情していたことがある。

いつも、奥さんが仕込んでいる「プラー・トゥ」
しかも、うちの主人が近所だからと遠慮して、黙っているのをいいことに、前のツケも払う気配も見せないのに、新しい部品を買いに来て、「あとで、払いに来るから!」と調子よく言い残して、また去年の暮れに2,3件のツケが増えた・・・・。
もう、我慢できないぞ!と私が爆発しそうな気配を察してか、主人がその後、部品を買いに来たときに、「前のもたくさん残ってるんだから、もうツケはさせない」と言ったところ、それ以後、自分では買いに来なくなった。
さすがに、提げる面もない・・・というところだろうか。
そういう経緯があっての今日の事件だったので、修理屋のオヤジも私の顔を見るなり、「はい!分かりました!」となったわけである。
でも、もし、酔っ払ってまだまだ調子に乗ってたら・・・。
「怒りのバケツの水」を掛けてやりたかった気もする。
・・・・まだソンクラーンにはちょっと早いが・・・・。
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ところで、今日の昼下がり・・・と言うにはもう遅い、夕方が近づいてきた時刻に、車のヘッドライトを買いに来た客がいた。
普段、こんな時間では、前々から壊れていた人でもなければ、電気関係の部品はあまり買いに来ないのだが、その私より年上らしい男性は切羽詰ったような態度で、
「修理屋さんはいませんか? ヘッドライトが片方切れてしまって・・・・。」(テールランプやヘッドライトの不備は警察の良いカモになる。)
「さきほど、そこのダイナモの店(電気修理屋)で、付け替えようと思ったら、部品のライトがないと言われて、こっちに来るように言われたんですが・・・。」
それはそうだ。
そこのダイナモの店は、主にうちに部品を取りに来ているのだから、うちで買ってそこで付けるのが当然なのだ。
そして、ライトの種類を説明して値段も言って、客はライトを選んだのだが、私に、「付けてくれ」という。
それは、やれば出来るかも知れないけど、これはあっちの店の仕事である。うちで全部やってしまっては、修理屋の仕事がなくなる。
というわけで、当然、その店に戻るように勧めたところ、「だめです。修理屋もスタッフももう、酔っ払っているから・・・。」と言う。
確かに、その店は昼間から・・というより、朝から酒臭いことも多く、夕方には大宴会も稀ではないらしかった。
でも、まだ、午後3時か4時・・・・。
ヘッドライトを付け替えてやるくらいの仕事はしろよ!と思いながら、私も困ってしまった。
別に、その人がうちで買わずにもう少し先の他の店に行くというのなら、それはそれで別に構わなかった。
しかし、途方にくれたその人は、車両ナンバーからこの辺の人ではないらしく、私がもう少し先に別の店があると言っても、聞いていないようで、「仕方がない・・・・。今夜はここに寝て、明日の朝早くに出発しよう・・。途中で捕まるのも怖いから・・・。」と、我が家の店先に車を停めて寝る・・と私に同意を求めるように聞くのである。
私は、中にいた主人に付け替えられる聞いたが、「無理だ」と一言で却下。
仕方がないので、客のところに戻ると、何とも言えない寂しそうな表情で、車に乗り込み、ゆっくりゆっくり寝る場所を探して元来た修理屋の方にバックし始めた。
私は、その人が可哀想なのと、自分たちが付けて上げられないのもあって、その仕事もせずに、昼間から宴会をしている修理屋のオヤジ(私より年下だが・・)に、無性に腹が立ってきて、主人に、
「ねえ、私がこれ(交換するライト)を持っていって、『付けてくれ!』って言ったら、あの店のオヤジ付けてくれるかな?」
と、フツフツ煮えくり始めた腹の中を押さえて、まるで、ズンズン!とでも音がするように、早足で、ドカドカと百メートルも離れていない、その店に歩いて行った。
そして、内心では、「これで、まだ酔ってふざけたことを言ったら、『怒りの鉄拳』ではないが、「怒りのバケツの水」でもぶっ掛けてやろう!」などと思いつつ、店の前で飲んでいるオヤジたちの前に乗り込んだ。
ところが、オヤジは怒りが頂点に達した私のただならぬ形相を察したのか、
「おや!どうしたんですか?」とニコニコしながら聞いてきたので、私が、バックしてちょうど店の前に来ていた車を目の端で見て、いつにない大きな声で、
「これ!付けてもらえませんか?」と聞くと、
「ああ、おやすいご用だ!」と言いながら、自分の店のスタッフに取り付けるように指示を出した。
いつも店にいる私がわざわざ出向いたので、ビックリしていた様子だったが、すぐに、
「ああ、代金は精算して行ってください。」
と、自分が客から集金すれば入る、パーセントを要らないとでも言うような遠慮を見せた。
そこで、客から代金をもらって、客に対して、丁寧に「ありがとうございました。」を言うと、また早足で自分の家に帰った。
実のところ、仕事中に酒など飲んで酔っ払っている修理屋は他にもいるのだが、この修理屋にここまで腹が立ったのは、もう、何年も払っていない我が家の部品代のツケを全く払おうとしないのに、昼間からこんな酒盛りをしているのだということ。
そして、奥さんと二人の子供がいるのだが、下はまだ小さいし、上の子は小6なのに、おばあちゃんの手伝いをして、放課後や土日は市場で野菜を売っている。
その上、奥さんは昼間はこの修理屋を手伝って部品を買いに行ったり、家の家事もあるのに、やはり「プラー・トゥ」(という鰯の仲間の魚)を売るために、昼間の空いた時間は市場にある旦那の実家で、魚の仕込みをしており、我が家に部品を買いに来たりすると、魚の生臭いにおいがプンプンして、いつも大変だな~と同情していたことがある。
いつも、奥さんが仕込んでいる「プラー・トゥ」
しかも、うちの主人が近所だからと遠慮して、黙っているのをいいことに、前のツケも払う気配も見せないのに、新しい部品を買いに来て、「あとで、払いに来るから!」と調子よく言い残して、また去年の暮れに2,3件のツケが増えた・・・・。
もう、我慢できないぞ!と私が爆発しそうな気配を察してか、主人がその後、部品を買いに来たときに、「前のもたくさん残ってるんだから、もうツケはさせない」と言ったところ、それ以後、自分では買いに来なくなった。
さすがに、提げる面もない・・・というところだろうか。
そういう経緯があっての今日の事件だったので、修理屋のオヤジも私の顔を見るなり、「はい!分かりました!」となったわけである。
でも、もし、酔っ払ってまだまだ調子に乗ってたら・・・。
「怒りのバケツの水」を掛けてやりたかった気もする。
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2010年01月17日
「ロー・ドゥー・アーカーン」 รอดูอาการ=様子を見る
一昨日のことだった。
我が家の並びのアーカンパニット(商業用住宅)の電機系統の修理屋から、修理を終えて出てきたロット・イテーン(田舎で走っている農作物搬送用のトラックを真似した車)に、その前の大通りを右から直進して来たオートバイが激突した。

KUBOTAのエンジンを前方につけて、日本の中古車のギアや車軸、タイヤを土台にして、あとは鉄と材木で作ったタイ国産車?のロット・イテーンと、後方に見えるのが、奥さんが事故にあった警察官のいる交番
以前から、事故が多発して何度もお祓いの儀式をしている我が家の前の交差点からは少し離れているが、今回も 「何で?」というような不可解な事故だった。
見晴らしはとてもよく、脇道から出るロット・イテーンがスピードを出して大通りに飛び出すはずはないから、オートバイがよそ見でもしなければ、事故が起きようが無い状況だった・・・・。
その原因は事故の瞬間を観ていたわけでもないので何も言えないが、実際そのオートバイはかなりのスピードでぶつかったらしく、オートバイはロット・イテーンの車体の下にもぐりこみ、運転していた女性はロット・イテーンの荷台部分に激突し、飛ばされたらしかった。
事故当初、どちらもそれほどのスピードで走る車でもないので、大した事故ではない思っていた私たちの予想を裏切って、事態はかなり深刻だという話を聞いたのは、その翌日である。
ロット・イテーンを運転していたのは、昨日、我が家にも部品を買いに来た客らしいが、オートバイに乗っていた方は、何と、我が家の斜向かいにある交番に勤務する警察官の奥さんだったという。
事故の直後、地元のレスキュー隊によって、すぐに事故現場から500メートルほどのところにある、「ノンブアラウェー病院」に救急で運ばれたが、医師の所見では、身体の骨折はともかくとして、頚骨にヒビが入っており、しかも多量の脳内出血があるらしく、「ここではとても手をつけられない」ということだったらしく、搬送されてからしばらくして、県中心部の「チャイヤプム病院」に搬送された。
私の家の前を確かに、事故からだいぶ経ってから、チャイヤプムに向かう救急車が通ったので、私も何となく、「あ~、ここじゃダメなんだな・・・。」と思ったのを覚えている。
ところが、ここ県で一番大きな病院でも、手の施しようがないというのか、手術に踏み切る医師がいない。
結局、田舎の病院と同じように「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ =「様子を見ましょう」)と言われ、またまた数時間の
「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)の後、今度はここチャイヤプムよりはマシだろうと思われる、コラートの病院に搬送されて行ったという。その後の消息はまだ伝わっていないが・・・。
ところで、「しばらくして」というのは、多分「2~3時間経って」くらいの時間が流れていたと思う。
その間、この田舎の病院でレントゲンや医師の診察のあと、またあの無駄な時間 「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)が流れていたのだろう。
概ね、田舎の病院で 「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)という言葉が出たら、それは「様子を見ましょう」ではなく、「手の施しようがない」という意味と等しい。
医師も手がつけられないから、見ているだけなのである。
以前にも、我が家の近くの病院で、「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)と言われて、「とりあえず点滴」程度の処置しかしてもらえず、病院のベッドの上で息を引き取ったケースはいくつもある。
難産で、子供が出て来れず、そのまま母体が犠牲になったケースもある。
また、身近なところでは、主人の親友の兄が草むらでコブラに咬まれこの病院に運ばれたが、例のごとく、「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)と言われ、隣町の病院にはあったという、コブラの血清を注射してもらえず、何の設備もないこの病院で2~3日の安静のあと、病院のベッドで息を引き取った。
しかし、明らかに病院側の過失だと思われるのに、友人の家族も、それで病院や医師を告訴することもない。
これも、その人の「กรรม(業)」(前世や現世で起こした過ち)。
現世での業を終えた後、新しい来世がやってくる・・・という思想に支えられて、世の中が動いている。
人の命の価値が日本のそれとは違うのが、このタイである。
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KUBOTAのエンジンを前方につけて、日本の中古車のギアや車軸、タイヤを土台にして、あとは鉄と材木で作ったタイ国産車?のロット・イテーンと、後方に見えるのが、奥さんが事故にあった警察官のいる交番
以前から、事故が多発して何度もお祓いの儀式をしている我が家の前の交差点からは少し離れているが、今回も 「何で?」というような不可解な事故だった。
見晴らしはとてもよく、脇道から出るロット・イテーンがスピードを出して大通りに飛び出すはずはないから、オートバイがよそ見でもしなければ、事故が起きようが無い状況だった・・・・。
その原因は事故の瞬間を観ていたわけでもないので何も言えないが、実際そのオートバイはかなりのスピードでぶつかったらしく、オートバイはロット・イテーンの車体の下にもぐりこみ、運転していた女性はロット・イテーンの荷台部分に激突し、飛ばされたらしかった。
事故当初、どちらもそれほどのスピードで走る車でもないので、大した事故ではない思っていた私たちの予想を裏切って、事態はかなり深刻だという話を聞いたのは、その翌日である。
ロット・イテーンを運転していたのは、昨日、我が家にも部品を買いに来た客らしいが、オートバイに乗っていた方は、何と、我が家の斜向かいにある交番に勤務する警察官の奥さんだったという。
事故の直後、地元のレスキュー隊によって、すぐに事故現場から500メートルほどのところにある、「ノンブアラウェー病院」に救急で運ばれたが、医師の所見では、身体の骨折はともかくとして、頚骨にヒビが入っており、しかも多量の脳内出血があるらしく、「ここではとても手をつけられない」ということだったらしく、搬送されてからしばらくして、県中心部の「チャイヤプム病院」に搬送された。
私の家の前を確かに、事故からだいぶ経ってから、チャイヤプムに向かう救急車が通ったので、私も何となく、「あ~、ここじゃダメなんだな・・・。」と思ったのを覚えている。
ところが、ここ県で一番大きな病院でも、手の施しようがないというのか、手術に踏み切る医師がいない。
結局、田舎の病院と同じように「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ =「様子を見ましょう」)と言われ、またまた数時間の
「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)の後、今度はここチャイヤプムよりはマシだろうと思われる、コラートの病院に搬送されて行ったという。その後の消息はまだ伝わっていないが・・・。
ところで、「しばらくして」というのは、多分「2~3時間経って」くらいの時間が流れていたと思う。
