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Posted by namjai at

2012年04月25日

ソンクラーン休暇の結末


 
 この前のソンクラーン直前の記事を書いたのは13日の早朝でした。

 本来なら、せっかくの休業日なので、ゆっくり寝ていればいいのに、前日ミックの誘いに掛かって早寝してしまったせいか、朝の3時半頃から目が覚め始め、4時過ぎにはいろいろな思考が頭を巡り、「もう、寝付けないからいっそのこと起きてブログでも更新しよう。」と思ったのです。

 その日の事前計画では、朝、遅くとも10時くらいには、実家の沼地で漁を続けている主人が迎えに来て、実家の義母のところへ連れて行き、義母にソンナームをする予定でした。

 毎年、午前中には行っていたので、こういうものは朝方、少なくとも午前中にするものだと思っていたのです。

 ところが、待っても待っても主人は来ません。
最初は一階で準備をして待っていたのですが、10時過ぎには二階に上がってミックとdvd鑑賞に入っていました。

 結局迎えに来たのは正午過ぎで、実家に付いたのが1時半過ぎ、しかも向こうはまだ漁で上がった魚を仕分けして市場に売りに行く途中。
 結局、私たちは誰もいない義母の家でもなく、主人たちが作業している沼の小屋でもなく、義母の知り合いの家に置いて行かれて、そこで日が暮れるまでひたすら待ちぼうけとなったのでした。
 朝ご飯しか食べて来なかったので、途中でお腹が空きましたが我慢。
そのうち、あまりにも遅いので、そこの家のお嫁さんが気を遣ってくれ、鳥の唐揚げなどを急いで作って出してくれました。
こちらも、却って気を遣うし、居心地の悪さと言ったら何とも言えない心地でした。
 ただ過ぎて行く時間を、ぼーっとしながら、その家の縁台に腰掛けて眺めていました。

 
 日が落ち、辺りはすっかり薄暗くなって、もう飽きるも飽きないもないと言う心地になった頃、ようやく主人の車がその家の前に停まりました。

 主人の車に乗って、沼地の小屋に再び戻ると、そこには例の酔っぱらうと癖の悪い次兄と、普段は落ち着いた感じだが、やはり酔うとくどくなる長兄のコンビが座って盛り上がっていました。
 
 私は、すでにそこで嫌な予感がしたのですが、やはり次兄は私を見ると、得意の酔っぱらい日本語であれこれくだらない、訳の分からない事を話して来ましたが、さっと挨拶を交わすと別の方に避難しました。

 すると、誰かがご飯を炊けというので、炊飯釜の内鍋を探していたら、その中には赤い内蔵のような物体がいっぱいに入れられていて、米を研ぐどころではありません。
 よく見ると、塩辛のような漬け物に見えました。
義母に聞くと、魚の卵を米汁で発酵させて、酸味の効いた漬け物にするということでした。

 私は、その魚の発酵した完成品は好きで食べますが、このお腹が空いたときに、内蔵の腐ったとしか言えないような異臭を嗅いだ後は、もうご飯を食べる気がすっかり失せてしまいました。
 
 子供たちが食事を終えたところで、酔っぱらいは無視して、さっさと義母へのソンナームを済ませ、まだここで漁の魚を売らなければならない主人を残して、子供たちと帰宅しました。

 そんなこんなで、年に数日しかないせっかくの休日の一日が終わり、翌日こそはゆっくりと思ったのです。
 でも、結局昼過ぎにいきなり主人が帰って来て車を使うというので、せっかく子供と出掛けて少しはソンクラーンを楽しませて上げようと思って出掛けていたのですが、それも主人の急な呼び出しで、水掛けをする前に急いで帰宅しなければなりませんでした。


 その後、車を急いで使うと言って帰って来た主人は、私が車を返しに家に戻ると、居間で大好きなムエタイの中継を見ていて、なかなか実家に戻ろうとしません。
 せっかくゆっくり出来るはずだったこの二日間、結局、何の意味も無いような休日に終わりました。

 これなら、この二日間店を閉めないで通常通り営業していた方が良かったのに•••と言うのが今年のソンクラーンの感想でした。

 来年は、仏様にお願いをして、ソンクラーンも通常通り店を開けたいと思います。


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Posted by バットニャオ at 00:02Comments(3)親戚の人々

2012年03月21日

お葬式に思う。

 先週の金曜日、いつものように主人の実家で義母を囲んでの食事をしていた。
ちょうど、その日はフワイ(宝くじ)の日で、義母の闇くじ販売の手伝いをしに泊まりで来ている、長兄とその奥さんもおり、賑やかに食事の支度をしていたところ、不意に義母の携帯が鳴った。

 何やら、義母の受け答えと様子から、何か事件があったのだということは分かった。
義母は電話を切った途端、次々に電話を掛けて何かを連絡している様子だった。

 その後、とりあえず一通りの連絡を終えたらしい義母が言ったのは、
「パー•ドゥアンが逝ったって。」
という事だった。

 パー•ドゥアンというのは義母の姉で、彼女はもう一年以上前からガンが見つかり、その手術を半年くらい前に受けたが、もう年齢もあり、あと半年の命だと医師から宣告されていたのだった。

 私たちもつい2週間くらい前に、病院から退院したという所を、自宅に見舞いに行ったばかりだった。

 そして今回も、先週くらいからお腹が妊娠したように膨れるという、死の近づいた症状になったので入院し、もう手の施しようがないのと、本人が自宅に戻りたがったので、自宅に戻って来てしばらくした後、静かに息を引き取ったらしい。

 私たちがタイに来て、私が出席したのでは、これが3度目の葬儀になるが、今までは2回ともお寺で葬儀を行っていたので、今回もそうだとばかり思っていたら、今回は自宅での葬儀だった。

