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ナムジャイブログ

2009年08月31日

ワンプラと偽仏教徒

ワンプラと偽仏教徒




 毎月、数回 「ワンプラ」(仏の日)がある。
タイの店などで貰ったカレンダーなどには、大体、一週間くらいの間隔で、仏像のマークが入っていたりする。
その日が「ワンプラ」である。

 我が家の場合、前日に花売りのおばあちゃんが、20キロくらい離れた隣の隣の村から、プワンマライ(花輪)と花束を売りに来ることで気がつくことが多い。

 別に買わなくて、自分の家の花でもいいのだが、そうそう、毎回庭の花が咲きそろっていることはないので、いつももう70歳を越えるであろうこのおばあちゃんが朝早くからオートバイに乗って届けてくれる花を買う。

 次に、ワンプラの前日は、翌日の朝のおかずが貧弱だと困るので、市場で新鮮な野菜や肉を仕入れて置く。
ワンプラは、仏教の教えに従って、殺生をしない日なので、ワンプラには肉屋も牛や豚、鶏を殺さないことになっているので、ワンプラ当日は肉屋は休みか、売っているとしても前日殺して置いた、古い肉ということになる。
果物やお菓子もお供えに欠かせないので、普段はあまり果物を買わない我が家だが、みかんやその他季節の果物を1,2キロ買ってくる。


 さて、「ワンプラ」当日である。
いつものように、朝5時半に起きて、いつもの朝食の準備と同じく、おかずを用意する。
だが、忘れてはならないのは、人間のご飯を盛る前に、お寺に行く日はお寺に持っていく分のご飯を先に容器に取り分ける。
そして、次が家の仏様にお供えする分のご飯。
これも、絶対に人間の分を先に盛ってはいけない。
間違えて、子供などが先に自分のお皿に持ってしまった場合は、仕方ないので皿の分を釜に戻してやり直しである。

 これは、お寺に寄進したり、仏様にお供えしたりするご飯は、人間が手をつけた残りであってはならないということである。
もし、おかずなどを作って、誰かがつまみ食いなどをしたら、「バープ(罪業)」となるか、そのおかずはお供えできないものとなる。
 でも、人間ついうっかり・・ということがある。
私も、何度かこの「うっかり」をしてしまったことがあるが、誰も気がつかなかったのを幸いに、とぼけてしまった・・・・。

 タイ人なら許されないことかも知れないが、私はそういうときに急に日本人に寝返りする。
「まあ、本来タイ仏教徒ではないし・・・。ま、いいっか。」
である。

 しかし、ここにいて、私は主人からも、隣に住む熱心に毎朝お寺通いをする義姉からも、無言の圧力というか、当然のように、タイ仏教徒への改宗をさせられている。
私が、日本人によくある冠婚葬祭しか宗教に頼らない、「無宗教」派なのをいいことに、当然のように仏教行事や仏教の就寝前の座禅、瞑想を強制される。

 私も、たまにお寺に行けば、仏像や僧侶に対しての土下座 「三度の礼」は当然のように行うし、一通りのお経の暗誦も出来るが、別に信心があってそういうことをしているわけではなくて、タイ人のフリをするだけのスタイルに過ぎないのだけれど、そういうことを受け入れていると、周りのタイ人たちは、「プンは仏教徒だ」と誤解するらしい。
 
 そういう偽仏教徒としての態度は、私としては、

「郷に入っては郷に従え」
ということわざに倣っているに過ぎないのだが・・・・。

 この田舎で生活するということは、一部のファラン(西洋人)のように、明らかに見た目がバレバレの外国人とは違い、話さなければタイ人としか見えない、話しても、北部山岳地帯の少数民族出身か、ブリラムやノンカーイなどの国境付近の出身で訛りのあるタイ語なのかと思われてしまう私は(いつも、「どこの県から来たの?」と聞かれる。)、戦後の残留日本人兵ではないが、目立たずタイ人に紛れて暮らしたほうが、暮らしやすいということである。


 でも、こうして偽仏教徒のフリをしているうちに、いろいろな「ブン(徳)」とか、「バープ(罪業)」などに対する感覚も自然と身についてきているから、不思議である。

 仏教では、「殺生をしない」ということが五戒の一つに挙げられているので、僧侶はもちろん、お寺などでは一般人も蚊さえ殺さず、刺されそうになったら、手で追い払うくらいのものだが、我が家でも、ワンプラは子供たちが、虫を見ても殺すのを止める。