その間、この田舎の病院でレントゲンや医師の診察のあと、またあの無駄な時間 「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)が流れていたのだろう。
概ね、田舎の病院で 「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)という言葉が出たら、それは「様子を見ましょう」ではなく、「手の施しようがない」という意味と等しい。
医師も手がつけられないから、見ているだけなのである。
以前にも、我が家の近くの病院で、「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)と言われて、「とりあえず点滴」程度の処置しかしてもらえず、病院のベッドの上で息を引き取ったケースはいくつもある。
難産で、子供が出て来れず、そのまま母体が犠牲になったケースもある。
また、身近なところでは、主人の親友の兄が草むらでコブラに咬まれこの病院に運ばれたが、例のごとく、「ロー・ドゥー・アーカーン」(รอดูอาการ)と言われ、隣町の病院にはあったという、コブラの血清を注射してもらえず、何の設備もないこの病院で2~3日の安静のあと、病院のベッドで息を引き取った。
しかし、明らかに病院側の過失だと思われるのに、友人の家族も、それで病院や医師を告訴することもない。
これも、その人の「กรรม(業)」(前世や現世で起こした過ち)。
現世での業を終えた後、新しい来世がやってくる・・・という思想に支えられて、世の中が動いている。
人の命の価値が日本のそれとは違うのが、このタイである。
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2010年01月14日
朝のニュースから。
あれは一昨日の朝だったか・・・。
普段通りの朝食とお弁当の支度が一段落し、これから朝ごはん!と言うときに、ふとテレビのニュースが耳に入った。
「アムナートチャルーン県に住む33歳の男が、警官を名乗って、女子高生を次々に強姦し、今回逮捕されたが、調べではその被害者は50人以上にも上る。さらにこの事件の問題点は、この男が数年前にHIVウィルスに感染していることが分かっており、事件の被害者は病院で感染の可能性を調べている。」
という内容だった。
タイでは、こういうニュースが朝の食事時でも普通に流れてくる。
数年前だったが、今でも印象が強くて忘れられないのが、中年の男に強姦されたという幼ない少女の遺体が、犯行時のままなのだろう、仰向けになって膝を曲げて両足を広げたままの姿勢で、夕暮れの川の浅瀬の真ん中にポツンと横たわっている、何とも言えない、寂しいような悲しいような切ない映像が、朝の朝食時に流れたことがある。
私は、この映像が忘れられず、今でも子供たちを目の届かない範囲に行かせるのは躊躇してしまう。
バンコクでタクシーに乗らなくなったのも、そのためである。(幸い田舎にはタクシーが存在しない。)
別にタクシー運転手が悪いというわけではないが、タイで見ず知らずの他人の車に乗るのは怖くなった。
話は戻って、今回の事件では、自分エイズに感染していることを知っていて、自暴自棄になっていたのだろうか、他人を巻き添えにしようとは迷惑な話である。
しかも、相手がまだ花も恥らう少女たちだと言うから、まだ未来のある少女たちに犯した罪は非常に重い。
私は、「こういう奴は百回くらい死刑にしても足りない!」と思ってしまった。
善人も悪人も信仰深いタイ人なのだから、こういう場合は、「出家してお寺に入って、心身の修行をしながら仏様に仕え、タムブンをたくさんして、残された人生を全うし、より良い来世のために備える」というところなのに、この有様は・・・。
やはり、タイの一般的な人々は、見掛けほど信仰深いわけでもないようである。
そういえば、これも数年前だが、このチャイヤプムでも、「パタヤでチャイヤプム出身のタイ人女性から、HIVに感染させられたドイツ人の男が、その女性を追って彼女の故郷に来て、その恨みを晴らそうと、次々とチャイヤプム県内の女性たちと交渉し、HIVウィルスに感染させた。」
という事件があった。
そういえば、以前、近所の人と話していたときに、「普通、商売の女性とかが危険だと思われるけど、この田舎で言えば、安全だと思われている普通の村娘の方が、はるかに危険度が高い。何も娯楽のない村だから、好奇心で夜のカラオケなんかで遊んで、酔った勢いでその辺の田んぼや草むらでやっている娘もいるし、恋人がバンコクや他県に出稼ぎに行って感染してくるケースも多い。それに、その村娘を相手にする男は安心しきっていて、全く無防備になっている。」
というようなことを言っていたのを思い出す。
一度の迷いが一生の後悔になることもある。
冒頭の男も、したことは許せないが、自分で感染しようとして感染したわけではないだろう。
でも、それを罪のない、見ず知らずの少女たちで憂さ晴らしとはやはり終身刑だろう。
しかし、どの事件もタイでは「日常」。
この事件が一日中放送されて、お茶の間の話題を独占することはない。ましてや、何日もテレビの取材陣を巻き込むこともない。
朝のニュースはあくまで朝のニュースの一コマで終わる。
それが、どんなに驚くような、残酷な事件でも・・・・。
そして、また普段の時間が過ぎて行く、それがタイの日常である。
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普段通りの朝食とお弁当の支度が一段落し、これから朝ごはん!と言うときに、ふとテレビのニュースが耳に入った。
「アムナートチャルーン県に住む33歳の男が、警官を名乗って、女子高生を次々に強姦し、今回逮捕されたが、調べではその被害者は50人以上にも上る。さらにこの事件の問題点は、この男が数年前にHIVウィルスに感染していることが分かっており、事件の被害者は病院で感染の可能性を調べている。」
という内容だった。
タイでは、こういうニュースが朝の食事時でも普通に流れてくる。
数年前だったが、今でも印象が強くて忘れられないのが、中年の男に強姦されたという幼ない少女の遺体が、犯行時のままなのだろう、仰向けになって膝を曲げて両足を広げたままの姿勢で、夕暮れの川の浅瀬の真ん中にポツンと横たわっている、何とも言えない、寂しいような悲しいような切ない映像が、朝の朝食時に流れたことがある。
私は、この映像が忘れられず、今でも子供たちを目の届かない範囲に行かせるのは躊躇してしまう。
バンコクでタクシーに乗らなくなったのも、そのためである。(幸い田舎にはタクシーが存在しない。)
別にタクシー運転手が悪いというわけではないが、タイで見ず知らずの他人の車に乗るのは怖くなった。
話は戻って、今回の事件では、自分エイズに感染していることを知っていて、自暴自棄になっていたのだろうか、他人を巻き添えにしようとは迷惑な話である。
しかも、相手がまだ花も恥らう少女たちだと言うから、まだ未来のある少女たちに犯した罪は非常に重い。
私は、「こういう奴は百回くらい死刑にしても足りない!」と思ってしまった。
善人も悪人も信仰深いタイ人なのだから、こういう場合は、「出家してお寺に入って、心身の修行をしながら仏様に仕え、タムブンをたくさんして、残された人生を全うし、より良い来世のために備える」というところなのに、この有様は・・・。
やはり、タイの一般的な人々は、見掛けほど信仰深いわけでもないようである。
そういえば、これも数年前だが、このチャイヤプムでも、「パタヤでチャイヤプム出身のタイ人女性から、HIVに感染させられたドイツ人の男が、その女性を追って彼女の故郷に来て、その恨みを晴らそうと、次々とチャイヤプム県内の女性たちと交渉し、HIVウィルスに感染させた。」
という事件があった。
そういえば、以前、近所の人と話していたときに、「普通、商売の女性とかが危険だと思われるけど、この田舎で言えば、安全だと思われている普通の村娘の方が、はるかに危険度が高い。何も娯楽のない村だから、好奇心で夜のカラオケなんかで遊んで、酔った勢いでその辺の田んぼや草むらでやっている娘もいるし、恋人がバンコクや他県に出稼ぎに行って感染してくるケースも多い。それに、その村娘を相手にする男は安心しきっていて、全く無防備になっている。」
というようなことを言っていたのを思い出す。
一度の迷いが一生の後悔になることもある。
冒頭の男も、したことは許せないが、自分で感染しようとして感染したわけではないだろう。
でも、それを罪のない、見ず知らずの少女たちで憂さ晴らしとはやはり終身刑だろう。
しかし、どの事件もタイでは「日常」。
この事件が一日中放送されて、お茶の間の話題を独占することはない。ましてや、何日もテレビの取材陣を巻き込むこともない。
朝のニュースはあくまで朝のニュースの一コマで終わる。
それが、どんなに驚くような、残酷な事件でも・・・・。
そして、また普段の時間が過ぎて行く、それがタイの日常である。
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2010年01月03日
バンコクの風。
バンコクの人々が年末休暇に入った12月の終わり、ここイサーンはチャイヤプムに埋没している私のところに、ブログ仲間&タイ長期在住繋がりでお付き合いさせていただいている、「日本ブログ村」の「タイ情報」ブログの女王・『バンコクヨーキー日記』のNAPPYさんとそのご友人が訪ねて下さった。
実は、それまで声をお聞きしたこともなかったのだが、場所の確認等の必要上、電話で連絡を取り合った。
もう、この時点で私の心臓は、ドキドキ。
何しろ、普段はまともな日本語を日本人と話す機会もない。
電話に出れば、「もしもし・・」とは出て来ない。受話器を取ると、反射的に「ハロ~」と口をついて出てくる毎日。
本来、頭の回転が遅いのか、考えてから話してしまうクセの私は、円滑な会話が苦手で、気心の知れた友人や家族ならともかく、まだ面識もない方に何を話していいか分からない。
とにかく、緊張の連続だった・・・。
しかし、そんな私を上手くリードしてくださって、何とか住所の確認を終え、しばらくすると、NAPPYさんたちが我がバットニャオ家の前に降り立っていた。
この時期に特に多くなる、田舎ではほとんどお目にかかれない乗用車が我が家の前に止まり、都会の風がふわっと舞い込んだような気がした。
今思えばお恥かしいのだが、当日の私は本当に普段着(仕事着)のままで、わざわざバンコクから訪問してくださったお客様に失礼だったかとも思ったのだが、あくまでバットニャオの日常を見ていただくつもりだった・・・という言い訳をして、当初は「少しはお化粧でもした方がいいかな?」とか思ったりもしたものの、結局、いつものまんまのスッピンピンの私で、ご挨拶。
いつもなら、接客や、ハイドリックホースの製作が入ったりで、座る暇もないくらい忙しかったりするのだが、単に正月が迫っているからか、神様が気を遣ってくださったのか、NAPPYさん・ご一行が訪問されている間、全く客足が途切れていたのは幸いだった。
お陰でゆっくりと、店先だったが、ゆっくりと腰掛けて、店の話をしたり、目の前にいる飼いリス(カテー)の餌遣りの話などに花が咲いた。

我が家の飼いカテー。好物は「タコップ」(赤い実)

これがカテーの好物のタコップ
『イサーンに埋没中』の中に登場する、カテーを初め、我が家の全ての事象が虚構ではないという生き証人になっていただいただけでも、本当にありがたい訪問だったのに、普段、イサーンでは入手が非常に困難な、日本食品を初めとする様々なお土産をいただき、本当にお礼の言葉しかなくて申し訳なかった。
まず、長女は頂いた日本米に狂喜し、「米粒が真ん丸くてかわいい~~!」と大騒ぎ。
さっそく、その日の夕飯に「日本米を食べたい!」との強い要望で、我が家の炊飯器に10年ぶりくらいの日本米が入った。
しかし、日本米を砥いでいる私も、「こんなに小さくて丸い粒だっけ?」と久々に見る日本米に戸惑った。
そして、私に何よりも感動を与えたのは、ここチャイヤプムではまず手に入らない、何十冊という日本書籍の山だった。
本来、本屋に入ったら時間の許す限り、居ついてしまうという本屋好きの私だが、わが町には日本語はもちろん、タイ語の本屋さえも存在しない。
あるのは、バスターミナルにある雑誌や新聞くらいで、主人も「本=雑誌または教科書」という認識しかない。
バンコクではそうでもないかも知れないが、田舎の人々にとって、本は高級品だし、生活に無くても困らないもの=不用品なのである。
そんな生活がもう8年も続いたせいか、最近は自分でも活字離れが進んできたような気がしていた。
そこへ頂いた日本書籍の山である。
難民キャンプに届いた、食料品くらいの価値がある。
これからは、この書籍たちがこの埋没生活の中に潤いを与えてくれるだろう・・・。
新鮮なバンコクの風とともに、たくさんの貴重な品を運んでくださった、NAPPYさんとご友人のひーさんに感謝感謝の年末だった。
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もう、この時点で私の心臓は、ドキドキ。
何しろ、普段はまともな日本語を日本人と話す機会もない。
電話に出れば、「もしもし・・」とは出て来ない。受話器を取ると、反射的に「ハロ~」と口をついて出てくる毎日。
本来、頭の回転が遅いのか、考えてから話してしまうクセの私は、円滑な会話が苦手で、気心の知れた友人や家族ならともかく、まだ面識もない方に何を話していいか分からない。
とにかく、緊張の連続だった・・・。
しかし、そんな私を上手くリードしてくださって、何とか住所の確認を終え、しばらくすると、NAPPYさんたちが我がバットニャオ家の前に降り立っていた。
この時期に特に多くなる、田舎ではほとんどお目にかかれない乗用車が我が家の前に止まり、都会の風がふわっと舞い込んだような気がした。
今思えばお恥かしいのだが、当日の私は本当に普段着(仕事着)のままで、わざわざバンコクから訪問してくださったお客様に失礼だったかとも思ったのだが、あくまでバットニャオの日常を見ていただくつもりだった・・・という言い訳をして、当初は「少しはお化粧でもした方がいいかな?」とか思ったりもしたものの、結局、いつものまんまのスッピンピンの私で、ご挨拶。
