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ナムジャイブログ

2012年03月14日

信じる者は救われる?

 このところ、店の商売が何となく暇な日が続いている。
それに加えて、隣に住む義姉がここのところ、いつも以上にあちこちに出掛けているので、ここ数日、静かな日々が続いていた。
 その静けさが壊れたのは、今日の昼過ぎの事だった。

 いつも通り、店の中で商品チェックや片付けをしていると、店の前が急に騒がしくなった。
何だか、聞き覚えのある声で騒ぎ立てていると思ったら、案の定、義姉だった。
 確か、今日の午前中までは、姿を見かけないなと思っていたのだったが。

 どこからともなく帰って来るなり、義姉が大騒ぎをしているのは、先日、うちの主人に頼んで、近くの得意先の工場から売ってもらって来た、ドラム缶の代金を払ったという事だった。

 義姉は、私か長男に払ったと言い張るが、私も長男も絶対に受け取った覚えはない。
結局、しばらくして、家の中にいた長女が、昨日受け取ったが、長女にはそれが何の代金か分かっておらず、ちょうど店の前で義姉と話し込んでいた女性客が買った商品の代金だと思って、店の売り上げに入れてしまったということが判明した。

 最初、私と長男は、「お寺にばかり行っているから、とうとう頭がおかしくなったのかも。」と本気で思っていた。

 結局、義姉の言う通り、ドラム缶の代金は払ったという義姉の言い分が正しいが、我が家の方も、長女が店に出てくるというのは余程忙しいときで、その時に渡されたのでは私も長男も気がつかなかったということが分かったのだが、それで万事解決となると思ったら、それ以後、くどくどと義姉の文句が始まった。
 そして、話は我が家の前でオートバイを修理していた、義姉の一人息子の出家の話に対する愚痴に及んでいた。

 夏休みに帰省していた義姉の息子だったが、あまりに母親である義姉と意見が対立し、毎日文句ばかり言われるのがうるさくてたまらないので、夏休み中、近所の馴染みのお寺で出家して過ごしたいというのである。
 これに対しても義姉は反対し、その事で我が家の前で、機関銃のような早口&大声で喚き立てているのであった。

 普段、義姉は「徳を積んで、幸せになる」ために、毎日せっせとお寺に通い、どこかのお寺で行事などがあると、ピックアップの荷台に大荷物を積んで「ローン(グ)•ターン」と言う、炊き出しのような、無料の食事屋台を出店するために、他県のお寺でもどんどん出掛けてしまう。
 そして、そのお寺の有名な僧侶などのお守りなどをもらったり、買ったりしてきて主人に自慢しに来るのである。

 毎日、「自分がどれだけ『タムブン(徳を積む行為)』をし、どれだけ多くの『ブン』を積んだか」を自慢し、それを生き甲斐に生きているようである。

 先日の、親戚の新築式のときも、いつもは親戚付き合いとか、兄弟の集まりにはあまり顔も出さないのに、新築式の朝の僧侶への「タムブン」を目的に、前夜から一所懸命準備していたようで、その途中にも、「誰がたくさんタムブンをしたか、それが自分の徳になるんだよ。たくさんタムブンをすれば、それだけたくさんのブンが得られるんだ。」
 と、大声で叫びながら、まるで、自分だけがより多くの徳を積んで幸せになるのだと言いたげに、準備に走り回っていた。

 しかし、無信仰な私には、義姉のその姿が必死であればあるほど、地獄に降りて来た蜘蛛の糸にすがりつこうとする餓鬼のように思えた。

 義姉は、何を幸せだと思っているのだろうか?
毎日の義姉の生活を見ていると、今の生活がとても幸せなようには見えない。
 
 私にだって、毎日、不満や愚痴もたくさんあるが、それでも、家族揃って平穏に暮らせていることが幸せだと思う。

 しかし、義姉が毎日、夫や息子に対して、ガンガン文句を言って言い争っているのを見ると、どうして義姉は、毎日毎日お寺に通って「タムブン」をしているのに、心の平和とか安定がないのだろうと思う。