 その自宅というのは、亡くなったパー•ドゥアンの子供の中で、ドイツ人のプア•ファランと結婚した娘が両親のために建ててくれた豪邸なのだが、家が立派だから自宅での葬儀なのかと思ったら、以前の2回の葬儀は自宅以外で亡くなったので、お寺で葬儀を行うという事なのだそうだ。

 そして、今回のパー•ドゥアンの場合は、自宅に戻ってから亡くなったので、自宅での葬儀となったらしい。

 タイの葬儀は「喪主」が遺族だけでなく、親戚や、近所の人など複数で一緒に「喪主」となる。
 主人も今回は義母に誘われて喪主になったので、亡くなった次の日から毎晩、ここから一時間も掛かるパー•ドゥアンの自宅に出掛けている。
 毎日、夕方出掛けては夜中の2時3時に戻って来るそうなので、だったら泊まり込めばいいのに•••と思っている。

 そして、今夜は通夜なので、私と子供たちも遺体に線香を上げるために出掛けて来た。

 遺体への挨拶はほんの一瞬で、後は7時から始まる予定だった、僧侶を招いての読経。
しかし、さすがはタイなのか、7時半になっても始まらない。
 タイなので、普通これくらいは当たり前なのだが、時間が時間なので、早くして欲しかった。
 ようやく始まった読経が済むと、今度は村の年寄りと言った感じの男性二人が掛け合うように、歌のような死者を送る言葉を延々と歌い始めた。

 幸い、お寺ではなく自宅の庭が会場だったので、プラスティックの椅子に座って足の痺れはなかったのだが、小一時間ずっと合掌したままだったので、明日は腕が筋肉痛になっていそうである。

 その読経中も、日本の葬儀のように神妙なものではなく、どこかで赤ちゃんが泣き始めたり、子供たちは遺体の祭壇の前を群れを成して走り回っていたり、皆が手を合わせている中、携帯メールに夢中になっているオカマの甥もいた。
 そして、後から遅れて来て、私の前の最前列に座った夫婦は、その奥さんが、僧侶の読経中に、席を外すでもなく、最前列に腰掛けたままその場で携帯電話で話し始めた。
 
 自分最優先のこの遠慮の無さは、「さすが、個人の都合を最優先するタイ人」の姿を見た気がした。
 

 ところで、話が逸れるが、先にも書いたようにこのパー•ドゥアンの家を建てた娘は、ドイツ人と結婚してから、ずっとドイツで暮らしている。
何年かに一度帰ってくるらしいが、今回の通夜には姿が見えなかった。
 
 明日は葬儀である。
彼女は帰国するのだろうか?

 親の近くにいても、死に目に会えないこともあるだろうが、外国に嫁いでしまうと、まず不可能に近いだろう。

 もうすぐ3年になるが、自分が父親の葬儀のために数年ぶりに日本に戻ったことを思い出した。
 そういうことでもなければ日本に帰れない、これが自分の選んだ道の結果である。




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タグ :葬儀読経


Posted by バットニャオ at 01:49Comments(9)親戚の人々

2012年03月05日

アリとキリギリス

 先日、昼過ぎに義母からの突然の電話で「プラー•ブック(淡水魚の一種)が手に入ったから、今晩食べにおいで。」という晩ご飯のお誘いがあった。
 そして、その翌日には、今度は長兄の奥さんから電話で「今晩、ラープ•ペット(アヒル肉の和え物)をごちそうするから、食べにおいで。」と呼び出され、またまた50キロメートル離れた長兄の勤務するバムネットナロン駅の宿舎まで出掛ける事になった。

 というわけで、どうもこの数日間、いきなりの親戚との晩餐が続いているのだが、明日は以前から予定されていた、看護婦をしている主人の上の姉の「クンバーンマイ(新居の完成祝い)」ということで、今夜はまたまた親戚が集まって、その前夜祭というか、明日の準備を泊まり掛けでするために集まったのだった。

 幸いなことに、私が店があるのと、翌日は長女がまだ期末試験が残っているため、食事会だけ参加して、主人を残して帰ってくることになっていた。

 
 明日は早朝から僧侶を招いてタムブンするために、その下準備に大量の野菜を洗って下ごしらえをしたり、一通りの準備が終わると、それぞれ夕食を食べたり、主人や義兄たちはウイスキーなどを飲み始めたが、まあ、今夜は主人は帰宅しないのだから••と放って飲ませておいた。

 さて、そろそろ、我々は引き上げるか•••と思って、それを言い出そうかどうか迷っていると、向こうのテーブルで飲んでいた主人の次兄が近づいてきた。

 以前からこの次兄はアル中に近いところがあって、酔っていないときは無口な方なのだが、酔っぱらうと癖が悪く、大昔の話を持ち出して絡んでくることが多かったので、酔ったときはなるべく近づかないようにしていた。

 酔った基準は、片言の日本語が混じりだす事。
 何故かというとこの次兄は、主人が日本に出稼ぎに行くよりも前に、パキスタンに2年、その後、日本に数年出稼ぎに行ったことから、多少の日本語を覚えているのだった。

 そして、普段の正気なときは、恥ずかしいのか、日本語など絶対口にしないのだが、酔いが回ると、昔の不平不満、細かい事を根に持っていて、それをほじくるように絡みだす。

 例えば、学生時代に、お母さんが自分には一日3バーツしかくれなかったとか、同じく日本に出稼ぎに行った義姉が自分にお土産をくれなかったとか•••。
 まあ、挙げればキリがない。

 そんな、次兄が帰ろうかどうか•••それをいつ切り出そうかと迷っていた私の側を通り掛かりに、私に話しかけて来た。

 「おい!今夜は泊まるのか?帰るのか?」と聞くので、私は、
 「帰る。」と答えると、
 「何で帰るんだ?」としつこく聞くので、誰がこんなところで寝たいと思うか!と内心思いながら、
 「カーイコーン(商売があるから)」と答えると、
 「この業突く張りが。○○(主人を呼んで)!お前の嫁は本当に業突く張りだな。」
と、言い放った。