いつもなら、接客や、ハイドリックホースの製作が入ったりで、座る暇もないくらい忙しかったりするのだが、単に正月が迫っているからか、神様が気を遣ってくださったのか、NAPPYさん・ご一行が訪問されている間、全く客足が途切れていたのは幸いだった。
お陰でゆっくりと、店先だったが、ゆっくりと腰掛けて、店の話をしたり、目の前にいる飼いリス(カテー)の餌遣りの話などに花が咲いた。
我が家の飼いカテー。好物は「タコップ」(赤い実)
これがカテーの好物のタコップ
『イサーンに埋没中』の中に登場する、カテーを初め、我が家の全ての事象が虚構ではないという生き証人になっていただいただけでも、本当にありがたい訪問だったのに、普段、イサーンでは入手が非常に困難な、日本食品を初めとする様々なお土産をいただき、本当にお礼の言葉しかなくて申し訳なかった。
まず、長女は頂いた日本米に狂喜し、「米粒が真ん丸くてかわいい~~!」と大騒ぎ。
さっそく、その日の夕飯に「日本米を食べたい!」との強い要望で、我が家の炊飯器に10年ぶりくらいの日本米が入った。
しかし、日本米を砥いでいる私も、「こんなに小さくて丸い粒だっけ?」と久々に見る日本米に戸惑った。
そして、私に何よりも感動を与えたのは、ここチャイヤプムではまず手に入らない、何十冊という日本書籍の山だった。
本来、本屋に入ったら時間の許す限り、居ついてしまうという本屋好きの私だが、わが町には日本語はもちろん、タイ語の本屋さえも存在しない。
あるのは、バスターミナルにある雑誌や新聞くらいで、主人も「本=雑誌または教科書」という認識しかない。
バンコクではそうでもないかも知れないが、田舎の人々にとって、本は高級品だし、生活に無くても困らないもの=不用品なのである。
そんな生活がもう8年も続いたせいか、最近は自分でも活字離れが進んできたような気がしていた。
そこへ頂いた日本書籍の山である。
難民キャンプに届いた、食料品くらいの価値がある。
これからは、この書籍たちがこの埋没生活の中に潤いを与えてくれるだろう・・・。
新鮮なバンコクの風とともに、たくさんの貴重な品を運んでくださった、NAPPYさんとご友人のひーさんに感謝感謝の年末だった。
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2009年12月26日
稲刈りの季節
主人が体調を崩した今年。
一昨年から始めた、裏の田んぼでの稲作が何とか終了した。
主人の体調が悪くなったのが、ちょうど田植えを始めたばかりの時期だったので、今年は止めるはずだったのが、言い出したら止まらない義母の意向で、現場監督兼作業員の主人が不調のままながらも、気がつけばいつの間にか終わっていた。
毎朝のように掛かってくる、40キロ以上も離れた実家の義母からの電話で、全て段取りがされていたようなものだった。
毎朝6時くらいには、家の電話の呼び出し音が響く・・・。
「ハロー、どう?昨晩は雨が降った?」
「ハロー、今日は風が強いかい?」
毎日、こちらの天候を気にして、時には、朝の6時に、その40キロ以上の距離を、オートバイを飛ばして自ら見に来たことも何度かあった・・・・。
そんな義母の努力と、体調不良を押しての主人の頑張りで、昨年の50カソーブ(米袋の単位、1カソーブが50キログラムほど)には及ばなかったが、何とか20カソーブは収穫できたという結果だった。
実は、せっかく、空いてる土地があって(親戚の土地だが)、商売の合間のヒマな時間を利用してという義母の実用と、主人の趣味を兼ねた我が家の稲作なのだが、私も、子供たちも、水を堰止めるための土嚢を積んだり、草刈や肥料の散布、稲刈りにはほぼ家族総出で行かなければならない。
それに、我が家にはトラクターや耕運機もないので、それを頼んで耕したりしてもらうのに、かなりの金額が必要になるし、田植えの作業にも、人を雇って植えるので、そういう人件費などでなんだかんだと出費がかさむ・・・・。
そのため、私をはじめ、子供たちは密かに、
「稲作なんてするよりも、米屋で買ったほうが大変な思いもしなくていいし、時間の無駄もないのに・・・。」
と思っているのだが、「サバーイ!」大好きなタイ人には珍しく、自分の生活態度は棚に上げ、昭和の頑固オヤジのように、
「贅沢やものぐさは敵だ!」
という信念を譲らない主人に聞こえようものなら、お説教の嵐が待ち受けているので、皆、主人の前では口には出さない。
というわけで、昨年、稲刈りに一週間も借り出された長兄の奥さんは、それ以後会うごとに、
「稲刈りの手伝いのせいで、シミが増えて、シミのクリーム代にお金が掛かって仕方がない・・・。」
と、愚痴をこぼされるので、今年は呼ばず、今年は店で商売をする私以外、子供全員が稲刈りに借り出されたので、子供が休みの土日を利用しての稲刈り作業だった。
本来、広い田んぼなら、 稲刈り専用車 「ロット・キャオカーオ」 (http://lawan.namjai.cc/e4525.html参照)
を使って刈りいれるところだが、昨年、一週間待っても順番待ちが空かず、結局人手を頼りに稲刈りをしたので、今年は昨年より旱魃で収穫が少なかったこともあり、あえて「ロット・キャオカーオ」のお世話にはならなかった。

カラフルな戦車のような「ロット・キャオカーオ」と、田舎には走っていない都会帰りの出稼ぎタクシー
ところで、このロット・キャオカーオ。
先にも書いたように、台数も少なく、昨年はあちこちの田んぼで順番待ちで、予約してもなかなか来てくれなかったのだが、今年はどういうわけか、家の前を何十台もの「ロット・キャオカーオ」が毎日のように往来している。
我が家の客に聞いても、今年新たに「ロット・キャオカーオ」を購入した人が何人もいた。
何故? 昨年、あまりにも、需要に対して供給が不足していたからか?
それとも、今年は、KUBOTAのトラクター通称「ロッ(ト)タイ・レック」を購入する人も大勢いることから見て、農業従事者の金回りがよくなって、車両購入の余裕が出てきたのか?
余裕と言えど、中古でも一台数十万から百万バーツくらいはする。
アピシット政権下で、農民への補助対策が出たという話もあるが・・・・。
中には、外国で働いたり、嫁に行った親戚に無心したという話もよく聞くが。
それにしても、隣が始めると同じ事をやりたがる、タイ人の右に倣え精神はここでも発揮されている。
よく、道路脇の土産物屋や、市場の八百屋が同じ品揃えで、ズラーッと軒を並べるのと同じである。
まあ、いくらなんでも、この「ロット・キャオカーオ」は季節的なものでもあるし、ここまで供給が需要を上回ると、すぐに仕事がなくなるのは目に見えているのに・・・。
あと数年もしないうちに、このロット・キャオカーオや、ロッ(ト)タイ・レックはどうなってしまうのだろう。
家の庭で飾り物になるか、もともと部品の寄せ集め的なロット・キャオカーオは分解されて、新たな部品になるのだろうか?
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一昨年から始めた、裏の田んぼでの稲作が何とか終了した。
主人の体調が悪くなったのが、ちょうど田植えを始めたばかりの時期だったので、今年は止めるはずだったのが、言い出したら止まらない義母の意向で、現場監督兼作業員の主人が不調のままながらも、気がつけばいつの間にか終わっていた。
毎朝のように掛かってくる、40キロ以上も離れた実家の義母からの電話で、全て段取りがされていたようなものだった。
毎朝6時くらいには、家の電話の呼び出し音が響く・・・。
「ハロー、どう?昨晩は雨が降った?」
「ハロー、今日は風が強いかい?」
毎日、こちらの天候を気にして、時には、朝の6時に、その40キロ以上の距離を、オートバイを飛ばして自ら見に来たことも何度かあった・・・・。
そんな義母の努力と、体調不良を押しての主人の頑張りで、昨年の50カソーブ(米袋の単位、1カソーブが50キログラムほど)には及ばなかったが、何とか20カソーブは収穫できたという結果だった。
実は、せっかく、空いてる土地があって(親戚の土地だが)、商売の合間のヒマな時間を利用してという義母の実用と、主人の趣味を兼ねた我が家の稲作なのだが、私も、子供たちも、水を堰止めるための土嚢を積んだり、草刈や肥料の散布、稲刈りにはほぼ家族総出で行かなければならない。
それに、我が家にはトラクターや耕運機もないので、それを頼んで耕したりしてもらうのに、かなりの金額が必要になるし、田植えの作業にも、人を雇って植えるので、そういう人件費などでなんだかんだと出費がかさむ・・・・。
そのため、私をはじめ、子供たちは密かに、
「稲作なんてするよりも、米屋で買ったほうが大変な思いもしなくていいし、時間の無駄もないのに・・・。」
と思っているのだが、「サバーイ!」大好きなタイ人には珍しく、自分の生活態度は棚に上げ、昭和の頑固オヤジのように、
「贅沢やものぐさは敵だ!」
という信念を譲らない主人に聞こえようものなら、お説教の嵐が待ち受けているので、皆、主人の前では口には出さない。
というわけで、昨年、稲刈りに一週間も借り出された長兄の奥さんは、それ以後会うごとに、
「稲刈りの手伝いのせいで、シミが増えて、シミのクリーム代にお金が掛かって仕方がない・・・。」
と、愚痴をこぼされるので、今年は呼ばず、今年は店で商売をする私以外、子供全員が稲刈りに借り出されたので、子供が休みの土日を利用しての稲刈り作業だった。
本来、広い田んぼなら、 稲刈り専用車 「ロット・キャオカーオ」 (http://lawan.namjai.cc/e4525.html参照)
を使って刈りいれるところだが、昨年、一週間待っても順番待ちが空かず、結局人手を頼りに稲刈りをしたので、今年は昨年より旱魃で収穫が少なかったこともあり、あえて「ロット・キャオカーオ」のお世話にはならなかった。
カラフルな戦車のような「ロット・キャオカーオ」と、田舎には走っていない都会帰りの出稼ぎタクシー
ところで、このロット・キャオカーオ。
先にも書いたように、台数も少なく、昨年はあちこちの田んぼで順番待ちで、予約してもなかなか来てくれなかったのだが、今年はどういうわけか、家の前を何十台もの「ロット・キャオカーオ」が毎日のように往来している。
我が家の客に聞いても、今年新たに「ロット・キャオカーオ」を購入した人が何人もいた。
何故? 昨年、あまりにも、需要に対して供給が不足していたからか?
それとも、今年は、KUBOTAのトラクター通称「ロッ(ト)タイ・レック」を購入する人も大勢いることから見て、農業従事者の金回りがよくなって、車両購入の余裕が出てきたのか?
余裕と言えど、中古でも一台数十万から百万バーツくらいはする。
アピシット政権下で、農民への補助対策が出たという話もあるが・・・・。
中には、外国で働いたり、嫁に行った親戚に無心したという話もよく聞くが。
それにしても、隣が始めると同じ事をやりたがる、タイ人の右に倣え精神はここでも発揮されている。
よく、道路脇の土産物屋や、市場の八百屋が同じ品揃えで、ズラーッと軒を並べるのと同じである。
まあ、いくらなんでも、この「ロット・キャオカーオ」は季節的なものでもあるし、ここまで供給が需要を上回ると、すぐに仕事がなくなるのは目に見えているのに・・・。
あと数年もしないうちに、このロット・キャオカーオや、ロッ(ト)タイ・レックはどうなってしまうのだろう。
家の庭で飾り物になるか、もともと部品の寄せ集め的なロット・キャオカーオは分解されて、新たな部品になるのだろうか?
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2009年12月18日
ガーン・ジャオポー(土地神のお祭り) ~後編~
さて、前編から期待させてしまった、「ガーン・ジャオポー」のメインイベントとは、実はこういう表面的なお祭り騒ぎだけではないのです。
このイベントは土地神様である「ジャオポー」を祀ったお祭りなのですが、その主催者は建前は「市」ですが、事実上の幹事や役員は、市の商店や工場の経営者です。
毎年、この時期が近づくと、決められた役員たちがピックアップの荷台に乗り込み、市内をひと通りまわって、お祭りの運営資金の寄付を募ります。
店によっても違いますが、我が家は毎年500バーツ出しています。
あくまで本人の気持ちなので、隣のしっかり者の義姉は200バーツしか出さないようです。
この金額に拠って決まるわけではないですが、この寄付をした店主は、2日目のメインイベント、中国式会席料理を食べながらの、ジャオポーのチャリティーオークションに参加出来ます。
我が家がこの市に開業してから8年になりますが、今までオークションで落札したのは、たったの3回です。
最初の品は、砂糖をウサギの形に固めて作った、お皿に乗った「ジャオポーの置物」。3千バーツ也。
でも、これは大失敗。
タイのアリはラップなど物ともしないので、2日で穴を開けて侵入し、3日目には見事なアリのマンションとして、占拠してしまいました。
でも、参加することに意義を感じる主人は、何も気にしない様子でしたが・・・。
しばらく参加せずに数年を過ぎ、昨年、主人が酔った勢いで落札したのが、ジャオポーの「馬の置物」。
これは玉(プラスティックに見えるが・・・)で出来ており、さすがにアリに占拠される心配はないので、大事にしています。
そして、今年。
毎年、数ある実用品を落札しない主人に、しびれを切らし、今年は自分から、「掃除機が欲しいな~。日本から持ってきたのは、(義姉が)プラグの電圧を挿し間違えて、ショートしちゃったし・・」と言ったら、その気になり、「今年は掃除機!!」と意気込んで出かけました。
しかし、あいにく掃除機はタイ人社会には浸透していないせいか、商品になく、代わりにタイ人の必需品・「アイロン」を落札して来ました。
価格は「2,200B」の売値が付いていた有名メーカーのスチームアイロンですが、落札価格は3,500バーツ。
まあ、このオークションは寄付の意味が強いので、こんなものだろうと納得しました。
普段は絶対自分では買わない(買えない?)メーカー、金額のアイロンだったので、棚ボタ的な気分でもありました。
今年は商品購入時期に寒波が来ていたせいか、厚めの寝具類が多く出品され、中には、8,000バーツで落札された毛布もあったそうです。(どんな毛布だ?)