「今日はワンプラだ。バープになる。」と言いながら・・・。

 そういうクセが身についたのか、私もワンプラは自分の足にとまって、血を吸っている蚊を眺めていたりする。
まあ、所詮は偽仏教徒なので、気分次第でバシッと叩いてしまうこともあるのだが・・・・。



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Posted by バットニャオ at 01:59│Comments(15)タイの日常
この記事へのコメント
パットニャオ様
前に一度コメントさせて頂いたなかちゃんといいます。
いつも楽しく拝見させて頂いてます。
僕もいわゆる無宗教な人間ですがタイの仏教の刺青(サクヤン)をしているのでよくタイ人には熱心な仏教徒だと勘違いされます。その時否定はしないのですが面倒くさいのとやはり都合がいいのと両方ですね。
何年先か分かりませんがいずれタイランドに移住を考えていてその時は3ヶ月くらいお寺に入ろうとも思っています。(あくまで僕は無宗教ですよ(^_^;)。)移住先についてはまだ未定なのですがなるべく日本人のいない所へと考えております。
..が、やはり周りに日本人が居ない状況というのは寂しくなる物なのでしょうか。『あぁ~日本語喋りてぇ~!』みたいな感覚も出てくるのですか?
ではでは、今後も御家族あって今の生活でしょうから第一に考えて頑張って下さいね!またの更新を楽しみにしております。
Posted by なかちゃん at 2009年08月31日 09:21
ワタシも会社では、毎朝土地神様の祠におまいりし(これは仏教じゃないかな?でもワン・プラには特別なお供え物あり)、冠婚葬祭の時にはみようみまねで、お寺でおまいりし、誕生日や姑の命日にはタンブン(サンカターン)するという似非仏教徒です。
まあ、宗教は仏教なんでしょうが、宗派もわからない。なんでもいいやと思っています。

話は変わるんですが、なくなった姑は天理教徒で、毎晩「ナムアミダブツ」と日本語で唱えていたとか。そのおかげで「こんなにいい日本人の嫁が来てくれた」とみんなに言われて、本当に恥ずかしかったのを覚えています。何しろダンナよりずっと年上なんで。
Posted by NAPPY at 2009年08月31日 23:17
いつも楽しく読んでます。

最近は仕事の関係で日本より、タイに居る方が長いのですが、周りがタイ人ばかりで、お寺の参拝(偉いお坊さん又は尊敬するお坊さんが居るお寺?)によく連れていかれます。
私も、必要な時だけ仏教徒だったり神徒だったりで、無宗教なのです。
しかし、仕事仲間は真面目で完璧な?な仏教徒で、先日TAK(チェンマイの南約250kmのピン川の中州に有る、掘っ立て小屋の様なお寺で、大雨で水かさが増したら流されるのではと、心配になりるような場所です)のお寺に連れて行かれまして、偉いお坊さんの後ろで挨拶をしていると、私の方を一瞬振り返りチラッ(1秒位)と見たと思ったら、直ぐに前を向き直り突然、私の性格を話し出しまして、それがあまりに当たっていたので、びっくりして、それからはかなり、タイの偉いお坊さんは信じるようになっています。
只まだまだ、仏教(宗教)を信じるには内容に矛盾が多すぎて、私は仮の仏教徒と云ったところです。

それでは、また。
Posted by tetchan27 at 2009年08月31日 23:45
お久しぶりです。

けっこうサバけた題名ですが、ちょっとテーマは複雑かもしれません。
コメントも難しいです。

ご存知かもしれませんが、17歳で牧師と喧嘩した、アンチクリストです。
今では、どうでもいいので、寺に行って座禅したりします。

心配事は、親愛なる息子が…
俺の息子なんでしょせんロクな奴にはならんでしょうが、
(嫌、逆にロクな奴になってもらっても困りますが…)

責任も果たさず、5時に帰って、タンブンして、他人の力で得た金でタンブンして、仏教徒だ、良いことをしてるんだ!!!
なんて、今頃、タイ人元妻のところで学んでいるのかなんて
想像すると、頭が痛いっす。