 私は、この「業突く張り」という言葉に、内心ムカッとしたが、酔っぱらいを相手にしても時間の無駄なので、無視しておいた。

 しかし、家に戻って来てから、だんだん腹が立って来た。

 何で、あの次兄に「業突く張り」と悪口を言われなければならないのか?
 自分は、せっかく日本で数年間年中無休で働いて、稼いで来た財産を中古の車を一台買ったくらいで、特に何の事業も始めず、家でゴロゴロするだけで、数年のうちに使い果たしてしまった。

 そして、ちょうど日本から帰って来た弟(主人)に、自分の娘の授業料が払えないからと、借金をして未だに返していない。
 その後も何かと主人が助けたり、エンジンオイルなどの粗品の服があると、取って置いて、その次兄に上げたりしている。

 自分は牛飼いや農耕をしている以外は、ろくに働きもせず、昼間から酔っぱらっていることもしばしば。

 そんな次兄に「業突く張り」などと言われたくない。

 家に帰ってきて、こんなことを考えているうちに、ふとキリギリスに馬鹿にされたアリの話を思い出した。

 まあ、結局のところ、こんな酔っぱらいなど相手にしなければいい•••ということなのだろうが、相手がアカの他人ならともかく、主人の兄弟なので、もう顔を合わせないという訳にも行かないのが辛いところだ。

 とはいえ、毎回こういうことで気分が悪くなるのも嫌なので、これからは「食事会だけ参加」にして、「アルコールが入るときは参加したくない」旨伝えておこうと思う。
 内心は、全く参加しなければそれが最高なのだが。
  
 よくいる、「プア•ファラン(西洋人の配偶者)」のように、「タイ語ワカラナイ。ワタシハカンケイナ〜イ!」と言っていられると楽だな〜と思う。
でも、もう嫁として深入りし過ぎて、それにはもう遅いようである。 
 
 
 

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Posted by バットニャオ at 02:10Comments(11)親戚の人々

2011年04月28日

我が家の学期休み~親戚合宿編~

 ご無沙汰しています。

 どうもこのところ、いろいろなことがあり、ブログの更新が滞っていました。

 しかし、当ブログを読んで下さっている読者の方々からたくさんのメッセージを頂き、このままではいけない!と思い立ちました。


 実は、この記事の内容は、ソンクラーンの中日に書いてアップしようと思ったところ、例のごとく消失してしまい、その後書き直す気が起きずにいたものです。が、やはり、今書かないと、また来年になってしまいそうなので、本日アップすることにしました。


 

 さて、いろいろあった学期休みも、もう4月も終盤を向かえ、残すところ半月程度となりました。

 毎年のことなのですが、学期休みとなると、我が家はただでさえ多い「子供たち」がさらに増えます。
学期休みで学校に行かなくていい子供たちが、何故かうちに集まって来るからです。


 まず、親戚では、主人の長兄の長男、今年21歳の大学生ですが、今年の夏休みは我が家の手伝いに・・と来ることになりました。
 もともと、コラートに木造建築の豪邸を建てている長兄が、銀行の融資が間に合わず、我が家がその建築費のほとんどの金額を貸すことになったので、その遠慮からか、「休み中、長男を手伝いに行かせるから。」と言い出したのです。

 私としては、家の中に親戚と言っても、他人が同居するのが息苦しいので、正直来て欲しくはなかったし、我が家の長男は16歳で年下ですが、もう大人同様に仕事も出来るし、何よりも私とは「阿吽の呼吸」で、気が知れているので、一緒にいてまったく疲れない・・・ので、今更その甥が来てくれても、何も手伝うこともないのに・・・と内心思っていたのでした。

 結局、この甥を使えるのは主人だけで、主人がいないときや、寝ているときは、甥もテレビの前でゴロゴロするだけ・・・・。
私たちは、居間に他人がいるので、何となく気を遣うし、本当に来てくれなくてもよかったのに・・と思っていました。
 別に悪い子ではないのですが、他人との同居生活に苦痛を感じる私や子供たちは、せっかくの長期休み、何となく、我が家であって我が家でない・・・というような居心地の悪さを感じているのです。

 しかも、親戚でも遠慮する主人は、長兄の申し出ながら、休みが終わって甥が帰るときには、アルバイト代として3千バーツくらい上げようと言っているのですが、これまでにも、歯が痛くなったとか、大学の試験結果を見に行くとかで、もう何度も一時帰宅をしていて、そのたびに、交通費とお小遣いで一回に付き、500バーツづつ渡しているのですが、私としては、用があるなら無理に来てくれなくてもいいのに・・・と内心思っています。

 この甥にこれだけ上げるのなら、その金額を長男に上げたほうがよほどいいのに・・・と、私の右腕、どころか両腕となって働いてくれる長男に、主人がいったいいくら上げるのか興味深々です。
(でも、先日の話では、長男にも「3千バーツ上げよう」と言っていましたが、その働きぶりでこの甥より少ないのはちょっと・・・と不満の私です。)

 でも私よりも苦痛なのは、夜も部屋に同居させなければならない長男かも知れません。
昼間も落ち付かないのに、夜も同じ部屋で、せっかくのくつろぎの時間にくつろげない。しかも、夜中のネットタイムをその甥に半分譲らなければならない・・・よく長男は不満を抑えているな・・と感心するばかりです。 