まあ、どの商品にしても、市内の商店の品物が購入されるわけで、地元に利益を還元する、さすがは地元商工会の政策です。
それにしても、「何で、車のタイヤとかエンジンオイルとかオークションに出してくれないんだろう・・・」と思ってしまう私でした。
さて、商品の価値をはるかに上回る、びっくりするような金額ばかり飛び交う落札価格で、毎年最高の金額を稼ぐのがこれです。

中央に細長く輝いているのがそれ!
「フアチャイ・ジャオポー」です。
これでは見難いので夕暮れの姿。

中央に光っている電飾がこのお祭りの本物の主役なのです。
果たして、その実体は・・・・?
日本の幼稚園児が作る七夕の飾りももう少しマシだろうと思われるくらい、伐ってきた竹の笹の部分に何色かの電飾を絡ませただけの、本当にシンプルな飾りです。
見た目はシンプルでも、価格はシンプルではない!というのがこれで、お祭りの主役と呼ばれるくらいなので、その落札価格は他の商品を寄せ付けません。
今年の「フアチャイ・ジャオポー」(このお飾りの呼称です。「ジャオポー・の心臓」と言ったところです。)の落札価格は75,000バーツだったそうです。
落札主は、市でも一番の大商店の建設資材店の社長でした。
落札した店は、この電飾を来年のガーン・ジャオポーの日まで毎日点灯させる権利が有ります。
(私には義務としか感じられませんが・・・電気代もかかるし。)
ちなみに、我が市の隣の市は、規模も大きいので、この(どこの市でもある)「フアチャイ・ジャオポー」の落札金額も大きいらしく、毎年100,000~200,000バーツ単位だそうです。
もちろん、「伐った笹に電飾と飾るだけ」という構成は同じです。
そして、このオークションで集まった収益金で来年もまた市内の商店から商品を買い込み、カオパンサーで冷え切った、市の経済を活性化するという目的に使われます。
これも、国王陛下の推進する「セタキット・ポー・ピャン」(有る物で足りる経済)が浸透してきた証拠でしょうか・・・。
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このイベントは土地神様である「ジャオポー」を祀ったお祭りなのですが、その主催者は建前は「市」ですが、事実上の幹事や役員は、市の商店や工場の経営者です。
毎年、この時期が近づくと、決められた役員たちがピックアップの荷台に乗り込み、市内をひと通りまわって、お祭りの運営資金の寄付を募ります。
店によっても違いますが、我が家は毎年500バーツ出しています。
あくまで本人の気持ちなので、隣のしっかり者の義姉は200バーツしか出さないようです。
この金額に拠って決まるわけではないですが、この寄付をした店主は、2日目のメインイベント、中国式会席料理を食べながらの、ジャオポーのチャリティーオークションに参加出来ます。
我が家がこの市に開業してから8年になりますが、今までオークションで落札したのは、たったの3回です。
最初の品は、砂糖をウサギの形に固めて作った、お皿に乗った「ジャオポーの置物」。3千バーツ也。
でも、これは大失敗。
タイのアリはラップなど物ともしないので、2日で穴を開けて侵入し、3日目には見事なアリのマンションとして、占拠してしまいました。
でも、参加することに意義を感じる主人は、何も気にしない様子でしたが・・・。
しばらく参加せずに数年を過ぎ、昨年、主人が酔った勢いで落札したのが、ジャオポーの「馬の置物」。
これは玉(プラスティックに見えるが・・・)で出来ており、さすがにアリに占拠される心配はないので、大事にしています。
そして、今年。
毎年、数ある実用品を落札しない主人に、しびれを切らし、今年は自分から、「掃除機が欲しいな~。日本から持ってきたのは、(義姉が)プラグの電圧を挿し間違えて、ショートしちゃったし・・」と言ったら、その気になり、「今年は掃除機!!」と意気込んで出かけました。
しかし、あいにく掃除機はタイ人社会には浸透していないせいか、商品になく、代わりにタイ人の必需品・「アイロン」を落札して来ました。
価格は「2,200B」の売値が付いていた有名メーカーのスチームアイロンですが、落札価格は3,500バーツ。
まあ、このオークションは寄付の意味が強いので、こんなものだろうと納得しました。
普段は絶対自分では買わない(買えない?)メーカー、金額のアイロンだったので、棚ボタ的な気分でもありました。
今年は商品購入時期に寒波が来ていたせいか、厚めの寝具類が多く出品され、中には、8,000バーツで落札された毛布もあったそうです。(どんな毛布だ?)
まあ、どの商品にしても、市内の商店の品物が購入されるわけで、地元に利益を還元する、さすがは地元商工会の政策です。
それにしても、「何で、車のタイヤとかエンジンオイルとかオークションに出してくれないんだろう・・・」と思ってしまう私でした。
さて、商品の価値をはるかに上回る、びっくりするような金額ばかり飛び交う落札価格で、毎年最高の金額を稼ぐのがこれです。
中央に細長く輝いているのがそれ!
「フアチャイ・ジャオポー」です。
これでは見難いので夕暮れの姿。
中央に光っている電飾がこのお祭りの本物の主役なのです。
果たして、その実体は・・・・?
日本の幼稚園児が作る七夕の飾りももう少しマシだろうと思われるくらい、伐ってきた竹の笹の部分に何色かの電飾を絡ませただけの、本当にシンプルな飾りです。
見た目はシンプルでも、価格はシンプルではない!というのがこれで、お祭りの主役と呼ばれるくらいなので、その落札価格は他の商品を寄せ付けません。
今年の「フアチャイ・ジャオポー」(このお飾りの呼称です。「ジャオポー・の心臓」と言ったところです。)の落札価格は75,000バーツだったそうです。
落札主は、市でも一番の大商店の建設資材店の社長でした。
落札した店は、この電飾を来年のガーン・ジャオポーの日まで毎日点灯させる権利が有ります。
(私には義務としか感じられませんが・・・電気代もかかるし。)
ちなみに、我が市の隣の市は、規模も大きいので、この(どこの市でもある)「フアチャイ・ジャオポー」の落札金額も大きいらしく、毎年100,000~200,000バーツ単位だそうです。
もちろん、「伐った笹に電飾と飾るだけ」という構成は同じです。
そして、このオークションで集まった収益金で来年もまた市内の商店から商品を買い込み、カオパンサーで冷え切った、市の経済を活性化するという目的に使われます。
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2009年12月15日
ガーン・ジャオポー(土地神のお祭り) ~前編~
タイは「常夏の国」というのは大きな誤解です。
みんな寒さに備えて防寒準備バッチリです。
先週の週末は、我が地元の市を挙げての年に一度の「ガーン・ジャオポー」でした。
「ガーン」はお祭りなどのイベントを意味し、「ジャオポー」は土地の守り神や市街の創始者を意味します。
毎年、わが市は12月の第二週目くらいの週末に開催されるのですが、お祭りにやってきて、荒稼ぎをする露店や子供相手の簡易遊園地は、前の週の週の初めからやってきて、市の中心地に、トータルで2週間くらい居座っていました。
その間、普段こういう乗り物などの娯楽がない、田舎の子供たちは大喜びで毎日通います。
我が家のミックも例外ではありませんが、幸いなことに、我が家は市の中心地から少し外に出ているので、そう毎日は行けません。
まあ、田舎のしかも市と呼ぶには申し訳ないくらいの栄えていない市なので、大した露店やイベントもないのですが、毎年お決まりのように、初日は「モーラム」、二日目は「リケー」という組み合わせになっています。
こういう組み合わせはどこも大体同じで、それに加えて、少し離れた広場で、田舎ではまだ見られない、都会で公開されたばかりの映画を持って来て、若者の人気取りのために上映します。
思いきり「手作り」という感じのミニレール
この作者のセンス・・・。素晴らしくて言葉も出ません。
こういうエアースラーダーも大好き!
でも、足を挫いたりすることも多く危険です。
入り口には中国語が・・・安い中国製を購入し利益を上げる。
さすが、商売人ですね。
さて、お子様・ミックの楽しみは、こういう普段遊べない(年に1~2回)遊具ですが、少し大きくなった上の子供たちの目的は射的や「パーパオ」という風船割りのダーツです。
我が家の子供たち・・・・数年前までは、この「ガーン・ジャオポー」で「パーパオ」をやって目玉商品を獲得しようと、本物のダーツを買って、わざわざ練習に励んだものでした。(そこまでするか・・・?)
店の前は商品のぬいぐるみを物色する人でごった返します。
店の前に吊られたぬいぐるみたち。
店の奥には標的の風船が並びます。
これは、7本のダーツの矢を20バーツで買って、7本全部当てたら好きなぬいぐるみがもらえるタイプと、ぬいぐるみに「120バーツ」とか、「200バーツ」とか値段が付いていて、その目的のぬいぐるみの金額を払って、1本だけダーツの矢を受け取り、その1本が見事当たればそのぬいぐるみがもらえる、ダメなら代金は無駄・・・というタイプもあります。
また、「何本当てたら、この商品の中から選ぶ」という、何本か当たれば何か手に入るところもあり、様々です。
自分の腕に合わせて選ぶのが賢明でしょう。
大体、残念賞は「棒付きキャンディー一個」とか、せいぜい1~2バーツくらいのお菓子なので、的屋の方は大もうけです。
我が家は毎年、家族で夢中になって、1,000バーツ近い金額をはたいて、あとで邪魔にしかならない大きなぬいぐるみや小さなクッションを戦利品として持ち帰ってきます。
まあ、ささやかな田舎の生活の楽しみと思えば、年に1,2回のことなので・・・と目を瞑っています。
さて、長くなってしまいましたので、この続きは次回にしたいと思います。
実は、この「ガーン・ジャオポー」の主役は、この先にあるのです。
それでは、タイの田舎の社会事情が露見する、次回をお楽しみに・・・。
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2009年12月10日
金の斧・銀の斧
いつもどおりの店内
いよいよ、12月に入り、ワン・ポー(国王の誕生日)も過ぎて、年末の雰囲気が漂ってきました。
何しろ、この最近の寒波で、来る客、来る客が一斉に同じことを言い出すからです。
「ねえ、新年のプレゼントはもう出来た? 服の一枚くらい配ってよ。」
買い物をする客も、そうではない、ただの連れも、みんな口々に、同じことを言います。
「いつも、この店でしか買い物しないんだよ。常連客なんだからさ・・。」
大体、この手の事を言う客に限って、たまにしか来ない客だったりします。
私は、内心、「どこが常連だよ・・。」とあきれ返ってしまいますが、作り笑顔でひたすら聞き役に徹します
事実、本当の常連と我々が思っているお客は、自分からそんなことは言わないものです。
さて、問題の「新年のプレゼント」とは、前回の記事http://mic.namjai.cc/e18054.htmlで紹介した、年末の恒例行事の「名前入り長袖Tシャツ」の配布サービスなのですが、確かに、一枚一枚は大した額ではないので、
「2~3枚くれよ。」とか、
「嫁さんの分もくれよ。」とか、
「作業員たちの分に10枚くらいくれ。」
などという、客の多いこと。
配る私たちとしては、なるべくたくさんの人に配ってあげたいが、予算の都合もあるので、限られた枚数の中で、公平に配りたいな・・と思うのです。
そのため、他人に貸した金が返って来なくても、その家族にあげたと思って、合掌して「サートゥ!」(「お願いします」とか「~ように」と言う意味の祈りの言葉)と唱えれば、自分がタムブン(徳を積むこと)したことになる・・・というタイ人的思考回路の主人は放って置いて、私的には、「ちょっと図々しいんじゃない?」と感じてしまい、なるべく、配った人の顔を覚えるよう努力します。
が、一日に百人以上の客が来る日もあるし、日本人の顔なら細かい区別つくのに、タイ人しかもイサーン人だと、相手に興味がないからか、顔の特徴などもそうそう覚えられません。
何しろ、主人と私とでは、客の顔を覚える感度が違います。
私には、2,3人のお客がみんな似たり寄ったりの顔つきに見えることが多く、よほど常連か、何か印象的な出来事がなければ、普通でも客の顔の区別がつきにくいのです。
そのため、昨年は配った人物を名前の分かる限り、ノートに記して、二重に配るのを予防したりしましたが、これは名前を知っているという前提なので、一見の客やあまり来ない客には、返って何度も配る可能性があります。
そこで、今年は無駄な努力は止めて、主人の勘(私の勘は当てにならないので)と、二人の不在時の連絡で(と言っても店に常時いるのはほとんど私ですが・・)適当に配り、あとは、主人の言うように、
「もし、誰かに何枚も配ってしまったとしても、それはその人の家族にタムブンしたと思え。」
という信念で、この数日配ってきました。
棚の奥の子供は売り物ではありません。
それでも、まだプレゼント(粗品?)の重複が気になるキーニャオ(ケチ)な私は、この数日、さりげなく客に、