 不信心な私などに比べたら、義姉はもう数百倍、数千倍のタムブンをしているだろうし、もっと精神的にも落ち着いて、心の安定が得られてもいいはずなのに。

 義姉を見ていると、タムブンをすればするほど、そのブンに大して欲深くなって、より強欲な信者となっていくような気がする。

 ここに来た当初、日本では無信仰だった私も、年中行事で行われる仏教行事に参加したり、朝のタムブンなどを通して、タイ仏教を信仰しようかという気になったことがある。

 その頃は、朝晩の仏壇の前で経を唱えたり、お寺に行けば、やはり他のタイ人同様の三拝のあと、経を唱えたりということを倣ってしたものだった。

 
 しかし、その後この義姉の強欲な「タムブン」行為や、店に来るお寺の信者の有様を見るに付け、これがタイ仏教の信者の真の姿なのか?と疑問に思い、それがいつしか完全に不信感と嫌悪感に変わって行った。
 そして、以前は主人の言う通りに「仏教徒」を装っていたのだが、最近ではまた「無信仰」だと言い始めている。


 お寺の信者がうちの店で、お寺の伝票のツケで買って行く。
本来なら、自己負担でお寺のために仕事をするのが筋だと思うのだが、お寺の仕事はもちろん、自分の仕事で使う分まで、お寺の伝票でツケをしたりする。

 しかも、こういう事は無料奉仕かと思ったら、きちんとお寺から報酬を取っている。
その上、自分の車(トラクターや重機)が壊れたときには、調子良く、お寺のお金で直したりするようだ。

 さらに驚いたのは、お寺の伝票に付けて買って行った部品や工具、オイルなどを、実際には使わずに、売り飛ばしていた•••というのだから、もう呆れて物が言えない。
 
 

 こういう連中が「自分は熱心な信者」だと名乗っているのだから、私がタイ仏教不信になるのも無理はないと思う。

 本来なら、こんな連中にネジ一個でも渡したくないのだが、連中は「お寺のお使い」という大義名分を振りかざして来るので、要求された品物を渡さないわけには行かないのである。

 年に一度くらいであるが、お寺の行事などで沢山の寄付金が集まったときには、大僧侶様直々に支払いに来るので、遅い事は遅いが払わないわけではない。

 しかも、その大僧侶様は信者たちの行いも知っているが、さすがに心の広い方なので、何でも許してしまわれるらしい。
 
 だから、私が顔に苦渋の表情を露にしながらでも、この信者連中に物を渡さなければならないのである。


 タイ仏教、信じる者は救われるのか?
 私は、この信者たちの実態と、お寺で修行に明け暮れる僧侶たちとのギャップに苦しみ続けている。

信じる者は救われる?



 

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Posted by バットニャオ at 00:02│Comments(9)タイ仏教
この記事へのコメント
義姉様の件、全ての人が正常な脳(精神)と云うわけではないので、単に精神病(躁病)かもしれませんね。
Posted by ms at 2012年03月14日 15:11
先日の日曜日(11日)に、親類の長男が短期出家を行いました。

そのお寺は、我が家からそちらの家に向かった、少し手前右側のお寺です。(本来の入口が土砂で埋まっています。)

途中昨年の水害で破壊された橋の所を通りましたが、未だ架け替え工事が終了していないのにはびっくりしました。
「慌てない 慌てない。」流石タイ国の遣り方です。

「ブン」を積んでいても、「怒り」や「瞋」が多く現われていては、その分帳消しとなりますね。
ブンの見返りを願いながらのタンブンは、これも「ブン」とはよべないよ、と私は戒められています。
みせかけの「ブン」では、そのブン「分」差引かれますね。
Posted by 阿羅漢 at 2012年03月14日 15:40
バットニャオさん、こんにちは!

意味の深い記載内容に爆笑しました。しかし、バットニャオさんの文章は、構成と意図がシッカリして読みやすく、天職は随筆家なんじゃないかと思えます。
触発されて、今回はちょっと長いコメントになりますが、ご了承ください。

私が今回お寺に入って分かったことは、お寺に来る人にもいろいろな理由があるということです。私や義姉さんの息子さんのように、いたたまれなくなって来る人。又、純粋に悟りを求めて修行に来る人や、定期的な心の洗濯に来る人。或いは義姉さんの様に見返り求めて徳積みに来る人。更に、タダ飯だけを目当てに来る輩。 皆それぞれだと思います。

意外だったのは、頭を丸めた白服の尼さんが多い事です。その人生で、どのようなつらい事象に見舞われたのか、その思いつめた表情から推測する事はできます。心の傷が癒えるのを静かに待っているかのようで痛々しかったです。