 タイ人は、他人との共同生活に慣れていると、いつも思いますが、これはあまり他人を意に介さない、「自分は自分、他人は他人」という意識が強いせいだと思っています。
 「気を遣う」という意識がないのではないのですが、日本人的な「気遣い」とは、かなり違っています。
なので、日本人的に気を遣っていると、こっちが気疲れしてしまいます。


 さて、長期休み中の合宿者は、この甥だけではありません。

 ソンクラーンが近づいた頃には、飛び入りで、主人の長姉の娘(姪・その1)、主人の次兄の娘(姪・その2)、さらには主人の親友(女性)の息子まで泊まりに来て、ソンクラーンの前後は我が家は子供(若者)で大騒ぎでした。
我が家の子供たちのうち、長女と次男は彼らとは友達なので、楽しいのですが、これだけの子供たちに、食事を作るのは頭痛の種でした。
 まず、基本的にタイの子供は野菜嫌いが多い。
そして、私の料理は普通のタイ料理ではないので、子供によっては食べようとしない・・・。
 しかも、我が家の主人の家系は味にうるさいと来ているので、結果的に、子供たちがいる間は、台所はほとんど主人に任せることにしました。
 店も朝6時半の開店と同時に忙しいのに、親戚や友達の子供たちに構っている暇はありません。

 でも、毎日の献立に困って、呼んだ本人の主人もかなり外食に頼っていたようです。
だから、調子に乗って、そんなに呼ばなければいいのに・・・と、内心思っていました。

 その子供たちも、ソンクラーン後には、それぞれ帰って、今は例の甥が残っているだけです。
まあ、これだけ長く居ると、だんだん気を遣う気もなくなってきて、当初の居心地の悪さもほとんど感じなくなって来ましたが、こうして「他人との同居生活」にようやく慣れた頃には、新学期が始まり、この甥も帰ってしまうのでしょう。


 まあ、次の長期休みに、また戻ってくるかも知れませんが・・・。



                           我が家に滞在中の甥


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Posted by バットニャオ at 08:08Comments(7)親戚の人々

2011年03月07日

ある晩の出来事

 タイではこのところ連日のニュースで報道されていますが、先々月末に、「ルアン・ター・マハー・ブア」(直訳すると「大蓮法師」とでもいう感じ?)が死去されたという一大事がありました。
 普通、ある程度有名なお坊さんの健康に関するニュースは、国王のニュースの次くらいに関心が高まりますが、この国中を揺るがすような大事件に、我が家の隣に住む義姉も、先月末からウドンとチャイヤプムを行ったり来たりしていました。


 テレビの映像で見た限りでは、まるで、古墳でも作っている感じで、その周囲に群がる人々は大部分が修行用の白衣を身につけ、これが日本だったら、確実に新興宗教の集会だな・・・と思ってしまうような雰囲気でした。


 そんな毎日が続いていた一昨日の晩のことです・・・。


 今週の週末の土曜日は、主人が退院して一ヶ月が過ぎ、体調も良くなってきたのと、もう店に並べるトラクター部品の在庫切れが多くなってきたので、久々に家族揃って、夕方早めに店を閉め、コラートの部品卸店に仕入れに行こう・・という予定でした。

 その前日の金曜の晩でした・・・。

 その日、一日遊び疲れて、夕方になって居間で寝入ってしまった末っ子のミックの名を大声で呼びながら、義姉がいつものようにドカドカと店に入って来ました。

 仕事机で売り上げの計算をする私の横をすり抜けて、奥の居間に入って行った義姉は、ミックを抱えて出てきました。
背後で、主人が、

 「連れて行かなくていいよ。連れて行くなよ。明日はみんなでコラートに行って、The mall で大きな魚を見るのを楽しみにしてるんだから・・・。」
 「遠いし、ミックが疲れるだけだよ。わざわざ遠くまで行かなくても、タムブンするのなら近くでしても同じなんだから・・。」

すると、姉が堰を切ったように反論・・。

 「何、知ったようなこと言ってるんじゃないよ!せっかくのタムブンのチャンスなんだから、このチャンスを逃す手は無いんだよ!ミックのタムブンの邪魔をするって言うの!?」
 「ゴタゴタ言ってないで、さっさと靴を持ってきな!」

といい、ミックを抱えて罵声をとどろかし、どんどん自分の家の前にエンジンを掛けてある車に乗せようとしていました。

 私は、普通の買い物などならこのまま放っておくのですが、今回は「お葬式に行く」ということ、かなり遠出になるということ、そしてニュースでの光景を見て、あの人だかりで迷子にでもならないか、それよりニュースではそんな神聖な場所なのに、「置き引きに注意」などと言っていたので、タイで多い人攫いにでも攫われたら・・・。と考えれば考えるほど、不吉な妄想が広がって、感情が高まってしまい、すくっと立ち上がると、義姉の口には勝てず、義姉の後姿を呆然と眺めている主人を追い越して、義姉の後を追い、車のところで阻止しようとしました。

 すると義姉は、さらに怒ったような声で、私に怒鳴りだしました。

 「プン!早く靴を持って来いって言ってるでしょ!何、ボケっと突っ立てるのよ!」
 「お前たちは、そうやって止めるけど、私がミックを医者や買い物に連れて行くときには行くなとも言わないのに、何でタムブンに連れて行くのを止めるのよ!調子に乗ってるんじゃないよ!」

 という義姉の言葉は聞こえたのですが、私もミックの遠出が心配で、感情が高まっていて、反論こそしないものの、態度で示すように後には引かず、ただただ立っていましたが、いよいよ寝ているミックを車の後部座席に寝かせ、出発しようとする時に、義姉に何を言っても反論されるだけなので、運転席にいる義兄に、