学べば学ぶほど、
僧侶になるか、
(教えを目指す)
それから離れていくかが、
(自分には教えに従う力量は無いとあきらめる。)
本物と思っておりますので
ほとんどのタイはエセ仏教徒と思っています。
まあ、宗教が経済的に成り立つためには、そのエセ共が必要なのですがね。

↑横からですがNAPPYさんの旦那さんって年下だったんですね。
こんなところで、新情報、Get!!!
Posted by ヘットマン at 2009年09月01日 01:18
妻サザエのお兄さんがお坊さんなので・・・、と言いたいところですが私もほとんど無宗教です。

タイ人の前では見よう見真似で土下座 「三度の礼」をしていますが、ほとんど何も考えていません。
タイ人も皆が皆、いつも感謝や尊敬の気持ちを持ってやっているのかも怪しいと思っています。

日本にいたときも仏壇に爺さんや婆さんの写真を供え、新しいご飯があけると真っ先に供えていた母を見ていますので、先祖をとにかく大事にはしたいと思っています。


これからもタイではタイ人に失礼にならない程度のタイ仏教徒の付き合いをしていくと思います。
Posted by ドラえもん at 2009年09月02日 16:23
こんにちは、はじめまして
タイ旅行検索で、何気に此のブログに出会いました。
なんだか面白くとても惹かれ、数度読んだだけで、更新中止・・・残念と思いつつ、今日、なんとまた出会えることができ、思わずコメントに書き込んでしまいました!!!


自分は、ここ数年、年1回のタイ旅行が、年中行事となっています。
ホントは、もっと行きたいと思うのですが、現実には年1回がやっとです。

先日も、一週間ばかりチェンマイに・・・

仕事の合間に、此のブログを読むと、一瞬、タイに浸れます(笑)

それでは、楽しみに読ませて頂きます。
どうぞお元気でお過ごし下さい
Posted by かっぱ at 2009年09月02日 17:44
日本でも仏壇に朝からご飯とお茶を祭ります。人間よりも先にお供えします。
その後線香をつけて、鈴を鳴らします。祖母の家の日課でした。

私も日本では完全な葬式仏教派です。
教会で賛美歌も歌いますし、神社でおみくじ引いて、お寺でお参りしてお札を買います。
その上、タイの仏像も何個か持っています。
友達の母が探してくれた仏像をペンダントにして、勝負をかける日には必ずします。
その友達はバリバリの信者で、肉食べない日とかいつも言ってます。
爪を切る日、髪の毛洗う日まで言います。
もちろん寝る前のお祈りも欠かしたことはありません。
朝も水の入ったコップもってなんだかやってます。
でも平気で嘘つくし、いいかげんなことばかりの人生で、よく罰が当たらないものだと関心しています。やはりお祈りが効いているのでしょうか?
私も友達と何日も同じ部屋にいると、ちょっとついていけなくなりそうになりましたが、パットニャオさんは家族だから難しいですよね。
Posted by チャンドラ at 2009年09月03日 15:57
なかちゃんさん、ありがとうございます。
刺青されているんですね。痛くなかったですか?
でも、タイ人の男性は、若いときに威勢がよかった?人などは、結構たくさん刺青してますよね。
でも、年取ってくるといいおじさんになっていたりして・・。
あと、絵柄の上手い下手はかなりすごいものがありますね。
日本人のいない状況ですが、慣れてしまえば気にならなくなります。
自分が日本人だという自覚がなくなってきますから・・・。
日本語しゃべりてぇーー・・・というよりは、喋ろうとすると、タイ語しか出てこないという状況です。
日本語を忘れてしまいそうになる今日この頃です。

NAPPYさん、やはり似てますね~。似非仏教徒同士・・・。
とりあえず、もともと宗教にこだわらないのですから、見た目だけでも、仏教徒しておくのが都合がよいということで・・。

ところで、ヘットマンさんはご存じなかったんですね。NAPPYさんの秘密?


tetchan27さん、ありがとうございます。
そうですよね、タイ人ってお寺周り好きですからね。
一種のレジャー感覚ですね。
私も、偉いお坊さんの占いや、予言のようなものは信じています。
以前、私の生年月日時間で、私の両親が病気をわずらっていると言い当てられたこともありますし、最近でも、義姉が訪ねた有名なお坊さんに、会ったこともないのに、主人の「グチっぽく、すぐに人を罵倒する性格」と私の「金遣いが荒い」という本来の性格(今は使うお金がないので節約せざるを得ない・・)を言い当てられて、義姉は私の金遣いの荒さを知らないので「そんなことないですよ。」と反論したところ、「あなたが見ていないから知らないだけだ」と言われたそうです。
まったく、面識もないし、その場にいない私たちのことまで言い当てるなんて・・不思議ですよね。