「新年のプレゼントはもう受け取りましたか?」と直接聞く作戦に出ました。
ですが、こう聞いても、すでにタイで人間不信になった私は、客が正直に答えるものだろうか・・とか、もうもらっていても、「いや、まだもらってないよ。」などと答えるのではないか・・と、自分で訊ねておきながら、勝手に疑っていました。
ところが、今日も 「この人には配ったっけ?」と迷う数人の人に、
「新年のプレゼントはもう受け取りましたか?」と聞いてみたのですが、意外にも、そのうちのほとんどが、
「ああ、もうもらったよ。」とか、
「もらったけど、もう一枚くれるの?」などと、冗談交じりで答えてくれ、私の人間不信のわだかまりが少し溶けたような気がしました。
中には、「いや、もらってないよ。」という人もいましたが、本当にもらってないのかも知れません。
この出来事で、私は、童話の『金の斧・銀の斧』の中に出てくる、水の精が若者に「あなたの落とした斧は金の斧?それとも銀の斧?」と聞くという話を思い出しました。
世の中、ずるい事をして私欲を満たす人も多いですが、こういう正直な人がまだまだたくさんいるということを感じた一日でした。
でも、正直な人が図々しくないということではないので、我々も気を弛めてはいけません。
タイ人相手の商売は、ガラスの仮面のように、今にも壊れそうな作り笑顔と、相手に物怖じしない強気が大切です。
絶対に壊れそうもない、完璧な作り笑顔
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2009年12月01日
年末が近づくと・・。
毎年、7月くらいからカオパンサーに入り、3ヶ月続いた農閑期(店も開店休業状態・・・)が過ぎて、農民相手の商売をする私たちも干からびそうになる頃、ようやく10月のオークパンサーが開ける。
11月は先月とは打って変わって、俄かに忙しくなる。
だが、義母の趣味で裏の田んぼを借りて米作をしている主人も、この時期は忙しい。
日本と気候は違うのに、何故か稲刈りの時期は同じ。
確か、稲を植えたのはほんの数ヶ月前・・・。
でも、もう収穫の時期になっている。
今年は体調が悪かった主人も、ようやく動けるようになった程度なのに、田んぼの稲刈りへと出かけなくてはならない。
店は、いつものごとく私が主になる。
最近は、私自身も人間が丸くなったのか、慣れか、だいぶ怒り心頭に達することがなくなったので、塩を撒くことも滅多になくなったが、たまにはいる無礼極まりない客・・・。
ところで、年末恒例のもう一つの大仕事と言えば、「スキーン・スア」(服にシルクスクリーンで店の名前を入れる作業)。
日本ではお歳暮・お年始があるように、各家庭でもクリスマスから、年末・年始の区別なく、ちょっとしたクッキーの詰め合わせや、バスケットにセットされた年末・年始用の贈り物をプレゼントしたりするが、商店や会社では、その店名・社名を入れた服などを顧客に配るのが慣わしである。
以前は、これにタレントや国王の写真のついたカレンダーも配っていたが、数年前からの不景気で、我が家では服だけになった。
この服も我が家のような農作業や土木工事従事者を主な顧客とする店では、長袖の襟付きTシャツが主流となる。
これは業者に注文するのだが、我が家がいつも頼んでいる業者では、1枚当たり28バーツ。
たったの28バーツ?と思われるなかれ、今年は400枚注文したので、合計 11,200バーツの出費。
一日の売り上げがこの金額に達しないこともあるのだから、我が家には大変な出費である。
しかも、これにシルクスクリーンを頼むと別途、一枚当たり5バーツの工賃が掛かる。
我が家の主人は節約!の人間なので、専用のインクを買ってきて、我が家にいる作業員いや、家族総出の大作業となる。
しかも、戦力になる子供3人が休みの日の土日にやるしかないので、子供の休みを待って、稲刈りが終わった先週の日曜日、ようやくこの作業に取り掛かった。

インクを店名の入っている型に流し、プラスティックの刷毛で擦る。
これは、子供時代、学校の先生の手伝いでやったことがあるという主人の仕事。
そして、服の中に台紙を入れるのが次男。その服を作業をするテーブルの上に並べるのが長女。
主人が印刷した服を、インクを乾かすために太陽の下に並べるのが長男の仕事。
私は、そんなみんなのフォローをしながら、客が来ると商売に戻る。
たった一人、みんなの邪魔をしているのは3歳児の三男。主人の隙を突いて、インクに触り、あちこちに付けて怒られた・・。

そんなこんなで、日曜の昼間だけで、半分以上の印刷が終わった。

これを、年末から年始に掛けて、買いに来るお客にどんどん配っていく。
中にはもうもらったのに、「もう一枚くれ。」とか、家族の分まで要求する図々しい客もいるが、そういうのはある程度無視。
みんなこの「店名入りタダシャツ」を目当てに来るので、この時期は売り上げが伸びる(ような気がする・・)。
店名が入っているので、宣伝効果もバッチリで、投資する価値はある。
こんなの日本ではとても着られない、デザインも何もあったものではない服だが、農作業者や土木作業員にとって、貴重な作業服なのである。
でも、私もイサーンの寒さが沁みるこの時期には、寝巻きとして愛用していたりする。
時にはそのまま店に出たりすることもある。
なので、余計に現地人と間違われたりする私である。
より深い、タイ人、イサーンへの理解を願って・・・・ランキングに参加しています。

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11月は先月とは打って変わって、俄かに忙しくなる。
だが、義母の趣味で裏の田んぼを借りて米作をしている主人も、この時期は忙しい。
日本と気候は違うのに、何故か稲刈りの時期は同じ。
確か、稲を植えたのはほんの数ヶ月前・・・。
でも、もう収穫の時期になっている。
今年は体調が悪かった主人も、ようやく動けるようになった程度なのに、田んぼの稲刈りへと出かけなくてはならない。
店は、いつものごとく私が主になる。
最近は、私自身も人間が丸くなったのか、慣れか、だいぶ怒り心頭に達することがなくなったので、塩を撒くことも滅多になくなったが、たまにはいる無礼極まりない客・・・。
ところで、年末恒例のもう一つの大仕事と言えば、「スキーン・スア」(服にシルクスクリーンで店の名前を入れる作業)。
日本ではお歳暮・お年始があるように、各家庭でもクリスマスから、年末・年始の区別なく、ちょっとしたクッキーの詰め合わせや、バスケットにセットされた年末・年始用の贈り物をプレゼントしたりするが、商店や会社では、その店名・社名を入れた服などを顧客に配るのが慣わしである。
以前は、これにタレントや国王の写真のついたカレンダーも配っていたが、数年前からの不景気で、我が家では服だけになった。
この服も我が家のような農作業や土木工事従事者を主な顧客とする店では、長袖の襟付きTシャツが主流となる。
これは業者に注文するのだが、我が家がいつも頼んでいる業者では、1枚当たり28バーツ。
たったの28バーツ?と思われるなかれ、今年は400枚注文したので、合計 11,200バーツの出費。
一日の売り上げがこの金額に達しないこともあるのだから、我が家には大変な出費である。
しかも、これにシルクスクリーンを頼むと別途、一枚当たり5バーツの工賃が掛かる。
我が家の主人は節約!の人間なので、専用のインクを買ってきて、我が家にいる作業員いや、家族総出の大作業となる。
しかも、戦力になる子供3人が休みの日の土日にやるしかないので、子供の休みを待って、稲刈りが終わった先週の日曜日、ようやくこの作業に取り掛かった。
インクを店名の入っている型に流し、プラスティックの刷毛で擦る。
これは、子供時代、学校の先生の手伝いでやったことがあるという主人の仕事。
そして、服の中に台紙を入れるのが次男。その服を作業をするテーブルの上に並べるのが長女。
主人が印刷した服を、インクを乾かすために太陽の下に並べるのが長男の仕事。
私は、そんなみんなのフォローをしながら、客が来ると商売に戻る。
たった一人、みんなの邪魔をしているのは3歳児の三男。主人の隙を突いて、インクに触り、あちこちに付けて怒られた・・。
そんなこんなで、日曜の昼間だけで、半分以上の印刷が終わった。
これを、年末から年始に掛けて、買いに来るお客にどんどん配っていく。
中にはもうもらったのに、「もう一枚くれ。」とか、家族の分まで要求する図々しい客もいるが、そういうのはある程度無視。
みんなこの「店名入りタダシャツ」を目当てに来るので、この時期は売り上げが伸びる(ような気がする・・)。
店名が入っているので、宣伝効果もバッチリで、投資する価値はある。
こんなの日本ではとても着られない、デザインも何もあったものではない服だが、農作業者や土木作業員にとって、貴重な作業服なのである。
でも、私もイサーンの寒さが沁みるこの時期には、寝巻きとして愛用していたりする。
時にはそのまま店に出たりすることもある。
なので、余計に現地人と間違われたりする私である。
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2009年11月28日
アジャーンの誕生日
11月24日、この日は主人の崇拝するアジャーンの誕生日でした。
毎年、同じ県内でも200キロ以上離れた、我が家のある市とは全く反対方向にある、アジャーンの「お寺兼信仰普及センター」まで出掛けて、直接お祝いをしに行くという、毎年恒例の行事です。
以前、まだ店が軌道に乗っていなくてヒマだった頃、私も一度だけ同行したことがありました。
チャイヤプムのコンサーンという市にそのお寺兼センターがあるのですが、我が市にも負けないくらい田舎の田舎なのに、バンコクをはじめ、タイ全土からその信徒というか崇拝者がぞくぞくと訪れます。しかもそのほとんどは、会社の経営者とか医師・弁護士などそれなりの地位を持つ人が多く、センターの駐車場にはベンツやBMW、他にも数百万バーツはするワゴン車がずらっと並びます。
まるで、政治家か何かの選挙前の応援会か何かのような雰囲気で、結婚式場のような舞台が用意され、司会者が段取り、行事が進んでいきます。
少し違うのは、途中で線香やロウソクをもらい、お経を唱える時間が一時間くらい入るくらいです。
それも、何曜日生まれは、このお経を何回(3回くらいから十数回という曜日まである)唱えるというように決められていて、それぞれの曜日のお経が一通り終わるまで延々と続きます。
私は、月曜日生まれなので、その年は6回くらいだったような気がします。
店の方も忙しくなってきたので、それ以来、毎年主人だけで参加していますが、今年は、体調を崩し、いつも以上にアジャーンのお世話になったので、他の信徒に負けずだいぶ親密になったらしく、いろいろなお土産を頂いて帰って来ました。

これは、よくタイ人がしているブレスレットのようなお守りです。
日本でも『プロミスリング』が流行ったときがありましたが、タイではお守りとして身に着けています。
普通、お坊さんの仕事の一部で、時間の合間を見て、一つ一つ念じながら手で編んでいきます。
そして、お寺を訪れる人に授けたり、こういう特別な日にまとめて配ったりします。
お寺によっても違いはありますが、大抵は「無病息災」だとか日本の神社のお守りのような意味があるようです。

そして、この手前にあるハンドルの左側に結んである糸の束。これも、ありがたい頂き物です。
我々から見ると、タコ糸や縫い糸の束のようにも見えますが、タイのお寺では一般的な「サーイ・シン」という糸です。
よく、新車で買ったオートバイのハンドルの首の部分や、こういう風に車のハンドル部分に結びつけたりしますが、その意味はやはり、「交通安全」「無事故祈願」ということになります。
この原料の「サーイ・シン」は、タイ仏教では重要な小物で、葬儀、結婚式、家のタムブン式や新築式など、ありとあらゆる仏教行事に登場します。
大抵は、大僧侶がお経を唱える間に、その糸を会場にいる他の僧侶に糸を解きながら順番に渡し、全ての僧侶や会場の人が繋がるようにし、そしてお経が終わりに近づくと、順番に糸を巻き取りながら元の大僧侶のところへ戻して行く・・・という用途や、あらかじめ短く切っておいて、上のお守りのブレスレット同様に、地味ながらもお守りの役目を果たすこともあります。
これは、学校行事の卒業式で、先生が卒業生の腕に一人ひとり結んであげたり、子供が生まれたりしたときに、赤ちゃんの手首に結んであげるということもよく行われます。

これが手首に結ぶための「サーイ・シン」です。 (一見、糸くずの塊に見えますが・・・)
これは左右どちらにつけても構わないのですが、日本人にはあまり縁のない話ですが、普通は「不浄でない方の手」、つまりトイレでお尻を洗わないほうの手につけます。
私がつけていると、よく主人が、
「お前、トイレのとき、どっちの手で(お尻を)洗ってるの?」
と念を押して聞いてくることがあります。
一般的なタイ人は、こういう種類の腕輪や紐のようなものをつけていることが多いと思います。
日本にいるタイ人でもそういう人もいると思いますが、外貨を稼いでいる海外在住のタイ人は、頂き物の「サーイ・シン」よりも、金のブレスレットでしょうか?