 「くれぐれも気をつけて運転してね。あっちに行ったら、くれぐれもミックのことしっかり見ていてね。」

とあまりの感情の高まりに、陳腐なドラマの女優のように、涙ながらに頼んでいる自分がいました。

 
 日本なら、実の両親を差し置いて、親戚の伯母さんが子供を連れて行ってしまう・・なんてあり得ませんが、タイでは珍しくない光景です。そして大概の場合、その両親も喜んで預けているのが普通です。

 今回の私のような、この世の別れ・・とも言うような反応はタイではあり得ないことかも知れません。

 ですが、私の脳裏には、このタムブン旅行が、盛大ではあるが結局は「お葬式」に行くためのもので、よくニュースになる、お葬式に出席するために出かけた車が事故に遭い、さらに親戚のお葬式が重なった・・などという事件や、人が大勢集まるところではたとえそれがお寺でも、火事場泥棒のような悪人が集まるものだ・・という常識などから、本当に心中穏やかで居られなかったのです。

 そして、今朝義姉の家のシャッターが開いたときには、本当にほっとしたのでした。

 ミックが居ない間、何かにつけては思い出し、不吉な想像が浮かんでは消え、心安らげない二日間でした。

 
 タイ人と結婚した日本人にとって、タイ人家族との生活が出来るか出来ないかは、この切っても切れないどころか、言葉の不便がなくなるに従ってさらに強くなる、親戚連中とのしがらみをいかに交わして行くかに懸かっているのではないかと思います。




     何はともあれ、タムブン、タムブン・・・・。


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Posted by バットニャオ at 01:57Comments(12)親戚の人々

2009年02月12日

タイ人の口に戸は立てられぬ・・・。

 本当にタイ人の噂話好きにはうんざりすることが多い。 

 時たまあることだが、今日は何故か昼前から義母をはじめ、長兄、次兄、義兄、などが続々と集まってきて、みんなでどこかの購入予定の土地を見に行くとか話していた。

 こういうときは要注意である。
過去に、ある個人に話した話が、一瞬にして親戚中に広まってしまったりする。
タイ人にとって内緒話は内緒ではないのである。
これは口外してはマズイな・・・というような話題でも、平気で話のネタに持ってくるから油断がならない。

 「他人の口に戸は立てられぬ」とはよく言われる言葉だが、私は、「タイ人の口には鉄の扉に南京錠を掛けても意味がない」と思っている。

 
 昔、タイに移住準備として義母の家に居候したことがあった。

 そのころは、まだタイ式の水洗トイレの使い方が良くわからず、義母の家の雨水を溜めたバケツの水で洗うものの、それをトイレットペーパーを使って拭こうなどという知恵は働かなかったので、タイ式に濡れたままで下着とズボンを履いていた。
 すると一週間もしないうちに、俗に言う「カンジダ症」と言われる下半身の痒みに襲われた。

 そして、そのころ主人は私たちを送り届けて、日本に出稼ぎに戻ってしまっていたので、だいぶためらったが、気が狂いそうな痒みに耐え切れず、ちょうど私たちを訪問してくれた主人の親友の奥さんに、年齢も近いのも手伝ってちょっと打ち明けた・・・。

 すると、その翌朝まだ薄暗いうちから、義母が部屋の戸を叩き、
「プン(私の通称)! 今日、医者に連れて行ってあげるから、大丈夫!」と言って近所に聞こえるような大声で、「あそこはまだ痒いの?」などと聞いてきた。

 私は正直、恥ずかしいのとショックで言葉もなかった・・・・。

 私は、主人の親友の奥さんに薬とか知っているかと思って、内密に相談したつもりであった。
ところが、その話は義母に筒抜けで、日本式に「秘密」を考えていた私には、天地がひっくり返るような心地がした。
 今でこそ、「タイ人に秘密話を打ち明けるのは、みんなに宣伝してくれと言っているようなものだ」という常識が出来上がったが、その頃は日本人の感覚そのもので、イサーンの村に孤立していた。

 しかも、その話は、私が医者に行っている間に村中に知れ渡っていて、誰に会っても、
「大丈夫?少しは良くなったかい?」
などと会う人ごとに聞かれて、しばらく部屋に閉じこもってしまったという経験がある。

 まだ、風邪をひいたとか、顔に湿疹ができたとか言うのなら村中に知れ渡っていてもそれほど気にならないかもしれないが、何しろ下の話題である。
 
 私自身ももう「花も恥らうお年頃」でもなかったのだから、面の皮を分厚くして、気にしないほうがよかったのだろうが、そのころの私はまだタイでの修行が足りなかった。
 それに確かに、村に一人の外国人のことだからことさらに噂話に花が咲いたのかも知れない。

 
 このような出来事が度重なるうちに、私が学んだタイ式の世渡り術は、この「タイ人の噂話好き」を利用することである。

 自分が言いたいけど言いにくいことや、嫌な人に聞かせてやりたいような悪口を噂話や内緒話にして流すのである。

 これは実に効果的に、ヒマをもてあましているタイ人の世間話のネタになり、相手にすぐに届くのである。

 そして、直接言ったわけではないので、表面上の相手の面子は保たれ、こちらも遠慮することなくストレス解消になる。

 こうして、タイ人社会の平和は保たれているのである。
(これが、面と向かって言い合ったら、すぐに殺傷沙汰になるので要注意。)

 タイが『微笑みの国』である由縁はここにある。
水鳥が水面下で一所懸命もがいているように、微笑みの下では、今日も熾烈なバトルが繰り広げられている。

 タイ人の微笑みは、表面上の平和を保つための、「とりあえず」の微笑みなのである。

 







  


Posted by バットニャオ at 02:13Comments(10)親戚の人々

2009年01月06日

バムネット・ナロン駅を知っていますか?