ヘットマンさん、ありがとうございます。
ベトナムから戻られたのですか?ミャンマーではなかったですよね?
そちらで出家とかされているのかと思っていました。
ところで、私の主人も年下なんですよ。(どうでもいいんですが・・)
Posted by バットニャオ at 2009年09月06日 01:23
ドラえもんさん、ありがとうございます。
そうですよね。身内にお坊さんがいらっしゃるんですよね。
でも、タイでは、お寺にあまり行かなくても、やはりタイ人式にしたがって仏教の作法や常識は覚えていないと、生活できませんよね。
まあ、「外国人」と太線を引いて生活するのなら別ですが・・・。


かっぱさん、ありがとうございます。
チェンマイ旅行は楽しまれましたか?
私は、かれこれ十年近く前に行ったのが最後のチェンマイでした。
今は、義母に「ラムヤイ食べに行こう」などと誘われますが、面倒で行く気にもなれません。大して変わりはないですから・・・。
今度、機会があったら、チャイヤプムにも来てみてくださいね。
とはいえ、タイの自然があるだけで、これといったところもないですが・・。

チャンドラさん、ありがとうございます。
さすが、日本人!のマルチ宗教ですね。
でも、その友達さんは、日本にいてもそういう信仰を続けるのですから、かなりの熱心な信者ですよね。
でも最低限の信仰の基本である「五戒」の一つ、「ウソをつかない」は守れないのですね。
・・というか、「ウソをついている」という自覚が欠如しているのかも知れませんね。
タイの一般庶民もみんなそんな感じですから。
自分が「ウソ」だと思っていなければ、「ウソではない」らしいです。
Posted by バットニャオ at 2009年09月06日 01:36
バットニャオさん、すみません、場所をお借りして...

↑ヘットマンさん、知らなかったんですか。ということは私のブログランキング、クリックしてませんね!!ちゃんとそこのキャッチコピーに書いてあるのに(笑)。
Posted by NAPPY at 2009年09月10日 23:34
バットニャオさん、ハノイより場所借ります。

NAPPYさんにコメントが送れなくなっております。

あきらめました。
Posted by ヘットマン at 2009年09月11日 22:22
タイの人々の仏教も間違っていることが多いと思っています。
偽ではないですがおかしいですね。
結局、金だし、エロ坊主も多いし。
Posted by ピヤポン at 2009年09月12日 08:41
郷に入れば…とはありますが、そう簡単に一通りのお経の暗誦なんて出来ないですよ。バットニャオさんすごいです。はい。
Posted by YoYo at 2009年09月12日 17:15
こんにちは。
私の場合、足に止まった蚊は殺す、ハエはコーラのペットボトルに少し残った甘い液に群がっているのをボトルの中にいっぱいになったところでふたをして振り回し殺したりですが、どこかでタイ人ににらまれているこかもしれませんね。少しは改めようかなとおもいながらすぐ忘れます。
確かに、ランカーに売っている殺虫剤は売れ行きが悪いですもんね。
でもタイ人は蚊取り線香は焚いているようで、どこまでがどうなのか。考えてしまいます。
Posted by ランナム at 2009年09月18日 14:01
彼は18世紀末葉に発明しましたか?機関,過去の200年余り中で、このような機関はずっと最も複雑な機械が中の一つを詰めるのだと思われます,時計レプリカは世界の時計の歴史の上でも'聖人を表す'世紀の中葉と称されます。
ヨーロッパの米国を遠く離れても表を作成する職人が現れて、彼らはそれから米国の工業の飛躍のために条件を創造しました,1700-1800年の時種々の捕らえる跳躍と調速装置を発明して、懐中時計の一層の発展のために深い基礎を打ち立てて、1725年,イギリス人は労働者のプリントホイールのエスケープ時計レプリカを改良しました,その雁木車の歯の形は中国のに類似しますか?Y字バック,このような機関は20世紀の初期までチップの中でまた表すことに用いるべきです。
Posted by 時計レプリカ at 2013年10月25日 12:08
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