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毎年、同じ県内でも200キロ以上離れた、我が家のある市とは全く反対方向にある、アジャーンの「お寺兼信仰普及センター」まで出掛けて、直接お祝いをしに行くという、毎年恒例の行事です。
以前、まだ店が軌道に乗っていなくてヒマだった頃、私も一度だけ同行したことがありました。
チャイヤプムのコンサーンという市にそのお寺兼センターがあるのですが、我が市にも負けないくらい田舎の田舎なのに、バンコクをはじめ、タイ全土からその信徒というか崇拝者がぞくぞくと訪れます。しかもそのほとんどは、会社の経営者とか医師・弁護士などそれなりの地位を持つ人が多く、センターの駐車場にはベンツやBMW、他にも数百万バーツはするワゴン車がずらっと並びます。
まるで、政治家か何かの選挙前の応援会か何かのような雰囲気で、結婚式場のような舞台が用意され、司会者が段取り、行事が進んでいきます。
少し違うのは、途中で線香やロウソクをもらい、お経を唱える時間が一時間くらい入るくらいです。
それも、何曜日生まれは、このお経を何回(3回くらいから十数回という曜日まである)唱えるというように決められていて、それぞれの曜日のお経が一通り終わるまで延々と続きます。
私は、月曜日生まれなので、その年は6回くらいだったような気がします。
店の方も忙しくなってきたので、それ以来、毎年主人だけで参加していますが、今年は、体調を崩し、いつも以上にアジャーンのお世話になったので、他の信徒に負けずだいぶ親密になったらしく、いろいろなお土産を頂いて帰って来ました。
これは、よくタイ人がしているブレスレットのようなお守りです。
日本でも『プロミスリング』が流行ったときがありましたが、タイではお守りとして身に着けています。
普通、お坊さんの仕事の一部で、時間の合間を見て、一つ一つ念じながら手で編んでいきます。
そして、お寺を訪れる人に授けたり、こういう特別な日にまとめて配ったりします。
お寺によっても違いはありますが、大抵は「無病息災」だとか日本の神社のお守りのような意味があるようです。
そして、この手前にあるハンドルの左側に結んである糸の束。これも、ありがたい頂き物です。
我々から見ると、タコ糸や縫い糸の束のようにも見えますが、タイのお寺では一般的な「サーイ・シン」という糸です。
よく、新車で買ったオートバイのハンドルの首の部分や、こういう風に車のハンドル部分に結びつけたりしますが、その意味はやはり、「交通安全」「無事故祈願」ということになります。
この原料の「サーイ・シン」は、タイ仏教では重要な小物で、葬儀、結婚式、家のタムブン式や新築式など、ありとあらゆる仏教行事に登場します。
大抵は、大僧侶がお経を唱える間に、その糸を会場にいる他の僧侶に糸を解きながら順番に渡し、全ての僧侶や会場の人が繋がるようにし、そしてお経が終わりに近づくと、順番に糸を巻き取りながら元の大僧侶のところへ戻して行く・・・という用途や、あらかじめ短く切っておいて、上のお守りのブレスレット同様に、地味ながらもお守りの役目を果たすこともあります。
これは、学校行事の卒業式で、先生が卒業生の腕に一人ひとり結んであげたり、子供が生まれたりしたときに、赤ちゃんの手首に結んであげるということもよく行われます。
これが手首に結ぶための「サーイ・シン」です。 (一見、糸くずの塊に見えますが・・・)
これは左右どちらにつけても構わないのですが、日本人にはあまり縁のない話ですが、普通は「不浄でない方の手」、つまりトイレでお尻を洗わないほうの手につけます。
私がつけていると、よく主人が、
「お前、トイレのとき、どっちの手で(お尻を)洗ってるの?」
と念を押して聞いてくることがあります。
一般的なタイ人は、こういう種類の腕輪や紐のようなものをつけていることが多いと思います。
日本にいるタイ人でもそういう人もいると思いますが、外貨を稼いでいる海外在住のタイ人は、頂き物の「サーイ・シン」よりも、金のブレスレットでしょうか?
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2009年11月21日
お里が知れる
タイに観光で来る人の中には、タイは一年中暑い国だという印象があるかも知れない。
私も、20年前に半年ほど南部・パッタニーに滞在した頃は、それが10月後半から3月だったにも関わらず、毎日「暑い~!」を連発していた。
そして、それから数回の短期滞在を経て、今回改めてタイに来た時も、初めの年は一年中暑さしか感じなかった。
まだ、身体がタイの気候に慣れなかったせいである。
それから、8年・・・。
今では、カオパンサーが終わりオークパンサーが過ぎたこの時期には、日本で感じるような秋風が、タイにも吹くことを肌で感じるようになっている。
このところ、朝晩はだいぶ冷えてきているので、我が家でもしまって置いた毛布や長袖を出して来た。
この時期、北部やルーイなどの山岳部では、凍死(というか冷死?)者が毎年出るくらいだから、『タイは常夏の国』というイメージはタイの本当の姿ではない。
もともと、暑くてもジメジメしない、空気が乾燥しているタイの気候なので、寒さが来るとまず手足の露出している部分からガザガザになってくる。
我が家の子供たちも一斉にベビーローションを塗りたくり始めた。
そして、もう年齢と毎日のハードワークのせいで、荒れまくっている私の手はさておき、足元を見るとそろそろかかとにも地割れのごとくひびが入り始めている。
そのかかとのひび割れを見て思い出したのだが、私が義母の家で同居していた頃・・・・。
義母の家は一般のタイ式で、トイレと浴室が一体化した、「手動水洗式便所」であった。
そのころ、まだ小さかった子供たちがトイレに入るたびに、水でお尻を洗ってあげているうちに、私の足はほぼ一日中、濡れっぱなしの状態になった。
だが、日本人の私には、その当時、それがその後どうなるかはまだ分からなかった。
一ヶ月もすると、常に濡れた状態のかかとが乾くたびに荒れるらしく、ひどいひび割れになった。
かかとの皮は厚いので、5ミリくらいの深さのヒビが地割れのごとく入っていた。
はがそうとしてもとても痛いので、すでに手遅れ状態だったが、「ニチリクリーム」というあやしい日本語が書かれているクリームを買ってきて擦り込んだが、そう簡単には治らなかった。
結局、その症状が良くなり始めたのは、我が家の商売の準備が完成して、義母の家から別居することになってからだった。
我が家では、同じく水洗だったものの、トイレの外は土間ではなく部屋になっていたので、一度濡れた足を拭くというだけだったが、それが濡れたままからの足の乾燥を和らげてくれたらしい。
ところで、この足の話だが、タイ人、特に田舎の人間は足の見た目を気にする。
普段、サンダルや草履履きで泥や牛糞(みんながそうとは限らないが)などにまみれているが、ひとたび都会に出かけるとなると、足の手入れに余念がない。
義母はバンコクへ行く前には、念入りに浴室で足を磨くし、人によってはそのために美容室などで足の手入れエステをすることも少なくない。
足なんて、見る人はいない・・私はそう思うのだが、タイ人は違うのである。
義母に言わせれば、「足でお里が知れる」のだと言う。
足が汚い人は、貧しく見えるとかいうことらしいが、私は単に無頓着なだけなんだけど・・・と思う。
大体、時間内に入浴するのが精一杯で、身体を磨いてる時間なんてない、更には年中無休で店番なので、髪を切りに行く余裕もない。
なので、私に言わせれば、そういう風に見た目を気にするほうが、時間が有り余っているようで、余計に田舎者っぽいような気がするのだが・・。
まあ、よく外国人旅行者でも、タンクトップやTシャツに半ズボン、サンダル履きなんて格好でバンコクを闊歩しているが、あれはファランだから様になる(タイ人も一目置く)のであって、日本人やアジア系のタイ人に見えるような人たちがそういうラフな格好で歩いていると、「だらしない」「貧乏な田舎者」かと思われて、蔑視されることもある。
基本的にタイ人なら、地元ではどうであれ、一歩外ではよそ行きの格好をする。
要は、外出には気合いが入るのである。
我が家の子供たちももちろんタイ人なので、ちゃんと普段着とよそ行きの服を分けている。
末っ子の3歳児さえ、お気に入りの「タハーン」(アーミー柄)の服は、街中へ買い物に行くときにしか着ない。
外見や、身分のようなものを非常に意識するのがタイ人の特性の一つであるかも知れない。
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私も、20年前に半年ほど南部・パッタニーに滞在した頃は、それが10月後半から3月だったにも関わらず、毎日「暑い~!」を連発していた。
そして、それから数回の短期滞在を経て、今回改めてタイに来た時も、初めの年は一年中暑さしか感じなかった。
まだ、身体がタイの気候に慣れなかったせいである。
それから、8年・・・。
今では、カオパンサーが終わりオークパンサーが過ぎたこの時期には、日本で感じるような秋風が、タイにも吹くことを肌で感じるようになっている。
このところ、朝晩はだいぶ冷えてきているので、我が家でもしまって置いた毛布や長袖を出して来た。
この時期、北部やルーイなどの山岳部では、凍死(というか冷死?)者が毎年出るくらいだから、『タイは常夏の国』というイメージはタイの本当の姿ではない。
もともと、暑くてもジメジメしない、空気が乾燥しているタイの気候なので、寒さが来るとまず手足の露出している部分からガザガザになってくる。
我が家の子供たちも一斉にベビーローションを塗りたくり始めた。
そして、もう年齢と毎日のハードワークのせいで、荒れまくっている私の手はさておき、足元を見るとそろそろかかとにも地割れのごとくひびが入り始めている。
そのかかとのひび割れを見て思い出したのだが、私が義母の家で同居していた頃・・・・。
義母の家は一般のタイ式で、トイレと浴室が一体化した、「手動水洗式便所」であった。
そのころ、まだ小さかった子供たちがトイレに入るたびに、水でお尻を洗ってあげているうちに、私の足はほぼ一日中、濡れっぱなしの状態になった。
だが、日本人の私には、その当時、それがその後どうなるかはまだ分からなかった。
一ヶ月もすると、常に濡れた状態のかかとが乾くたびに荒れるらしく、ひどいひび割れになった。
かかとの皮は厚いので、5ミリくらいの深さのヒビが地割れのごとく入っていた。
はがそうとしてもとても痛いので、すでに手遅れ状態だったが、「ニチリクリーム」というあやしい日本語が書かれているクリームを買ってきて擦り込んだが、そう簡単には治らなかった。
結局、その症状が良くなり始めたのは、我が家の商売の準備が完成して、義母の家から別居することになってからだった。
我が家では、同じく水洗だったものの、トイレの外は土間ではなく部屋になっていたので、一度濡れた足を拭くというだけだったが、それが濡れたままからの足の乾燥を和らげてくれたらしい。
ところで、この足の話だが、タイ人、特に田舎の人間は足の見た目を気にする。
普段、サンダルや草履履きで泥や牛糞(みんながそうとは限らないが)などにまみれているが、ひとたび都会に出かけるとなると、足の手入れに余念がない。
義母はバンコクへ行く前には、念入りに浴室で足を磨くし、人によってはそのために美容室などで足の手入れエステをすることも少なくない。
足なんて、見る人はいない・・私はそう思うのだが、タイ人は違うのである。
義母に言わせれば、「足でお里が知れる」のだと言う。
足が汚い人は、貧しく見えるとかいうことらしいが、私は単に無頓着なだけなんだけど・・・と思う。
大体、時間内に入浴するのが精一杯で、身体を磨いてる時間なんてない、更には年中無休で店番なので、髪を切りに行く余裕もない。
なので、私に言わせれば、そういう風に見た目を気にするほうが、時間が有り余っているようで、余計に田舎者っぽいような気がするのだが・・。
まあ、よく外国人旅行者でも、タンクトップやTシャツに半ズボン、サンダル履きなんて格好でバンコクを闊歩しているが、あれはファランだから様になる(タイ人も一目置く)のであって、日本人やアジア系のタイ人に見えるような人たちがそういうラフな格好で歩いていると、「だらしない」「貧乏な田舎者」かと思われて、蔑視されることもある。
基本的にタイ人なら、地元ではどうであれ、一歩外ではよそ行きの格好をする。
要は、外出には気合いが入るのである。
我が家の子供たちももちろんタイ人なので、ちゃんと普段着とよそ行きの服を分けている。
末っ子の3歳児さえ、お気に入りの「タハーン」(アーミー柄)の服は、街中へ買い物に行くときにしか着ない。
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2009年11月15日
保険金とタイ人
タイに来て、イサーンに埋もれてから約8年ぶりになるが、今年に入って3ヶ月弱の間に3度の一時帰国をした。
理由は、長い間、肝臓癌を患っていた実家の父の容態が悪化したため、こちらの薬草を密輸して様子を見に行ったのが一度目、二度目は夏休みに入ったので、孫たちを引き連れておじいちゃんに会いに行った。
そして、三度目は父の葬儀となった・・・・。
今は、だいぶ落ち着いたが、当初は父のことを思うと、身勝手にタイに嫁に来たのが申し訳なくて、涙が止まらなかったものだ。
今でも、そのことを考えると目頭が熱くなるのだが、父の話になると、最近、義母や主人が頻繁に聞いてくることがある。
それは、『保険金』である。
最初に葬儀から帰ってきたときも、いきなり義母が、
「お父さんの財産とかは、いくらくらいあるんだい?」
とか、聞いてきたので、私は、
「いや、財産と言うほどのものはない。家や土地はお母さんに譲渡するって兄弟の協議書にサインしてきたし・・。」
(内心、何でこんなときに・・・と思う私。)
そして、数ヵ月後、実家の弟から「簡保だかの書類に海外在住の証明が必要だから・・」という要請が来て、在タイ大使館に書類を取りに行った。
すると、そのことが主人の口から義母に伝わったようで(『タイ人の口には戸が立てられない』ので・・)、コラートの病院に義母を連れて行くたびに、運転中にいろいろ聞かれて、
「お父さんの保険金っていくらなの?お前はいくらもらえるの?」等々・・・・。