 毎年、正月は大晦日くらいから主人の一番上の兄の家に行って、親戚の新年会が行われる。

 その長兄と言うのはタイ国鉄に勤務しており、イサーン地方の各駅を点々とする転勤族であるため、
その集合場所は早ければ一年、遅くとも数年後には違う土地に変わる。

 我が家が初めて日本から来た年は、ウドンタニーのクムパワピー駅の駅長をしていた。
次の年は転勤になって、今度はコーンケーンのノーンパヨム駅でまた駅長になった。
そして、2年ほどしてから、コラートの中央駅勤務の辞令が降りて、コラートでは駅長補佐になった。

 ここコラートに居るときには我々も都合がよくて、頻繁に集まったりしたものだ。
また一年ほどで、今度はコラート県内だが、ノーンスーンという地方の駅に左遷?されたが、小さい駅なので
またも駅長であった。

 そして、昨年またコラートの中央駅に戻らされ、この正月にまたもや職場の上司と対立して、
今度は故郷チャイヤプムのバムネット・ナロンという駅の駅長になった。

 というわけで、前置きは長くなったが、今年の正月はこの兄の新しい勤務先のバムネット・ナロン駅の構内
で宴会となった。

 この駅は、クルンテープ---ノーンカーイ線の駅の一つである。
他の詳しいことは私もよく知らないが、我が家から車で30分ちょっとの距離になったので、少し行ったり
来たりするには便利である。

 当日はいつものように、長兄の奥さんの手料理が並び、メインはプラー・ニンの塩焼きやアヒルのラープ
だった。

 アヒルのラープを作ろうと、アヒルは義母の飼っているのを捕まえてきて、次兄とその奥さんで元気のいい
アヒルを絞めようと、足を縛り包丁で長い首にスーッと切込みを入れたのを見ていたミックが、
 「ダメー!そんなことしちゃ!アヒルが死んじゃうよ!!」
と、真剣になって止めていたが、そんなことは気にも留めず、なかなか息の根が止まらないアヒルに
しびれを切らした次兄がこん棒のようなもので、アヒルの頭をゴーン!ゴーン!と叩いたら、またもやミックが
 「ダメだって言ってるでしょ!アヒルが死んじゃう!」

 怒り出して、伯父さんを叩き出したミックを抱きかかえて、別のところに連れて行った。
このままでは、ミックがそのこん棒でアヒルの仇を取りそうなので・・・。

 そうして従兄弟たちのところに連れて行って、遊んでいるうちに、駅に置いてあるランプが緑色に点灯し、
電車が来る合図が出た。
構内がにわかに騒がしくなる。

 そんな中、怖いもの知らずのミックは、駅の駅長室にスタスタ入って行き、いろいろな機材を確認しながら、
「電車、もう来る?いつ来るの?まだ・・・?もう来る?・・・」
と、準備に忙しい駅員さんたちのお邪魔をし始めた。

 だが、子供に優しいタイ人のこと、忙しいながらもそれなりに対応して、ミックとの会話を楽しんでいた。
みんな、顔はごついおじさんだが、子供は好きな人が断然多い。
日本人で子供の相手をする大人がほとんどいないのと同じくらいの比率で、
タイ人で子供の相手をしない大人はほとんどいない。

 
 そんなこんなで、私は大人といても面白くないので、子供たちとともに甥や姪と一緒に遊んでいた。
甥はそれぞれ、大学生、高校生、中学生、姪も中学生ばかりなのに、みんな揃ってした遊びは、
何と『ゴム飛び』。

 そう、映画『フェーン・チャン』で、ヒロインのノイナーたちが遊んでいたあの『ゴム飛び』である。
私の子供の頃にもしたことがない。私の母の子供時代には遊んだという。
しかし、タイの田舎では『ゴム飛び』は、まだまだメジャーな遊びなのである。

 みんなですごく盛り上がっていた。
 こういう風景を日本人の大人が見たら、「タイの子供は純粋だ」などと言うのであろう。
でも、『ゴム飛び』をしているから純粋かと言うと、そうとは限らないので要注意である。


 私は、年甲斐も無く、この後始まったサッカーに参加したら、足を踏み外してしまい、足の指先をコンクリート
でえぐってしまった。
 傷は擦り傷程度なのに、えぐれているのでかなり痛い。
無理して若いフリをするものではない・・・・。

 今日もまだ足の傷が痛む。
これからは少し大人になろうと思うのであった。
  


Posted by バットニャオ at 00:48Comments(9)親戚の人々

2008年12月24日

母親失格


 今日は愚痴になります・・・・。

我が家の三男・ミックは兄弟の中で一人だけ、タイで生まれたれっきとしたタイ人(?)です。

 この子はタイで生まれたので、出産後に医師や看護婦以外で最初に抱いたのも伯母さん(手伝いに来てくれた長兄の奥さん)であり、退院後にいろいろと世話を焼いてくれたのも、伯母さん(隣に住む義姉)です。

 そのため、早くからたくさんの人になついていて、人見知りをしないどころか、家から出ない母親の私よりも、タラートや街に遊びに連れて行ってくれる叔父さん、伯母さんになついていました。

 でも、もともとおっぱいを飲んでいたので、乳児期の授乳時間と夜は私の子供だという自覚がありました。

 
 ところが最近になって、離乳も完了し、おっぱいの必要もなくなった私は、いらなくなったおもちゃのように必要とされなくなりました。
 昼間もろくに家には戻らず、さらに保育所への送り迎えも伯母さんである義姉が担当し、そのうち夜も家には寝ず、「伯母さんのうち」にお泊りの日々です。

 さらには、以前から義姉が教え込んでいたのですが、義姉の事を「パー」(伯母さん)ではなく、「メー」と呼びます。
私は「メー・プン」で、義姉には「メーチャー」と甘い声でなつくミックに、だんだん悲しくなりました。

 その上、今夜は主人と長兄の引越しを手伝いに行った義姉の名を呼んで泣き出す始末・・・・。
私が近づくと足蹴りして、「メー・プン、あっち行け!」と言われてしまいました・・。


 タイは、母親だけで育児しないで、周囲の協力があるのがよいとは知っているけれど、こうなるとここで出産したことを後悔している自分がいます。
 主人に相談すれば、「余計なことばかり考えないで、仕事をしろ!」とか「みんなが手伝ってくれるんだからありがたいと思え」と言われてしまい、ますます落ち込む私です。

 何だか、人生相談か育児相談のような記事になってしまいましたが、タイでタイ人の嫁になり同じ気持ちの人もいるはずと重い書いてしまいました。
 落ち込みの激しい私でした・・。

 


 

  


Posted by バットニャオ at 23:32Comments(7)親戚の人々

2008年11月26日

腱鞘炎~明日からスト決行!