また、カンボジアから住み込み修行に来られてる男性は、純粋に悟りを求めているんでしょうね。すごくいい人だと誰でもわかるほどです。彼の一つ一つの表情から学ぶことは多かったです。タイ語のお経が読めないので、私と彼は並んで手を合わせるだけでしたけど、気持ちは伝わってきました。

その他に、居ました居ました、台所の賄いオバハン!
帰る日にチャイヤプム行きトラックは何時の出発か尋ねたのですが、けんもほろろに「シー!モ――ン!」(イサーンでは朝10時?)と、怒鳴りつけられました、それも怒った顔でメンドくさそうに。3人いましたが、他の人は完全無視です。 
いつもそんなに不機嫌で不親切な態度なのかな?っと、ちょっと悲しくなりましたが、でも考えてみれば、そんな性格だからこそ自ら進んで協力に来ているのかもしれません。自分の「際限ない欲得」や「自己中による確執」に嫌気がさした可能性もあります。義務感だけでは続かないとは思いますが、どうなんでしょ?
どちらにしても、お寺さんから「こんな気持ちが大切だよ」と、子供の頃から教えられてきた方法を律儀に(バカ一に)守っているには違いがありません。そんな賄いオバハンって、お坊さんから見れば可愛い駄々っ子のように見えるのかもしれません。

人間のそこに至った「心境」や「感情コントロール能力」もそれぞれです。
だからと言って、通常お寺としては「あんたはダメだ、来るな」とはいいませんよね。
どのようなレベル、どのような境遇の人にでも、等しく「気づき」の縁を提供する。
それが、ブッダの想定した理想の姿でしょうし、お寺というシステムの本来の役目だと思うのです。「そうでなければ、お寺の存在理由など無い」とも思いました。

私から見れば、日本のお寺のように、「いくら包むのか」が最大関心事であったり、「ぼく葬式屋でーす」「あんたは何宗だからアッチ行きなさいよ」的な、凝り固まった形態に何の意味があるのか疑問です。昔はそうではなかったと思いたいぐらいです。

バットニャオさんの御指摘で、「こりゃ確かに問題だな」と思ったのは、お寺さんはその立場ゆえに経済観念が欠落しているんじゃないかというところです。
あまりにも知らな過ぎか、金銭を念じてはいけないと自己暗示を掛けているのか判りませんがが、ソコのところが取り巻き連中に利用され、付け入られる理由なのかなと。
その点に関しては、見て見ぬふりは責任逃れだと思います。大きな心で悪を見逃すのは、仏道に違反すると思います。ここは小さな心でモグラ叩きが必要かと(笑)。やはりお坊さんのなかで、経済感覚をお持ちの方が管理するのが一番だと思いますが、世俗の論理にドップリ浸かるのは嫌だと、自分でモグラ叩くのが嫌だとおっしゃるならば、在家で委員会を設立して「誰もが不正を行えない仕組み」を構築する必要があります。未だやってないのは放任主義の弊害です。上座部仏教では祈りや希望的観測は妄想の一種だとして、心に毒を作る煩悩の部類に入るわけですから尚更です。
いずれにしても腐りきった坊主の話、チラホラ聞きますから改善が必要でしょうね。

しかし、チェンマイでも二人の素晴らしいお坊さんに会いましたし、スカトーで修行をなさっていたソムチャイさんという、本業がチェンマイ大学の先生も、最高に気配りのきいた、無垢で心優しいお坊さんでした。彼を思い出すと、爽やかな風を身に感じます。是非また会いたい人です。そういう風に他人に思わせる彼こそが、本当のブン(徳)を身に着けていらっしゃる人間なのですよね。「徳」は求めたところで身につかず、自分から出さないと身につかないものだと思います。
そんなブン欠乏症?の義姉さんが、どこまで理解できるのかはわかりませんが、今の状態では家族にも愛想を尽かされそうですね。それから後が、彼女の転換の時なのかなって感じがします。
そういう性格になった理由もイロイロあるでしょうし、身に着けた心根は直ぐ直ぐ変わりませんでしょうから。私と同じように徐々に苦しみながら、気づいてゆくしかないでしょうね。そんな彼女にとって、お寺さんはやっぱり便利な「最重要アイテム」なんでしょうか(笑)。  以上、長々と失礼しました。
Posted by muga at 2012年03月14日 19:06
★ あなたのタンブンが足りないから不幸が訪れているとか。(笑)