正直、いい加減にして欲しいと思ってしまう私である。
確かに、義母にしてみれば「嫁の財産は自分の息子の財産」と思うのかも知れないが、私はちょっと待てよ・・という感じである。
もし、何か残してくれたとしても、父はタイ人に寄付するために蓄えたつもりはないと思う。
いつも来タイするたびに、タイの発展を希望しながらも、現実のタイに不満を言っていた父。
猛反対だった結婚当初から見れば、だいぶ譲歩してくれた様子だったが、一人娘を嫁に出した場所への不満が尽きなかった。
父は、娘と孫のために残してくれるつもりはあっただろうが、配偶者の主人はともかく、義母やその親戚まで潤すつもりは毛頭なかっただろうと思われる。
まあ、今のところ何が手に入ったわけでもないので、私は知らん顔で済ませるのだが、いつまでもしつこく聞いてくる義母や主人には、いい加減にして欲しい・・・と思ってしまう。
でも、この『保険金』はタイでは、当然の話題で、事故で亡くなろうが、病気で亡くなろうが、人が死んだ途端に、
「で?保険金はいくらだ?」という話題になる。
日本でも、保険金詐欺などという犯罪もあるが、タイでは、保険金は商売道具にもなる。
商売と言っても、保険のセールスをする『保険屋』という単純な商売ではない。
義母がやっているのは、他人の家族に保険金を掛けて、保険の掛け金の支払いを肩代わりするというもの。
仮に、デーンさんという女性がいたとする。
彼女にはポンさんという配偶者がいるが、だいぶ年でこの先長生きしそうにもない。
しかし、彼女にはまだ小さい5人の子供がいて、生活も苦しく、保険に入るお金もない。
そういう場合に、義母がこのポンさん名義で保険を掛ける。
受取人は義母だが、もし、このポンさんが亡くなった場合、いくら掛けているかにも拠るが、大体、義母は一万バーツくらい奥さんのデーンさんに分けてあげて、残りは義母のフトコロに入るという仕組み・・・だそうである。
これは決して詐欺ではない。
義母、ポンさん、デーンさん、全員合意の下で行われている立派なビジネス投資なのである。
義母は、余ったお金を銀行に預けるより合理的に投資できるし、ポンさん一家は義母が保険を掛けなければ、ポンさんに何かあってもタダ死に、残された家族には何も残らないが、義母の保険金のお陰で、たとえ一万バーツでも、予定外の現金収入が入ることになる。
ある意味、慈善事業とも言えるかも知れない。・・というか義母はその通り、「人助け」のつもりで行っている。
そういう理由から、タイ人は保険金に対する考え方が我々とは違っていると思われる。
人が死んだ代償に保険金が入る→不謹慎な・・という我々の反応。
人が死んだ代償に保険金が入る→残された人へのプレゼントというタイ人の考え方。
現金は、生きていてこそ役に立つ。
常に現世を諦めて、来世に託すタイ人とは違った、超現実的な別の一面である。
・・・それにしても、父の保険金に「獲らぬ狸の皮算用」はやめて欲しいものである・・・。
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理由は、長い間、肝臓癌を患っていた実家の父の容態が悪化したため、こちらの薬草を密輸して様子を見に行ったのが一度目、二度目は夏休みに入ったので、孫たちを引き連れておじいちゃんに会いに行った。
そして、三度目は父の葬儀となった・・・・。
今は、だいぶ落ち着いたが、当初は父のことを思うと、身勝手にタイに嫁に来たのが申し訳なくて、涙が止まらなかったものだ。
今でも、そのことを考えると目頭が熱くなるのだが、父の話になると、最近、義母や主人が頻繁に聞いてくることがある。
それは、『保険金』である。
最初に葬儀から帰ってきたときも、いきなり義母が、
「お父さんの財産とかは、いくらくらいあるんだい?」
とか、聞いてきたので、私は、
「いや、財産と言うほどのものはない。家や土地はお母さんに譲渡するって兄弟の協議書にサインしてきたし・・。」
(内心、何でこんなときに・・・と思う私。)
そして、数ヵ月後、実家の弟から「簡保だかの書類に海外在住の証明が必要だから・・」という要請が来て、在タイ大使館に書類を取りに行った。
すると、そのことが主人の口から義母に伝わったようで(『タイ人の口には戸が立てられない』ので・・)、コラートの病院に義母を連れて行くたびに、運転中にいろいろ聞かれて、
「お父さんの保険金っていくらなの?お前はいくらもらえるの?」等々・・・・。
正直、いい加減にして欲しいと思ってしまう私である。
確かに、義母にしてみれば「嫁の財産は自分の息子の財産」と思うのかも知れないが、私はちょっと待てよ・・という感じである。
もし、何か残してくれたとしても、父はタイ人に寄付するために蓄えたつもりはないと思う。
いつも来タイするたびに、タイの発展を希望しながらも、現実のタイに不満を言っていた父。
猛反対だった結婚当初から見れば、だいぶ譲歩してくれた様子だったが、一人娘を嫁に出した場所への不満が尽きなかった。
父は、娘と孫のために残してくれるつもりはあっただろうが、配偶者の主人はともかく、義母やその親戚まで潤すつもりは毛頭なかっただろうと思われる。
まあ、今のところ何が手に入ったわけでもないので、私は知らん顔で済ませるのだが、いつまでもしつこく聞いてくる義母や主人には、いい加減にして欲しい・・・と思ってしまう。
でも、この『保険金』はタイでは、当然の話題で、事故で亡くなろうが、病気で亡くなろうが、人が死んだ途端に、
「で?保険金はいくらだ?」という話題になる。
日本でも、保険金詐欺などという犯罪もあるが、タイでは、保険金は商売道具にもなる。
商売と言っても、保険のセールスをする『保険屋』という単純な商売ではない。
義母がやっているのは、他人の家族に保険金を掛けて、保険の掛け金の支払いを肩代わりするというもの。
仮に、デーンさんという女性がいたとする。
彼女にはポンさんという配偶者がいるが、だいぶ年でこの先長生きしそうにもない。
しかし、彼女にはまだ小さい5人の子供がいて、生活も苦しく、保険に入るお金もない。
そういう場合に、義母がこのポンさん名義で保険を掛ける。
受取人は義母だが、もし、このポンさんが亡くなった場合、いくら掛けているかにも拠るが、大体、義母は一万バーツくらい奥さんのデーンさんに分けてあげて、残りは義母のフトコロに入るという仕組み・・・だそうである。
これは決して詐欺ではない。
義母、ポンさん、デーンさん、全員合意の下で行われている立派なビジネス投資なのである。
義母は、余ったお金を銀行に預けるより合理的に投資できるし、ポンさん一家は義母が保険を掛けなければ、ポンさんに何かあってもタダ死に、残された家族には何も残らないが、義母の保険金のお陰で、たとえ一万バーツでも、予定外の現金収入が入ることになる。
ある意味、慈善事業とも言えるかも知れない。・・というか義母はその通り、「人助け」のつもりで行っている。
そういう理由から、タイ人は保険金に対する考え方が我々とは違っていると思われる。
人が死んだ代償に保険金が入る→不謹慎な・・という我々の反応。
人が死んだ代償に保険金が入る→残された人へのプレゼントというタイ人の考え方。
現金は、生きていてこそ役に立つ。
常に現世を諦めて、来世に託すタイ人とは違った、超現実的な別の一面である。
・・・それにしても、父の保険金に「獲らぬ狸の皮算用」はやめて欲しいものである・・・。
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2009年11月14日
タイの警官と副業
昨日、急用ができてチャイヤプムまで荷物を取りに行った帰りのことである。
チャイヤプムの街中から5キロほど郊外に向かったところで、お決まりの検問をやっていた。
地元警察のお小遣い稼ぎである。
最近のチェックポイントは、シートベルトの着用(最近は助手席にも厳しくなった)、免許の所持(していない人もかなりいる・・)、フロントガラスに貼ってある保険の期限(任意保険ではなく、最低限の強制保険だがこれもよく切れている人がいる・・)、それに最近新しく項目に加わったのが、車の登録証。これはコピーでもいいので、我が家はコピーを車に入れている。
実は最近、この登録証の不備で主人が罰金を払ったばかりなのである。
出かける前に主人が、
「急ぎだから、トラクターのタイヤを積んで、オイル屋に寄ったら、まっすぐ帰って来い。どこにも寄らなくていいからな。それから、あそこの警察の検問には気をつけろよ。」
と、釘を刺していたので、心構えは出来ていたが、主人の予想通りやっていた。
近づくと、真っ黒のサングラスにマスクという、警察の制服でなければ、犯罪者とでも思われそうな人相のわからない警官が、
「はい、止まって~・・・。左に寄せてね・・・。」
と指示を出し、それに従って左に寄せて停車。
「あれ? このフロントガラスは、どうしたんですか?他の車の後をついていて、小石か何か飛んできてぶつかったの?」
「それとも、誰かに石を投げられたとか?」
と、運転席の前のヒビが入ったフロントガラスを指差した。
私は、それがあんたとどんな関係があるんじゃ・・と思ったが、タイ警察はどんな因縁をつけてくるか分からないので、曖昧な作り笑顔で、
「ええ・・・、どうしたんでしょうね・・。多分小石が飛んできたんじゃないかな・・。ハハハ・・・。」
と答えたが、実際のところ、「主人が例の私のブログへのコメントを、私の留守中に勝手に読んで、しかも中途半端なうろ覚えの平仮名、カタカナ、漢字を勝手に読み間違えて、勝手に誰かと密会しているとか誤解して、酔った勢いで自分の目の前のフロントガラスに鉄拳を喰らわした・・・」なんて言えるわけもない。
そうしているうちに、渡した免許も戻ってきた。
外国人だということでいろいろ質問してくる人もいるが、この人は特にそういう質問をすることもなく、荷台に積んである大きなトラクターの後輪タイヤを見て、
「トラクターの事業をしてるんですか?」とだけ聞いてきた。
もしかしたら、よくいる副業でトラクターを運転している警察官だったのかも知れない。
我が家の客にもかなりいるのだが、日頃は警察官なのに、勤務の合間に畑でトラクターの仕事をしている人。
勤務中に、警察の制服のまま、拳銃をぶら下げてトラクターの部品を買いに来たりする。
それに多いのが、この警官&トラクターのオーナーという組み合わせに加えて、タイでは全国規模の「AIA 保険」のセールスマンという二足のわらじならぬ、三足のわらじを履く警察官である。
公務員の副業が認められない日本では考えられない話だが、タイの公務員の薄給から考えると仕方のないことかも知れない。
チャイヤプムの街中から5キロほど郊外に向かったところで、お決まりの検問をやっていた。
地元警察のお小遣い稼ぎである。
最近のチェックポイントは、シートベルトの着用(最近は助手席にも厳しくなった)、免許の所持(していない人もかなりいる・・)、フロントガラスに貼ってある保険の期限(任意保険ではなく、最低限の強制保険だがこれもよく切れている人がいる・・)、それに最近新しく項目に加わったのが、車の登録証。これはコピーでもいいので、我が家はコピーを車に入れている。
実は最近、この登録証の不備で主人が罰金を払ったばかりなのである。
出かける前に主人が、
「急ぎだから、トラクターのタイヤを積んで、オイル屋に寄ったら、まっすぐ帰って来い。どこにも寄らなくていいからな。それから、あそこの警察の検問には気をつけろよ。」
と、釘を刺していたので、心構えは出来ていたが、主人の予想通りやっていた。
近づくと、真っ黒のサングラスにマスクという、警察の制服でなければ、犯罪者とでも思われそうな人相のわからない警官が、
「はい、止まって~・・・。左に寄せてね・・・。」
と指示を出し、それに従って左に寄せて停車。
「あれ? このフロントガラスは、どうしたんですか?他の車の後をついていて、小石か何か飛んできてぶつかったの?」
「それとも、誰かに石を投げられたとか?」
と、運転席の前のヒビが入ったフロントガラスを指差した。
私は、それがあんたとどんな関係があるんじゃ・・と思ったが、タイ警察はどんな因縁をつけてくるか分からないので、曖昧な作り笑顔で、
「ええ・・・、どうしたんでしょうね・・。多分小石が飛んできたんじゃないかな・・。ハハハ・・・。」
と答えたが、実際のところ、「主人が例の私のブログへのコメントを、私の留守中に勝手に読んで、しかも中途半端なうろ覚えの平仮名、カタカナ、漢字を勝手に読み間違えて、勝手に誰かと密会しているとか誤解して、酔った勢いで自分の目の前のフロントガラスに鉄拳を喰らわした・・・」なんて言えるわけもない。
そうしているうちに、渡した免許も戻ってきた。
外国人だということでいろいろ質問してくる人もいるが、この人は特にそういう質問をすることもなく、荷台に積んである大きなトラクターの後輪タイヤを見て、
「トラクターの事業をしてるんですか?」とだけ聞いてきた。
もしかしたら、よくいる副業でトラクターを運転している警察官だったのかも知れない。
我が家の客にもかなりいるのだが、日頃は警察官なのに、勤務の合間に畑でトラクターの仕事をしている人。
勤務中に、警察の制服のまま、拳銃をぶら下げてトラクターの部品を買いに来たりする。
それに多いのが、この警官&トラクターのオーナーという組み合わせに加えて、タイでは全国規模の「AIA 保険」のセールスマンという二足のわらじならぬ、三足のわらじを履く警察官である。
公務員の副業が認められない日本では考えられない話だが、タイの公務員の薄給から考えると仕方のないことかも知れない。
2009年11月03日
タイの田舎生活の実態
先週の土曜日の午後、体調の悪いはずの主人に高校時代の友人から電話が入り、急きょ、チャイヤプムの街中で食事会という話になった。
私に主人の知らない友人などから連絡があったり、メールしているというだけでも、不機嫌なのに、自分のことは一向に構わないのがわが主人である。
しかも、行きたくないなどと言えば、途端に逆ギレするので要注意である。
というわけで、内心イヤイヤながら平常を装い、チャイヤプム行きのために早めに店じまいである。
普段はお客が来るかも知れないから・・と7時、8時までなかなか閉めない店も、この日は早い早い・・・・。
だが、主人の友人関係など興味のない私と子供には、別の目的があった・・。
それは、久々のチャイヤプム!