 
 腱鞘炎・・今日はちょうど、姉の家にオイル交換で来ていた、マッサージ師であるお客が、私のひじを診てくれて、「これは筋が挟まっているんだ。これは?こうすると痛いでしょ?」と少し診てくれたので、このマッサージ師に掛けようかと思ったが、義姉や近所のサッシ屋のウワンが、

「でも、いくら治療をしても、また重いものを持ったらだめだよ、自分で十分気をつけなくちゃ!」というので、
「だって、いつも旦那は家に居ないし、そこにやらなきゃならない仕事が入ったらどうするの?」
と聞き返したところ、
「だから、自分のひじが痛いことをアピールするかして、お客に自分で運ばせなきゃだめ、そして、自分でも任せて!なんて態度は取らないんだよ!」というので、

でも、店側がして当然と言う人もいるし、サービスは欠かせない・・というのは日本人的な考え方で、私にはそういう価値観が邪魔をして、「無視できない・・。」と言ったら、「バシバシ言えばいいんだよ!」
と、私が日本人だってことも忘れているような、義母や義姉には返す言葉もなかった・・。

しかし・・・私が何度、いかにうちの旦那が留守が多いかを挙げて、「言えない・・」というと「言えばいいんだよ!」と私自身、性格的には無理なの分かってるのに、まるで、私が義姉と同じことをはっきり言えるかのように、「言っちゃえ!」と強制するので、ようし、そんなに心配してくれるのなら、明日から旦那が留守だろうがいようが、試してやろう!
スト開始だ!!

 私は明日からしばらくの間、右手を吊って、右手を休ませることにした。
義姉たちは、一度きちんと治れば、また重労働を開始しても、もう大丈夫だと言うので、この重労働のせいで発病したこのひじの痛みが完治することを願ってストを決行するぞ!と密かに決めて、一人になって明日から巻いて置く布を用意することにした。

タイ風に、大変なことにはやらない・・・に徹するのである。  


Posted by バットニャオ at 01:48Comments(9)親戚の人々

2008年11月04日

フワイ・ロッタリー(宝くじ)


 毎月、1日と16日はタイ全土で、歓声が上がる。
タイの宝くじ「フワイ=ロッタリー」の発表があるからである。

タイ人は本当に宝くじが好きだ。
宝くじに関わらない人が珍しいほどである。

ちなみに我が家の旦那は、その珍しいタイ人の一人である。
私ももちろん、買わない。

それには理由がある・・・。

 昔、旦那の母は、近所のケンカを仲裁しに入ってとばっちりで射殺されてしまった夫に先立たれ、残された子供たちを育てるために、普段はクィッティヤオ屋をやりながら、毎月の宝くじ日には裏宝くじ(俗に言う、「闇くじ」)を売って、女手一つで子供たちを育てて来た。
ここまではいい話なのだが、この宝くじを売りながら、自分もハマってしまい、売りながら、買うということで、負けが溜まったり、タイ人なので電話で買って置いて外れたら払いに来ない、当たればすぐに現金を受け取りに来るという、客のせいもあって、稼ぐどころか逆に多くの借金を作ってしまった。

 これがうちの旦那が、高校卒業後すぐに、日本に出稼ぎに行くことになった理由である。
だから、旦那の母が宝くじにハマっていなければ、私がこのイサーンにいることも無かったかも知れない・・・。
 
 ・・・と、我が家の事情はこの辺で、この宝くじ、このように、以前は政府の公式な宝くじを利用して、裏では庶民の闇くじが売られていた。
この闇くじの弊害を重く見た政府が・・というと聞こえはいいが、この闇くじの購入層も政府の宝くじの購入層に取り込んでしまおうという政府の政策で、政府公認の闇くじ同様の宝くじ制度が加えられた。

 もともと、闇くじというのは、政府が発表した当選番号の上2桁または3桁、下2桁、3桁を利用して、その地域の元締めを中心に庶民がその元締めとの連絡係になっている代理の母のような人のところで、「上2桁、57」とか「下3桁、366」とかいう風に、メモ書きにして、お金を支払っていくものであり、つまりは地元で自分たちだけで勝手に行っている宝くじである。
買い方も、「上2桁、57」と「反対(=つまり数字を入れ替えて)75」という風な買い方をする人も多い。買う金額は20バーツだとか100バーツだとかだが、当たれば何倍にもなるので、数万から数十万も稼ぐ人もいる。

・・・何故こんなに詳しいのかと言うと、以前義母と旦那抜きで同居したときに、嫁の務めとして、義母の手伝いをさせられたからである。・・・私は日本人なのに・・・そういうことはタイ人の嫁に譲って欲しい。
毎月、1日と16日の前後は忙しくなる。当日は一日中机に向かって、買いに来る客の言う数字を書き上げて行く。
数字なので、一個でも間違えたら大変なことになる。責任重大である。