本来の宗教はそうではないけど、タイはおかしいです。
Posted by ピヤポン at 2012年03月16日 00:20
どちらのBlogも日本で読んでます。
国は違えど、親戚付き合いや旦那のタイプも似ていて、おもしろいです。それは貧困から来てる気がします。
ちゃんと吐き出すのは大切ですね。何も変わらなくても、どこかで言うと言わないのでは大きな違い。
毒づき万歳です!
Posted by faa at 2012年03月16日 14:47
茶々を入れるつもりは毛頭ありませんが、「地獄に降りてきた蜘蛛の糸にすがりつこうとする餓鬼」には、思わず苦笑い。これまた、ぼくのことかと。
Posted by p_tak at 2012年03月16日 22:09
「ダンプン」して幸せになれるなら、私などとうの昔になっていなければと思いませんか?
未だに借金返さず、もう借りたことも忘れている友達が、「ダンプン」と「お金を借りること」を同次元で考えろとわめいていたことを思い出しました。

仏の教えと気質の違いが、根底的に日本人の感覚と違うので、最初はわけわからないけど、慣れると「これが当たり前」になっていく自分が怖いです。
Posted by チャンドラ at 2012年03月17日 00:51
msさん、こんばんは!
私も、ときどきそう思いたくなります。相手は病気なんだと思えたら、気が楽かも知れませんね。

阿羅漢さん、こんばんは!
「ワット•カオ•ターゴッ」と言うのですが、うちのミックの行きつけのお寺です。もちろん、この義姉も毎朝毎夕通っています。
大僧侶さまは澄んだ瞳の立派な方なんですが、信者たちがどうも•••。記事に書いたのは、ほとんどここの信者の話ですから。
そうそう、橋の工事、本当にいい加減にしろ!というくらいもたもたしてますよね。この夏休み中に完成するといいのですが。

mugaさん、こんばんは!
スカトーにはどれくらい居られたのですか?
私も、プラユキさんには一度しかお会いしたことがないのですが、そのときはタイ人と接している毎日に、ふっと吹いた清風のようでした。
もうそれ以来伺う機会がないのが残念です。

ピヤポンさん、こんばんは!
ご指摘の通りなんです。
タイに来て、私の不幸だと感じる原因は皆自分にあるのだと気がついてはいるのですが、なかなか悟れないのが不幸の続く原因ですね。

faaさん、はじめまして!
旦那さまはどちらの出身ですか?
毒づきたいのですが、なかなか完全に毒づけない毎日です。
ストレスだけが溜まっていくような。

p_takさん、こんばんは!
そんな風には思えませんが?
いろいろ、苦しまれているのでしょうか?

チャンドラさん、こんばんは!
そうですね。例のお友達にしたタムブンでチャンドラさんが幸せになっても不思議ではないですね。
ただ、タイのタムブンはほとんど「来世」のためにという感じなので、それでは遅い!っていつも思います。
Posted by バットニャオ at 2012年03月21日 02:10
原子時はセシウム(133C5)の原子時計の標準時間を知らせることでです。ここ数年来時計コピーを継いだ後に、また精度のもっと高い原子時計が現れて、だから国際度量衡委員会は1972年1月16日0時(グリニッジ時)から時計で標準時間を知らせることを決定して、その精度は百土の1秒です。
協定世界時:原子時の基準周波数は非常に安定的ですが、しかし地球の自転を基礎の世界のにする時概念は地球の自転の角度関連して、私達は地球の自転のスピードがかすかな変動が常にあることを知っていて、その結果両者のの秒が長くて完全に一致することを維持することができなくて、(1958年1月1日~1979年初共に世界に比べて時に速いn秒)。そこで国際上はまた1種の“時計コピー”に発生して、1972年から両者に09秒の内のギャップを維持させることを定めて、両者の時差が09秒接近する時1秒求めにくるのが平衡がとれていることを増加するか減らして、この増減の1秒のは“秒に重複する”をすると語っています。増加のは“重複している”がこれに反して“マイナスが重複する”を語ると語っています。1秒の実行に重複して国際時間局から決定に来て、普通はすべて年末あるいは年の中で行います。
Posted by 時計コピー at 2013年11月02日 10:43
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