我が家もチャイヤプムの一部ではあるが、この「チャイヤプム」というのは県庁所在地の中心部、つまり大手のスーパーやお店が並ぶ、我が家の周囲とは違った街中を指す。
事実、最近の不景気の煽りでか、このところ数ヶ月いや、半年近くか、チャイヤプムにさえも買い物に出かけていなかった我が家である。
とはいえ、子供たちのうち、上の二人はチャイヤプムの街中の中学校に通っているので、毎日チャイヤプムまで行っているのだが、寄り道は一切しないので、大手スーパーなどにも寄る事もない。
だから、私や子供たちには本当に久々の買い物。
買いたいものも溜まっているのだった。
友人宅に着き、あいさつもそこそこに食事を済ませると、昔話に花が咲いている主人たちは放っておいて、閉店時間を気にしながら「テスコ・ロータス」に行くことにした。
ここには、我が家の近くにはない「SE-ED」という本屋が入っているからである。
子供たちは本屋が一番のお目当てで久々に好きな本を買える。
ところで、このロータスに行くと言い出してエンジンを掛けたら、何故か友人の子供二人がさっさと乗り込んでいる。
さすがタイ。親に構わず子供がどこへでも行くし、親も子供を預けることに躊躇しない。
万が一、事故にでもあったら・・とか、私が目が届かずに誘拐されたら・・とか考えないのだろう。
うるさい子供を預けられて、「ラッキー!」という感覚。
タイでは、子供を大事にするようで、結構大人の都合最優先の場合が多い。
子供の気持ちは無視・・・というか、大人が勝手に解釈してる感じである。
我が家の子供4人だけで精一杯なのに、勝手に他人の子供を預けられた私は、
「私は大人一人なのに、確かに長男・長女は大きくなってるけど・・。しかも、私は外国人なんですけど!!」
と、内心憤慨していたが、もし何かあっても知らん!という気持ちで、子供6人引き連れてヤケになって出掛けた。
しかし、思ったほどの大変な騒ぎは起こらず、パソコン売り場で小5の次男と友人の子供が、ショッピングカーをふざけて押し合ってぶつかり、掛けてあった展示用のキーボードを床に落としてしまったくらいだった。(日本なら弁償騒ぎ?でもタイでは子供に甘い・・・というか店員の責任感がないので、ニコニコして見ていた。)
買い物も一通り済ませ、大体必要な物は買い込んだ。
我が家の周囲には売っていないのが、キューピーマヨネーズ、バター、チーズそれからヨーグルト。
腐りやすい乳製品は田舎では入手困難である。
パン粉も入手が難しいので、業務用の1キロ袋を買おうと思っていたのに忘れた。
子供たちは、田舎で売っていない外国産のチョコレート類をいっぱい買い込んだ。
そうそう、忘れてはならない。レパートリーにひき肉のメニューが多い割りに、肉のミンチ作りが苦手な私は、こういうスーパーで売っている「ひき肉」を買い込む。
私が二本包丁でトントントントン・・・・・・とやっても、最後は筋が繋がったままの無残なボロ雑巾のようなミンチが出来てしまうのである。
田舎の市場で手に入るのは、あくまでブロック肉。
「豚バラスライス」とか「豚挽き肉」とか「ローストンカツ用」などという切り売り肉は手に入らない。
言えばやってくれそうだが、肉屋も面倒なので、やってくれない。
2台のショッピングカーに詰め込んだ商品の数々・・・・。さて気になるお会計は?
総額5,928バーツ。
え~?いくらなんでもそんなに?いつもは2,000バーツそこそこなのに・・・。
でも、レシートを確かめたら、確かに合っている。
調子に乗って買いすぎたか?
原因は、生活日用品のシャンプーとか洗剤、ティッシュなど・・・。
タイでは食品に比べて、こういう日用品の価格が異常に高い。
田舎での畑仕事等の日雇いは日当100バーツが相場なのに、シャンプーがレギュラーサイズで180バーツくらい。
昨日買ったポンプ式のボトルだと、250バーツくらいした。
日用品が贅沢品レベルのお値段である。
これでは、久々の買い物なので仕方ないか・・・と気を取り直し引き上げた。
そんなこんなで無事、買い物を終えて、主人たちのいる友人宅に戻ったが、ここで、お酒が入ってトランプ大会でも始まれば、置き去りにして帰ろうと思っていたのだが、主人は体調が悪くなってから禁酒生活だったので、友人たちと食事とおしゃべりだけで、それ以後の残業はなかった。
帰り道、子供たちが「今度、チャイヤプムに来るのはいつだろうね・・・」と話していた。
田舎の生活で、優雅に過ごせるのは最初だけだろうと思う。
タイに慣れるに連れ、節約精神も出てくるし、それに連れて、お金の余裕もなくなってくるものである。
私に主人の知らない友人などから連絡があったり、メールしているというだけでも、不機嫌なのに、自分のことは一向に構わないのがわが主人である。
しかも、行きたくないなどと言えば、途端に逆ギレするので要注意である。
というわけで、内心イヤイヤながら平常を装い、チャイヤプム行きのために早めに店じまいである。
普段はお客が来るかも知れないから・・と7時、8時までなかなか閉めない店も、この日は早い早い・・・・。
だが、主人の友人関係など興味のない私と子供には、別の目的があった・・。
それは、久々のチャイヤプム!
我が家もチャイヤプムの一部ではあるが、この「チャイヤプム」というのは県庁所在地の中心部、つまり大手のスーパーやお店が並ぶ、我が家の周囲とは違った街中を指す。
事実、最近の不景気の煽りでか、このところ数ヶ月いや、半年近くか、チャイヤプムにさえも買い物に出かけていなかった我が家である。
とはいえ、子供たちのうち、上の二人はチャイヤプムの街中の中学校に通っているので、毎日チャイヤプムまで行っているのだが、寄り道は一切しないので、大手スーパーなどにも寄る事もない。
だから、私や子供たちには本当に久々の買い物。
買いたいものも溜まっているのだった。
友人宅に着き、あいさつもそこそこに食事を済ませると、昔話に花が咲いている主人たちは放っておいて、閉店時間を気にしながら「テスコ・ロータス」に行くことにした。
ここには、我が家の近くにはない「SE-ED」という本屋が入っているからである。
子供たちは本屋が一番のお目当てで久々に好きな本を買える。
ところで、このロータスに行くと言い出してエンジンを掛けたら、何故か友人の子供二人がさっさと乗り込んでいる。
さすがタイ。親に構わず子供がどこへでも行くし、親も子供を預けることに躊躇しない。
万が一、事故にでもあったら・・とか、私が目が届かずに誘拐されたら・・とか考えないのだろう。
うるさい子供を預けられて、「ラッキー!」という感覚。
タイでは、子供を大事にするようで、結構大人の都合最優先の場合が多い。
子供の気持ちは無視・・・というか、大人が勝手に解釈してる感じである。
我が家の子供4人だけで精一杯なのに、勝手に他人の子供を預けられた私は、
「私は大人一人なのに、確かに長男・長女は大きくなってるけど・・。しかも、私は外国人なんですけど!!」
と、内心憤慨していたが、もし何かあっても知らん!という気持ちで、子供6人引き連れてヤケになって出掛けた。
しかし、思ったほどの大変な騒ぎは起こらず、パソコン売り場で小5の次男と友人の子供が、ショッピングカーをふざけて押し合ってぶつかり、掛けてあった展示用のキーボードを床に落としてしまったくらいだった。(日本なら弁償騒ぎ?でもタイでは子供に甘い・・・というか店員の責任感がないので、ニコニコして見ていた。)
買い物も一通り済ませ、大体必要な物は買い込んだ。
我が家の周囲には売っていないのが、キューピーマヨネーズ、バター、チーズそれからヨーグルト。
腐りやすい乳製品は田舎では入手困難である。
パン粉も入手が難しいので、業務用の1キロ袋を買おうと思っていたのに忘れた。
子供たちは、田舎で売っていない外国産のチョコレート類をいっぱい買い込んだ。
そうそう、忘れてはならない。レパートリーにひき肉のメニューが多い割りに、肉のミンチ作りが苦手な私は、こういうスーパーで売っている「ひき肉」を買い込む。
私が二本包丁でトントントントン・・・・・・とやっても、最後は筋が繋がったままの無残なボロ雑巾のようなミンチが出来てしまうのである。
田舎の市場で手に入るのは、あくまでブロック肉。
「豚バラスライス」とか「豚挽き肉」とか「ローストンカツ用」などという切り売り肉は手に入らない。
言えばやってくれそうだが、肉屋も面倒なので、やってくれない。
2台のショッピングカーに詰め込んだ商品の数々・・・・。さて気になるお会計は?
総額5,928バーツ。
え~?いくらなんでもそんなに?いつもは2,000バーツそこそこなのに・・・。
でも、レシートを確かめたら、確かに合っている。
調子に乗って買いすぎたか?
原因は、生活日用品のシャンプーとか洗剤、ティッシュなど・・・。
タイでは食品に比べて、こういう日用品の価格が異常に高い。
田舎での畑仕事等の日雇いは日当100バーツが相場なのに、シャンプーがレギュラーサイズで180バーツくらい。
昨日買ったポンプ式のボトルだと、250バーツくらいした。
日用品が贅沢品レベルのお値段である。
これでは、久々の買い物なので仕方ないか・・・と気を取り直し引き上げた。
そんなこんなで無事、買い物を終えて、主人たちのいる友人宅に戻ったが、ここで、お酒が入ってトランプ大会でも始まれば、置き去りにして帰ろうと思っていたのだが、主人は体調が悪くなってから禁酒生活だったので、友人たちと食事とおしゃべりだけで、それ以後の残業はなかった。
帰り道、子供たちが「今度、チャイヤプムに来るのはいつだろうね・・・」と話していた。
田舎の生活で、優雅に過ごせるのは最初だけだろうと思う。
タイに慣れるに連れ、節約精神も出てくるし、それに連れて、お金の余裕もなくなってくるものである。
2009年10月25日
トート・カティン
カオ・パンサー(安居節)の期間(やく3ヶ月)も終わり、長く続いた雨期に終わりに近づき、オーク・パンサーが済むと、各所のお寺で 「トート・カティン」のイベント(お坊さんに新しい法衣を献上する儀式)が行われる。
そう、法衣と言うのは、タイのお坊さん(小乗仏教と呼ばれる仏教僧は皆同じだが・・)がまとっている、あの黄土色や山吹色の黄色系の僧衣のことである。
私は女性なので、近くで脱いで見せてください・・と言うわけには行かないので、確信はないのだが、大昔に主人が出家したときに見た限りでは、腰から巻く布と肩から掛けるようにして被る上衣に分かれていた気がする。
まあ、それはともかく、この 「トート・カティン」とは、建前上は安居節の期間、外出を控えて基本的にはお寺の中だけで生活していたお坊さんに、外出が許される時期になったので、新しい法衣を献上しようという仏教の恒例の年中行事の一つである。
以上が、「トート・カティン」の定義なのだが、実際は、もちろん法衣の献上や普段のタムブン同様、食物や生活必需品の寄進もあるのだが、やはり 「世の中現金が一番」ということで、普段の日以上に、多額の現金や小切手の寄進が、お寺に集まる。
我が家の近くにある、「ワット・カオ・ターゴッ」というお寺には、「アジャーン・チュー」という有名なお坊さんがいるのだが、そのため、そのお寺にはバンコクをはじめ、タイ全土からも信者が集まってくる。
そのお坊さんは、地元の庶民の助けになるようにと、その寄付金を使って、進んでダムや道路の開発を行っているので、「開発僧」とも呼ばれている。
そういう開発には、たくさんの工事車両や、運搬車両を使うため、そういう車両を寄付する金持ちも多い。
そして、わが家の主人はそういう莫大な寄付は出来ないので、せめてその車両の修理部品やエンジンオイルなどを、お寺の作業員が来たときにすぐに持っていけるようにと「お寺はの信者は顔パスでツケOK」ということにしているため、お寺のために一年間のツケを許している。
そして、お寺の信者の作業員たちは、自分で払うのではないので、遠慮なくどんどんツケで持っていく。
中には、自分の個人的なものまでお寺のツケにしたり、お寺のツケで買ったものを勝手に売り飛ばしてしまう信者もいた。
(悪事がばれて追い出されたが・・・)
私はこういう信者たちを見ているので、どこのお寺でも「自分は信者」だと言いきる人は信用できないと思っている。
大きなお寺には多額の現金が動くため、楽しておこぼれをもらおうとしがみついている、コバンザメのような信者がとても多い。
コラートにある、全国的に有名な僧の一人(ちなみに僧侶を「一人」と数えるのは間違っているのだが、このブログは日本語なので便宜上こう数えた。) 「ルアン・ポー・クゥン」のワットでも、お寺の財産である仏像や守護符などを信者たちがこぞって売り飛ばしたりして、お寺の財産を食い尽くしているというのはあまりに有名な話である。
まあ、信者の愚痴はともかく、先週の「トート・カティン」で、3ラーン(3百万バーツ)という大金が入ったお陰で、我が家の昨年の11月から溜まっていた3セーン(30万バーツ)以上という、我が家には苦しかったツケがようやく精算された。
よく主人は、「うちはワットに一年間のツケをオーケーしている。」というのを自慢していたが、本来は、月極めで集金に行っても構わないらしい。
一年で30万バーツ以上のツケをさせて苦しい経営状態で大口を叩くより、毎月集金して、日々の生活で食物などのタムブンに励むほうが、よい信者だと思うのだが・・・。
幸い、熱心な信者の義姉が月々の集金を勧めてくれるので、主人が体調不良で休んでいるこの時期に、そういう方針に変えてしまおうかと企んでいる。
この時期だけではないが、正式なタイのお坊さんは現金に触れてはいけないということになっているのわりに、タイのお寺の中には、多額の現金が動いていることが多い。
あのお寺の煌びやかさは、庶民からの寄付金の賜物に他ならない。
どんなにケチな人でも、お寺へのタムブンには金額を惜しまないのがタイ人である。
現世の不幸は前世のタムブンが足りなかったから。
現世のタムブンで、来世の良し悪しが左右される。
そのため、みんな、こぞって自分の今以上に素晴らしい来世に投資するのである。