 そういうわけで、私は宝くじを嫌っている。
よく、板で出来た宝くじを貼り付けたかばんを抱えて売りに来る人がいるが、私は「興味ない」といつも冷たくあしらっている。

 
 ところで、この闇くじも先に書いたように、最近は政府公認の宝くじになった・・というか政府が関与するようになったため、元締めやその代理の母たちも政府に登録制となった。
これで、今はせいせい堂々と宝くじを売れるようになったが、以前はたまに警察のガサ入れがあったり、何度か密告で警察に捕まったこともある。・・・とは言っても、所詮はタイの警察、単に小遣いが欲しいだけの事なので、罰金を払ってすぐに釈放となるのだが・・・。

 宝くじは嫌いと言う私と旦那だが、ひとつだけ宝くじの恩恵を甘んじて受けてしまうことがある。
それは、旦那の一番上の兄が、いつも500バーツくらい宝くじを買うのだが、今まで2回大当たりして、5万バーツくらい儲けたときに、甥や姪である、我が家の日本のハーフの子供たちに、コラートの日本食レストラン「Fuji」で、食べ放題でご馳走してくれたことである。
 日本から来た当初こそ、月一くらいで行った日本食レストランだが、この不景気も手伝って、この数年は半年に1度行くかどうかというくらいに足遠くなっていた。
そんな事情を知ってか、甥や姪を喜ばそうという伯父さんのナムジャイである。
その日は、長女も遠慮せず、一杯60バーツもするジュースを頼んだが、気前のいい長兄は何も言わず笑っていた。
2家族と義母の大人数だったせいもあるが、しめて5千バーツ近くの出費。
給料が2万バーツちょっとの駅員をしている長兄には考えられない食事代だが、これも宝くじのお陰。

・・・それにしても、宝くじというのは、当たった分より損した分のほうが多いような気がするのは私だけだろうか?

  


Posted by バットニャオ at 03:42Comments(6)親戚の人々

2008年10月23日

イサーン人の秘密会議

 昨日は夕方突然、コラートで鉄道員をしている旦那の長兄から電話が入り、

「今からそっち(うち)に行く。あと20分くらいで着くから・・・。」

という知らせに、急きょ子供たち総動員での大掃除となった・・・。
幸い、母のピンチ?にいつもでは考えられない速さで行動する子供たち・・・みんながいて助かった。

 長兄たちは、数日前から義母を連れて、知り合いのいるカラシン経由で、そのまま足を伸ばして、長兄の奥さんの実家のあるウボンに行っていたのであった。
そしてその帰りに、メナム・コン(俗に言うメコン川)で獲れた新鮮な川の幸を土産に持って来てくれたのであった。

 平凡なはずの夕方は一転して、長兄の奥さんの手料理による魚尽くしの大宴会となった。
隣に住む義姉一家ももちろん呼ばれて、賑やかな夕食となった。
 
 メニューはプラー・コットのトムヤム(スープ)、ラープ(和え物)、それからラートプリック(唐辛子ソース掛け)であった。
本当は写真に収めてここに載せようと思ったのだが、すでに外国人として扱われていない私が、当たり前のタイ料理を珍しそうに写真に撮ったりすること自体が不自然で、みんなに「あるサイトでブログを書いていてそこに載せたい・・・」などという理由を述べると、分からない人の方が多く、説明が面倒なので諦めた・・・。
それに、長兄の奥さんの手伝いをして忙しい私には、とてもそんな余裕も無かったのだが・・・。

 ということで、出来上がった順番に待っている男性人や義母、義姉(我が旦那の一族は兄弟揃って立場が強く、それぞれの配偶者を尻に敷いているタイプである。)次々と料理を運ぶ。
これは日本人と違ってタイ人の習慣と言えると思うが、「みんな揃っていただきます!」という習慣が無いので、皆が思いのまま勝手に手を出し、次々と消化されていく・・・。

 そして、料理も一通り満腹し始めると、今度はさっき以上にみんな口が盛んになる。
私は、嫁の立場上、さっさと食べて後片付けを始め、空いたお皿から次々と下げていく・・。
料理やお皿を持って、洗い場とみんなの輪(・・・言い忘れたが、大きなテーブルもあるのに、こちらの風習でみんな地べたのタイルの上に輪になって座って料理を囲んで食べる)を往復しているうちに、何だか聞こうともなしにみんなの話が耳に入ってくる。

 どうやら、今夜の話題は何と「地球温暖化問題」で盛り上がっていた・・・。

 私はまるで、『家政婦は見た』の「市原悦子さん」にでもなったかのように、皿を片付けながら、話題に耳を傾ける・・・。

 「・・・なんでも、バンコクや南部は全滅するらしい・・・。」
 「国土の30%くらいしか残らないそうだ。」
 「でも、イサーンはまだ安全なんだって。特にここチャイヤプム! お金があればこのチャイヤプムに土地を買っておいたほうがいいってみんな言ってるよ。」(本当か~?)
 「そうそう、この間も、うちのお客が『南部の人がコークサアートの土地を何百ライっていう土地を買ったんだって。』って言ってたよ。」
 「ここにいれば安全だ。」

・・・と私と、南部スラートタニー出身の義姉の旦那を除いては、全員がイサーンの人間なので、真偽のほどは定かではなく、勝手な解釈では・・?という疑惑も残るが、とにかく今夜のイサーン人会議の話題は、

「地球温暖化がタイやイサーンに与える影響」というかつてないような話題になった。

 でも、彼らはこういうことを話題にしながらも、その原因である自然破壊には一向にお構いなしである。

 ・・・・この話題が、もし真実でもそうでないとしても・・・皆さんもチャイヤプムに移住されてはいかがですか?

日本人密度が限りなく少ないこのチャイヤプムで、ジャイダムもとい、ナムジャイイサーン支部を盛り上げて行きましょう! 



 
  


Posted by バットニャオ at 01:38Comments(5)親戚の人々